第五章34 『エピソード・ゼロ《赤と黒》 亀裂』
ノーコメントでいいっすか……? ではでは。
瞳を閉じ、静かに眠る様子はまるで、人形のように美しくかわいらしい。
つい一、二週間前まで、彼女は男のもとに従順だった。人間らしく生き、計画のために感情を押し殺し、他者との深い接触を避け。
学校での彼女は、男の理想通り、『大人しく目立たない少女』として、完成されているようだった。
だが最近になって、娘が笑顔で帰宅することが多くなった。何があったのかと問いかけると、毎日のように「友達ができた」などとぬかすのだ。
最初期こそ危険視していなかったが、日を追うごとに娘の口から聞かされる──『文月 涼太郎』という男の存在に、崇高な計画をおびやかされていくのだった。
診察台に横たわるいとしい娘もとい『実験体』の、白いひたいにそっと触れる。その刹那、男のてのひらに吸着するように、少女のひたいから『光の玉』が抜き取られた。
ソフトボールくらいの大きさの、透明感のある水晶球。輝くレモンイエローのそれを覗き込むと、中にはおそらく文月 涼太郎と思われる少年が、笑顔でこちらを見ている。娘と接触し、親交を深めている最中だろう。
見れば見るほど、嫌悪が煮えたぎる。こんな非力そうで、なんのとりえもなさそうな子供に、計画の進行を阻止されているのか!?
球体の中で少年が笑うたび、球体を握る力は強くなっていく。ピシ……と亀裂が入った途端、男は球体を床にたたきつけ、しまいには怒りに任せて踏みつぶした。
透明なガラス片へと成り下がった──つまり、『記憶の消去』を意味する。
「文月 涼太郎……!! 神に逆らったことを後悔させてやる……!!」
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到底、彼女がふざけているとは思えない。
しかし『それ』を信じたくないあまり、声を荒げて問い詰める。民衆の目なんか、気にしている場合じゃない。
「もうそのギャグはいい!! 俺だ、涼太郎だって!! なぁ……なんでそんな顔すんだよ!? 本当に、本当に俺のこと忘れちまったってのかよッ、エマッ!!」
おかしい。何かがおかしい。
昨日もおとといも、その前だって。彼女と……エマと話しているはずだ。夢なわけがない。なぜなら、今日この時間に、二人は初めて学校以外の場所で遊ぶ約束をしたからだ。
楽しかった日々が嘘なわけがない。涼太郎はエマと話すことが、十二年生きてきて一番楽しかったのだ。頂点に立つほどの楽しみが、幻だったなんて信じられるか。
少女の小さな肩をつかんでうったえかけるが、必死の思いは伝わらないらしい。伝わるどころか、エマはどんどん困惑していくようだった。それもそのはず、「エマのことを覚えている」と嘆く少年のことを、エマが覚えていないからだ。
「ごめん、なさい……ごめんなさい、ごめんなさいっ……!! 私……わ、たし……っ!!」
何が何だか分からなくなってしまい、うつろな目になった少女は静かに、二筋の涙をこぼす。ひたすらにごめんなさいと繰り返すだけで、少年を「リョータロー君」と呼ぶことは一度もなかった。
歩道のど真ん中でおかしな再会を果たした二人は、相当目立っていたらしい。通り過ぎていく人々は皆そろって、なにか『この世のものではないもの』を見るような目で、二人を一瞥して去っていく。
涼太郎の鬼気迫るような必死さに応えられない。自分でも言葉で言い表せない苦しさに、エマはただえぐえぐと泣くことしかできない。
両者を大いなる絶望が包みこんだとき、涼太郎にとっては聞き覚えのない声が聞こえてきた。
「こんなところにいたのかい、エマ。もしかして、学校のお友達と話していたのかな?」
長身の、穏やかな口調で話す男。仏のような笑顔は、優しさの奥にどこか不気味さを感じさせる。服装も周りの群衆に比べ、位が一つ高い。左手で優しく赤い髪をなでると、エマはとんでもないことを口にするのだった。
「…………ううん、知らない子。どこかで会ったかもしれないけど、思い出せないや」
「そうか……それは少し気の毒だね。家に帰ったらアルバムを見てみようか。でも、今はお出かけの最中だ。行きたいお店があるんじゃなかったのかい?」
「そうだね。行こう、パパ!!」
……あの胡散臭い不気味な男が、エマの父親……なのか?
