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第一章6 『知らない部屋、知ってる男』

依茉ちゃんと涼晴先生にとっては二日目になりますが、今日で初投稿から六日が経過しました。こういうことって大体一週間経ってから報告するものじゃないですかね。ではでは~。

 ……ひどい夢を見ていた気がする。



 内容はこれっぽっちも思い出せないのに、妙な不快感が心身を包み込んでいるので、おそらく悪夢を見ていたのだろう。

 


 それにしても、昨日はこの二十二年間で片方の指に入る疲労感を味わった。無論天才小説家の編集をすることになった時、(いや)(おう)でも疲れ果てることなどわかりきっていたことだった。

 脳はとっくに起床しているのにも関わらず、ここまで彼女が(まぶた)を上げないことには他方面での問題があった。




 ——『裏社会(バックヤード)』。本来ならば、依茉(えま)はその存在すら認知することも叶わず生涯の幕を閉じることになるはずだった、『現世』とは異なる場所。不意に足を踏み入れてみれば、その数分後には命の危機に晒された経験など、『裏社会(バックヤード)』でなければ得られないかもしれない。




 人生に終止符(ピリオド)を打たれかけていたところに手を差し伸べたのが、彼女が担当編集をすることとなった小説家、「文月 涼晴(ふづき すずはる)」だった。思いがけず掴んだその手は病的なまでに白く、インドア派でガリ勉生活を送ってきた依茉(えま)のものと比べても一層白い。



 助けられたつもりが、まさか救世主の容態を心配することになるなんて思いもしなかった。今後もおそらくそんな場面はこないだろう。



 昨日までに起こった悲劇や喜劇を脳裏のスクリーンに映して鑑賞していると、何やら外界からの接触が肉体に起こったようだ。




 それも、比較的……いや相当脳に近い。こめかみとまではいかないようだが、何やら細いもので突かれている。



「死んでないなら起きてくださ~い。三秒後にくすぐるので、腹筋崩壊の準備しててくださいね~」



 朝っぱらから物騒なことを口走っているのは、女性のような顔立ちが見目良(みめよ)涼晴(すずはる)だ。ニヤニヤと笑みを浮かべ、枕元に可愛らしくちょこんと座り込んでいる。


 どうやら依茉(えま)が感じた接触というのは、彼が細い指で頬を突いていたことによるものだったらしい。なかなか依茉(えま)の睡眠欲というのは強力なようで——脳は起きてるので実質起きてるようなものだが——、その程度では起きないという固い意志を感じる。



 なので、いかにも「悪戯しますよー」といったような雰囲気を漂わせ、両手をわきわきと(うごめ)かせている。それは触手を生やした化け物のそれに酷似(こくじ)している。



 彼の凶悪なまでのいたずら心に耐えかねたように、



「おひゃああああっ!?」



 何やら奇妙な音声を発し、新たなる朝へと挨拶したのだった。先刻までつつかれていた頬には嫌な汗が伝っている。

 事態を掴めない様子で、数秒あたりを見渡す仕草を見せてから細い声を放ちはじめた。



「お、おはよう……ございます……」


「はい。よく眠れましたか?」



 白髪(はくはつ)の小説家は相変わらずの笑みを浮かべ、睡眠の質を尋ねてくる。


 今世紀最大級の疲労が押し寄せてきていたためか、こうして他人に起こしてもらわなければいけないほどによく眠れたということなのだろう。メイローに入社してからというもの、生活リズムは原型を留めることなく崩壊したため、睡眠も満足に取れていなかった。


 疲労によりよく眠れた、といってしまうと、普段の仕事に力を入れていないように聞こえてしまいそうだが。



「あはは、お陰様で……。っていうか、乙女の寝室にズカズカ入り込んでくるような人だったんですね、先生って。幻滅し…………あれ?」



 その時依茉(えま)は、自分が何気なく口にした台詞の内容に違和感を覚えた。


 一応部下である自身の寝室に無断で入り込んでくる、デリカシーのかけらすら感じられない涼晴(すずはる)のことは置いておくとして。

 

 ——ここは、一体どこなのだろう?


