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結婚させてください  作者: 知香
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2.女/英雄か悪魔か

邸に使用人として来てから二週間程が経った。仕事にも慣れてきた。


初めは掃除や洗濯補助だけだった仕事も、こなすスピードが上がる度に新しい仕事を任された。この秋の季節は庭師だけでは掃ききれないからと邸の庭の落ち葉掃きをしたり、厨房で農夫が収穫してきた野菜を洗ったり皮を剥くのを手伝ったりした。ジャネット以外の使用人とも顔を合わせる機会が増え、少しずつ馴染んでいた。


けれど、まだ旦那様とお付きの男性の顔は一度も見たことが無い。夕刻のお出迎えの時は頭を下げているし、朝は仕事をしている間にいつの間にか出掛けているのだ。お見送りはしないらしい。食事の給仕は執事がやるし、その補助もベテランの使用人がやるから私は常に旦那様が立ち入らない使用人エリアに居て姿を見掛けることすら無いのだ。



今日は休みの日。休暇は週一日。同じ仕事をしているジャネットと別の日に取る。

休みと言ってもまだ給金も出ていないから買い物にも行けない。でも特に入用な物も無ければ欲しい物も無いけれど。


自分の部屋で何をするでも無く、布団の上に寝転がっていた。静かにしていると馬の鳴き声が聞こえてくる。使用人の部屋は厩舎の側にある。窓を閉めていても少し馬糞臭い。まあ、もう慣れたけど。

馬糞の臭い位、マシだ。今は秋だし、窓を閉めたら暑い真夏よりは良いだろう。夏はきっと馬糞も臭いが熟成され凄そうだ。


それに、人が腐敗していく臭いよりずっと良い。死んだ人間が道端に放置され、生き残った人間の体臭や糞尿の臭い、雨が降るまで流されずに残った血の臭い。一人生き残って彷徨ったあの汚れた町より、ずっと、ずっとマシだ。目を瞑るとそんな仄暗い記憶ばかりが蘇る。だから、ただ天井を見つめていた。


暫くするとヒヒンと馬の鳴く声と闊歩する音が聞こえて来た。ボソボソと男の低い声で会話が聞こえて来た。


「少し落ち着きがない」


「明日は別の馬にしますか?」


「そうだな。暫くコイツは様子を見てくれ」


「かしこまりました」


子どもが生き残る術なのか、いつからか私は耳が良くなった。だから厩舎の会話が良く聞こえた。この声は旦那様だ。もうお帰りになったのだろうか。心臓がドクドクと鳴り出した。

ここに来て二週間が経ったのもあり、最近はお出迎えの時に平常心で居られるようになっていた。頭を下げているだけだし。

でもこうして会話を聞いていると、盗み聞きしている様な感じがして、罪悪感からか鼓動が激しくなるのを抑えられなかった。

それに旦那様の「ああ」という短い返答以外殆んど聞いた事が無かったので、余計に緊張した。


落ち着いた低い声。


会話が聞こえ辛くなった。恐らく向きを変え厩舎を出て行く様だ。段々と声が遠ざかって行く。


心臓は相変わらず激しく動いていたが、何とか体を起こしてこっそり窓に寄った。ここは二階だ。上から眺めたら気付かれないだろう。

そう思ってしゃがんで少しだけ頭を上げ、目がギリギリ外を覗ける位まで持っていって外を見た。


男二人の後ろ姿。背丈は同じ位。後ろに付いて歩くのは明るい茶色髪の人。その前に歩くのは黒に近い焦げ茶色の髪で、うねるような癖っ毛。


そうだ。あの癖のある髪。

色は濃い色だったとしか覚えていない。でも、あのうねるような癖毛は良く覚えている。


大きな背中。騎士らしい体躯。


窓の下に座り込んだ。長く見て視線に気付かれでもしたら大変だから。


自分の両手を見る。なんて細く小さな手だ。長くまともに食事が取れなかったから、手首や腕どころか全身がすっかり痩せ細ってしまった。ここに来てから有り難い事に食事には困らなくなったが、簡単に体は大きくならない。それどころか鍛えているあの男に、女の私が敵う訳が無い。雑巾を絞るのもジャネットにすら勝てない。私があの男に勝るには油断させるしか無いだろう。


