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結婚させてください  作者: 知香
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8.女/母の思い出

部屋の布団に包まりながら、いつ旦那様がやって来るかと震えていた。旦那様に知られていた。今日の護衛は嘘で、私を見張っていたのではないかと思った。

復讐しようとした私を殺しに来るかもしれない。逃げなきゃと思うのに、布団の中から出られなかった。体が動かないのだ。


でも、いつになっても旦那様はやって来なかった。旦那様の変わりにルーイが殺しに来る事も無かった。執事が解雇を伝えに来る事も無かった。


来たのは私を心配したジャネットだけだった。食事をしようと誘ってくれたけれど、部屋から出るのが怖くて断った。

そうしたらジャネットが部屋にご飯を持って来てくれた。


「旦那様がね、ガブリエルに持って行ってやれって」


私を殺さないの……?


どうしてなのか分からない。何でなのか分からない。


正直お腹はいっぱいだった。林檎一個まるまる食べたし。

胸もいっぱいだった。優しく気を遣ってくれるジャネットや執事で。そして、やたらと私を太らそうとする旦那様のせいで。


でもせっかく持って来てくれたジャネットに申し訳無くて、部屋に一人になってからちびちびと食べた。どうしてここの邸の料理は美味しいのだろう。お腹も胸もいっぱいなのに、全部食べる事が出来た。




翌日、何を言われるだろうかと思いながら仕事に出た。

ジャネットには「もう大丈夫なの?」と心配されただけだった。

執事も特に解雇するとは言って来なかった。「体調が悪い時は遠慮無く言ってください」と言われた。


だからいつもと変わらず仕事をした。

旦那様はいつの間にか出掛けてしまっていた。今日は昼から雪が降っていた。静かにゆっくりと降り、昨日溶け残った雪の上に積もっていく。空は一面どんよりとしている。今日はこの後ずっと降り続くだろう。



夕刻、旦那様が肩に雪を積もらせ帰って来た。手を震わせながらいつもの様に玄関で頭を下げる私に、特に何も言わず、部屋へと行ってしまった。


その後、ジャネットと雪で濡れた玄関の拭き掃除をした。掃除が終わった頃、執事に呼ばれた。


「旦那様の頬の手当てを」


遂に来たかと思った。一気に緊張した。心臓がバクバクして煩かった。


旦那様の部屋に入ると、旦那様はいつもの様に静かに座っていた。執事は今日も部屋までついて来なかった。ルーイも居ない。今日も部屋には二人っきりだ。わざとなのだろうか。


体を震わせながら近付いて、今日も道具箱をローテーブルの上に置いた。道具箱の蓋を開けようとするが、手が震え、さらにかじかんでいるせいで金具が開けられない。カタカタと音を鳴らすだけ。慌てて両手を擦り合わせ温めようとした。でもそんな短時間で手は温まらず、金具を開けられない。


「……落ち着け」


そんな私を見兼ねたのか、旦那様が私の両手を取って握った。それにビクリとしてしまう。捕まえられた様で、体が動かず顔も上げられない。


「心配するな。何もしない」


何もしない……?

殺さないと言う事だろうか。

解雇もしないと言う事だろうか。


「冷たいな」


旦那様の手は温かかった。雪の降る外から戻ったばかりなのに、とても温かかった。


暫く私の手を握った後、旦那様が道具箱の金具を開けてくれた。握って貰っていた手は少し温かくなって、動く様になった。


「手当てをしてくれ」


旦那様はそう言った後、また静かに座って窓の外を見た。だから私は頬の手当てをした。不思議ともう手の震えは止まっていた。

旦那様は何も喋らなかった。雪で濡れた髪から滴が垂れ肌に流れた。新しく替えたテープが濡れて剥がれたら大変だと、布で髪も軽く押して拭いた。濡れても旦那様の髪はうねっている。癖が強いのだろう。


手当てを終えて道具箱の蓋をした。金具はちゃんと閉められた。少し離れて頭を下げたら、「ありがとう」と言われた。


旦那様の部屋を出て、スカートの上から短剣を握った。今日も足には短剣を巻いていた。そして今日も短剣を出す事が出来なかった。それどころか、いっその事短剣を持っている事を咎めてくれたら良かったのに、と思っている自分がいた。




翌日も旦那様の頬の手当てに私が呼ばれた。


今日も旦那様は静かに座って窓の外を見ている。

と、思ったら、急に話し掛けられた。


「ガブリエルは、好きな花はあるか?」


旦那様が私の名を知っている事も、さらにその名を呼んだ事にも驚きだが、好きな花を聞かれた事にも驚いた。思わず手が止まってしまった。


「我が邸は殺風景だろう?何か植えようかと思うのだが……」


昼から降り出した雪を見ながら旦那様が言う。

確かにこの邸には畑や果樹はあるけれど、女性の家族が居ないからか花は全然無い。私がこの邸に来たのが秋だったので枯れてしまった後なのかとも思ったが、この旦那様の話では春や夏でも花が咲く様な邸では無いのだろう。


「何が好きだ?参考に、聞かせて貰えたら嬉しいのだが」


黙り込んで何も言えない私に催促をする様に再び聞かれた。これは答えなければ失礼になってしまう。意を決して口を開いた。


「……あ、青い、花」


「青い花?」


「名前は分からないのですが、昔、家の庭に沢山咲いていました。毎年母が大切に育てていて、春になると庭が青色の絨毯になって、とても綺麗でした」


「お前の母は、今」


「……私が六歳の頃に病気で亡くなりました」


「そうか」


六歳の記憶なんてもう薄れていて、はっきりとは覚えていない。断片だけ。花瓶にも青色の花が飾られていた。遠い記憶の中、母が何かを言っていた気がするけれど、思い出せない。


母が亡くなっても、毎年花は咲いていた。雑草の中まばらに咲いていた。私も父も花の世話の仕方なんて知らなかったから、枯れて種がこぼれて翌年それが勝手に芽吹いていたのだと思う。


手当てが終わって道具箱の蓋を閉めると、また「ありがとう」と言われた。はっきりと直ぐ近くで言われたせいか、顔が熱くなった。慌てて立ち上がり、頭を下げて部屋を出た。



『この花は───』


母の思い出と旦那様の「ありがとう」に、胸が締め付けられる様だった。

ぼんやりと浮かぶ母の顔が脳裏から離れず、その夜は復讐を忘れて温かい思い出に浸っていた。



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