第一章9 『真実は意外なところに』
諸事情により、今日も二話投稿させていただきます。楽しんでもらえたら幸いです。
——夢。
人は皆、夢を抱いて人生という名のレールを歩く。なりたいもの、やりたいこと、欲しいもの、人生をかけて成し遂げたいもの。
職種が多様化してきている二千六十二年でも、若者から年配まで抱く夢は色とりどりだ。
かくいう金鞠 依茉も、一つ大きな夢を持っていた時期がある。
それは『小説を書く』という夢。
物心ついた頃から本を読み漁っていたが、いつしか自分の考えた物語を発信したいという欲求が生まれていた。
人間というのは単純な生き物で——今に分かったことではないが——、志した瞬間から依茉は努力を始めた。
最初こそ楽しかった執筆活動も段々と苦になることが多く、いずれ手につかなくなってしまっていた。継続力が無いことは素直に認めるとして、依茉はその夢を諦めてはいなかった。
仮に自分が書かなかったとしても、誰かの文章を共に作っていけるような仕事を。未熟ながらも、次第に胸中に抱く夢の形が変化しつつあったのだ。
夢を追うということは、願う事を除く全ての物事を『切り捨てる』ということ。
かつての夢を諦めた時、依茉は時期尚早であると知りながらも一つの答えを出したのだ。失敗と挫折を幾度となく繰り返し、次の夢を見定めて歩き出した瞬間に生まれた、身勝手な持論。
だが、それが強くなれた原因。独りよがりといえばそうかもしれない。しかし依茉にそんなことを言ったところで、おそらく耳を貸す気にもならないだろう。
決めたことは初志貫徹、成し遂げるまで曲げないと、強く誓ったから……。
「ご無礼しましたー……って、既に入浴を済ませている人に対しては、なんて言えばいいんでしょうね?」
肩にタオルをかけ、妙な強者感を演出させる湯気を放ちながら、職場へと姿を表す。風呂上がりの微妙な湿り気が、白髪を艶やかにする。
いつものことだが本当に女性にしか見えない涼晴は、こういう夜の雰囲気が非常にマッチしている。それこそ一人の女性である依茉よりも。
すでに入浴……と言っても、お湯を溜めることが水道光熱費的な問題で困難な風呂なので、シャワーを浴びただけの依茉はあくびをしながら、
「今出ましたー、とかでいいんじゃないですか?」
と、簡素に返答して紅茶を飲む。なぜコーヒーではなく紅茶なのかというと、先日の台風のような来客の影響で、久しぶりに紅茶が飲みたくなったからだ。
しかし不思議だ。
というのも、涼晴は仕事中コーヒーしか飲まない。なのにキッチンに紅茶の茶葉も常備してあるのはなぜだろうか?単に打騎用だと考えるのは容易いが、涼晴は彼が来ると嫌そうな表情を浮かべていたので、わざわざ茶葉まで用意するとは思えない。
……これが打騎の言っていた、『ツンデレ』というやつなのだろうか。
涼晴が入浴を済ませるのを待っているうちに自分の夢について考えていたので、その流れで彼にも訊いてみることにした。
「先生って……昔から小説家を目指していたんですか?」
「急な質問ですね。……そうですねぇ、はちゃめちゃに前からって事はないんですが、大体中学二年の後期くらいからでしょうか」
癖なのだろう、右手を顎に当てて思い出にひたるような表情で語り始める。決していい思い出だけが思い出されたようでは無いが。
「あー……みんなそれぞれ夢を見定める時期って感じですね。でも意外です、てっきり小学校とかからずっと書き溜めてるー、みたいなことをおっしゃるかと……」
「この間打騎にもそんなことを言われた気がします……。でも、物心ついた頃にはもう本を読んでいた気がしますね。ほら、コナン・ドイルとかスティーブンソンとか」
「いや……レベルが違いすぎません? とても幼少期に読むものとは思えませんけど……」
「そうですかね? 父の書斎に並べてあって、暇さえあれば読み漁ってましたよ。学校の図書室はほぼホームグラウンドでしたね。気がついたら下校時刻ギリギリになってて、急いで家に帰るも門限すぎて母にどやされるなんて、もはや日常茶飯事でしたからね……」
