第三章14 『力を塗り重ねて』
すごい読み方。ではでは。
毘沙門天の特訓は、『常人がオリンピック選手とタメをはれるくらいに成長できる』ということで有名だ。素晴らしい、『じゃあ私も~』と、軽率な気持ちで参加しようものなら、必ず『死』が這いよる感覚を覚えることになる。
とても一般人が耐えられるような内容ではない。依茉が何度も死にかけていたように。
彼女には毘沙門天を驚かせるほどの異常な精神力があったため死ななかったものの、一日であの崖のぼりを達成することは不可能である。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
一定の速度と呼吸を保ち、荒野を全力疾走する。楕円状にひかれた線をなぞるように、何度も何度も同じところを走る。愛絵は現在、十キロの持久走に取り組んでいる。
風を切る感覚が心地いい。『才能人』になるまでは運動とは無縁の生活を送ってきたが、毘沙門天と出会ってから一変した。運動することも、なかなか楽しいと思えるようになってきた。
……隣の男がいなければの話だが。
「ペースが落ちてきたんじゃないんですか? 修行が足りませんねぇ」
並走しているのは、同じく毘沙門天に弟子入りをしている小説家、文月 涼晴。たった今六キロを通過したところだと思うが、愛絵と同じくあまり息は切れていないようだ。まったく、その骨のような体つきのどこからスタミナが抽出されているのだろうか。まぁ、愛絵もだいぶ細身な方ではあるが。
「うっさいわね!! 気が散るから話しかけないで!! ていうか、何であんたも走ってるわけ!?」
「毘沙門天に訊いてみたら、『好きにしろ』と言われたので。好きにしているわけですよ」
「理由になってないし……!! とにかくついてこないで、スポーツウェアってボディライン出やすいし、恥ずかしいのよ!!」
「たまにはいいじゃないですか。よくよく考えてみれば、こうして二人で特訓したことありませんでしたねぇ」
「あんたがよくてもあたしがダメなのよ!! ……いいわ、あんたよりも強くなって、何にも言えなくしてあげる。後で後悔して『許してください』って言われても許さないから!! 覚悟しておきなさいよ!!」
愛絵はさらにスピードを上げ、すぐに十メートル以上の差をつけた。涼晴はやる気に満ち満ちている彼女の背中を見つめると、やれやれと首を振り、彼女との差を埋めていくのだった。
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「仲良いなぁ……二人とも……」
「なんだ、やきもちか?」
幼女の声が耳に入ってきて、依茉は無意識のうちに心の声を、外界に漏らしていたことを知った。耳の先まで真っ赤に染めて、ぶんぶんかぶりを振る。
「そそそ、そんなんじゃないですって!! 羨ましいとかじゃなくてその……単純にそう思ってただけですよぉ!!」
わかりやすく動揺する弟子はパタパタ手で顔をあおぐと、ペットボトルをわしづかみにして勢いよく飲みほした。
しかし羞恥の熱はおさまりきらないようで、シャツのえりを動かして風を取り込んでいる。
「嫉妬することないだろ。お前だってスズの相棒なんだ、大切に思ってくれているに違いないぞ。あやつが他人に好意を寄せるということは、お前も知っての通り珍しい。横に置いてくれているだけでも、気に入られている証拠なんだぞ?」
依茉は、毘沙門天の言うことをすでに理解している。だが涼晴と共に愛絵を救い出したからこそ、分かることがある。
涼晴はたしかに、愛絵とのいざこざを含めた過去を忘却しようとしていた。一刻も早く苦しみから解放されたくて、現実から目を背けていた。そんな中突如として現れた仮面の画家『Levon』が愛絵だと分かった途端、血相を変えて解決に向かったのだ。
それは多分、彼女も涼晴と同じく『才能人』として覚醒したことを知ったからだ。
愛絵が一般人のままだったとしたら、恐らく彼は、あそこまで解決に尽力しなかったと思う。問題は先延ばしにされ、こうして愛絵とハイレベルな追いかけっこもできていないだろう。両者の力をぶつけ合うことができるところまで来たからこそ、涼晴は実力行使に出たのだ。
愛絵が帰ってきてくれたことは、依茉だってうれしい。涼晴の笑顔が、さらに暖かく感じられるようになったから。でも、同じくらい胸が苦しくなる。この感情が何という名なのか、依茉にはわからない。毘沙門天の言う『嫉妬』なのか? 女性は嫉妬深くなると聞いたことはあるが、これは違うような気が──
「…………おい、エマ。何度呼んだら応答してくれるんだ? 自慢じゃないが、私ちゃんは待つことが大の苦手だからな」
ほっぺたをつんつんとつつかれ、長い考え事の世界から帰還する。目の前ではラストスパートをかけてさらに速度を上げる小説家と画家の姿がある。視界の端には幼女の顔があり、少し驚いてしまう。
「す、すいません。それで、何用でしょうか?」
