第五章5 『救命せし刃』
まぁ……悲しいよね。ではでは。
戦闘によってズレた、メタルフレームのメガネのブリッジを押し上げてなおす。細く、白い息を吐き出して、彼は振り返る。
色が抜け落ちた、哀愁を感じる白髪をオールバックにしている。小説家と野球選手を見下ろす瞳は、海のように青い。しわが目立つ顔から、年齢は五十歳くらいだろうか。
あたりを見渡す限り、『負』は跡形もなく消え去っていた。まるで今までの苦労が嘘のように。
「貴方は……」
「猪切 蓮司だ」
「……」
「……」
スタスタスタ。
たったそれだけ。猪切 蓮司は、名乗っただけでその場を去っていく。友好関係を築くのが苦手な涼晴でも、こんな不愛想にはしない──と思う。コミュ力オバケの打騎からしてみれば、この世の物とは思えないといった感じで、顔をひきつらせていた。それこそ涼晴が友人を作ろうとしないことを疑問に思うように。
猪切 蓮司──。
その名は、実は二人も認知している。
打騎に『才能』を与えた大黒天が、度々彼をほめちぎっていた。
『才能人』のなかで最強だ、と。
『才能』の名は確か、『救命せし刃』。
『才能』には種類があり、スポーツ、芸術、医療など、仕事が多様であるのに合わせるように、神々も種類分けをしているらしい。
涼晴だったら芸術の中の『小説家』、打騎だったらスポーツの中の『野球選手』。
そして蓮司の『救命せし刃』は、医療の中の『外科医』に相当する『才能』である。
そんな彼の強さをより際立たせているのが、愛刀である『メス』。全長は涼晴の持つ万年筆くらいしかない。巨大化することもできない。なぜなら、その必要がないから。
唯一にして最強の特徴、それが──『切れ味』である。
大黒天いわく、「誇張抜きで、すべての物質を切断できる。刃を食いこませたが最後、鋼鉄だろうがオリハルコンだろうが、豆腐のように切れちまう。正直言って、おれっちも設定をミスった」とのこと。
外科医の実力は確かだ。涼晴でさえも届かないところにいる。だからこそ、この場を鼓舞し、折れかけていたメンタルの修復でもしてくれればと期待を寄せたのだが。蓮司は名乗るのみで姿を消した。
二人が呆然とする時間も考慮されてのことなのか、見える範囲から『負』が消え去っていたのは、少しゾッとした。
「打騎。少し、ここを任せてもいいでしょうか?」
~~~
──お前なんかに……お前なんかに沙百合を任せたのが間違いだったんだ!!
──落ち着いてあなたっ!!
──なにが天才外科医だ、このッ……『死神』がァッ!!
あぁ……また、あの時のか…………。
猪切 蓮司は一人、浮浪するように歩いていた。思い出したくもない記憶のせいで、眉間がピリピリと痛む。それと、『あの時』に殴られた左頬が痛む。なぜ、いま記憶が掘り返されたのだ……?
いや……理由は明白だ。
他者との接触──しばらくは大丈夫だと思っていたが、どうも安心させてくれないらしい。メスを握るのも正直気が進まない。
だのに世間は、『天才』だの『革命家』だのとはやし立てる。少し静かにしてほしい。安息の場は、ここでもないらしい。
──このッ……『死神』がァッ!!
「的確なたとえですよ、お父さん……」
ドスッ!!