どうやらさっきの微妙な顔の原因は、親からの叱責によるものだったらしい。
今すぐレコードでジャズでも流したくなるほどいい雰囲気で、ランプの黄色光が彼の頬を照らし出す。
「私もそんなことしょっちゅうありましたよ。読書っていざ始めると、読み終わるまで止まりませんよね」
「でもそんな経験があったからこそ、文字に触れる職に就きたいと思ったんでしょうね。あの頃の私は、まさかこんなところまで来るとは思ってなかったですよ。それと有能な担当者を従えることになるなんて」
ぱちん、と下手くそなウインクを飛ばす。雰囲気にあやかって少し背伸びをしてみたが、逆に白けてしまった。
「……私も、ずっと前に小説家になりたいって思ってた時期があって……。でも現実を知ったというか、教え込まれたというか……諦めちゃったんですよね。そりゃ当時は相当へこみましたよ。でもこうして先生と巡り会えたのも、何かの縁なんでしょうか」
「ふふふ、だといいですね。私も運命的なものは信じたい方なので……おっと、もうこんな時間ですか。そろそろ寝るとしましょう」
時計を見ると、もう十二時に差し掛かるというところを長針が差していた。
一日が二十七時間くらいあればなぁ……という願いは、特に社会人にはよく見られると思っている。依茉がそうであるように。
赤面しながら事務所に戻ってからは、三巻のシナリオについての会議を行い、冒頭までを編集し終わった。ちなみに依茉の意見が介入できるようなところは、あまりなかったという。
「おやすみなさい、先生」
「はい、新人くんも。良い夢を」
狭く、薄暗く、冷たい廊下で軽い挨拶を交わし、両者自室へと姿を消した。
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「……いやぁ、迂闊だったなぁ」
抱き抱えるようにして、なかなかの重量感がある紙袋を持つ赤毛の女性は、ため息混じりにそう呟いた。
彼女が何を運んでいるかといえば、小説家の命とも言える原稿用紙の束だ。
この時代に未だ紙媒体で執筆活動をしている小説家がいるとは思いもしなかったが、まさか自分が担当することになった天才小説家がその派閥だったとは。
でも彼がキーボードを真顔でタイピングしている姿を想像したら吹き出しそうになったので、きっと彼には万年筆の方が似合うのだと思う。
「それは良いとして、私の苦労はとんでも無いですよねぇコレ!!」
総じて体力が一般人の平均以下の人間に頼むような仕事では無いことは分かる。これじゃ本当に『修行』しているみたいではないか。
一筋の汗が頬を伝う感覚を噛み締め、荷物を落とすまいともう一段力を込める。
余談だが、原稿用紙の束に胸が置けるのは彼女にとっては有難い。この作業において最低限擁護できる点だ。本当に最近肩こりが激しい。
……あと数十メートルで、依茉の修行場もとい涼晴の事務所に着くというところで、全身を甘ったるい雰囲気が包み込んだ。あたりにケーキ屋はないはずだ。
粘性の物質に飲み込まれるかのような、異質な閉塞感。背筋を伝う汗は玉のようになり、余計に恐怖感を駆り立てる。
「まさか……」
数日前の彼女ならば、今頃あたりを見渡して慌てふためいていることだろう。孤独であるがゆえ逃れられない恐怖に怯え、何もわからないまま辺境の地へと送り込まれる。
それに慣れてしまったのはいささか不本意であるが、今は慣れるのが吉。打騎が言っていたように慌てるだけ時間の無駄だ。
不意の事態に乱れた呼吸を整え、目の前の景色が虹色に変貌していく様を黙って見届ける。案外、こうして『裏社会』へ転送される瞬間を認識するのは今回が初めてだ。
穏やかな渓流のような揺らめきは、時間とともに大滝の如く勢いを増していき、眼前の景色が次第に解像度を荒くしていく。
徐々に……徐々に『裏社会』特有の虹色が姿を現す。幾何学模様のように広がるそれは、幻想的という言葉だけでは形容できないほど美しかった。
