03 婚約者は王子様
03 婚約者は王子様
プレッピーの顔面クワガタは、またたく間に学園じゅうの話題となった。
これでプレッピーも少しは大人しくなるだろう。それに、アレを見せられた他のいじめっこ令嬢もしばらくハクメイに手出しはしてこないはずだ。
……なんて思っていたんだけど、甘かった。
学園の昼休みが終わる頃には、わたしの机の中にあったノートは落書きされていた。
『死ね』とか『幽霊女』とか『ブス』とか、頭の悪そうな悪口をびっしりと。
さすがにおかしい、とわたしは思う。
プレッピーの顔面クワガタの話題と同じくらい、他の生徒たちの間ではハクメイの変わりようがウワサになっている。
普通ならそんな相手にはチョッカイを出したりせずに、しばらくは様子見をするはずなのに。
もしかしてハクメイは、ちょっとやそっとのことじゃいじめが止まらないくらいに憎まれている……?
でも、なんで……?
その理由はすぐにわかった。
一日の授業を終えて、馬車に乗って屋敷に帰ったところでリッパが出迎えてくれる。
「お帰りなさいっす、ハクメイお嬢さま! 遅かったので心配したっす!」
「大げさね。学園に行けば帰るのはこのくらいの時間になるでしょう」
「もしかして、放課後まで授業を受けたんっすか!? いつもは泣きながら早退してたのに……!」
そうだった。ハクメイはマジメな性格だったから、いじめられているのに登校していた。
がんばって授業を受けようとしてたんだけど、いじめられて体調不良を理由にいつも早退してたんだった。
「これからは毎日、このくらいの時間に帰ることにいたしますわ。……ところでリッパ、それはなんですの?」
リッパは飾り気のない包装の小箱を持っていた。
「あ、これはさっき届いたばかりの、トゥエルス王子からの贈り物っす!」
その単語を耳にした途端、わたしの全身は落雷に貫かれたように痺れた。
トゥエルス……! トゥエルス・フォン・プレダトリー……!
トゥエルス王国の第十二王子で、ハクメイの婚約者……!
そうだ、そうだったんだ。ハクメイには王子という婚約者がいたんだった。
しかしプレダトリー王国の王子は16歳になるまで、素性を明かしてはならない決まりがある。
そのためハクメイは王子とは会ったことがなく、どんな顔なのかすらも知らない。
ノミの心臓のハクメイは、顔もわからない相手とすすんで婚約したりはしない。この婚約は、ハクメイの父親である暗黒卿ドゥンケルハイドが決めたもの。
たぶんドゥンケルハイドは王族との繋がりを持ちたくて、わたしと王子を政略結婚させようとしているんだ。
それに、やっとわかった。ハクメイが異常なまでにいじめられている理由が。
プレダトリー王立学園は玉の輿を狙う令嬢たちが群雄割拠している。
そんな最中に、弱小貴族の幽霊娘が王子と婚約なんてことになったら、みんな血眼になって阻止しようとするだろう。
いわゆる、婚約破棄というやつだ。
婚約破棄を引き起こす方法としては、ハクメイの悪いウワサを王子の耳に入れたりして、王子の口から婚約破棄を宣言させるのが一般的。
しかし現時点では王子が誰なのかはわからないので、それはできない。
この世界では女のほうから婚約破棄はできないので、残る方法としてはハクメイの家を没落させるか、ハクメイを自害させる……。
家ひとつ没落させるのと、虚弱体質の少女ひとりを亡きものにする、どちらが容易かは比べるまでもないだろう。
……そういうことだったのか……! どうりで顔面クワガタ程度のパフォーマンスじゃ、いじめは止まないわけだ……!
理由がようやくわかり、わたしは唇を噛みしめる。
王子との結婚は一年後だから、むしろいじめはさらに苛烈になっていくだろう。
その対策はこれから考えることにして、とりあえず小包を受け取って自分の部屋に戻る。
小包を開けてみたら、水晶の小瓶に入った薬だった。
王子はハクメイが虚弱体質なのを知っていて、こうして定期的に薬を贈ってきてくれている。
花飾りどころかメッセージひとつない、簡素な包装で。
わたしは思わず小瓶を握りしめていた。
……そこに、愛はあるんかい……!?
