第五章42 『契約の意味、身を包む闇』
俺に切れないものはない!!
まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。念のためにと、涼太郎に酒を飲ませなかったのが功を奏したかもしれない。
アルコールの摂取しすぎで倒れたという線は、まず排除されることとなったからだ。
総合病院へと搬送された涼太郎は現在、依茉に見守られながら個室のベッドで眠っている。
彼が倒れる前までおこなわれていた、性格の急変化。何のことについて涼晴と涼太郎が言い争っていたのかは最後まで分からなかったが、二つの性格が対立関係にあるということは間違いないだろう。
本来人格は一つの体に一つあればいいものであって、彼のように二つも持つ必要がないのだ。ゆえに急激な性格の移り変わりに精神が耐えきれず、意識を失ったのではないかと予想される。
「先生……大丈夫、ですよね」
大量の『負』。四家 白秋。『Levon』。『闇企業』。四家家。『禁忌全英書』を手にするための試練。グレモリーとの契約。
彼はそれだけのことを乗り越えてきたはずだ。小説家の、骨のように細い手を握り、祈るように瞳を閉じる。
……それから、どのくらいの時間が経過したのかはわからない。依茉が再び目を開いたのは、個室の扉をたたく音が聞こえてきた時だった。
「邪魔するぞ。たしか……金鞠 依茉とか言ったか」
どこかで聞いたことのある、冷たく低い男性の声。現実世界ではない……そう、たしか『裏社会』。
彼は『七福神』からも一目置かれ、『才能人中最強』という大層な肩書を背負っている。たった一本のメスを駆使し、『負』の群れを一瞬でほうむりさった。少し力を入れてメスを振っただけで数十メートルもの大地を割り、傷をつけることがほぼ不可能とされていた封印のドームですら、ヒビをいれたこともある。
声の正体を確かめるために振り向くと、白髪をオールバックにしてメタルフレームのメガネをかけた──白衣の猪切 蓮司の姿があった。
「れ……蓮司さん? どうしてここに……」
「どうしてもなにも、ここは俺の職場だ。急患だと聞いて来てみれば、まさかコイツとはな。何があった」
「さぁ……詳しいことは、私にもよくわからないんです。でも、今の先生は、先生であって先生じゃないんです」
「……はぁ。俺も暇じゃないんだがな。話くらいは聞いてやる。落ち着いて話せ、若いのの言葉は少し聞き取りづらいからな」
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一通り、今日一日で起きたことを話し終えた。
涼晴が突如、涼太郎という別人格へと切り替わったこと。八年前に、依茉と涼太郎が出会っているかもしれないということ。涼晴と付き合いの長い美王 愛絵でさえ、彼の症状について知らなかったこと。ここに来る前、二つの人格が入り乱れるように顔を出していたこと。
蓮司は黙って、ずっとポーカーフェイスで話を聞いていた。表情の変化がよく観察してもわからないほどなので、もしや聞き流しているのかとも思われたが、心の内をさらけ出せただけでもすっきりした。
「二重人格か。考えられるのは、精神面での問題。それと、後天的なものであるかもしれないということだろうな」
蓮司は天才外科医である以前に、一人の医者である。なのでどんな間柄の人間だとしても、患者であれば対応をするのだ。彼にいたっては過去にいましめからか、不必要に患者に情を向けることはないようだが。
「精神面の問題、ですか……」
「俺も三十年近く医者をやってるが、こういう事例はあまり見ない。ただ、知識としては頭に入れている。本来、人間は一つの人格を自分として認識している。しかし特定の状況……環境的な意味でも、精神的な意味でもだ。とにかく自分自身を無理に追い込むような状況に身を置いていると、もう一つの人格が生まれるケースが多いらしい。現実から目を背けすぎて、逃げようとした結果、自分じゃない自分に体の主導権をゆずることになるということだ」
涼晴と出会うより前のことは、実はあまり知らない。時々居酒屋で、ぽろっと話したくらいだ。
