4.女/お礼と短剣
翌日、執事に呼ばれて旦那様の部屋に行った。ジャネットが側に居ない不安はどうしてもあったけれど、震える手を震える手で押さえながら何度も小さく深呼吸をした。
どうしても右足に意識がいってしまう。今日はスカートの中、右の太腿に短剣を差したホルダーを括り着けていた。久し振りに着けた。孤児院に引き取られる前はずっと着けていた。盗まれたくなくて常に身に着けていたのだ。もともとは父のホルダーで、少女の痩せた足に着けるにはベルトは大きかった。なので自分で穴を空けていた。久し振りに付けたので少し肉の付いた足にはキツかった。新しく穴を空ければ良かった。けれど、もし万が一ズリ落ちて見つかってしまったらと思うと怖くて、キツくても良いからと無理に締めて着けた。お陰で足の感覚がおかしくなった。
旦那様の部屋に通されると、昨日と同じ様に旦那様の側に行く様促される。今日は旦那様の近くに男性も居た。旦那様は今日も大人しく座っていて、片腕をシャツから出した。
「失礼します」と言って旦那様の腕に手を伸ばしてハッとした。昨日私が縛った包帯と結び方が違ったのだ。思わず手を止めてしまった。
「……昨日よりキツく巻いてくれ」
手を止めてしまった私に気が付いたからなのか、静かに言われてビクリとしてしまった。
「もっ、申し訳ございません」
「いや、気にしなくて良い。昨日少し剣を振ったら解けてしまったから、ルーイに巻き直して貰った」
「怪我が治ってないのにジェス様が少しどころかかなり剣を振ったからですよ」
包帯を解きながら二人の会話を聞いていた。旦那様の名前は新聞で見た事があった。ジェス・エッケンベルク。
いつも側に居る男性の名前は初めて聞いた。ルーイと言う名らしい。
ルーイはとてもキツめに包帯を巻いていたようだ。包帯を取って当て布も取ってみると、布には昨日よりも血が沢山付いていた。
「やっぱり。昨日動くから出血しちゃってるじゃないですか!」
「……」
ルーイは意外にも旦那様に臆せず言うタイプらしい。そして旦那様は怒る事も無く黙って聞いていた。
新しく薬を塗った布を傷口に当て、包帯を巻いていく。ルーイはジャネットよりもキツく巻いていた様だったので、私もキツく巻いた。
何とか終わって旦那様から離れて頭を下げた。そんな私に向かって「ありがとう」と言う声が聞こえた。
一瞬聞き間違えかと思った。もしくは勘違いで私にでは無くルーイや執事に対してだったかもしれない。
直ぐに執事に「もう良いですよ」と言われてしまったので部屋を出て行った。
気が抜けたせいで閉めた扉に寄りかかってしまった。
緊張していた。短剣を足にキツく着けているせいで足も痛い。包帯も解けて巻き直させてしまった。いろんな事が重なって、終わったのに心臓のバクバクは治まりそうに無かった。
何より、「ありがとう」に驚いた。
私は使用人だ。お貴族様が使用人にお礼を言うなんて信じられなかった。
静かで落ち着いた声だった。怒っている気配は無かった。いつも静かで殆ど喋っているのを聞いた事が無かった。昔の鮮明に焼き付いた記憶の中のあの男は怖くて仕方が無いのに、さっき目の前に居た男は穏やかな人だった。ルーイに小言を言われても黙って聞いていた。
その日一日、旦那様の「ありがとう」の声が頭から離れなかった。
夜になって部屋で短剣を差すホルダーのベルトに新しい穴を空けた。工具置き場からくすねた釘を使ってグリグリと革に穴を空けた。ちょっと大変だったけれど、これで太腿に着けても極度に圧迫される事が無くなった。
短剣とホルダーは父の形見だ。五年前のあの日、死んだ父が足に着けていたのを、私が自分で外した。
父は元々騎士だった。子爵家の三男で、辺境伯の軍に所属していた。でも怪我をして軍を辞めることになり、あの町で子ども達に剣を教えていた。怪我をしていても子ども相手になら十分教える事が出来たから。そして怪我をする前から婚約していた母と結婚をした。数年して私が生まれた。幼い頃は優しい父と母と穏やかに暮らし楽しかった。けれど私が六歳の頃母が病気で亡くなり父と二人になってしまった。それでも父は私を一生懸命育ててくれた。
しかし十一歳の頃に戦争が始まってしまい、父は私を父の実家である子爵家に引き取って貰えないかと連絡をしていた。その返事が来る前にあの日が来て、父はあの男に殺されてしまった。
私は父の実家を知らない。家名も分からない。何処で暮らしているのかも、領地があるのかも。戦争が終わった今、どうしているのかも分からない。昔父から聞いた話では、この短剣は父の父、私の祖父から父の兄弟皆に与えられた短剣なのだそうだ。父はとても大切にしていた。怪我をしてからも常に身に着けていた。
だから父が大切にしていたこの短剣で敵を討つ。
旦那様の傷は傷口が塞がると私達もお役御免となった。そして再び旦那様と関わりになる事が無くなった。
そんなある日、突然執事が私とジャネットにお菓子の詰め合わせをくれた。
何事かと思って話を聞けば、旦那様からだった。手当てのお礼だった。
「旦那様はね、もともと孤児だったらしいわよ」
休憩時間に旦那様から頂いたお菓子を食べながらジャネットが教えてくれた。お菓子は王都で買って来てくれた物らしく、とても甘くて柔らかい焼き菓子だった。こんなにも美味しい物は食べた事が無かった。お貴族様は普段からこんなにも美味しい物を食べているのだろうか。
沢山入っていたので二人では食べ切れそうも無く、使用人の皆に分けた。旦那様が怪我をして帰って来た日、使用人皆があれこれと気を回して走り回ったのだからと執事に伝えると、快く了承してくれた。
「騎士としてどんどん出世して、今や英雄なんだもの。凄いわよね。でも平民の私達の気持ちが分かるからか、使用人にも優しいわ」
孤児でも貴族になれるのかと驚いた。でもそれには犠牲となった命が沢山ある。私の父の命もその一つなのだ。この国の人間からしたら戦果かもしれない。でも被害者国の人間だった私からしたら犠牲だ。
でもジャネットはこの国の人間。旦那様を凄いと慕うのも仕方が無いのだろう。それにここで働いて旦那様が賜った地位のお陰で十分な給金を得て生きて行く事が出来ている。
それは私も同じなのだ。復讐する為とは言え、ここで働いて屋根のある部屋を与えて貰い、食事も出るし給金も得ている。こうしてお貴族様が食べる美味しい菓子も食べて、存分に恩恵に預かっている。
こんな複雑な気持ちを抱く様になるとは思いもしなかった。ずっと必死に生きて来た。何にでも耐えて働いて来た。
生きて行く為、復讐する為、そんな風に自分に言い聞かせて来たのに、「ありがとう」の言葉が私に罪悪感を生ませる。
もっと酷い人だったら良いのに。使用人に手を上げる様な怖い人だったら良いのに。そうならなりふり構わず直ぐにでもあの大きな背中に短剣を突き刺す事が出来たかもしれない。




