9.女/旦那様の頼み事
旦那様の頬の傷も治り、新しい年がやって来た。雪で庭も畑も丘も、辺りはすっかり白色になっていた。そんな景色を眺めながら窓拭きをして、掃除道具一式を片付けようと運んでいる時、突然現れたルーイに両肩を掴まれ、「ガブリエルがいる!」なんて言われた。訳が分からず目を点にして動けずにいたら、今度はジャネットが走ってやって来て、「何言ってるんですか!?」とルーイから私を引き剥がした。
ほんと、訳が分からなかった。
その後何故か旦那様の部屋に連れて来られて、旦那様と執事とルーイ、それにジャネットが揃う中、事情を説明された。聞いて、「無理です!」と、私こんなにも大声出せたんだと思う位の声で言いながら顔を青褪めさせた。
その事情というのが、国王陛下からパーティの招待状が届いたそうで、旦那様は出席しなければならず、でも英雄であり侯爵位も賜っており、さらに独身の旦那様はそれはそれは面倒な事になるのだそうだ。本当は行きたく無い、けれど、国王陛下からの招待なのだから止ん事無い理由でも無い限り断る訳にはいかないそうだ。残念ながら都合の良い理由をでっち上げる事も出来ず、じゃあ適当に女性を伴って参加すれば良いのではないかとの話になったそうだ。それで、その適当な女性は誰に?と言う話になり、頼める様な女性の知り合いは居ない、娼婦はいろいろと面倒、適当な女性なのに侯爵夫人の座を狙われ勘違いされたら困る等、適任が思い付かなかったらしい。そこへルーイが私を推薦してしまったと言う訳だ。
何を言っているのだ。
無理に決まっている。
適当な女性でもさすがに私は適当過ぎる。
「大丈夫だって。とりあえず参加して陛下に挨拶だけして直ぐに帰って来れば良い」
まずそれがあり得ない。私みたいな使用人で平民どころか孤児の、それも戦争で負けた国の人間が勝った国の国王陛下に挨拶するなんて、あり得ない。それが知れたらどうなるか……会場からつまみ出されるどころでは無いだろう。国王の暗殺を企んでいるとか濡れ衣を着せられ投獄されかねない。私はあの男に復讐する為に生き延びたが、国王を暗殺しようとは思っていない。
そう言いたくても私は隣国の民であった事をこの邸の誰にも話していないので言えない。旦那様は気が付いているかもしれないけれど。
「いきなり貴族が大勢いる場に行くなんて、無茶ですよ!ガブリエルも不安になりますよ!」
そうだそうだ、ジャネット、その通りだ。もっと言ってやってよ。
「しかし勘違いした女性に突然この邸を乗っ取られても困りますし」
執事よ、それは幾ら何でも飛躍し過ぎでは!?
「確かにそれはそうですけど。こんなに働きやすい職場が一人の女で変わるのは嫌ですけど」
ああ、ジャネット、同調しないで!
