1.女/ポプラ並木の先
私の目に強く、そして恐ろしい程鮮明に焼き付いた記憶。
返り血が飛び散った鎧を身に着けた大きな体の男。その男が手にしている血だらけの剣から、ポトリポトリと床に滴り落ちているその鮮血は、つい先程斬った私の父の血が混じっている。
バイザーが上げられたバシネットの下の、男の癖のあるうねった髪の隙間から見える目は、鋭く恐ろしい。その目と合ったのはほんの数秒。部下の様な男から「中隊長」と声を掛けられると、恐怖に震え立ち尽くしている私をそのままに、「ああ」と応えて背を向けガシャンガシャンと重たそうな鎧を鳴らしながら家を出て行った。
私の足元には赤い血が溜まっていた。震えながら「お父さん」と声を掛けるけれど、返事は無い。しゃがみ込んで体を揺らしてみるが、何も応えてくれない。
家の外から聞こえてくる声は悲鳴で、音は剣か鎧のぶつかるような音。何かが壊れる様な音もするし、何の音か分からない物も聞こえる。父を斬った男が開けっ放しにした玄関から見えるのは、砂煙の中、村人達を追い掛けて剣を振るう鎧姿の者達。
外で起きているのは侵略だった。
◇◇◇
五年後───
紅葉したポプラ並木の道を鞄を抱えて歩いていた。地面には黄色の落ち葉が絨毯を作り、サクサクと音を鳴らしながら歩いた。
多くの貴族が居を構える王都の貴族街から離れた所にあるこのポプラ並木の先に建っている侯爵邸で、今日から使用人として働く。然程大きくはない邸。周りは大きな木に囲まれ、整備された王都の町とは正反対に自然豊かな所にある邸だ。周辺には他の邸も店も何も無い。ポプラ並木の脇に流れる農業用水路の隣に農地が広がっている位だ。邸の裏手には小高い丘。丘の木々も色付いて秋の景色を見せている。
ポプラ並木を真っ直ぐ歩き邸に到着した。ずっと歩きながら見えていた、簡単には乗り越えられそうもない高い鉄柵門の前に立つ門番に名を名乗り、敷地の中へと入れて貰う。邸前まで出て来てくれた執事と挨拶をして、使用人用の裏口から邸の中に入った。そして女性使用人に紹介され、そこから彼女が私の指導役となった。三十歳位の少し恰幅の良いテキパキとよく動く人で、ジャネットと名乗った。
「貴女は何て呼べば良い?」
「ガブリエルです」
「ガブリエルね。じゃあ住み込み部屋に案内するから荷物を置いたら早速仕事を教えるわ」
それから掃除や洗濯をしながら邸の各部屋を案内して貰った。ジャネットの指示は的確で分かり易く、作業中無駄話をしない。個人的な事をあれこれと聞かれるのは好きでは無いのでとても助かった。
途中会う他の使用人に簡単に紹介もしてくれた。貴族の邸によっては新人いびりがあるが、会う人皆が感じが良くこの邸では虐め等が無い様で安心した。お昼が回ってから食事も頂いた。美味しかった。
食事はポプラ並木から見える畑で取れた野菜を使っているそうだ。この辺一帯は旦那様に与えられた土地らしく、反対に領地が無いらしい。与えられた土地の空いている所を農地にして、旦那様と邸で働く者の食事に使用しているとの話だった。
だから農夫も雇っているらしい。食事が美味しいのもこの農夫のお陰かもしれない。
午後もジャネットに付いて仕事を教えて貰いながらこなした。邸の旦那様の話も聞いた。
「貴女、ここの使用人に受かって良かったわね。給金はちゃんと出るし、虐められる事も無いもの。旦那様は結婚もされてないから奥様も子も居ないし、他の家族も居なくて旦那様お一人だけ。旦那様は普段出掛けている事が多いから、気を遣わずに済むわ。かなり待遇は良い職場なのよ」
旦那様の部屋以外に男性の部屋を一部屋掃除している時に教えて貰った。この男性は旦那様の従者の様な人で、常に一緒に行動しているらしい。その為同じ邸で暮らしているのだとか。だから旦那様とこの男性の部屋以外は家族が居ない為殆んど使われていないらしい。
夕刻、日が沈む前に邸の外から馬の音が聞こえて来た。
「旦那様がお帰りだ。玄関へ行くよ」
ジャネットに連れられ玄関へとやって来た。旦那様が邸に入られる前に間に合い、並んでいる使用人の一番端に立った。
他の使用人を真似て、旦那様が玄関に入る前に頭を下げる。
ドキドキしていた。心臓の音が隣のジャネットに聞こえてしまうんじゃないかと思う位に騒がしかった。体が強張って、嫌な汗が伝う。軽く目眩がした。頭を下げているせいだけでは無いだろう。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ああ」
執事に応える言葉はとても短く、低い声だ。
映像と共にこびり付いた記憶の声と似ていた。
忘れはしない。忘れられる訳が無い。
前で重ねている手が震えていた。私が磨いた玄関の床の上を歩いて行く足元が視界に入った。影が出来た。足が私の前で止まった。
「……新人か?」
「今日から仕事して貰っております。新しい使用人です」
「そうか」
旦那様と執事で交わされる会話を、煩い心臓のせいで吐きそうになりながらじっと頭を下げて聞いていた。
そして直ぐにまた足が動き出して邸の奥へと行ってしまった。その後を男性が一人追って行く。あの人がここで一緒に暮らしている男性だろうか。
「もう良いわよ」
ジャネットに言われて下げていた頭を上げた。目眩のせいで視界がぐらついた。
その後もジャネットに付いて仕事をこなした。その後旦那様の姿は一度も見なかった。まだ入ったばかりの下っ端は旦那様の目に映るような仕事は任されないのだろう。
そう、まだ入ったばかり。
これから。
夜、仕事を終えて私に与えられた使用人用の住み込み部屋に入った。持って来た荷物がそのまま置かれている。荷解きをしなければと鞄を開けるけれど、大して荷物なんて無い。洋服を備え付けのチェストに仕舞い鏡や櫛を取り出したら、荷物の中で一番重い短剣を取り出した。
まだこれは仕舞っておかなければ。鞄の底に隠しておかなければ。
運良くこうして使用人として邸で働ける事になったのだから。じっくりチャンスを待つのだ。失敗は許されない。旦那様はこの国の英雄の一人となった人。失敗したらもう二度とチャンスは無いだろう。
顔はまだ見ていない。けれどあの声は間違いない。五年前に焼き付いた記憶の一つ。父を殺した人。
私は復讐の為に来たのだ。父を殺したあの男を殺す為に。