したくもない結婚を約束させられて、しかもそれを理由にまわりからいじめられる。
結婚を決めた父親からも、王子からも助けてもらえない。
でも、そこに少しでも愛があったなら、ハクメイはきっと耐えられたはずなのに。
ハクメイに、愛と呼べるものは無かった。
彼女の心の内にあったのは、幼い頃のちいさな恋の思い出だけ。
わたしは小瓶を握りしめたまま、窓際に置いてある宝石箱を開ける。
そこには、枯れた葉っぱが一枚入っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
虚弱体質のハクメイは、幼い頃は特に病気がちだった。
滅多に部屋から出ることができず、一日のほとんどをベッドの上で過ごしていた。
当時は幼なじみで同い年の男の子がいて、彼が遊びにきてくれるのが唯一の娯楽だった。
金髪で青い瞳のかわいい男の子。
彼はいろんなことをしてハクメイを喜ばせようとしていたけど、ハクメイが笑顔になることはなかった。
冬のある日、ハクメイは窓の外を眺め、男の子にこうつぶやいた。
「あの葉っぱ、わたしみたいですわ。……もうすぐ、お空に飛んでいくのです」
窓の外にある庭、そこには一本の枯木が立っていて、木の枝には一枚の葉っぱが付いていた。
葉っぱは冷たい木枯らしに吹かれ、いまにも枝から離れて飛んでいきそうだった。
その日の夜、ふと目が覚めたハクメイ。
月明かりに誘われるように窓辺に向かったのだが、目に飛び込んできた光景に息を飲んでしまう。
なんと、枯木の枝の上に男の子がしがみついていて、枯葉に手を伸ばしていたのだ。
目があった途端、男の子はビックリして木から落ちてしまう。
ハクメイは矢も楯もたまらず、医者からの外出禁止令を破って夜の庭に飛びだしていた。
男の子は大事には到らなかったが、頬に大きな切り傷を負ってしまった。
半泣きで手当をするハクメイ。自分が聖女だったらいいのに、とこの時強く思ったそうだ。
「ど……どうして、どうして木に登ったりしたんですの?」
男の子は頭を掻きながら、ポケットからノリを取りだした。
「いや、あの葉っぱをノリ付けしようと思って」
「どうしてそんなことを……?」
「葉っぱがいつまでもそこにあったら、ハクメイはいつか元気になってくれるんじゃないかと思って」
呆気に取られるハクメイ。男の子は木を見上げた。
「あっ、見てハクメイ。月がすごく綺麗だよ」
つられて顔をあげたハクメイの瞳が、驚きに見開かれる。
「うわぁ……! 外でお月様を見たのは、初めてですわ……! お月様って、こんなに綺麗だったんですのね……!」
夜に咲く花のようにほころぶその横顔を、男の子はじっと見つめていた。
「月に、なりたいな……」
「えっ?」
「だって月になれば、キミの笑顔が毎晩見られそうだから」
男の子はポケットから、枯葉を取りだした。
「いまはこれくらいしかできないけど、約束するよ。僕はキミの月になる。月になって、キミを永遠に見守り続けることを誓うよ」
それからふたりは毛布にくるまり、身体を寄せあっていつまでも月を見ていた。
あの夜のあとハクメイは風邪をこじらせて寝込み、男の子は顔に傷が付いたことで、ふたりの家の関係は最悪となった。
ハクメイの外出禁止令はさらに厳しくなり、使用人以外の接触を禁じられる。男の子はハクメイの家に行くことを禁じられ、それっきり。
これがハクメイの、最初で最後の恋だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「枯葉の君……」
ハクメイの過去を思いだし、ついセンチメンタルになっちゃうわたし。
こんな小さな恋の物語が一生の思い出で、こんな枯葉が一番の宝物なんて、かわいそうすぎる。
こんな星の下に生まれなかったら、もっといっぱい恋ができたはずなのに。
……あれ? でもわたしの前世には異性との思い出なんて皆無じゃなかった?
異性と手を繋いだことすら無かったような……。
思わず別の意味でセンチメンタルになったけど、頬を叩いて気合いを入れる。
「お……落ち込んでる場合じゃありませんことよ! いまは、現実と戦わないと!」
わたしは手にしていた瓶のフタを栄養ドリンクのCMのように親指一本で開けると、一気に飲み干した。
効き目の強い薬だったらしく、全身がカァーッと熱くなる。
「病を収めんと欲すれば、まずは気から……! そして将を射んと欲すれば、まず馬からですわ!」