自己を苦しめる存在であるのに、こうも目を奪われてしまうのは現象が美しいだけではない。依茉も、気づいていないだけで『裏社会』に魅了されつつあるのだ。
『安心して外出していい』という小説家の不確かな言葉にも従順な彼女は、両手で抱える原稿用紙にシワが入るほど力を込め、ただひたすらにその時を待った。
その決断が吉と出るか、凶と出るか。答えは案外、早めに出ることになった。
「『大噴火直球』オオオォォォッッ!!」
『裏社会』に来た、と認識した途端。
絶叫が背中を覆い隠した。爆発音のような怒号は、至近距離で喰らったら鼓膜が破れるのが鮮明に予想できてしまうほどで、実際に体が少し痺れた。
だが、これは計画の内。主犯は今、罠にかかっているも同然、まさにまな板の上の鯉といった状況にあるのだ。
目と鼻の先まで火の手が上がっているが、依茉は動じない。
顔面どころか、鼻先すら焦がされないという確証があったから。
「どうして……どうしてワタシ達の行動が読めた!?」
ゆらめく真紅の炎の奥、熱波に耐えながらも毒づく化け物の姿があった。
今まで拝んできたどの『負』よりも、体表がどす黒い。石油のような粘性の物体が、体内で蠢いているのが見える。いかにもな異質さを放つそれは、動くたびに『ぐじゅぐじゅ』とグロテスクな音を響かせる。
何より特筆すべきなのは、従来の『負』のような獣らしい理解不能な言葉ではなく、人語を用いているということだろう。
そんな容姿・要素の怪物が、十体。
以前の依茉ならばきっと、泣いて喚いて顔をみっともなくくしゃくしゃにしているところだ。
しかし今は数十メートル離れた背後に、頼れる戦士がいる。これらのことは全て、彼らによって仕組まれたことなのだ。
うろたえる『負』達をよそに、先程の絶叫の主である投野 打騎と、この作戦を立てた白髪の小説家が颯爽と現れる。両者得意げな表情をしている。
「まんまと引っかかってくれましたね。人語を喋れるくらいまで負の感情を溜め込んだようですが、もう少しココの成長にも力を入れてみてはいかがでしょう?」
目を細めて笑みを浮かべる姿は仏様のようだが、こめかみあたりを人差し指で小突く仕草はただの煽りカスだ。
「悔しいよなぁ~、わかるわかる~!! お嬢ちゃんたった一人食うだけにぃ、こんだけ時間費やしたんだもんねぇ!! そりゃあ悔しいですよねぇ!!」
……作戦に乗っておいた身である依茉だが、ここだけ切り取ってみればどちらが悪者なのか判別つかない気がする。特に打騎が。
「キ……サマらぁあああああ!!」
狂ったように一体が咆哮し、もう何体かは歯軋りして、他には地団駄を踏むものまで現れた。人の醜い箇所を寄せ集めて形成された存在であるためか、仕草は限りなく人間に近い。
ここで、最終段階まで一気に駒を進めることを決意し、沈静化しつつある炎の渦越しに依茉は問いかける。
——なぜ、自分を襲ってきたのか。元来気になっている、今回の事件最大の注目ポイントだ。
「どうして……私を攻撃してきたんですか?」
「ク……クク、決まってるじゃない。ワタシ達の目的はただ一つ。エマ、アンタを消すためだよ」
彼らの体内で蠢いていたスライム状の物質が、その姿を変えていく。
顔……だ。それも、見慣れた男女の面子。
「へび……かわ、さん…………?」
掠れるような、細い声。豹変してしまった同期の、それも一番仲の良い人間の顔を見て、絶望に打ちひしがれているのだ。
蛇川の顔が浮き出たということはつまり、目の前で汚れた歯を見せている化け物は、蛇川の心の醜さから生まれた『負』であるということを指し示している。
他の『負』も、鳩口をはじめ同期の皆々の顔ばかり。
「そんな……どうして…………」
この状況下、ただ嘆くことしかできなかった。
信頼していた仲間、やっと築くことができた友好関係。この一瞬で、その全てが否定されたのだ。
膝を折る。力無く、大地にへたり込む。
「やっぱ、雑魚どもじゃあ『才能人』は殺せないよな~。いっそのこと涼晴も消してやろうと思ってたんだけどね。まぁ、ワタシ達『オトモダチ』だし?アンタのこと踏み台にしてもさ、許してくれるでしょ?ワタシ達が……」
