第五章19 『《過去》を練り歩け 金鞠 依茉の死』
吐かないようにしてください。それだけです。
「こらー!! 起きなさーい!!」
夏の暑さで寝苦しい夜が続いていたので、ようやく掛け布団をタオルケットに変更した。それだけでも大分寝心地というのは変わるらしく、どうやら寝過ごしてしまったようだ。
朝から元気な女性の声が部屋いっぱいに響き渡ると、小説家は豆鉄砲を食らったように飛び上がるのだった。
「ひょおあああっ!? って、いたたたっ!? く、首痛めました……!!」
今まで眠っていた身体を無理にたたき起こされたためか、跳び起きた際に首から変な音が鳴った。むち打ちという奴だろうか。
彼は割と寝相がいい方なので、あまり寝違えたことはない。なのでこういう痛みには慣れていないらしく、涙目になって首をさすっていた。
「私のせいじゃないですよ、自業自得です。……でも、結構熟睡されてたみたいですね。先生が寝坊だなんて珍しいですね~」
「自業自得って……。百歩ゆずってそれは認めますけど、起こし方はもう少し工夫してくださいよ……」
「いや、結構つついたりとかゆすったりとかしたんですけど」
「そうですか。それはすいませんでした。じゃあ今度から新人くんも今みたいに起こしますね。それかくすぐってあげましょうか」
「すいませんでしたごめんなさい許してください勘弁してください!!」
……そんなこんなで。今日も今日とて原稿とのにらめっこが始まる。
とはいうものの、最近は執筆ペースも安定してきて、涼晴も依茉ものびのびと仕事に取り組めている。
現在筆を進めているのは、今や若者間での支持を獲得し続けているファンタジー作品、『諸行交悪』だ。あらすじとしては大人しく引きこもりがちな男子高校生がある日悪魔と出会い、契約をする。その力を使って己が望みを叶えるために戦うという、王道なもの。
『天才小説家』文月 涼晴は、王道であろうと関係なく、手を抜くことはない。基本路線を崩すことなく、その上には濃すぎるくらいのキャラクターと重厚なストーリーがぬり重ねられている。
「王道とパクリって、やっぱり区別がつきづらいところがあるんでしょうか?」
パソコンに推敲された文章を打ち込んでいく依茉は、そんなことをつぶやいていた。こうやって会話の種が生まれるくらいには、余裕ができているということだ。
王道とパクリ。分かりやすそうで意外と分かりづらいところではある。だが涼晴は、きちんと理解しているようだ。逆にしてなかったらとんでもないが。
「王道はある程度決まっているレールのことですよね。その道を歩いていけば、ある程度の物語は完成するっていう、言ってしまえば常識と言いますか。例えば、勇者が魔王を倒しに行くのも、桃太郎とかから続いている王道ですね。パクリというのは他者の作品を盗むこと、つまりは盗作ですね。桃太郎をもとに考えて生まれた、『みかん太郎』とか。お供も犬、猿、雉と、出てくるキャラクターも全く同じ。その中でキャラクターにもっと違う性格を持たせれば、パクリではないでしょうが……まぁ、どちらにせよグレーゾーンではありますよね」
「作品の評価とかにもキャラの構成が似てるーとか、こういう展開見たことあるーとか書かれてるものもありますもんね……」
「そこはもう表現の自由なので、あとは作者の技量しだいです。……おっと、こんな話をしていたら、あと一時間もしないうちに会議ですよ」
小説家の薄手のコートには、古びた懐中時計が常備されている。依茉も覗き込むと、時計は十三時を示していた。
今日は編集部で十四時から会議があり、依茉も参加することになっている。
「それじゃ、ちょっと支度してから行ってきます」
「了解です。何時くらいに戻ってこられそうですか?」
「む~……。会議自体は一時間もかからないって編集長は言ってましたけど、そのあと蛇川さんたちともおしゃべりしてくると思うので……。あ、あと銀行寄ってきますから、十五時半くらいにはなるかと」
「わかりました。気を付けていってらっしゃい、です」