あまりに似ていない容姿に驚いているうちに、エマは男と一緒に商店街の方へと歩いていく。
──どうする。相手は大人だ。引き止めたところで、太刀打ちできるような相手ではないのは分かっている。でも……確かめずにはいられない!!
「待てよっ!!」
自由の探究と称して遊びまわっていた涼太郎は、足の速さには自信があった。体育祭の対抗リレーには断じて出場するつもりはないが、こういう時には役に立つ。
まるで逃げるように去り行くエマの手をつかみ、もう一度うったえかける。
「なぁ……本当に覚えてないのかよ!? エマって名前も、図書室にいつもいることも、読んでる本のタイトルも!! 全部知ってるんだぞ!? プールの飛び込んだり、廊下で暴れまくったりしたじゃねぇか!! 俺にとって、エマは初めての友達だった……だからこそ、毎日が楽しかった!! お前は……楽しくなかったのか? あの時、自由っていいって言ってくれたのは、全部嘘だったのかよ!?」
「…………!! も、もしかして……リョー」
「おっと!! エマ、もうこんな時間だ。開店前から並ぶはずだっただろう? はやくいかないと限定スイーツが売り切れてしまうぞ~?」
「テ……メェッ!!」
自分でも意外だった。まぁ、それだけ男に対して嫌悪感が芽生えていたのだろう。中学二年の平凡な正拳突きは、軽く受け止められてしまった。
拳をすかして見た男の笑顔に、背筋が凍るほどゾッとした。傍若無人に生きてきた自分が、大人に負けたと思った瞬間。同時に、初めて大人を怖いと思った瞬間でもある。
男は涼太郎に気づかれないよう、娘に自分だけで列に並ぶように指示し、ついに愚かな少年に口をきいた。それはそれは、冷酷なトーンで。間違いなく、仏という言葉は似合わない。拳をつかむ力も強くなっていく。
「君か……文月 涼太郎君は。今は家族水入らずの外出中なんだ、邪魔しないでもらえるかな」
「お前、さっき明らかにエマが俺の名前を呼ぼうとしたのをさえぎったろ……!! 何のためにそんなことをする……!!」
今まで反抗し、牙を向けてきた大人たちとは一線を画すほどの威圧感。涼太郎の言葉の後、男はいらだちが見え隠れするように拳を振り払うと、再びきびすを返して歩いていくのだった。
一つ、捨て台詞を残して。
「君のようなガキが、エマの隣にいちゃいけないんだよ」
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こんなこと、今までにあっただろうか。
今日の夕食は涼太郎の好物であるハンバーグカレーだというのに。その旨を伝えても、息子が下りてくる気配はまったくない。
いつもなら、どれだけひどい口論をしても、ちゃっかり夕食は食べに降りてくるといううのに。遊びから帰ってきたとき、見たこともないくらい元気がなかったので、奮発して好物を作ったのだが。
「おかしいわね……寝てるのかしら。歌澄、悪いけど、涼太郎呼んできて頂戴」
「分かった~」
涼太郎ほどではないとはいえ、ハンバーグカレーという豪華な夕食を目の前にしてお預けをくらった歌澄は、どこか不満そうだった。ただ、彼も兄が下りてこないことには少し不思議に思っていたので、自分で確かめに行けるだけいいと、階段を上る。
部屋の前まで来ると、ノックしてから扉を開け、
「兄ちゃん、呼ばれてるよ……って!? 何してんの!?!?」
珍しい。まさか、涼太郎が机に向かって、一心不乱にペンを走らせているなんて。明日はきっと槍が降るだろうから、今のうちに国外へと避難した方がいいかもしれない。
しかし、歌澄を驚かせたのは、それだけではなかった。涼太郎は机一面に模造紙を広げ、意外ときれいな字で何かを書き連ねていたのだ。首筋には汗が球のように浮き出ており、まるで蒸気機関車のように、毎秒強く息を吐き出している。
「に、兄ちゃん!? ご飯だって!!」
「わかってるよんなこと!! メシなら後で食うって言っとけ!!」
あの涼太郎が、食事より謎の作業を優先するなんて。信じられなくなった歌澄は取り乱して、何をしているのか問いかける。
「ほ、本当に何してんのさ!? 自由研究先取りしてるの!?」
「ちげぇよ。……これでハッキリしたんだ。エマはまだ、自由になれてない。だからこそ、俺があいつの夏休みを一生忘れられないくらい色濃いものにしてやるんだよ……!! 待ってろよ……エマ!!」
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