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第五章17 『阿修羅になった女』

ついに……?

 器用……というより、珍妙(ちんみょう)。赤く細長い舌はまるで自立行動をしているかのように動いて、(あるじ)の顔をなめとっていく。


 頭からかぶるようにして涼晴(すずはる)の吐血を浴びたので、掃除兼食事をしてるらしい。周りには鉄の臭いが充満しているが、グレモリーはそれをアロマ的なものだと思っているようだ。



 真っ赤だった顔面が灰色の肌を取り戻したころには、彼女は小刻みに体を震わせ、快感に身もだえていた。



「ねえねえ、涼晴(すずはる)ぅ。もっとお血血、飲ませてよぅ」


「お血血って言わないでください!! あと誰が飲ませるもんですか!! 悪魔だからって何でもしていいわけじゃないでしょう!?」



 四つん這いになって、疲労感から肩を落としていた小説家にすり寄っていく。腰にはしっかりと『禁忌全英書(きんきぜんえいしょ)』が結び付けられている。



 あの力を逆流させられて、涼晴(すずはる)は心臓を傷めつけられた。グレモリーは本と一体化しているので、『禁忌』の力を自在に操れるらしい。ゆえに、『禁忌全英書(きんきぜんえいしょ)』の力を吸収し返すという作戦も失敗に終わった。


 本格的に『禁忌全英書(きんきぜんえいしょ)』に触れられないとなると、早くも選択肢が少なくなる。





 契約を、結ぶしかないのか……?





「…………グレモリー」


「なにかしら?」


「私がどうするかは置いておくとして……。貴女(あなた)は、どうしたいですか」



 質問に対して悪魔は少しまゆをもち上げたが、すぐににんまりとした笑みを浮かべ、彼女の理想をつらつら語り始めるのだった。



「ワタシは主人がどうなろうと、外に出られればそれでいいわ。契約者と悪魔のうちどちらかが死んだらもう片方が死ぬって言ったけど、契約者が寿命で死んだ場合、悪魔は死なないの。つまり、最低限主人を守れば、あとは自由でいられるってワケよ」