生まれがそこそこ裕福な家庭で、両親が一つの会社の社長をしているという。十九歳で芥川賞受賞という前代未聞の怪物記録を残し、小説家としてデビュー。三年間愛絵をやとうが意見の食い違いから揉め、一人で細々と執筆することになる。自責にかられて暴れまわっていたところを、打騎に助けられた。
……依茉はまだ、文月 涼晴を知らないのかもしれない。
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「まさか……再びこの状況になるとは思ってなかったですよ」
どこか虚空を見つめる──こともできない。彼の周りを包んでいるのは、光の介入を一切許さない、完全な闇。視線を落とせば、あぐらをかいている自分の脚が見える。かろうじて自分の体は視認できるものの、空間内に何があるのかがわからない。
まぁ、先刻暇つぶしに歩いてみたら、『脳内真っピンクの悪魔』に出会ったことを除けばの話だ。
「やっと、二人きりになれたわね♡」
あれだけ密着するのはやめろと、釘を刺しておいたはず。命知らずのグレモリーは、嫌がる涼晴を無視してバックハグをしてくる。
頭をやさしくなでたり、腕と腕をからませたり、ほほを指でなぞったり。くすぐったいというより、暑苦しい。
「……貴女への処罰はあとで決めるとして、これは一体どういう状況なんですか。あの涼太郎って人は、誰なんです?」
「ま、不思議に思うわよねぇ、気になるのも当然だわ。ちなみにこの空間は、アナタの意識よ。魂の内側、とでも思ってもらって相違ないわね」
意識……魂の内側。『知る由もない暗所』と雰囲気が酷似しているが、どうやら別者らしい。
しかしなぜ、そんな場所にいるのだろう。朝起きた少し後からの記憶があまりないし、かと思えば椅子に座って仕事をしていた。またそこから記憶が無くなって、気づけばあの涼太郎という人物を引き止めていたのだ。
あの時一瞬だけ見ることができた依茉と同じように、涼晴の表情は困惑しきったものになっている。
わからないことだらけの中、一つだけ。確かめずとも確信を持って言えることがある。それが──
「グレモリー。また貴女の仕業ですか……」
うなじにキスマークをつけようとしていたグレモリーは動きを止め、斜め上を向いてへたくそな口笛を吹く。『分かりやすすぎる……』というより、『またお前か!!』という気持ちのほうが大きかった。
「貴女……本当に私に力を貸す気あります? 須黒に動きがないのをいいことに、好き勝手しようとしてるんじゃないでしょうね。この前だって新人くんを連れ出してショッピングって……そろそろ本気で怒りますよ」
まだ涼晴が寛容で心が広かったからよかったものの、おそらく他の人間がこんなことをされたら、まず耐えられないと思う。自画自賛になってはしまうが、よくやったほうではないだろうか。
からまったグレモリーの腕をほどいて、容赦なく胸ぐらをつかむ。それでも、彼女に反省の色は見られない。
「あら、そういうプレイが好きなのね。いいわよ、ワタシはどんなアナタでも受け入れてあげるから。さぁ!! 遠慮なく殴って頂戴っ!! ワタシの胸に飛び込んでおいでっ!! イイコトいっぱいしましょっ!!」
「……………………気が失せました」
ここまで話が通じないと、伝えようとする気も起きなくなるとは知らなかった。また一つ勉強にはなったが、根本的な問題は何一つ解決されていない。
厄介なのが、今回は『禁忌全英書』を手に入れることやグレモリーと契約を結ぶといった、明確な脱出方法が判明していないことだ。
どうやらあの涼太郎という謎の存在が彼に代わって体を動かしているようだったが、このままでは一生体を奪われたままだ。
「どうすれば……」
「おーおー、天才小説家が聞いてあきれるぜ。ま、お前はどこまで行っても偽物だから、あがいたところで体は返さねぇけどな」
漆黒の闇から現れたのは、涼晴と瓜二つの外見をした男、文月 涼太郎だった──。
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