第五章33 『エピソード・ゼロ《赤と黒》 異変』
不穏な空気……。一体何が……。
兄の嫌なうわさは、一つ下の学年にまで伝わっている。毎日のように、歌澄は涼太郎のうわさについて言及されるので、はっきり言って疲れる。
しかも厄介なことに、それらのうわさは全て根も葉もない事実無根なものなのだ。
帰り道で野良猫を殺していたのを目撃したとか、コンビニエンスストアで万引きしていたとか。そんなことを涼太郎がするわけないと知っているからこそ、周囲にそう思われていることがつらくてたまらない。
未だに理解できないが、兄が求めているのは『自由』だ。万引きなんかしたら、それこそ彼が嫌っている学校以上に自由を束縛される場所へ送り込まれる。家族だからこそ、そういう一人歩きしているうわさの真偽が判別できるのかもしれないが。
「本当に大丈夫なの? 今朝も職員会議でお兄さんの話が出てたけど……」
教室を出ようとしたとき、クラス日誌を確認していた担任の女性教師に引き止められた。涼太郎は悪い意味で目立っているので、彼の弟である歌澄も心配されているようだ。
女性教師は今年この学校に来たばかりなので、涼太郎の悪いうわさに恐れているらしい。
「大丈夫ですよ。兄はあぁ見えて、良いところありますから。弟の僕から見ても相当手のかかるやつだとは思いますけどね……」
「そう……。ならよかった。何かあったら、必ず相談してね?」
「その時が来たら、頼らせてもらいます。じゃあ、僕はこれで」
……そろそろ、夏休みだ。
期末試験も終わったし、みな浮足立っているのだろうか。いつもならこの時間帯でもまだ廊下が騒がしいはずだが。今日はがらんとしていて、窓から差し込む大きく床を照らしていた。
「……ん? おぉ、歌澄じゃねぇか。お前にしては帰るのおせぇな」
「それはこっちの台詞。兄ちゃん、最近ちょっと学校に残ってから帰るよね。何かやらかしたの? 生徒指導室にお世話になってるとかやめてよ?」
あれだけ擁護してはいたが、やはり心の奥底では、どこか「涼太郎ならばやりかねない」という、一種の固定観念がはりついているようだった。しかし、兄は案外あっさりしていた。
いつもだったら「お前には関係ない」とか、「教えても俺に利益がない」とか言ってうやむやにするのに。
「バーカ、そんなんじゃねぇよ。ただ友達としゃべってるだけだ」
「へー…………って、えぇ!? に、兄ちゃんに、友達!? いくら払ったのさ!?」
「殺されてぇのかお前。俺でも友達の一人ぐらい作れるわボケ。そんなことに金払うわけねーだろ」
いやいやいやいや。おかしいおかしいおかしいおかしい。あなたそんなキャラじゃなかったじゃん!?
歌澄の中の涼太郎といえば、何事にも冷めたような態度を取り、常に一人で行動する一匹狼タイプのはずだ。それが今では、こんな楽しそうな表情になっている。
あの、「友達なんて、俺の自由を邪魔するものだ。俺は一人でいい」と言っていた涼太郎はどこへ行ったのだ。と、驚く反面。兄の少しばかりの成長に、うれしく思う自分がいる。
母を悩ませるような問題児の彼が、今では夕日に照らされていることも含め、頼りがいのある兄へと印象が変わった気がする。それくらい、一大事。
「それで……友達って、どんな人?」
「真っ赤な髪した女子だよ。今まで見たことねぇなーって思ってたんだけど、それもそのはずでずっと図書室に通ってたらしい。さっきも行ってきたら、この前と同じ本読んでた」
「よりによって女子……!? 兄ちゃんの隣に女の子がいるのとか想像できないんだけど……!!」
「お前そんなんでよく優等生やってるよな!? めっちゃムカつくんだけど!!」
それから少し、涼太郎は『エマ』という初めてできた友達について話してくれた。ずっと笑顔で楽しそうに話す彼は、一周回って不気味だった。
しかし彼もようやく一般的な場所までくることができたのだと思うと、会話は想像以上に弾んだ。
最近はずっと口論でしか会話をしていなかったので、長く兄と話せるのはうれしい。
「あと、エマのやつ面白れぇこと言うんだよな。毎回会うたびにそれが合言葉になってるみたいな」
「へぇ……どんなこと?」
「『あなた、誰だったっけ?』……だってよ!!