 依茉(えま)はその場の雰囲気に流されるかのように、『乙女の寝室』と発言した。それが最初から間違いであると、理解するのに十秒ほどの時間を要した。

 依茉(えま)が借りているマンションの自室に戻ったのではないか。初めに思考したのがそれだった。こうして純白のシーツに身を預け、桃色の掛け布団で身を包み、満足のいく睡眠が取れている。



 残念だが、その時点で既に違う。そもそも、いつも自室で短い睡眠をとっているのがベッドではなく敷布団であることが、それを物語っている。寝具の配色や質といい、その他諸々がグレードアップしている感じも否めない。



 そして一番の根拠が、右隣に鎮座していらっしゃる天才小説家の存在である。

 何食わぬ顔で長い白髪(はくはつ)手櫛(てくし)でといている。目を(つむ)って滑らかな手つきで行っているのをを見ると、女性のように見えてならない。正直依茉(えま)よりも女子力がありそうだ。



 ……話が逸れたが、この男、文月 涼晴(ふづき すずはる)が自室にいるわけがない。根拠はないが。



 不意に嫌な予感が背を撫でたので、彼女は恐る恐る涼晴(すずはる)に質問をすることにした。



「あのぅ……私、昨日お酒飲みました?」



 タイミングが突然すぎるし、内容がこれまた絶妙に生々しいものだったためか、流石の天才も目を見開いていた。

 が、すぐに目を細めて笑みを浮かべ、



「いえいえ。流石に可愛い部下にお酒入れて泥酔(でいすい)させてあわよくば……なんてことありませんからね?安心してください、私は文月 涼晴(ふづき すずはる)ですから……ね?」


「その言い方だと逆にいかがわしさ全開なんですけど!?」



 胸の前で両腕を交差し、事前事後関係なく手遅れな自己防衛を図る。薄暗い部屋でもはっきりとわかるくらいに頬を赤く染め、そのまま後退りするように涼晴(すずはる)との距離をとる。