事務所から編集部まではそこまで距離があるわけではないので、依茉は余裕をもって身支度を済ませた。出発するときに涼晴から、「新人くんはお化粧しないでも綺麗ですよ」と急に言われたので、チーク以上に頬を赤くしてしまった。
突然ほめられたことにしどろもどろしていたが、しだいに落ち着いたようで、元気よく事務所を出ていった。
一人には慣れているとはいえ、彼女と同棲するようになってからは少し耐性が薄れてしまった気がする。そんなさみしさを相殺するように、涼晴は一人、筆を走らせるのだった。
……結局、約束の十五時半を過ぎても、金鞠 依茉は帰ってこなかった。
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ついに筆を持っていることにしびれを切らした涼晴は、若干の不安といらだちの中、携帯電話をつける。この動作ももう十回くらいおこなっているが、彼女からの連絡は一切送られてこない。
依茉は自他ともに認めるドジであるが、そうはいっても『報連相』はきちんとおこなう。仮に同期と一緒に飲みに行くことになったら、ひとこと連絡はよこすと思うのだが──
くるくると万年筆をまわしていると、ポケットが途端に震え出した。メールではなく電話らしい。少し驚いたため、万年筆が手から滑り落ちる。
「…………亨弥?」
画面に表示されていたのは、依茉の名前ではなく、『メイロー編集部』編集長である龍原 亨弥のものだった。不思議に思いながらも、おそるおそる電話に出る。
「もしもし、文月です……。なにか」
『すぐに総合病院まで来い!! 依茉ちゃんが』
ブツ。
次の言葉を聞くより早く、彼は電話を切った。立ち上がった衝撃でワークチェアは倒れ、走り出した風圧で原稿用紙は地べたに散らばった。
タクシーなんか、利用している時間はなかった。総合病院まではかなり距離があったため、『裏社会』を経由していくことにした。その時の走行速度と言ったら、オリンピック選手顔負けの、怒涛の勢いだった。
たった一人、依茉を目指して──
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よく知る彼女の肌は、人の物ではないように白かった。まぶたはそっと閉じられ、起きる気配は全くない。白く細長いベッド、白い布。それらが彼女を包み込む中で、彼女の赤髪だけは鮮やかだった。
「嘘……………………ですよ、ね」
ぎしり、ぎしり。首がきしむ。うつむく亨弥は無言のまま、現実を受け止めろと言わんばかりに、首を横に振った。
「…………銀行強盗の現場に遭遇したらしい。犯人は逮捕されたが……………………奴から銃弾を撃ち込まれた。現場にいた親子を、守ったんだ」
亨弥の声は、ひどくしゃがれていた。いや──涼晴が、聞き取れなかったのかもしれない……。
嫌に静かで暗い部屋を、一歩ずつ歩いていく。いつもの調子で……何も変わらない調子で。『眠り姫』にしゃべりかける。
「新人くん、お昼寝はもうおしまいにしましょう。まだ今日のノルマ、達成できていないじゃないですか。お仕事終わったら、どこかおいしいお店でもいきましょうか」
「文月ッッ!!」
「なんでなんですかッッ!! …………なんで、新人くんなんですかッッ!! なんで……なんでなんでなんでッッッ!!!!」
男二人の声は空しく反響する。しかし依茉は起きない…………起きるはずがなかったのだ。
嘘だ嘘だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ噓だ
瞳から、光が消える。震える手で亨弥の肩をつかみ、ぎゅっと、力をこめた。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ…………………………………………
『えー、次のニュースです。昨日未明、千代田区の路地裏で、男性の遺体が発見されました。警察によると、他者と接触した形跡などが見られないため、自殺である可能性が高いとのことです。現在身元を調査中とのことですが、小説家の文月 涼晴さんのものではないかという──』
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