第五章39 『グレーゾーン』
一日置いての投稿……毎日が途切れた……
用もないのに、永々と携帯電話を操作する。横目でちらりと、作業をしている小説家を見ながら。
毎日読むわけでもないのに、永々と新聞を読み進める。横目でちらりと、執筆作業中の男を見ながら。
二人の女性から視線を向けられているのは、感覚の鋭い涼晴はすでに把握している。こういうことには鋭敏だというのに、彼女らからの好意にはなぜ気づかないのだろう。
さておき、視線を感じて顔を上げると、なんだか反応がよそよそしいのだ。あたかも涼晴の事なんか気に留めていないような、そんな感じ。
執筆の手は若干鈍るが、それ以上の実害というのは起こらなさそうなので、気にせず文字を連ねていくことにした。
反面、見ていることを気付かれていないと思い込んでいる浅はかな女性陣は、ウィスパーボイスで会話をしていた。こういう時顔を隠すのに新聞が便利。
「今のところ、異常は見られませんね……」
「本当なんでしょうね? 涼晴が自分のことを『俺』って言ったとか、依茉を名前で呼んだとか。にわかに信じがたいわ……」
「ほ、本当なんですって。半分寝ぼけてたのはまぁ……否めないですけど。でも、明らかに雰囲気が違いました」
朝の支度およびルーティンであるシャワーを浴びて、眠気覚ましにコーヒーでも飲もうかと思ったとき。
不意に涼晴の部屋の扉が開いて、白髪の小説家が現れたのだ。早起きの彼が自分より起床が遅いだなんて珍しいと思いながら、何気ない会話を──
その間、俺の代わりにここを守ってくれよ、エマ。
聞きなじみはあるが、複数の違和感をはらんだ声が頭中に反響する。
一人称が『私』から『俺』に。依茉のことを『新人くん』呼びから『エマ』呼びに。一体、何があったというのだろうか。今までの涼晴は穏やかで優しい口調の敬語だったのにもかかわらず、唐突な路線変更。イメージチェンジには大きく失敗している。
「現状での判断は難しいわね……。あと、なんであたしを呼んだのよ」
「愛絵さんは、私より先生といた時間が長いですから……。メールで訊こうかとも思ったんですけど、実際に見てもらった方がいいかなって」
「まぁ……それはそうなんだけど。たしかに隣にいた相棒ではあるんだけど。あたしはあいつの担当医じゃないのよ。……でも、あいつがそんなくだけた口調になってるのは見たことないわ」
自分が涼晴の隣にいたという事実を無駄に強調する。自分で言っておきながら勝手に赤面している画家を見て、依茉はちょっとだけ心がなごんだ。
それはそれとして、どうしたものかと思っていると、愛絵が突拍子もないことを口にした。
「もしや……あんたを好きになったとか…………」
危なかった。あとコンマ一秒でも口をおさえるのが遅かったら、間違いなく吹き出していた。先刻の愛絵よりもずっとわかりやすく、耳まで真っ赤にしている。
「ななな、なんでそんなことになるんですか!?」
「ほら、敬語ってなんか堅苦しいイメージがあるじゃない? 親しい女性には少しでも親しみやすくしたい……みたいな……」
「そ、そんなわけないじゃないですか!! だったら愛絵さんの方がお似合いですって!!」
「あ、あたし!? ま、まぁ? たしかにあたしは依茉より涼晴の隣にいた時間は長いけど? べ、べ、別にうれしくはないけど!? あ……あいつがどーしてもって言うのなら……!!」
「あの……さっきから何について話してるんです?」
「「ギクッ!!」」
「いや漫画ですか……」
気づかぬうちに会話がヒートアップして、声量が通常ボリュームまで引き戻されていたらしい。どのあたりから聞かれていたのかわからないが、女子の秘密の会話を聞かれてしまったことに心底驚いた。
しかもテンションが上々になってきたのはおそらく、ど定番の『恋バナ』あたり。
いくら涼晴が鈍感人間だとしても、羞恥の熱は簡単に引かない。口をパクパクさせて言葉を探していたが、彼女たちより先に涼晴が口を開いた。
「おしゃべりもいいですが、一応私も仕事してますからね。少しおさえめでお願いします。……いや、そういえば新人くんも仕事ありますよね? なんでそっちでくつろいでるんですか?」
「せ、接待ってやつですよ。気にしないでください」
~~~
して。
涼晴は仕事をしているなかで、一度も『俺』とも『エマ』とも口にすることはなかった。愛絵は心配して損したというように肩をすくめ、依茉が仕事に着手すると同時に事務所を出ていった。
やはり気のせいだったのだろうか? 涼晴と初めて出会ったときから思っていたが、敬語を使う礼儀正しい人物だ。そんな彼が、急にキャラクターの路線変更をするだろうか。
涼晴は時折、『お茶目』と称した軽い悪戯をするので、今回の件もお茶目として流していいのか?