「そうだろ?そう考えると訳知りの使用人が丁度良い。既婚者のジャネットだと女除けにはならないから、ガブリエルしかいない」
「私だってただの平民ですよ!?ガブリエルだってそうです!貴族のご令嬢や平民でも金持ちのお嬢様でなければ淑女教育なんて受けないんですから、いきなりパーティに行けなんて無理ですよ!」
私の父は子爵家の子息ではあったが、騎士として身を立てるつもりが怪我で叶わず平民として生活していた。父から簡単な文字の読み書きや計算位は教えて貰ったが、淑女教育なんて何一つ知らない。
そんななのにいきなり華やかな貴族の方達が集まるパーティに参加しろなんて、とてもじゃ無いが無理だ。
この三人による言い合いを、私はジャネットを心の中で応援しながら聞いていた。そして当事者である旦那様も黙って聞いていた。
もう旦那様お一人で参加して頑張って欲しいとすら思っていた。「一人で行く」と一言言ってくれたら良いのにと思っていた。
ずっと黙っていた旦那様が急に「ガブリエル」と私の名を呼んだ。「はい」と答えながら少し頭を下げた。
「一緒にパーティに行ってくれないか?」
想像していた言葉とは正反対の言葉だった。既に青褪めていた顔からさらに血の気が引く様だった。このまま倒れて夢でした、ならどんなに良いだろう。
使用人の私の主である旦那様からの依頼を、私なんかが断る事は許されない。
でも疑問形での依頼だ。命令形では無い。私の意志を確認してくれているのだ。さすがにこの邸に来て暫く経つので旦那様が優しい人である事は知っているので、私が断っても怒りはしない気がする。
けれど、孤児になってから周囲の顔色を伺いながら様々な事を黙って耐えてきた。仕事が無くなってしまうのは困るので邸の主人や使用人の先輩の言う事に忠実に従ってきた。嫌な事にも黙って受け入れ気が済むのを待った。
そんな経験から断るなんて事は恐ろしくて選択出来ない。
「だ……旦那様の、命であれば……」
頭を下げたままそう言う事しか出来なかった。
そんな事でパーティへ帯同する事が決まってしまい、当日まで淑女教育なるものを受ける事になった。ちゃんと講師まで雇い、使用人の仕事よりも優先して授業を受けさせられた。それは普段の仕事よりも圧倒的に疲れる事だった。それに講師の夫人はとても厳しい人で怒られてばかりだった。
ここまでする必要はあるのだろうかと疑問に思いつつ、やっぱり私には無理だと言われないかなと薄い期待をしつつも、あっという間に日は過ぎ、講師に溜め息をつかれつつも「どうにか乗り切れる事を願っています」と言われ当日を迎えた。講師からしたら時間が無かったとは言えこんな不出来な教え子がいると知れたら講師としての評価が下がってしまうのだから、何事も無く過ぎて欲しいと願う気持ちも分かる。
当日は午後から出掛けた。雪がちらちらと降る中、私の為に借りてくれた馬車に乗った。邸には馬車が無かった。必要無かったからだ。旦那様はどんな時も馬で出掛けるから。
そして旦那様も一緒の馬車に乗った。気まずい事極まりない。普段からあまり喋らない人なので、会話は「寒くないか?」「はい」のみだった。
まず向かったのは洋裁店だ。今日着ていくドレスを選ぶ為だ。さすがにオーダーメイドするには日が少な過ぎた。既製品を事前に買っておいても着方を私もジャネットも分からない。それで店で選んでそこで着せて貰う作戦に出た。予約してみたら追加でお金を払う事で了承して貰えたのだ。
しかし困った事にチビで痩せっぽっちの私にぴったりサイズの既製品は無かった。特に胸がぶかぶかだった。もう子ども服の方が良い気がしたけれど、さすがに夜のパーティには不向きだ。それでもどうにか胸が無くても着られるドレスを見つけ出して貰い着た。
それから髪も美しくまとめる技術等持っていないので、そもそも短い髪の私でも見映えする様に、大きめのボンネを選んで着けた。
姿見に映った私は遠目から見たら貴族だった。でも近付いて見たら子どもが背伸びしている様にしか見えなかった。冴えない顔。簡単に化粧も施して貰ったけれど、貴族の振りをした残念な女にしか見えない。
ヒールに慣れていないので低いヒールの靴を履いて、旦那様が待つ所に向かった。
「大変お待たせ致しました」
「……いや。では、行こう」
変だとも、可笑しいとも、やり直せとも言われ無かった。良かった。でも時間が迫っているからかもしれないけれど。
一体総額いくら掛かったのか私には分からない。衣装も馬車も講師も、私には考えられない様な金額ではないだろうか。そこまでしてお金を掛ける必要があったのか。後で給料から差し引かれたりしないだろうかと不安になる。無い事を祈るしかない。もしかしたら今日の出来次第で変わるかもしれない。「お前のせいで最悪だった」と言われでもしたら返金しなければならないかもしれない。
そんな不安を抱えつつ馬車に揺られ、パーティが開催される離宮へと向かった。
ちらちらと降っていた雪は衣装店に滞在していた間に変わり、しんしんと降っていた。