10.女/綺羅びやかな場所
雪を被った離宮は荘厳で見上げるだけで目眩がし、目線を下げれば綺羅びやかな人々で溢れており、見た事も無い景色に身震いした。
私の様な平民がここに居て良いのか、ここに入り込んで良いのか、改めて不安になる。
雪のせいか馬車渋滞が起きていた。このまま馬車から降りずにUターンして帰りたいと思った。でもそうもいかずに降車の順番が来てしまい、旦那様に差し出された手を取り馬車を降りた。それだけなのにもう周囲からの視線を感じる。講師の夫人から「恐らくかなりの注目を集めるでしょう」とは言われていた。英雄として侯爵位を賜り、さらに独身であるジェス・エッケンベルク侯爵は、令嬢からの注目度も高いのに、これまで社交場で女性を伴って参加した事は殆ど無いのだとか。そんな堅物扱いもされる様な侯爵が女性を伴って参加したら、どこの誰かと詮索し噂し合い値踏みされるだろうとも。
覚悟しようと思いながらもどうしても覚悟しきれ無いまま今日を迎えてしまった為、多くの視線が怖くて仕方が無い。
旦那様は体が大きく髪もうねる癖毛で特徴的な為、とても目立つ。なので周囲からのボソボソヒソヒソと「エッケンベルク侯爵」と名を口にする声が聞こえてくる。こういう時、耳が良いのは困りものだ。
旦那様にエスコートをして貰い会場へと歩き出したが、腕に置いている手がどうしても震えてしまう。
「誰も君の事は知らない。気にせず堂々としていれば良い」
私の震えに気が付いていてそう言ってくれたのだろうけれど、残念ながらそんな肝は持ちあわせていない。丸まってしまいそうな背を必死に伸ばして歩くので精一杯だった。
離宮の中は歩を進める度に豪華さが増し、夢の中にいる様な感覚になる。照明の光が装飾品に反射し、目がチカチカして瞬きを繰り返してしまう。こんな世界が存在している事に驚き、こんな世界をさも当然の様に歩く貴族達に怖さも感じてしまう。平民はこんな世界を知らない。殆どの者がこんな世界を知らないまま生き死んでいく。通路の壁の美しい細工一つだけを売っても十分なお金になりそうだ。食べ物が無く道端で命を落としそうな孤児一人を十分助ける事が出来るだろう。
そんな事を考えてしまう私はやはり貴族では無いのだと実感してしまう。私以外、そんな事を考える人なんて一人も居ないだろう。皆もこの離宮に負けない様にととても高そうな装飾品を身に着けているのだから。
会場の入り口の扉まで来て一段と光り輝く中へと入って行く。旦那様はさすが堂々としていて、胸に着けている勲章が光を反射して余計に周囲の人の目を惹き付けている様だった。
もう頭は真っ白だ。歩いているのに何一つ感覚が無い。空気に流される様に旦那様の歩に従って進んだ。
「国王陛下に謁見する」
ぼそりと私に囁いた。フワフワしている私は判断力が低下し、それって誰だっけと思ったっきり考えるのを止めた。
国王陛下は金糸のフリンジが付いた赤く光沢のあるカーテンで遮られた奥に居るそうで、騎士の方に待つ様に言われて足を震わせながらじっとしていた。綺羅びやかな騎士服。普段旦那様が訓練等で着ている服とは違いとても派手だ。近衛騎士なのだろう。今日旦那様が着ている正装の騎士服よりも派手に見える。下を見れば磨き上げられた石のタイル。国王陛下の周辺は贅の限りを尽くされているらしい。
暫くするとカーテンが上げられ、騎士に前に進む様促された。その先に居たのはこのパーティで一番の輝きを放つ二人、恐らく国王陛下と王妃殿下だ。視線を下げ頭を垂れる。それでも視界に入るカーペットや燭台は目に眩しい金色が使われていた。
「来たか、エッケンベルク侯爵」
人を威圧する様な低い声。ずっと手も足も震えているというのに、思わず全身で身震いしてしまう。
「王国の太陽、国王陛下にご挨拶申し上げます」
「お前が女性を連れているなんて珍しいな。どこの家の者だ?」
「我が邸の者です」
「何だ。いつの間に女を抱えていたのだ。それにしても体を震わせて小動物の様だな」
旦那様が国王陛下と会話しているのを黙って聞いていた。国王陛下と私の間には距離があるのに、私が震えているのがバレバレだった。
「お前も早く身を固めろ。その為のパーティだ。でも相手は考えろ。お前にとってマイナスになる女性はやめておけ。幼女も支援してくれる家門がバックに付いていなければ何の意味も無く、お前の評価を落とすだけだ」
「はい」
「あれだけ多くの敵国民を伐った英雄のめでたい話を早く聞かせろ」
「国王陛下のご期待に添える様努力致します」
「その台詞はもう何度も聞いているぞ」
国王陛下は大きく溜め息をつく。それにまたビクリとしてしまう。
「まあ、いい。いつでも私の号令に出られる様に体を整えておけよ」
「はっ!」