「じゃあ、私が契約するって言ったら、どうします?」


「もちろん、快く受け入れるわ。でも、悪魔に心臓を渡しちゃうのよ~? それでもいいのかな~?」


貴女(あなた)は契約させたいのかさせたくないのかどっちなんですか……」


「それはワタシが決めることじゃないも~ん。その時が来たら、アナタのいい判断に任せるわ」



 ぼかして言っているつもりなんだろうが、遠回しに『早く契約しろ』、とのことらしい。



 グレモリーは血を飲んだ。つまりは心臓すらも食べる可能性がある。悪魔に心臓がなじむ前につぶしてしまえば、悪魔側に被害は被らない。


 『禁忌全英書(きんきぜんえいしょ)』を手にするには、普通の人間には不可能である。力の一部を体に宿している涼晴(すずはる)だけが、手にする権利があるのだ。

 それ相応の覚悟が必要なものだとは思っていたが、まさか心臓をつぶされるかそうでないかの()けになるとは……。




 まだ痛みが残る胸をさすりながら、もう一度策を考え始める。


~~~




 なんということだ……。まるで先程までの勢力が、噓のよう。全身ボロボロになった戦士たちも、息たえだえに波を押し返す。



 耐久戦とは言ったものの、これじゃ一方的な蹂躙(じゅうりん)ではないか……!!



「ク……ソがッ!! さっきよりも強くなってやがるッ!!」



 『才能人(タレント)』だけではない。『低級』・『中級』が多かった『(ルーズ)』も、ほとんどが『上級』にまで格上げされている。人間の知能を備えた彼らは、意図して『才能人(タレント)』を盾にするような立ち回りで、打騎(うつき)達を翻弄(ほんろう)してくる。



 寿老人(じゅろうじん)の重力操作、弁財天(べんざいてん)の音圧攻撃でなんとか首の皮一枚つながっているものの、寿老人(じゅろうじん)もそろそろ限界が近いらしい。



「アイエ!! ()だ!!」



 三叉槍(さんさそう)を高速回転させて、『(ルーズ)』を弾き飛ばす。しかしもう三十分以上戦闘しているのに、敵勢力の数は減らない。それどころか増え続けているような……。



 毘沙門天(びしゃもんてん)愛絵(あいえ)に呼びかけると、彼女は黒い閃光となって空をかけた。そして……絶句した。



 虹の大地は汚らしく黒一色に染まり、吐き気をもよおすほど波打っている。もはや数千とかの次元じゃあない。何万……何十万といる…………




「…………ああッ!!!!」




 短く吠えると、上空斜め上から、黒い地面へと突進していく。さかまく風の中で素早く手を動かし、『青』・『群青』・『空色』を混ぜるのだった。『三原色(トリニティ・カラーズ)』──『スカイハイ・ハイドロ・ドロー』が時雨(しぐれ)のごとく、『(ルーズ)』を射る。大地に降り立ち、力任せに絵筆をふるう。



 涼晴(すずはる)が戻ってくるまで、持ちこたえなければいけない。責任が重くのしかかり、焦りと苛立ちが心を支配していく。黒を薙ぎ払っていく中、愛絵(あいえ)は自分の感情がどうなっているのかわからなくなって、涙を流していた。




 それは──打騎(うつき)も同じだ。




 熱血をバットに注入し、炎の剣へと変えて『(ルーズ)』を焼き殺していく。頬を流れる二筋の涙は熱い。彼が扱う炎よりも、一層熱を持っているように感じられた。



「クソが……クソがクソがクソがクソがクソがァァァァァァァァァァァッッッ!!!!」







 ……そんな戦場を、依茉(えま)は一人で眺めていた。両腕にはもちろん、『阿修羅(あしゅら)(かいな)』が装着されている。だが彼女は戦おうとはしなかった。否、戦えないのだ。




 まったくもって情けない話だ、傷だらけになっていく仲間を見て、足がすくんでしまった。




 金鞠(かなまり) 依茉(えま)は、『才能人(タレント)』じゃない。レッテルというより、現実。変えようのない、逃れようのない事実。そうであるからこそ、戦い始めて日が浅い。


 ここで致命傷を受けて助からなかったら、どうやっても死んでしまう。『才能人(タレント)』のように、身代わりとなる『才能』がないからだ。




 何よりも彼女を縛り付けていたのが、文月(ふづき) 涼晴(すずはる)が消えてしまったということ。




 『七福神』は皆生きていると言っていたが、ならばどうして小説家は戻ってこないのだろう。ドームの中で一人奮闘しているのだろうが、そうと分かっていても彼の助けが必要だ。



 彼に頼らなければいけないという思考に至っている時点で、自分が嫌になった。


 自分の非力さ、無力さが憎い。(みじ)めで、小さい自分が腹立たしい。彼に……大切な人に託された一つの頼みすら、自分は果たせないのか。

 眼前に広がる血みどろの戦いを眺めながら、依茉(えま)は静かに涙をこぼしてしまった。



「先生……力を、力を……貸してください…………」



 無理だということは、口にした自分が一番よく理解している。いかに彼が偉大な存在であるかを再認し、涙がこぼれた。力なく垂れ下がった腕に、(うるわ)しいしずくが落ちる──











 ならば、(わらわ)が力を貸してやろうか?











 聞き覚えがある声だった。最近はめっきり聞かなくなっていたが、『阿修羅(あしゅら)』の物に違いなかった。



阿修羅(あしゅら)……様……?」



 ──そうだ、(わらわ)だ。非力だの無力だのと、そんなに自分を卑下(ひげ)するな、エマ。(わらわ)の力を扱う者がそんな腰抜けでは、あのにっくき『貧乳神(びしゃもんてん)』に馬鹿にされてしまうわ。だから、力を貸そうと言っているんだ



「力って……どんな……」



 ──(わらわ)の力をすべて、余すことなくお前に流し込む。普通の人間では『()()』をつけることもかなわんが、お前は成し遂げて見せた。希望はある。お前が戦うためには、これしか方法がない。多少苦痛はともなうだろうがな




 依茉(えま)は悩まなかった。たとえ自分の体がどうなろうとも、もう一度笑って涼晴(すずはる)と会えるのなら。どんな苦痛にだって耐えてやる。約束を……果たすためならば!!



「わかりました……やってください!!」



 ──エマ……お前の覚悟がいかほどの物か、()()()()()()()……!!






 『(ルーズ)』の黒い手が、バットを弾き飛ばした。直後ザシュッ!! というグロテスクな音が響き渡り、打騎(うつき)はついに地に頬をつけてしまった。一歩、また一歩と、『(ルーズ)』は迫りくる。




 が、突如として、『()()()()』が迫りくる一体を蒸発させた。その後もまるで生きているかのように、三十体もの黒い軍勢を焼き払ったのだ。


 打騎(うつき)愛絵(あいえ)も『七福神』も、その炎には見覚えがあった。だが、様子がおかしい。今まで見ていたあの明るい少女の声が、一切聞こえてこないのだ。




「…………え、ま?」




 熱波に耐えかねるように目を細めていた愛絵(あいえ)が、ぽつりとつぶやいた。紅色の炎の中からは、スーツ姿の依茉(えま)がいた。『(ルーズ)』を焼き殺した後、うつむいていた顔を起こし──















「『()()()()()()()()()()()()()()()』」

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