11 暗黒卿の襲来
11 暗黒卿の襲来
黒馬に漆黒の馬車。その佇まいは闇そのものであった。
中に死神が入っていそうな見るからに不吉な乗り物が、這うようにゆっくりと屋敷に近づいてきている。
見ているだけで、わたしはクモが身体にまとわりついてくるような嫌なものを感じていた。
それほどまでに、ドゥンケルハイドの馬車は不気味だった。
「うっ……うわぁぁぁーーーーっ!!」
隣にいたリッパがいきなり大声を出して逃げ出したので、わたしもビックリして後を追う。
ふたりして屋敷の中に逃げ込んだんだけど、もはや逃げたところでなんの解決にもならない。
わたしは腹をくくり、ドゥンケルハイドとの対決を決意した。
こんな展開はゲームでは無かったと思うので、プランは無い。
とりあえず台所に行き、ヘルメットがわりに鍋を被り、鍋のフタを盾がわりに、包丁を武器がわりにして武装する。
玄関の先にある直線の廊下、その行き止まりにテーブルを倒したバリケードを置き、その陰に隠れた。
ここなら見通しがいいので、なにかしてきても対応がしやすい。
廊下の横には裏庭に繋がる台所があるので、いざとなったらすぐ逃げられる。
――こい、ドウンケルハイド……! こんなところでわたしは死なないぞ……!
包丁をぎゅっと握りしめていると、玄関扉がきしむ音をたてて開いた。
エントランスホールにはシャンデリアがあり、こうこうと明かりが降り注いでいたんだけど、
……カツン……!
大理石に足音が響いた途端、明かりは消え去り、ホールは真っ暗になった。
「えっ!? いったい、なにが起こったの……!?」
わたしの隣で、カミナリを怖がる子供のようにうずくまっていたリッパが震え声で言う。
「光を殺し、闇を生む……! これが暗黒卿、ドゥンケルハイド様の力っす……!」
暗がりのホールにいたのは長身でスマートな人物。しかし顔や服装はまったくわからない。闇を従えて完全なる影と化している。
その人ならざる佇まいに、わたしは思わず悲鳴をあげてしまった。
「ひ……ひえええっ!?」
影はわたしの声に反応。カツン、カツンとステッキと靴を鳴らし、こちらに向かって歩いてくる。
廊下は白磁の大理石なんだけど、彼が足を踏み入れた途端、黒曜石のように黒く塗りつぶされる。
周囲にある明かりは順番にスイッチを切っていくかのように、ひとりでに消灯していく。
――こ……怖すぎるっ!
震えあがっているうちに、わたしのまわりは完全なる暗黒領域となった。
すべてが真っ黒けっけ。鼻先ですら何があるかわからず、逃げようにもどっちに行けばいいのかわからない。
やがて、闇がささやいた。
「……メイ、大きくなったな。その様子だと、息災のようですね」
その声は重苦しいほどの威圧感があるのに、なぜか繊細に聞こえた。
そしてひとつ思いだした。ドゥンケルハイドはハクメイのことを『メイ』と呼ぶのだ。
わたしは勇気と声を振り絞る。なんにも見えないので、声のした方向に話しかけた。
「お……お父様も、お元気そうでなによりですわ……」
「商船会社を立ち上げたのは、リッパから聞いていました。まさか、ディンド大陸との交易を成功させるとは、驚いたよ」
「あ……ありがとうございます……」
「なぜ、私を助けたのだ?」
前振りもそこそこに、話はさっそく例の破産の件に入った。
もしかしてここで返答を誤ったりすると、襲い掛かってきたり……?
わたしは身構えつつ答えた。
「なぜ、って……。家族の破産を救うのは当然のことですわ」
「当然? メイはわたしを憎んでいたのではないのかね?」
「憎む? 憎んでいるのはお父様のほうではありませんの?」
なにか話が噛み合わないと思った瞬間、目の前から紫色の炎が燃え上がり、あたりがにわかに明るくなった。
杖の先には魔法の明かりが灯っており、ドゥンケルハイドの顔を照らし出していた。
「そんなことはない。私はメイに憎まれる義務はあっても、メイを憎む権利などないのだから」
その言葉。そしてその悲しい瞳は、わたしの脳裏から幼少の頃の記憶を引きずり出した。
幼い頃のわたしは、一日中ベッドにいなくてはならないほどの虚弱児だった。
母を亡くしたことが子供ながらに理解できず、ママに会いたい、外に出たいと泣くわたしを、ドゥンケルハイドは必死になだめようとしていた。
『わかっておくれ、メイ。お前は私以上の魔力を持っているんだ。高い魔力を持つ子供は、他の子に比べて身体が弱いんだ』
『メイは、パパの子だから、お外に出られないの……? パパの子だから、すぐに病気になっちゃうの……?』
『……そうだ、メイ。パパを許しておくれ』
『ママに会いに行けないのは、パパのせいだったんだね!? きらい! パパなんか大っ嫌い!』
わたしは自分の身体が弱いことがドゥンケルハイドのせいだと思い込み、駄々っ子のように暴れた。
興奮して無理に暴れたことがたたって、わたしはそれからしばらくのあいだ寝込んでしまう。
熱にうなされ、生死の境をさまよった。
数日後、目を覚ましたときにはドゥンケルハイドはいなかった。
丘の上の屋敷から、街中の屋敷へと引っ越していた。
使用人たちは、ドゥンケルハイドの仕事が忙しくなったからと言っていたけど、いまならわかる。
『私がいると、あの子はこれからも寝込んでしまうかもしれない。だから、私はあの子の元から離れよう。あの子が私を許してくれるまで……』
そうだ。そうなんだ。
わたしはてっきり、ドゥンケルハイドがわたしのことを嫌って別居したと思っていた。
でも、そうじゃなかったんだ。
ドゥンケルハイドは……いや、パパはわたしが病弱令嬢になったことを自分にせいだと思い、そのことをわたしが許すまで、わたしをひとりにしておいてくれたんだ。
いままで何不自由ない生活をさせてくれたのが、なによりもの証拠。
ハクメイは父親に見放されて、ひとりぼっちだったんじゃない。
ふたりの間で、ほんの……ほんのちょっと、ボタンの掛け違えがあっただけだったんだ。
すべてを思いだしたいま、わたしはまっすぐ前を向いて言った。
「わたしは、パパを憎んでなんておりませんわ!」
しかしパパはまだ戸惑っているようだった。
「だが、その格好……」
「えっ」
しまった。わたしは台所用品でフル武装してたんだ。
こんな格好をして出迎えたら、完全に招かれざる客だと思われても仕方がない。
包丁や鍋を足元に落とすと、ガランガランと音をたてる。
するとパパの顔が、心の重圧が解き放たれたように柔らかくなっていく。
暗黒卿と呼ばれるほどの面影は、もうどこにもない。
ふたりの間を阻むものも、もうなにもなくなっていた。
「あ……会いたかった……パパ……! どうして……どうしてもっと早く、会いに来てくださらなかったの……!?」
「す……すまなかった、メイ……! もっと、もっとその顔を見せておくれ……!」
わたしは子供に戻ったように、パパの胸に飛び込んだ。
暗闇はすっかりなくなり、明るい光がわたしたちを包み込む。
わたしはパパに顔をもっとよく見てもらおうと、そしてパパの顔をもっとよく見ようと顔をあげる。
しかし目があった瞬間、心臓が口から飛びだすかと思うほどにドキッとした。
――なっ……なに、このイケメンっ……!?




