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第五章10 『我が身を刃に』

天草 刃の過去ストーリーになります。ではでは。

 幼少期からずっと、道場の壁には旗が飾られている。紺の布地に白で大きく書かれた一文字。



 天草(あまくさ) (やいば)はその漢字を知らなかったが、歳を重ねることで自然と読み方と意味を知った。



 『(きわみ)』──。あるものの頂点、最高到達点を意味する。旗に向かって一礼をし、彼は今日も己を磨く。研磨剤として父からの指導があるが、それも九割叱責。渦中(かちゅう)とも言い表せるような修練であっても、(やいば)は決して弱音を吐かなかった。



 『(きわみ)』はただ、一心不乱に剣術の稽古にあたる少年を見つめていた。



 天草(あまくさ) (やいば)は万能な人間だった。筆を持たせれば学業に精を出すし、刀を持たせれば人並み以上のパフォーマンスができてしまう。


 自分がなぜそうなのかわからなかったが、学校の教員いわく才能とのことらしい。才能という言葉を聞いて、特に浮かれることもなかった。できるならできる、できないならできないで、最悪捨ててしまえばいいと思っていたから。



 だが両方できるとなると、選択肢はぐっと増える。なので(やいば)は至って単純な人間の本能に従って、その両方をとることにした。




 学業では常にトップに君臨し、剣術も同年代だけの限らず二十も上の剣士に負けないほどに成長した。そんな十六歳、高校一年中期のことである。





「やーいーばーくん。一緒に帰ろ」





 目を閉じていても、その明るい声で誰かさんのシルエットがありありと浮かんできた。小、中、高と

全て同じ学校に通っている、幼馴染というやつ。


 騒がしいのが苦手な(やいば)は放課後になると、真っ先に教室を抜けだす。そのまままっすぐに家へ帰ろうとするが、いつもこうしてつかまっている。



「……『(とも)』か。俺より早く門を出るのも、相変わらずだな」


「そっちこそ、『友』って呼び方も変わらないよね。いい加減小菊(こぎく)って呼んでよ」



 名前で呼んでくれなかったことを不満そうに、腰に手を当てる少女。彼女の名は松原(まつはら) 小菊(こぎく)。小さな背と明るい笑顔が特徴の、学園のマスコット的存在だ。


 なんだかんだ言っても、この学校でまともにしゃべれるのは小菊しかないので、ため息をつきながらも横に並んで帰路をたどることにする。



「今日も剣術?」


「あぁ。休息は基本ないからな」


「うへぇ……。私には到底無理だなぁ。何でもできる(やいば)くんだからこそ続けられるんだろうね」


「続けられる人材なんて、この世にごまんといる。継続は力なりとはその通りだが、才能だとは思わない方がいいぞ」



 このころから(やいば)は非常に冷めていて、他者とのかかわりを持つということをしていなかった。だがそんな(やいば)にも、お構いなしにずかずか入ってくるのが小菊(こぎく)というわけだ。長らく彼女には疑問しかわかない。



「それでもすごいよ。何でもできるっていいなぁ……」



 特に口にすることはなかったが、別に(やいば)だってできないことはある。それこそ彼女のように明るくはふるまえないし、友人だって両手で数えても指が余る。


 嫉妬、というほどのことではないが、小菊(こぎく)のフレンドリーさというのも十分素晴らしい力だと思っている。



「ねぇ。(やいば)くんはさ、将来何になりたいの?」


「……考えたこともなかったな」


「えぇ……。でも剣術やってるんだし、剣の道に進むのかなーとか、勝手に思っちゃってたんだけど。意外とそうでもないんだ」


「それは……どうなんだろうな」



 その後帰宅してから道着に着替えるまで、彼女との会話が脳裏について回った。道場で刀を振れば、彼はもう異世界の住人。自由自在に刀を走らせ、心身ともに強度を上げていく。