にぃ、と口角が吊り上がり。
「社会で上位に立つためだから、さ」
爆笑。哄笑。嘲笑。狂笑。
果てなく、永遠に続くように思えてしまうほど、闇の深い笑いの渦。
裏切られ、見捨てられ。挙げ句の果てには養分にされかけていたことに、最早怒りなど湧いてこなかった。
悲しみ。悲しみだ……。
一周回って彼らのように大笑いしたくなるほど、深い悲しみが涙を誘い——
「ぐにーーーーっ」
何回目だろう? 緊張して張り詰めた場面に不釣り合いな、間抜けな声が響くのは。
何を思ったか、涼晴が依茉の両頬をつねったのだ。まるでトルコアイスのように伸びているではないか。
「いらいいらいいらい!! らめれくららい、へんへえ!! はにふるるれふか!!」
「あはははは!! すごい伸縮性ですね!! ほら、ヘンな顔になってますよー!! 打騎も見てみてくださいよ!!」
「ぶっ、ははははは!! 何だそりゃ、新人ちゃん!! なぁなぁ涼晴、オレにもやらせてくれよ!!」
「らめへ!! おふらめへ!! ひきれひゃふはらぁぁ!!」
じたばたじたばたじたばた……
やめろというのに、打騎もノリノリで依茉の頬を引っ張る。涼晴よりも力が強くて、冗談抜きでちぎれるかと思った。
頬へのダメージゆえの涙は出てきたが、信頼していた同期に裏切られた悲しみの涙は、おかげですっかりとかれたようだ。
他人を貶めるような、意地が悪いとしか思えない馬鹿笑いをしていた『負』達も、彼らの奇行には目を丸くした。そして、
「ふざけるのもいい加減にしろよテメェら!! オレらの主が消したがってるのはエマ、オマエだけなんだよ!! さっさとあの職場から消えやがれ!!」
鳩口から生まれたのだと思われる『負』が騒ぎ立てると、周りのものもつられるように、
「そうだ!! 消えちまえ!!」「アンタ、存在そのものが迷惑なのよ!!」「オレ達の出世のチャンスはオマエなんかが奪っていいものじゃねーんだよ!!」
と、罵声を飛ばし始める。
醜い、醜い、醜い、醜い、醜い、醜い、醜い、醜い、醜い。
これが人間の、本当の姿。理性を吹き飛ばして、自己利益だけに囚われた醜悪な姿。
彼らが喚く姿を見た時、依茉は震え上がった。鳥肌が顔までたったのは、久しく起こらなかった現象だ。
十対一で敵意を向けられることなど、今までになかった。これが人の欲望なのだと、人の醜悪さなのだと、そして——
自分の存在が、同期の負の感情の成長を急激に加速させた原因であると。
彼らが言った通り、自分が背負うべき責任の重さを確かに感じ取っていた。
決して目を背けてはいけないことだ。仮に彼らが、依茉の精神を追い詰めるためだけに演技をしていたのだとしても、自分の行動が彼らをこうも変えてしまったことは揺るぎない事実。
ごめんなさい。私のせいで、みんなをこんなふうにしてしまって……。
胸中に発生した言葉は喉を伝い、声帯を震わせて外界に『声』として放出されようとしていた。だが、彼女の震えた声が聞こえてくるよりも先に、小説家の声が聞こえてきたのだった。
「流石の醜さですねぇ。いやはや、ここまで腐ったものを見ると、怒りなんてものは湧いてこないんですねぇ。一周回って、呆れてしまいましたよ」
彼に続いて打騎も、威圧感をまとった声色で『負』達に言葉を投げかける。
「醜悪、卑劣、下劣、下衆……。全部お前らに当てはまるな。他人に責任転嫁して、自分のしたことを棚に上げて自分たちを正当化しているだけだ。新人ちゃんは悪くねぇ」
「オマエらのような『才能人』にオレ達の何が分かる!? オマエ達がオレ達の居場所を奪っていくのが悪いんだろうが!! オマエ達が光り輝くから、影生まれるんだ!! 影だって、オマエ達のようになりたいって思ってるに決まってんだろ!! この事態を引き起こしたのは他の誰でもない、オマエ達『才能人』なんだよ!! 『才能人』がいるから余計に世界は汚染されて」
黙りなさいッッッ!!!!
