第五章30 『エピソード・ゼロ《赤と黒》 少年』
エピソード・ゼロの《赤と黒》編になります。本編完結後に始めるシリーズの先駆けです。
氷のように冷たい目線と、炎のように熱い叱責。二つの属性をまとった打撃が食らわせられない日は、一日たりともない。
中学に上がって、一年が経過した。彼は十二歳の中学二年へと進級し、二度とない輝かしい青春を謳歌しているはず。だがそれは彼の『希望』にすぎず、眼前に立ちふさがる『現実』が晴天を曇天へと変えていく。
黒々とした高級感あふれるワークデスクに陳列されているのは、赤字で『〇』と記された紙たち。ただし『〇』ではなく、『〇』である。
一学期末の試験で、少年が獲得した点数の合計だ。
「……私も忙しいのよ? 精神を研ぎすまして、一枚一枚重要な書類を確認しなきゃいけないの。一つでもミスがあれば、うちの会社に対する信頼が一気に落ちて、必然的に売り上げも下がる。そんな『超』がいくつつけられてもおかしくない緻密な作業の合間をぬって、あなたの試験結果を確認してあげてるんだから、せめて私をいらだたせない程度の点数はとって頂戴」
「そりゃすいませんね。じゃあ逆に訊くけど、母さんにとって会社の売り上げか俺の試験の結果、どっちのほうが大切なんだよ。仕事のほうが大切なら、こんなことやめたらいいじゃねぇか。わざわざ俺の点数みて、わざわざ自分からイラついて、わざわざ俺に説教垂れる手間もなくなるぜ」
『自分が最低点しか獲得していない』ということを棚に上げ、母親をあおる。口調も気だるげで、母親の部屋に呼び出されたことに対する、静かな怒りが込められているように感じられた。
悪いことをしたという自覚はあるはずなのに、反抗期ゆえか態度が生意気だ。
どこで教育を間違えたのだろうと、一つため息をついてから、もう何度目かの対話を開始する。
「会社もあなたも、大切に決まってるじゃない。だからこそ並行して作業してるんじゃない。……あなたが思っている『自由』からすれば、確かに仕事は馬鹿らしいことかもしれないわ。でも、違うと思っても真正面から否定しちゃだめなの。みんながみんな自由でいられればいいけど、あいにくそうはいかないのよ。勉強すれば、その分将来の選択肢が増えるのよ。一つしかできないより、余裕をもって選べた方が、それこそ自由だと思わない?」
続けて息子を改心させようと話を継続するつもりだったが、お得意様から電話がかかってくる。三コール以内に受話器を取り、電話対応に追われていると、少年は知らぬ間に部屋の扉を開けていた。
退室ざまに、一つ言葉を吐き捨てながら、廊下の冷気とともに姿を消す。
「前と言ってること、変わってねぇじゃん」
冷たい言葉に親としての不甲斐なさを感じながらも、なんとか電話を切る。
商談に関しては順調に進められそうだが、息子の教育は難航しそうだ。氷華は写真立てに飾られた男性の写真を見つめながら、
「あの人に似たかしらね……」
0点のテスト用紙は捨てることなく、今まで通りデスクの引き出しにしまうのだった。
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「あのさ、兄ちゃん。いい加減勉強しようよ」
自室のベッドに寝転んで漫画を読み漁っていると、扉付近から声が飛んできた。母の物ではないが、これまた説教が始まりそうな、弟の声。
試験が終わって母に説教され、ようやく足かせが外れたかと思えば、弟からの説教という手かせがつけられる。
ベッドで、特に反省することもなく遊びほうけている兄に対して、弟は今回の試験もほぼ満点だったらしい。別に自分から聞いたというわけではなく、母のテンションの落ち度を見ての推測というやつだ。
勉強する気は毛頭ないが、どうして弟の方が出来がいいのだろうとは思う。
「説教が嫌なら、勉強していい点とればいいだけの話だよ。最初から百点とれなんて母さんも言わないだろうけど……」
「『点』が気に入らねぇっつってんだ。人間に数字をつけるな、俺は囚人じゃねぇ。ま、学校は監獄みてぇな場所だけどな」
「屁理屈はもういいよ。……兄ちゃんってさ、自分が学校で何て呼ばれてるか知ってる? 『出来損ない』だよ? しかも生徒だけじゃない、先生からも言われてる。……そのせいで僕も悪目立ちしてるんだ。見返したいとは思わないのかよ?」
「俺がどんなあだ名で呼ばれようが、お前には関係ないだろ。逆もしかり、お前がどうなろうと俺には関係ねぇんだよ。教師どもも生徒も、型にはまったことしかできねぇしょうもない人間だ。そんな奴らに気を遣いたくはないね」