しっかしまぁ、最初の方こそ突っ込む気も起きたけど、今じゃ軽く流すくらいになったよ」
「…………そう、なんだ」
心に、何かが引っかかる。
魚の小骨がのどに刺さったような、上あごにのりがはりつくような。微細ではあるものの、気にせずにはいられない違和感。
帰路をたどりながら家に到着し、自室のベッドに寝転がる時まで、その『引っかかり』は歌澄を不安にさせるのだった。
──あなた、誰だったっけ?
エマという少女が、涼太郎に出会うたびに言う言葉。兄はそのやりとりをどうとも思わないらしいが、はたから見れば奇妙な行動だ。
涼太郎とエマは、話を聞く限り本当に友達になったらしい。強調するためにあえて口を悪くするが、あの強烈すぎるキャラクターの兄を、忘れるなんてことあるのか? 仮に二人が赤の他人ならばあり得るかもしれないが、友達ではないのか?
合言葉のように言っているらしいが、涼太郎もそろそろ飽きているらしい。なのに涼太郎のことを本当に忘れてしまったような対応をとるという、少女エマ。
家族とはいえ他人の友人事情になど手を出すまでもないのだが、はたしてエマの忘却は、ジョークの一つで済ませていいのだろうか……?
「…………考えすぎかな」
ぽつりとつぶやいたその後すぐ、夕食の用意ができたとの伝達が母から伝えられ、階下へと降りていくのだった。
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赤毛の読書少女、エマと出会ってからというもの、毎日から花が咲いたように退屈が消え去った。
学生は基本一週間あるうちの五日を学校で過ごす。なので月から金は、図書館に行けば友と出会える。それが楽しみで仕方なく、それだけの理由だったとしても学校に行くのが待ち遠しくなった。
休み時間になればすぐさまエマに会いに行き、放課後はさらに長い時間話してから帰る。日常的に笑顔を見せるようになり、担任は少し驚いていた気がする。
「財布よし、水筒よし、タオルよし。そうだ、折りたたみ傘も持っておこう」
今日は土曜日。ついに学校で会うだけでは物足りなくなってしまい、集合して遊びに出かける約束をしたのだ。というのも、エマはなんと記憶に残る限り思いきり外で遊んだことがないという。
自由の探究者として、その発言は見過ごせなかった涼太郎は、土曜日の今日出かけることにしたのだ。こうしてウキウキしながら準備しているのも、全て遊びのため。
「っし!! ちょっと早いけど、遅れるよりいいだろ。母さーん!! ちょっと出かけてくるぞー!!」
呼びかけると、氷華の返事の代わりに歌澄が階段を下りてきた。なにやら、少し表情が暗い。
「歌澄……? どうかしたのかよ?」
「あぁ、なんでもないんだ。その……気を付けてね」
「わかってるさ。死んだら自由も何もないからな。母さんに昼過ぎには戻るって言っといてくれ」
「うん。……いってらっしゃい」
エマがどこに住んでいるのか、集合場所の公園までどれだけかかるのか。多少強引に約束をしたのは否めないが、それでも彼女はこころよく約束してくれたのだ。
しかし、今から妄想がふくらむ。
この公園自体もそこそこ広く、遊べるところは多い。近くに商店街も立ち並んでいるし、食べ歩きだってできる。女子は買い物が好きらしいので、もしもエマが提案を出してきたら、こちらも了承するつもりだ。
そして──今日の予定の最後に、重大発表をするつもりでいる。
それが、夏休みの計画について。二人でもっと、どこか楽しいところへ行けたらいいと思い、事前に少しだけ計画を練っているのだ。
期待に胸を弾ませて、エマが来るのを待っていたが…………
「…………遅いな。もう十分も過ぎてるぞ?」
時計台を見ると、集合時間の十時ではなく、針は『十時十分』を指している。やっぱり、無理に約束したのがいけなかったか。もうしばらく待って様子を見てから──
「あれって…………エマ?」
むかいの通りで歩いているのは。赤毛の少女、エマに間違いなかった。制服ではなかったので一瞬別人かと思ったが、髪を触る仕草で彼女だと分かった。
おそらく迷っているのだろうと、彼女のもとへと走っていく。
「よかった、来ないかと思ったぜ。よし、さっそく行こう──」
腕をつかんで、自由の旅へと向かおうとしたが。
彼女の声とつかみ返した腕が、走り出した涼太郎を引き止めるのだった。
「あなた……誰、だっけ……………………?」
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