ここできちんと仕事をこなして信用を勝ち取って、今より近付く事。


「……お父様」


大丈夫。五年我慢したんだ。何とか生き残ってここまで来たんだ。台無しになんてしない。時間が掛かっても、必ずお父様の敵を討つ。



この五年間はよく生き延びられたものだなと思う程過酷だった。


父が死んで一人になってしまった私は、侵略され変わり果てた町を彷徨った。大人の男は皆殺された。年配者や女は子どもを連れて逃げた人が多かった。なので町には孤児となった多くの子どもが残された。子どもだけでは何も出来なかった。何処かの家に入り込んで食べ物を探し、腐っていても食材なら何でも食べた。敵の軍人が現れれば何か恵んで貰えるようお願いした。恥とか愛国心とかプライドとか、そんなものは無い。ただ生きる事に必死な子どもばかりだったから。


ある日軍隊が来て町の子ども達を大きな荷車に乗せ、離れた町へと連れて行った。時々配給があったけれど、生活を保証してくれる訳では無く、新しい町の住民に恵んで貰うのを待ったり、簡単な仕事をしたり、時には盗みを働いたりした。見つかり捕まれば子どもでも容赦無く殴られ蹴られる。そんな子を何人か見た。当たり所が悪くてそのまま死んでしまった子もいた。悪い事をしなくても家の無い私達は凍える冬の寒さに死にそうになった。実際に体力の無い子は命を落とした。


同じ町、別の村、周辺の集落等から集められた同じ様な戦争孤児の私達の仲間は、沢山死んだ。いつからか悲しむ事が無くなった。またか、と思って、次は私かもしれないと思っていた。


そんな私が生き延びられたのは、父を殺した男を見つけ出したいという気持ちがあったからだ。何があっても手放さなかった短剣を握り締める度に、まだ死ねないと思って生きて来た。


私達の仲間が大勢死んでから、生き残った孤児を引き取る孤児院が出来た。孤児が大勢いると治安が悪いからと、国からの支援で建てられたそうだ。引き取られ暫くしてから知った。それから連れて来られたこの町が隣国であることを知った。私の町を、そして私の父を虐殺した軍の人達の国だった。知らぬ間に敵国の人間となってしまっていたのだ。


しかし今更だった。敵の軍人に食べ物を恵んで貰っていたのだから、今更プライドも何も無い。孤児院にいれば一日二食の食事が与えられたからだ。それに孤児院では就業訓練も受けられた。それから孤児院の紹介で色々な所で通いの使用人として働かせて貰える様になった。でも孤児院を経由しているから給金の殆どを孤児院に取られていた。まだ働く事の出来ない幼い子もいるから、皆の生活の為にも孤児院にお金を入れなければならないから仕方が無いと思い働き続けた。


色々な邸や店で働きながら情報も集めた。どこも使用人の女性は話し好きで噂好きだったから、話し掛けなくとも勝手に話しているのを聞いていた。

私の町周辺を鎮圧した中隊と、その中隊長がこの戦争の英雄の一人と讃えられているという事。そしてその功績で侯爵の位を与えられるらしいという事。


あの男だと思った。あの時、「中隊長」と呼ばれていた。詳しい軍編成とかは分からないし、中隊長なんて他にも沢山居るかもしれない。けれど私の町に来た中隊長はそう何人も居るとは思えなかった。


ある日、とある邸での仕事中に新聞が目に入った。幸いにも私は文字を読む事が出来たので、記事を見て視線が固定された。あの男に良く似た絵姿が載っていたのだ。“エッケンベルク侯爵”と書かれていた。父に簡単な文字は教えて貰っていたから、全てを理解出来なくとも多少は読む事が出来た。叙爵式が行われて爵位が与えられたと。絵姿の男はうねる癖毛だった。とても凛々しく描かれていた。こんなに英雄然としていただろうか。私の記憶の男は恐ろしく鋭い目だった。多くの人の命を奪っておいて英雄なのか。私からしたら悪魔なのに。


それから数年して、エッケンベルク侯爵邸が使用人を募集しているという話を聞き、直ぐに応募をした。


私は神を信じない。だから神では無く父が与えてくれたチャンスだと思った。あの男に復讐をするチャンスだ。




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