虹の大地が、揺れ動く。空気を揺らし、空間が歪み、風がさかまく。
まさしく鶴の一声。白髪の小説家は、今までに見たこともない形相で、『負』を睨んでいた。依茉をおもちゃにして遊んでいたときの、おちゃらけた雰囲気など既に消え去っていた。
一歩前に踏み出すと、どす黒い体表の怪物を指差して、
「富、権力、上位の立場……。人間ですから、それらを欲することは咎めませんよ。私だって、少なからず欲望はありますから。ですが、貴方達は根本から『仕事』というものを履き違えている!!」
屈することなく、怖気付くこともなく。ただただ、道を踏み間違えてしまった怪物に語りかけるその姿は、百戦錬磨の大将軍のようだ。
「『仕事』とは!! 決して私利私欲のためだけに存在しているのではありません!! 世界をより良く、社会をより良くするために!! 人と人が歯車を噛み合わせて共存するために存在しているのです!!!! 自分のことだけに焦点を当て、他人を蹴落としてまで人の上に立とうとする者など、『社会人』である資格はない!!!!」
彼の言葉は、その場にいた者全員の心にズシリとのしかかった。
依茉は自分が今までしてきたことが、決して間違いではなかったことを喜ばしく、そして誇らしく思ったのだった。
打騎は四つも歳が下の親友が、初めて出会ったあの日から大きく成長していたことに喜びを覚えていた。
道理を外れた者達を導く、本来の意味での説教を終えた涼晴は、母から教わったことが無駄ではなかったことに、心から感謝をしていた。
自分の経験ゆえの持論である、「利益よりも社会のために」を掲げる。やはりというかなんというか、『負』達にはそれがとにかく気に入らなかった。
虫唾が走る、綺麗事、偽善。
あらゆる罵倒が胸の奥で生まれつつあったが、涼晴の嘉言が心に突き刺さるのだ。けなし言葉は打ち砕かれ、耐えきれなくなって体を掻きむしる。
「何が……何が何が何が何が!! 何が社会だ!!!! 分かっていないのは……オマエ達の方だああァァァァ!!!!」
狂ったように絶叫を炸裂させ、ドタドタとうるさく大地を駆る。蛇川の『負』が起こした行動に感化され、一秒遅れで他の九体が『才能人』に襲いくる。
「さぁ、執筆の時間といきましょうか!!」
「プレイボールだ、クソ野郎ども!!」
二人の男は閃光の如く『負』の懐に潜り込み、拳を引き絞る。そして——
ズドンッッ!!
重苦しい音が響き渡り、群れの二体が放物線を描いて飛んでいく。リーダークラスの二体がいとも簡単に吹き飛ばされたことに、取り巻きは驚きを隠せない様子。
「これでも鍛えてますから……ね!!」
まるで槍を突き刺したかのようだ、涼晴のハイキックが『負』の顔面に直撃する。
哀れに宙を舞う『負』をよそに、勢いのまま体を右に捻る。一周してもう一度怪物の姿を拝んだときには、彼の左手に青い波動が渦を巻いていた。
「『速読拳』ッ!!」
宣言と共に打ち出された、『言葉を紡ぐ者』の能力の一つ『速読拳』は、文字通り高速で打ち出された。
とても目では追えない、下手をしたらハイスピードカメラでさえ捉えられないかもしれないというレベルの正拳突き。
杭のように『負』の水月に打ち込まれ、体の真ん中に大きく穴が穿たれる。そこから溶けゆくように、石油のような見た目へと変化して次第に地面へと吸収されて消えてしまった。
「まとめてかかってこいやコラァァァ!!」
バットでひたすら、「殴打」、「殴打」、「殴打」。暴力的なまでの攻撃に、『負』の身体は原型をとどめないほどに変形してしまった。
それだけで彼が満足するわけもなく。
「『千本焔打』ァァァァァァ!!!!」
——「虚鉄」と呼ばれる、『裏社会』でのみ自然生成される金属がある。
現実世界での金属製品といえば、強度を上げるために種類の異なる金属同士を混ぜ合わせる手法がとられている。
だが打騎の持つバットにも使用されている「虚鉄」は、純度100%であってもかの有名なダイヤモンドをしのぐ強度・硬度を持つ。
そして何よりの特徴として、従来の金属よりも圧倒的に「軽い」という点が挙げられる。
