第五章41 『味の無い酒、いつかの目覚め』
最近は行けておりません。
「あれ? 依茉ってお酒強かったっけ?」
「いえ、割と……じゃなくてかなり弱いです……」
いつもの居酒屋。いつものカウンター。いつものにぎわい。依茉の元気は、それらに似合わないくらい下落しているようだ。
『超休日』で一緒に旅館で酒を交わした時は、たしか一缶でべろべろに酔っていたはずだが。明らかに缶四杯分の量を飲んでも、いつもより気が落ち着いている。顔は案の定真っ赤だが、酒癖の悪さはいまだ露見していない。
「涼晴と一緒に飲みまくってたら慣れたとか?」
「今でも一杯で酔いますよ……。その……隣が気が気じゃないっていうか……」
一瞬、愛絵は自分のことを言われたのかと思ったが、赤髪の編集者は彼女の左隣の席を指さしていた。
座っているのは白髪の小説家、文月 涼晴──ではないらしい。アルコールを摂取する前からとんちんかんなことを言う友人にあきれたが、涼晴だと思っていた男が口を開けば、それはそれは腰を抜かずほど驚いた。
一人称が『俺』、敬語を全く使わないという、間違いなく涼晴ではない誰かがいる。昼頃に事務所に呼ばれて半信半疑で聞いていたことが、まさか本当だったとは。
すぐに疑って悪かったと謝罪したが、依茉も聞き間違いにしようと思っていたらしい。
何もかもわからないことだらけなので、涼晴に起きたこの現象は『二重人格』として、今この人格が『文月 涼太郎』ということも教えてもらった。
依茉が心から酒を楽しめないのは、彼の存在ゆえだという。冷静で落ち着いている涼晴に対し、涼太郎は熱烈で落ち着きがないため、何をしでかすかわからないので酔えない。そういうことらしい。
「二重人格、ねぇ……。まるでジーキルとハイドみたい。見た目は変わってないけど」
「言ってる場合じゃないですよ……。愛絵さんも、先生が二重人格だってこと、知らなかったんですか?」
女性二人は勘づかれないよう、横目で男を見ながら会話をしている。涼太郎は物珍しそうに、今日も繁盛している居酒屋店内を見渡していた。
依茉は涼晴と共に何度もこの店に来たことがある。それなのに涼太郎はこの場所に始めてきたかのように、そわそわしているのだ。
つまり、二つに人格間での記憶の共有は、完全にはされていないことが分かる。涼晴が依茉に『俺』というように指示された際、何のことだろうと困惑していたのも、このシステムがあるならうなずけてしまう。
「知ってたら事務所に入る時点でそう言ってるわよ……。でも、もしも涼晴が本当に二重人格だとしたら、あの頃に相談されたのかしら」
「えっと……つまりは、どういうことです?」
「うーん……。二重人格とか多重人格とかって単語が有名な割に、私多重人格なんですー、って人に出会ったことないじゃない?」
「たしかに……。それこそ、『ジーキル博士とハイド氏』とかは二重人格というか、二面性を題材にしている代表作です。読んだことはなくても、名前は知ってるって人も多いでしょうね」
「でしょ? これはあたしの偏見というか勝手な考察になっちゃうんだけど、そういう症状って他人に相談しづらいんじゃないかしら。誰かを傷つけるために言ってるわけじゃないけど、教えたら他と違うからって理由だけで嫌われるかもって、周囲の助けを無意識にシャットアウトしちゃう人は多いと思うの」
いじめや差別は、正直言ってどれだけ対策を積もうが、無くなるものではない。予防にはなるだろうが、根本的なところは改善されない。
人間は他の野生動物のような、圧倒的な戦闘能力を捨てた代わりに、大きな脳が発達した。自ら考え、判断して行動する。結果文明などが築かれた。高度な作業ができることが、人間の一番の強み。
だが頭の良さというのは、かえって醜さを引きずり出す火種となりうる。
他人を蹴落としてまで自分が高位に立ちたいだとか、自分と違うから非難したりだとかしいたげたりだとか。高みを目指す過程で、普通じゃないものを嫌うのだ。
涼晴と愛絵は三年前、今の涼晴と依茉のような関係を築いていた。あの生活の中でも、一度もそういった相談をされなかったのは、彼が『嫌われることを嫌った』からなのかもしれない。