旦那様が私の肩を握って下がろうとした。それで謁見が終わったのだと分かった。一度も国王陛下と王妃殿下の顔を見る事無く、また会話もする事無く終わった。
一つ肩の荷が降りたせいか、少し冷静に考えられる様になって来た。国王陛下は「私の号令」と言っていた。当たり前の事なのに目の前の事にしか目が向いていなかった事に気が付いた。先の戦争はこの国の国王陛下が号令を出した事により始まったのだ。私の父を殺したのは今私の隣に居る男だけれど、それはこの国の最高権力者である国王陛下の命なのだ。国王陛下の命に従って多くの人の命を奪ったのだ。
国王陛下は命を下すだけ。こうして綺羅びやかな騎士に守られ豪華な宮殿で暮らし、豪華な物に囲まれ、豪華な食事をして、大切なものを奪われた私の様な人間の気持ちなんて分かりもしないのだ。
急に殺意が芽生えた。今日短剣を持って来ていなくて良かった。そのまま短剣を手に再びカーテンの中に駆け込んでいたかもしれない。
「大丈夫か?」
急に目の前に旦那様の顔が現れたハッとした。
「顔色が悪いな。付き合わせて済まなかった」
小さく首を振った。
「何か飲むか?それとも食べるか?」
食欲は湧かなかった。
「……旦那様がお召し上がりになりたいとお思いであれば」
「……そうか」
旦那様は近くを通った給仕からグラスを受け取ると私に渡してくれた。飲み物を飲むのにもマナーがあると講師の夫人に教えられた。旦那様から貰ったのに口をつけない訳には行かず、緊張しつつ講師の夫人の言葉を思い出しながら飲んだ。甘かった。こんなにも甘い飲み物が世の中には存在するらしい。
立ち止まっていたら周りの囁きが耳に入って来た。
「見たことの無い令嬢ね」
「小柄なのね。まだ子どもなの?」
「エッケンベルク侯爵は幼女趣味なのかしら」
「みすぼらしいわ。侯爵も元の身分があれだものね」
音楽とざわめきの中よく聞こえて来た。私の耳が良いだけでなく、聞こえる様に言っているのだろう。昔働いていた邸の使用人達とここの貴族は変わらないらしい。相手を蔑み自分が優位に立っていると思いたいのだろう。
旦那様も英雄と呼ばれていても元の身分を悪く言われたりするのだな、と思った。侯爵という地位を手にしても、こうして悪く言われ、命も狙われる。
それにしても……幼女か。一応十六歳なのだけれど、この小柄で痩せっぽっちの見た目のせいだろうか。何かをした訳では無いのに思わぬ事で旦那様に迷惑を掛けてしまった。
「ジェス」
不意に旦那様を呼ぶ声がして旦那様が振り返るのにつられて私も向くと、中年の男性と令嬢が近寄って来ている所だった。
「伯爵。お久しぶりです」
「ああ。元気そうでなによりだ」
どうやら親しい仲の様子。二人とも穏やかな笑みを浮かべている。
「お嬢様もお久しぶりです」
伯爵が連れている令嬢は旦那様に言われ、にこりと笑顔を返して挨拶をした。お嬢様と言うことは伯爵の娘なのだろうか。
「君が令嬢を連れているとの噂が流れてきたが本当だったな。何処の令嬢だ?」
旦那様が伯爵と呼ぶ人がチラリと私に視線を向けた。こういう時はお辞儀をするんだったかもと、慌てて頭を下げた。
「邸の者です」
「そうか」
その後二人は私にはよく分からない軍関係の話をし始めた。それを黙って聞いていた。そうしたら視線を感じて顔を上げると、お嬢様が私を見ていた。
にこりと美しい笑みを向けられた。
どうしたら良いか分からなかった。話し掛けられれば答えるが、笑顔を向けられるだけにはどう返したら良いのか。私も笑顔を返すべきなのかもしれない。けれど、どんなに淑女教育をしても笑顔を作るのは苦手で結局上手く出来た事が無かった。きっと今も顔が引き攣っている事だろう。
お嬢様は綺麗な人だった。まさに貴族のご令嬢といった感じ。堂々としていて自信に満ち溢れている様に感じる。付け焼き刃の私とは気品が全然違う。間に合わせの衣装の私とは洗練さが全然違う。どんなに必死に装っても私は偽物でしかない。彼女に向けられた笑顔だけで、そう思い知らされた。
旦那様と伯爵の会話も終わって二人は去って行った。
「もう帰ろうか」
「……宜しいのですか?」
「ああ。伯爵にも挨拶出来たから要件は済んだ」
旦那様は私の肩を抱き歩き出した。講師の夫人に教えて貰ったエスコートとは違ってちょっと動揺してしまった。
途中何人かに話し掛けられたが、旦那様は適当にあしらって歩みを止めなかった。
もしかしたら私に気を遣っているのかもしれない。どこか庇うような、周りの視線を遮って私を隠す様に歩いていたから。
いや、私の為は思い上がりだろう。きっと私を連れている事が恥ずかしくなり後悔しているのかもしれない。
そして私達は、綺羅びやかな会場から早々に抜け出した。