「ふふふ、冗談ですよ。お茶目です」


「笑えない冗談は冗談とはいいませんっ!!」



 がーっ!! と大ボリュームの怒声(どせい)を炸裂させると、期待通りの反応がもらえたため満足したのか、涼晴(すずはる)はゆっくりと立ち上がった。



「ちなみにもう七時ですので、三十分遅刻ですよ。朝食にしますので、早めに準備を済ませてください」



 去り際にそう告げ、軽く手を振ってから姿を消した。その後に訪れた沈黙をじっくりと味わいながらも冷たい床に足をつけ、ぐいーっと背伸びをしてからドアへと向かった。



「っし!! 二日目も頑張りましょう!!」


~~~



 しゃわあああ…………


 柔らかな水温が反響して、一室を包み込む。身体に毎秒数え切れないほどの水滴がぶつかってくるが、その感触が心地よい。熱すぎず、冷たすぎずのちょうど良い温度のぬるま湯で、体が清められていくのがわかるようだった。



「ぽわああああぁぁぁぁ…………」



 奇妙な音声が、桜色をした綺麗な唇の隙間から漏れ出す。なんとも腑抜けた表情と声であるが、彼女にとって朝のシャワーは日々のルーティンであり、欠かせないものである。学生時代から続けていて、このために早起きしていたほどだ。




 依茉(えま)がくつろいでいるのは、俗に言うユニットバスと呼ばれるもので、薄黄色のカーテンの向こうには洋式の便器がある。

 


 先刻涼晴(すずはる)にユニットバスの存在を伝えられた時まで、てっきりこの建物はオフィスだけしか備わっていないものだと思い過ごしていた。


 依茉(えま)が熟睡していた部屋を始め、涼晴(すずはる)の部屋にこのバスルーム、そしてキッチンがある。涼晴(すずはる)がいつも腰掛けているワークチェアのせいで気づきにくいが、どうやら背後には扉があり狭い廊下へと繋がっているようだった。



「うん……結構狭かったよね、あれは」



 ()()が起こったのは、彼女が頭の後ろで手を組もうとした時のことだ。何気なく動作を開始してしまった依茉(えま)は、古ぼけた雰囲気の廊下の幅が、異様に狭いことに気づくことができなかった。


 ……両手の甲に目をやると、ほんの少しだけ赤みが残留していた。

 初日といい二日目といい、幸先(さいさき)の悪いスタートから始まっている気がする。



「っとと、ため息したら幸せ逃げるもんね……。気をつけとかないと」



 涼晴(すずはる)の原稿の崇高(すうこう)さに不貞腐(ふてくさ)れている時に投げかけられた言葉を思い出し、ため息を飲み込む。



 その時だった。不意に背後から扉が開く音がし、これまたデリカシーのない男の声が聞こえてきた。



「どうも~。ちょっと失礼しますね~」


「ひにゃあああああああああああああ!!!! 何で開けてるんですかあああああ!! ヘンタイ!! ノゾキ!! セクハラ上司ーーっっ!!!!」



 空気を切り裂くほどの威力を持った絶叫は、風呂場という反響しやすい場所の特性をくまなく活かし、危うく鏡を破壊してしまうくらいにまで大きくなった。


 依茉(えま)は羞恥に顔を赤らめているが、二人の間には薄いカーテンがあるので、自分の裸体は見られないはずだ。そうとは分かっていても、まだ完全に打ち解けたとはいえない関係の男性に入浴中に突入されることなど、恥ずかしすぎてどうすることもできない。



「大丈夫ですよ、ご丁寧にカーテン閉めてるじゃないですか。歯磨きしにきただけなのでご安心を」



 何をどう安心していいのか教えてくれない涼晴(すずはる)は、ちょっと意地悪だと感じる依茉(えま)だった。



「何も大丈夫じゃないです!! あと入るならノックぐらいしてくださいよ!!」



 自身の豊かな胸を包み込むようにして隠し、シルエットさえ見られることを(こば)んだので浴槽にうずくまる。こちらから涼晴(すずはる)のシルエットが見えていると言うことは、あちらからも全装備解除状態の依茉(えま)のシルエットが見えていると言うことだ。



 四月に社会人デビューしたばかりで、編集者としても未熟な依茉(えま)をここまで面倒を見てくれたことは、素直に感謝せねばならない。だが流石にデリカシーが無さすぎないだろうか。



 衣服を脱いでいたときにふと思ったのだが、涼晴(すずはる)はあれだけの美顔、美貌を持ち合わせておきながら、なぜ隣にふさわしい女性がいないのだろうか。


 単に彼が多忙(たぼう)で、それどころではないと言う理由はあるかも知れないが、『裏社会(バックヤード)』を始めとした職場以外の場所におもむいていることは、初日のスケジュールをこなしていく中でも気づくのはたやすかった。

 根っからの仕事人間である依茉(えま)だが、彼女でさえ見上げてしまうところに涼晴(すずはる)はいる。だからこそ「異性間の接触を嫌っている」と言われても、(うなず)けてしまう。



 厚さ一センチもないカーテンの向こう側に全裸になった成人女性がいると言うのに、彼は呑気に鼻歌を響かせながら歯磨きを始める。

 しゃこしゃこと軽快な音が鳴り響く中、細心の注意を払ってなんとかシャワーを止めることに成功。その音に気づいたのか、涼晴(すずはる)の声がカーテンに向けて投げかけられた。



「おやおや、もう出ますか? それじゃ、私も外出ますね」


「い、いえいえ!! 続けてもらって構いませんので、私のことはお気になさらず!!」



 とはいいつつも、未だ羞恥心が振り払えていない様子の依茉(えま)。明らかに動揺が見られる言葉に涼晴(すずはる)は微笑しながら、



「それでは新人くんが風邪をひいてしまいますから。色々と支度(したく)が済んだら、先程案内したダイニングまで来てください。お待ちしております」