強度と軽さを兼ね備えたことにより、誰でも扱える鈍器が完。『七福神』は何を思ったか、この男にバットを渡してしまった。これは『負』にとって、大きな脅威となるのだった。
『熱血』を流し込まれ、全体が烈火に包まれる。真紅のバットは『負』の体を焼き焦がし、骨を溶かし、魂をも蒸発させる。
何度も何度も、舞うかのようにバットを振る。彼の姿はまさに、『熱き血の戦士』そのものだ。
「おぉ……ラあああッッ!!」
群れの中でも頭ひとつ抜けて体が巨大な一体が咆える。横幅1メートル弱はあると思われる黒い拳が、涼晴に牙を剥く。
「先生ッ!!」
乱戦が始まってからというもの、身の危険を感じて息を潜めていた依茉。先ほどまで涼晴がいた場所で大きく砂煙が舞ったことにより、不安が襲ったのだ。
だが、まるで相手の行動が読めていたかのように、平然とした顔で後退していた涼晴。依茉の心配は杞憂に終わったが、何やら小説家がメモ帳に筆記を始めたため、再び涼晴に視線が誘導された。
全長10メートルほどのデカブツは悔しさからか咆え、怒りをあらわにする。
だが、それが隙となった。涼晴は『負』の実直さを利用し、わざとギリギリで攻撃を避けたのだ。
「『長音記号』!!」
高々と宣言し、万年筆の筆先を怪物に向ける。すると一秒と経たずに、赤い閃光が水月目掛けて発射された。
『長音記号』。つまりは、『ー』。
一切の曲線を感じさせない綺麗な直線が、『負』の皮膚を貫く……かと思われた。
実際には、受け止められてしまったのだ。
『長音記号』のメリットとしては速射性が高く、遠距離からの狙撃をする際に便利であるということ。デメリットは、実体があるということ。
とはいえ、打ち出されるスピードを考慮すれば、そのデメリットはあってないようなものである。体を張って勢いを止められるなんてことがなければ。
「そんな……!!」
『長音記号』は先端が表皮に突き刺さったのみで、巨大な手によってその勢いを抑制されていく。赤色灯のような赤い閃光は、次第に発色を弱くしていく。
その時だ。何か、怪物の目の前に浮いているものがある。間違いない、あの白髪と細身の体は涼晴だ。どうやってそこまで高く跳躍ができたのかはさておき、そんなところで何をするつもりなのだろうか?
右足を前方に突き出し、左足は折りたたむ。あとは、推進力に任せて、思いっきり蹴り飛ばすのみ。
「『長音突蹴』ッッッ!!」
流星の如く、『長音記号』を後ろから押し込んでいく。ドリルのように回転する赤い閃光は剛烈な勢いを取り戻し、容易く『負』の体に突き刺さる。斜め四十五度からの跳び蹴りにより、巨大な体はたちまち爆散、土へと帰っていくのだった。
「涼晴!! これで最後だ、合わせるぞ!!」
「了解しました!!」
撃破の余韻に浸ることなく、小説家は疾駆する。打騎は右腕に硬球を握り込み、投球フォームを取る。
「キサマら如きに……負けるものかァァ!!」
最後の一体。これで……これで終わりだ。奴を屠れば、依茉は苦しみから解放される。これからも仕事を楽しく続けられる。
何の因果か、最後に残った一体はあの蛇川から生まれた『負』だった。名残惜しいなんてことはないが、とにかく声量をできるだけ大きくして叫んだ。
「やってください!!!! 文月先生、打騎さん!!!!」
彼女の言葉に応えるように、打騎は燃え盛るボールを大砲の如く打ち出す。
涼晴はまるで弓のように万年筆を引き絞る。すると筆先が白色光に包み込まれ、マグネシウムを燃焼させたときのような閃光を放つ。勢いよく前方に突き出し、
「『大噴火直球』ォォォォォォォォ!!!!」
「『閃光執筆撃』ィィィ!!!!」
両者の攻撃が螺旋状に交差し、必殺の威力を持つ砲撃となる。
黒い皮膚を食い破り、四肢をもぎ取り、首をはね、黒い血液を蒸発させ、存在を消滅させた。
気がつけばそこは、何も無い更地となっていたのだった。
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