たしかに、すぐに受け止められると言ったら、それは嘘になる。なぜなら、現にこうして涼太郎の存在を疑問視して接しているから。
「そう……なんでしょうね。私も知らなかったですし……先生的には、あまり知られたくないことなのかもしれません。問題は、果たして元に戻るのかですけど」
「一回ひっぱたいてみたらいいんじゃない?」
「昔のテレビですか……!! たしか、ジーキル博士は姿を変えられる薬を開発して、ヘンリー・ジーキルからエドワード・ハイドに変身したんですよね。なら、薬として作用したものがあるのかも……」
「薬……。あいつがそんなもの、好きで使うかしら。……そういえば、グレモリーはどうしたのよ。契約してるから、ずっと隣にいなきゃいけないみたいな制約はないわけ?」
「グレモリー……たしかに、あれ以来見ていないような……」
少しでも人間社会に溶け込んで生活するためにと、依茉と愛絵はグレモリーの買い物に付き合ってあげたのだ。事務所ではアラビアンな恰好をしていたが、さすがに公道を歩くときは一般的な服装でなければならない。
言われてみれば、最近彼女の姿を見ていない気がする。酔いどれが多い居酒屋とはいえ、あまり人の目につくような場所には出たくないのだろうか。
それとも──涼晴と涼太郎の性格が入れ替わってしまったことと、何か関係があるのだろうか。
いつもは疲れた体をいやし、大きな気分にさせてくれる生ビールも、今日ばかりは味が抜けたように感じられた。
~~~
飲みに誘ってくれた愛絵に礼を言ってから別れ、事務所までの夜道をたどる。
道中でも、依茉が気を抜くことはなかった。というか、抜けなかった。愛絵は歳が一つ上で頼れる姉のような存在。悩みを打ち明ければ少しでも気が軽くなると思ったが、今回はさらに不安がつのるばかり。
涼晴と付き合った時間が三年も上の愛絵ですら、知らなかった事実。
これから、一体どうすればいいのだろう。涼太郎になっている以上、小説家の仕事はできないに等しい。問題が解決するまで休暇が欲しいところだが、この状況を説明して享弥は納得してくれるだろうか。
人気が劣ることなく現在も上昇中の涼晴が、少しでも小説を出さなかったら、今後の執筆活動にも、少なからず悪影響がおよぼされる。暗い心もちからか、このまま涼晴に会えないかもしれないと思っている自分もいる。
最大限自分にできることは自分でやる主義だが、流石にお手上げ。明日は『七福神』のもとへ相談しに行こう。
「なぁ、エマ。なんで俺には酒飲ませてくれなかったんだよ」
「それは……あなたがまだ、信用できないからです」
「はぁ? 俺のどこが信用できねぇって言うんだ」
「いや全部ですよ……。というか、私達が八年前に会ってるっていう証拠もないですよね? なのに友達とか懐かしいとか……正直言って疲れちゃいます」
そろそろ本題に入らねば、生活に支障が出てしまう。仕事も投げ出して、彼のように遊んではいられない。覚悟が表情にも表れたためか、涼太郎も真面目な態度で、
「じゃあ、こっちからもはっきり言わせてもらう。エマ、お前は記憶をいいように改ざんされている。だから俺のことも……あの日のことも忘れてるんだよ」
「記憶を……改ざん? いいようにって、誰に……」
記憶が違うだなんて、そんな馬鹿なことがあるか。この世に生を受けてから今日まで、あまたのつらいことや苦しいことを乗り越え、代わりに多大な喜びをもらったはず。
涼太郎が言っていることは、依茉のこれまでの人生を否定している。いくら尊敬する涼晴の姿の人物から言われたからといって、こればっかりは黙っていられない。
まゆを寄せて怒り顔になり、涼太郎に反論しようと一歩を踏み出した時だ。
何が起きたのか、彼は両目をカッと見開いて、頭をおさえ始めた。
「お……前は黙ってそれを伝えてはいけませ、すっこんでろ偽物がァッ……今はまだ……抑えてくださいッ!!」
「せん……せい……?」
まるで、涼晴と涼太郎の人格がぶつかり合っているような意味不明な会話は、彼が何の前触れもなく倒れてしまうまで続けられた。
夜の街に、女性の声とサイレンが響き渡る──
面白かったらブックマーク、高評価や感想などよろしくお願いします!!マジで!!!!
Twitterアカウントもよろしく!! @kareha_henshin