 そう言い残し、少々の水音をバスルームに響かせてから、どうやら退室したようだった。

 自分の裸体を見られなかったことにそっと胸を撫で下ろし、未だ鎮火されていない頬の炎を気にしながら、そっと薄カーテンを開けた。

 もちろん、そこには小説家の姿はなかった。


 今度は肩をぶつけたが、狭い廊下を伝って事務所の一室に足を踏み入れる。


 ガチャ、といい音を立てて空いた扉の向こうからは、暖かな朝の日差しが窓から差し込んでおり、依茉(えま)を歓迎しているようだった。小窓から入り込んだそれは、木製のダイニングテーブルを照らしていて、まるでスポットライトのように感じられる。

 


 そこに腰掛けていたのは、危うく痴漢の冤罪をかけられそうになった白髪(はくはつ)の男、文月 涼晴(ふづき すずはる)だ。男性とは思えないほど可愛らしい仕草で欠伸(あくび)をし、目の端に涙を溜めている。

 依茉(えま)がダイニングへと入室したことに気づき、そっと席から立ち上がる。腰に手を当て、何やら得意げな表情で話し始めた。



「お風呂の方はいかがでしたでしょうか? 狭くなかったですか?」


「はい。十分くつろげるほどの広さではありましたね。……少々のアクシデントはありましたけど」



 苦笑を浮かべて例のアクシデントを脳裏に浮かべる。別段、裸を見られたわけでもないのにどこからか湧き上がる羞恥心は一体なんなのだろうか。そんなことに気を取られていると、涼晴(すずはる)は少しだけ不満そうな顔つきに変化した。


 頬を微妙に膨らませ、こちらも女性的な仕草で心情を映し出す。無言でこちらの方向へと前のめりになり、いかにも何かに気づいて欲しそうな雰囲気を——



「……あれ?」



 依茉(えま)は目を丸くした。おそらく彼が主張している「気づいて欲しい箇所」に気づけたからだろう。

 涼晴(すずはる)はといえば、依然として無言を貫き通してはいるものの、溢れる高揚感に身を躍らせているようだった。



「せ、先生。なんで……エプロン着てるんですか?」



 その問いかけが鼓膜を震わせた瞬間に、彼はその場でくるっと一回転してみせた。そしてズバッと、空間を裂く勢いで指を突き出し、再度得意げな表情を浮かべた。



「そう!! それを待っていました!!」


「い、いやぁどうもどうも……。ってそうじゃなくて!! どうしてエプロンなんか着てるんです?」



 白黒チェック柄のエプロンが異様に似合う涼晴(すずはる)は、知らない人が見れば主婦のようにも見えてしまう。

 ベテラン……とまではいかないものの、新婚の妻くらいには見えるだろうか。



「ぬふふ……。私が毎日喫茶店で朝食を済ませていると思ったら大間違いですよ。これでも週に二回は自炊してるんですからね!!」


「え!? すごい!? せ、先生って、料理もできるんですね!!」



 最早どこに欠点があるのかすらわからなくなってきた。……いや、デリカシーのなさがあるではないか。



「ふっふっふ、そうでしょうそうでしょう!!……しかし、いつも一人分しか作っていないので、今日は新人くんにも手伝っていただこうかと思っているのですが、(よろ)しいでしょうか?」


「…………え!? ええぇぇ!?!?」



 一応、補足しておこう。

 この金鞠 依茉(かなまり えま)という人間は、料理を大の苦手科目としている。焦がした卵は数知れず、何度も包丁で手の皮を削ぎ落としてきた。

 そんな人間が、週二回も自炊しているという人間の手助けなどできるのだろうか。



「わ、私料理できないので、力になれるかどうか……」


「卑屈になる必要はありません。誰だってできないことの一つや二つあるものですから。まずは簡単なところから始めましょう。わからなかったらその都度教えますから。ささ、時間は有限、努力は無限!! 早速取り掛かりますよー!!」



 半ば無理やり話を進められてしまった。しかし何故だろう、不思議と悪い気はしない。あんなにも苦手意識を抱いていた料理だが、こうして隣に誰かがいてくれるだけで、こんなにも心強いとは。



 ——それから暫くの間、二人は何気ない会話を交わしながら朝食を作っていった。依茉の料理スキルは、格段に飛躍したわけではないものの、一人暮らしを始めた頃と比べてみれば相当なスキルアップが見て取れる作業内容だった。




 さて。光陰矢の如しとはよく言ったもので。現在の時刻は八時半。本来ならばもう少し早い時間で調理が終わるはずだったのだが、涼晴が親切に依茉(えま)をレクチャーしていたためか、予定よりも数十分遅れることとなってしまった。

 気負う依茉(えま)だったが、涼晴(すずはる)は「気にすることはない」と言ってくれたので、少々心の余裕ができた。



「さぁ、朝食にしましょう」


「そう……ですね」



 涼晴(すずはる)は、どうも担当編集者の言葉の歯切れが悪いことに気づいた。心配になり、温かな言葉を投げかける。



「準備が遅くなったことは、もう気にしなくてもいいんですよ?私のお節介なんですから」



 すると依茉(えま)は小刻みに首を横に振り、否定の意思を見せる。



「い、いえ、その……こんなにも豪華な朝食が私が作ったものだなんて、とても信じられなくて……」



 不安そうに歪ませていたと思っていたが、どうやら目の前の現実をいい意味で捉えられなかっただけのようだ。


 

「ふふふ……そういうことですか。さてさて、せっかくの料理が冷めてしまいますし、早速食べましょうか」


「はい!! それじゃあ……」



「「いただきます」」

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