どこまで行っても、いくら掘り進めても、彼の本質は『へそ曲がりのひねくれ者』であるらしい。
ただそんなどうしようもない少年にも、一つの筋は通っている。彼がひたすらに追い求めているのは、何にも、何者にも縛られない『自由』だ。机に向かい背中を丸めて筆を走らせる学生、その学生を量産して自由を奪う学校、または教師。
たしかに、彼の目線で世界を見れば、彼は相当生きづらくあるのかもしれない。だから、反抗する。自由に生きる。自由を取り戻す。
「……兄ちゃんは、それでいいと思ってる? 自由ほど重いルールはないんだよ。勉強してないからそんな簡単なことにも気づけないんじゃないの?」
「……挑発したって無駄だ。いいか? 俺は別に、勉強することがいけないことだとは言ってない。仮に、勉強しなかったら死ぬってんなら、俺も迷わず筆を握るだろうぜ。でも、今こうして生きてるだろ? なら俺に勉強は必要ないんだよ。自由に生きようとしてる人間を邪魔するから、勉強が嫌いってだけだ。わかったら、さっさと出てけ」
「どうなっても知らないから」
部屋に戻ろうとしない愚弟にしびれを切らし、少年は黒い髪をかきながら立ち上がる。ズカズカ歩いていくと弟を突き飛ばし、乱暴な手つきで扉を閉めた。
「なんだって、世界はこんなにつまんねぇんだよ」
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あれだけ不平不満を並べていたが、学校を休んだことは一度もない。今日も授業のほとんどは寝て過ごした。唯一楽しめるのは体育の授業だけ。典型的なやんちゃ少年である。
自由を阻害されることを忌み嫌っているはずの彼が、なぜ学校に来ているのか。母である氷華が休むことを許してくれないのだ。
発熱や大きなケガ以外で、休ませてくれることはない。それを利用して仮病を訴えても、彼女に一切の嘘は通用しない。教育者としては素晴らしい力だが、反抗期の少年からすれば迷惑きわまりない能力である。
ゆえに、毎日重い足を引きずるように登校している。
少年の生活態度はいわずもがなで、教師陣は毎日のように頭を抱えているらしい。だが少年のクラス担任だけは、彼を見捨てていなかった。
あれだけ生活態度が悪くても、どれだけ試験結果が悲惨でも、休まないところに目を付けたのだ。……まぁ、担任の関心とは裏腹に、少年はいやいや登校しているのだが。
「ったく、あの野郎……!! 一生恨んでやるからな……!!」
目の前が見えなくなるほど大きな段ボールを抱え、一段一段踏みしめるように階段を上っていく。段ボールの中には、新学期になって入荷された本が五十冊以上詰め込まれているらしい。
全身にのしかかるような重量のせいで、いつもより足が重たく感じる。両手がふさがっているため手すりもつかめないので、無意識に足運びも慎重になってしまう。
今日も一刻も早く帰宅して遊びに出かけようと計画を立てていたのに、担任教師のせいで台無しだ。しかもよりのよってなんで自分なんだ、たしかに部活はどこにも所属していないがこういう力仕事にはもっと適任の奴がいるだろうに。
そんな愚痴を連ねながらも、なんとか三階の図書室へと到着した。
内装をぐるりと見渡すと、よりのよって段ボールは部屋の一番奥に並べられていた。もう少しだけ仕事の時間が増えたことに嫌気がさしたが、さっさと終わらせるのが得策だ。荒い鼻息をたてながら、今までより大股で歩いていく。
段ボールの群れにもう一つ加え終えると、息を吐き出す。あとは担任から言われたように、図書委員の人間に声をかければ完遂となる。
「あいつ……図書委員なのか?」
少年が発見した『あいつ』とは、窓際の席で、一人静かに本を読んでいる──少女だった。
差し込んでくる陽光に照らされているからではなく、どうやら地毛で赤いらしい頭髪。肩に少し届くくらいのセミロング。前髪は女子らしくピンでとめている。学校指定の制服をしっかりと着こなしているが……なぜだろう、どこか別世界の住人のような、不思議なオーラをまとっているように感じるのだ。
「あんた、図書委員か? 段ボールならここに置いとくからな」
読書の邪魔をしては悪いとは思ったが、これも仕事なので少年──『文月 涼太郎』は少女に声をかけた。
赤髪の少女に声をかけたことで、彼の物語が大きく動き始めることになるとは、まだこの頃は知る由もなかった。
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