だが、一つだけ気になることがある。
仮に彼が悪戯をしているのだとしたら、彼の方からリアクションを求めてくるはずだ。現在は仕事中ということを差し引いても、涼晴はすぐにでも依茉の反応をねだる。
しかし──小説家は黙々と、原稿用紙に向かって筆を走らせているだけ。その姿勢は真剣そのもので、ちょっかいを出そうものなら切り刻まれそうなほど、集中しているオーラが放たれている。
「新人くん、赤入れを」
しかし、いくら集中している執筆中とはいえ、両者の間には多少なりとも会話が生じる。例えば今のような、原稿の受け渡し。
涼晴はパソコンを使えないわけではないが、意外とタイピングが遅いのだ。これでは仕事に支障が出ると踏んでか、以来ずっと原稿用紙に書くというスタイルを続けている。
しかし現代では書類をデータ化する傾向にあるため、担当編集である依茉が確認しながら打ち込んでいく。二度手間だが、これはこれでやりがいがあると、仕事好きの依茉は喜んでいる。
……しかし、なぜか依茉は原稿用紙を受け取らない。
「えっと……どうかしましたか?」
「…………先生。俺って、言ってみてください」
永遠に感じるほど、沈黙が続いた。実際には五秒ほどだったが、担当編集の質問を脳で処理しているとどうしても理解に時間がかかる。それくらい、彼女の質問は突飛であり、おかしな質問だったというわけだ。
じっと目を合わせていても、依茉もこの時ばかりは恥じらいを感じなかった。彼の異変を感じ取ったからには、立場上気にかけないといけない。そういった使命感から、真剣なまなざしでおかしな質問を投げかけたのだ。
「俺…………。これで、いいですか?」
初めてだ。『そうじゃない』をこんなにも濃密に感じたのは。
思いのほか気の抜けた『俺』を聞かされて幾分か調子が狂ったが、これではっきりした。
涼晴は、悪戯であの言葉を言ったのではない。なにか原因がほかにあって、それが作用したことにより彼の性格や口調がおかしくなった。
なにか……なにかないか? 直近で起きたおかしなことと言えば…………
「…………………………………………グレ、モリー?」
ソロモン72柱が56柱、グレモリー。『禁忌全英書』とともに、『知る由もない暗所』に封印された悪魔。涼晴をとりこもうとしたが、直前で愛を欲する亡者であることが彼のよって暴かれ、流れるように二人は契約を交わした。
『言葉を紡ぐ者』の暴走を抑制するために混合された『禁忌全英書』の一部を持っている涼晴だからこそ、グレモリーを受け入れることができたのだ。同じ『才能人』であったとしても、彼以外では成し遂げられなかっただろう。
……英雄にかせられた、代償とでもいうのだろうか。
グレモリーについて調べていくうちに、悪魔についても情報を得られた。
悪魔と契約すると、対応する悪魔の能力を受けられるのは当たり前。それ以外では、ありえないくらいの幸福が訪れる。香水をつけていないのに、独特な香りがする。そして──人格が変わるのだという。
グレモリーは彼に伝えたのだろうか? 不安で仕方がない。ここで聞くべきことなのか、聞いても良いことなのか。黙ったままでいると……
「はぁ~ああ。よぉぉやく、帰ってくれたみたいだな」
聞こえた、あの声だ。砕けた、フランクな口調。息をのんで顔を上げると、こちらをじっと見つめる小説家がいた。だが、いつもとはどこか違う。言葉にできないほど微細だが、顔つきが男らしくなった……ような気がする。
「…………せ、先生!?」
「先生じゃねーよ。思いだ……っと、今はそうはいかねぇよな」
「な……なにが起こって……!?」
動揺を隠せず、『涼晴であって涼晴でない人物』を凝視する。
「俺は、文月 涼太郎。十年以上待ったぜ、お前と再び会えることを」
面白かったらブックマーク、高評価や感想などよろしくお願いします!!マジで!!!!
Twitterアカウントもよろしく!! @kareha_henshin