苦い思い出にふけっていて気が付かなかった。あの醜悪な『負』が一匹、蓮司の背後から襲い掛かろうとしていたらしい。しかし腹部からは、見慣れない銀色の筆先のようなものが飛び出ていた。
石油のように姿を変え、溶け行く『負』。その先にたたずんでいたのは、先程言葉を交わしたばかりの名も知らぬ小説家だった。
「借りは返しましたよ」
「…………どうして、つけてきた?」
「助けてくださったお礼と、『才能人』最強の貴方に質問がありまして」
「礼ならいらん……と思ったが、質問か……。くだらん予防線を張るんじゃない、面倒だ……」
今にもタバコをふかして、アンニュイな表情になりそうな蓮司。本来、最強だの天才だのともてはやされようものなら、威張ったり、得意に振る舞ったりするものなのだろうが、彼はそうしない。
いや、できないのだ。蓮司は感づかれないように青年の顔をうかがう。
……綺麗な顔立ち。威勢のいい、怖いもの知らずな態度。夢におぼれた……黒い瞳。
蓮司は早々に、青年とは金輪際一生分かり合えない関係だと悟った。一言も話していないのに何を馬鹿なことを、と思うかもしれない。
彼もかつてはそうだった。そうだったからこそ、言えることはある。
「噂には聞いていますよ、猪切 蓮司。いや、『才能人』ならばだれしも一度は耳にしたことがある名前でしょうね。おっと、自己紹介が遅れました。私は文月 涼晴といいます。毘沙門天の弟子として己を磨いた身なので、やはり似たんでしょうね。強いものにはひかれてしまうようです」
「そりゃどうも……。で、訊きたいことがあるんじゃなかったのか」
「はい。私も周りも口をそろえて、貴方のことを『最強』と言いますが……貴方、どうしてそんな無表情なんですか?」
「…………は?」
「ずっと怖い顔してるじゃないですか。別に、貴方の考えが戦場に笑顔なんて似合わないってことなら話は別ですが。しかし、私たち『才能人』は、仕事をすることによって生まれる『正の感情』をエネルギーにしているのではなかったのですか? 貴方が……まるで自分がメスを握ることを嫌悪しているかのような顔で、『負』を斬っていましたから……」
……この若造、あの一瞬でそんなところまで見ていたのか? まぁ、小説家っていうくらいだから、人への観察は欠かさないんだろうな。やれ……どちらにせよ、面倒だ……。
蓮司は涼晴からの指摘を受けた際も、はにかむようにして笑うこともなければ、痛いところを突かれて逆上するようなこともなかった。
ただひたすらに、光を失った青い瞳で、青年を見つめるだけだった。なんなら、目つきは今までよりも鋭利に研ぎ澄まされたような気がする。ひとつ、深いため息をついて、気持ちを落ち着かせる。
「仕事への喜び、か……。それを出されちゃ、俺が『才能人』失格という事実が浮き彫りになるな」
涼晴はかつて、『才能』を毘沙門天から授かった時にたずねたことがある。なぜ『才能人』は現実世界での仕事をもとにして戦士となるのかと。
──『負』が『負の感情』を操るなら、我々『才能人』側はその反対である『正の感情』を力に利用すればいい。
『才能人』とは、その分野においての天才である。ゆえに、その仕事を嫌でも楽しんでいるということになる。そこには『負の感情』が介入する隙はないのだ。
どんなトンデモ理論が飛び出るかと思いきや、予想外に筋の通った答えで驚いたのを覚えている。
その理念を胸に使命を全うする『才能人』は多いが、そのなかで最強と謳われる実力者の蓮司が、無感情とは。皮肉にも程がある。
「失格ってそんな……」
「擁護の必要はない。俺は……強くない。医者としても、最悪だ。たった一人、愛した女の命さえ、救ってやれなかったんだからな」
「……なにがあったんですか?」
「俺には沙百合という妻がいた。栄養士という仕事の関係上、顔を合わせる機会は多かった。籍を入れて、幸せが続くと思っていた。だが、沙百合にがんが見つかった。俺は誓ったよ──」
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「絶対、治してみせます!!」
「猪切君……いや、猪切先生。娘を頼む……!!」
覚悟を決めて、診察室を出る。
──病室には、抗がん剤治療のすえ頭髪の抜け落ちた、愛する妻の姿がある。今では愛する妻であり、大切な患者でもある。
沈みゆく夕日が目に染みるようだったが、彼女は外を見るのをやめない。若き日の蓮司は、彼女へと歩み寄る。
「ねぇ、レン君……。私を、助けてくれるよね? またどこか、旅行に行けるよね?」
「あぁ。俺に任せてくれ、大船に乗った気でいろ。お前の笑顔は俺が絶やさない。約束する」
オレンジ色に照らされる病室で交わした約束。彼らは笑いあった。約束が、果たされることはないとは知らずに──。
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「がんの再発、抗がん剤の副作用……。二十代の身体には重すぎるものだった。……沙百合は死んだよ。俺は沙百合の家族から縁を切られ、外科医の本職に没頭した。二度と、沙百合の悲劇を繰り返さないために」
「……だから、『負』をがん細胞と呼んでいたんですね」
「いいか、若造。先人として教えておいてやる。たとえ『才能人』だとしても、誰しもが仕事を楽しんでやっているわけじゃない。現に、俺が憎しみだけで『負』を殺しているようにな」
今の涼晴に、彼を言い負かすようなセリフは吐けない。だが、自分は彼とは違い、仕事を楽しんでいるのだという事実を、噛みしめていた。
猪切 蓮司は終始、本来の意味とは大きくかけ離れた『冷たい目』をしていた。それ以上何も言わずに去っていく背中は、哀愁という言葉だけでは言い表せないほど青かった。
『救命せし刃』。それは、この世で一番、皮肉な才能名かもしれない……。
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