 しかし、そんな彼も白い校舎の中では刀を持てない。まるで、牙を折られた虎のようだ。




 刀を追い続ける自分と、刀を持たない自分。どちらが本当の『天草(あまくさ) (やいば)』なのだろう。


~~~



 ブン、ブン、ブン。



 枯山水をまねて作られた広い庭に、風を斬る音が鳴り響く。今宵は半月の下で、修練後の素振りをすることにした。季節でいえば待つ真っ盛りであるが、彼が住まうのは山の中のド田舎。ネット環境も強くない。



 夜は冷えるが、こうして切り裂かれた夜風が肌に当たる感覚は、何にも変えられない心地よさがある。



 百五十回。まだ初めて三十分も経過していないのに、縁側から父の言葉が投げかけられた。



「何か、迷っているな」



 少し、どきりとする。天草(あまくさ) 刀利(とうり)は実の父であり、剣術の師範である。幼少期から男手一つで育ててくれたことには感謝しているが、修練の時は人が変わったように叱責される。愛のムチということなのだろうが、昔はムチの割合がかなり多かった気がする。



「迷い……」


「いつもより太刀筋が、若干だがブレている。そんな精神状態で刀を振るんじゃない」



 雷のような説教でないのは、なかなか珍しい。だが強制的に素振りを止めさせたことから、刃の胸中を覗き見られたのだろう。


 シャワーを浴びて髪を乾かし、瞑想(めいそう)をしてから布団に入る。布団に入ってからも迷いだったり惑いだったりが行ったり来たりしていたので、その日は寝つきが少し遅かった。


~~~



 ──チャキ、と剣先を相手の眉間につける。元々鋭い目つきをさらに研ぎ澄まし、相手の表情がひきつるくらいの殺気を放出する。


 一歩、二歩と下がってから、鞘を見ることなく納刀していく。キンッ、といい音を鳴らしてから一礼し、一通りの修練を終えた。



 ──呼吸を落ち着かせて柄を握り、目の前に人間がいるように空想する。実際には彼の目の前にたたずんでいるのはわらの的なのだが、こうすることでより集中ができる。


 振りかぶってから切り払いまで、一秒もかからない。切断面は少しもがたつきがなく、非常に滑らかだ。ちなみにわら的を綺麗に切断できた時が、人の首を切った感覚に似ているとされている。



 道場に通っているのは、もちろん刃だけではない。門下生となった者からはたちまちその気迫のすさまじさを恐ろしく思われ、しかし尊敬される。

 休日は長い時間修練をするのでへばるものも出てくるが、(やいば)は慣れてしまった。疲れている暇も惜しいのだ。



「よかったぞ、今日の太刀筋」


「え……」



 褒められたはずなのに、思わず驚いてしまった。それもそのはず、今まで褒められることはあっても、その後には必ず注意点なり改善点なりが述べられていたからだ。上からただ褒めるなんて、言っちゃ悪いが刀利(とうり)らしくない。



「迷いが晴れたように見えたが」


「……そうかもしれない。昨日より、刀が軽かったから」


「剣士にとって、迷いは最大の敵だ。強くなりたいのなら、残留している迷いも消すことだ」



 立ち上がった刀利(とうり)はそう言い残し、家の方へと歩いて行った。父が去った後も正座をしたまま呆けていた。


 刀利(とうり)はたしかに、迷いが晴れたと言った。自分のことなのに、それが全く分かっていない。刀を捨てるか、刀を握るか。自分はどちらに進んだら……





 ──(やいば)くんはさ、将来何になりたいの?





 聞こえるはずのない幼馴染の声が聞こえたような気がして、はっと我に返る。と、目の前に、どこから入ってきたのか、黒アゲハが舞うように飛んでいた。


 大きく広げた黒い羽根。刃にもし翼があったら、アゲハと共にどこかへ飛んで行ってしまいたかった。そんなことを思いながらながめていたが、次第に黒アゲハは窓から外へと出て行ってしまった。

 来客を見送った(やいば)が視線を戻すと、






「……………………『(きわみ)』、か」






 夏のそよ風に体をはためかせるように、布地が波打つ。大きく書かれた『(きわみ)』の一文字の意味が、ようやく分かった気がする。



 (やいば)はそっと立ち上がり、もう一度刀を抜くのだった。

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