「まぁ、な。大したことじゃないんだが……エマ、私ちゃんは、お前が担当編集になってよかったと思っているんだ。お前が『才能人』にならなかったのも、むしろいいことだと思っている」
「はぁ……。なぜです?」
「以前言ったことだと思うが、スズはああ見えて完璧人間ではない。仕事柄、作品を作り上げることに関しては視野が広いんだが、それ以外のことに目を向けることが苦手なんだ。今回の件も、あやつは問題の全貌が見えるまで、動こうとしなかった。スズは戦士としての実力は十分にあるんだが、一度壁にぶつかるとすぐに目を背ける。そこにお前が手を差し伸べることで、ようやく『言葉を紡ぐ者』が本来の力を取り戻したように見えたんだ。だから、お前が一般人でよかったと思っている。これからも、スズを支えてやってくれ」
師は依茉の手を握り、今まで彼女に見せたことがなかった『笑顔』を見せた。どことなく、涼晴のものに似ている気がした。やはり弟子は師匠に似るものなのだろうか。
毘沙門天の手を握り返し、彼女に負けないくらいの明るい笑顔を浮かべる。
「はい!! 私にお任せください!!」
「おやおや。なにやら親睦を深めているようですね」
「あぁ、そういうこと。依茉が一般人なのに戦えるのって、毘沙門天に弟子入りしたからなのね」
タイミングよく十キロマラソンを終えたらしい男女は、ほんわかした雰囲気を放つ神とOLを見ると、思わず笑みを浮かべるのだった。
「ご苦労だったな。今日はこれくらいにしといてやろう。ちゃんと水分補給はしておけよ、死にたくなければな」
ペットボトルを投げ渡すと、ハードな運動後だというのに軽々受け止めた二人は、拳を打ち付けるとふたを開けて飲み始めるのだった。
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「いやぁ~、愛絵が魔法使いですか。現実世界でこんな格好していたら、間違いなくコスプレイヤーだと思われますよね」
「う、うっさい!! あたしだって好きでこの格好してるわけじゃないのよ。文句があるなら毘沙門天に言ってちょうだい」
あれから特訓を二日続け、ついに今日が出撃の日。愛絵の『黒』絵の具を取り返すのと同時進行で、『闇企業』を根元からたたくことが、今回の目的だ。
もう出発五分前だというのに、相も変わらず仲がいいんだか悪いんだか、とにかく会話が止まらない二人。しかし今回は命のかかった任務でもあるため、変に緊張して失敗することは許されない。失敗すれば、まず間違いなく愛絵は『才能』を失い、戦士ではなくなってしまう。そして最悪の場合、神々をも揺るがすほどの『負』が、放出される可能性がある。
これらの重圧がのしかかっているのをまぎらわせるためか、涼晴は愛絵を茶化しているようだった。屋外で待機していると、『七福神』が皆そろって出てきた。先頭に立つ寿老人は、手に例の偽仮面を握っている。
「美王 愛絵。我々『七福神』一同、貴様の武運を願っている。頼んだぞ」
差し出された仮面は、愛絵が操られていた時に装着していたものと、見た目から重さまで何一つ変わらなかった。目元は隠れるもののバイザーになっているので、前方は一応確認できる。奇妙な見た目と黒々としたカラーリングからは禍々しさを感じさせるが、いたるところにちりばめられた曲線の作りこみが美しい。
装着すると、見かけよりも案外視界は良好で、一気に身が引き締まるような感じがした。
「愛絵さん。絶対戻ってきてくださいね。私、まだたくさんお話したいこと、あるんですから」
「そうね。あたしもよ。あたしがいなかった間の、涼晴がやらかしたことでも聞かせてもらおうかしら」
「愛絵、オレから言うことは一つだけだ。……『ブレイブ・イン』、だぜ」
「……な、なにそれ?」
無駄にいい笑顔で真っ白な歯を光らせ、力強くサムズアップしてみせる。
「勇気が出る魔法の言葉だ。気をしっかり持てよ!!」
「ふふ……。打騎らしいわね。ありがとう、頑張ってくるわ」
「アイエ、生きて帰ってこい。死んだら許さないぞ。師としての命令だ」
「了解です。大丈夫ですよ、心配しないでください」
背中をポンポンとたたいてくるあたり、毘沙門天はかなり不安がっているようだ。そんな彼女を元気づけようと、精いっぱいの笑顔を見せてあげるのだった。
そして最後はやはり、この男。テンションだったり着眼点だったり、様々なところが多少ムカつくが、なんだかんだ言って彼の顔が一番見慣れている。
「もう一度操られるなんてことになったら、私怒りますよ。まぁ助けますけど」
「今回はあんたの手を借りることなんてないわよ。おとなしく事務所でつらつら小説書いてなさい。……ずっと言えてなかったけど、助けてもらったことには一応、感謝してるから」
「え? 何ですか? もう一回言ってください」
「~ッッ!! 聞こえてるでしょ!! ぶっとばすわよあんた!!」
本当、いつまでたっても変わらないなと、『七福神』は苦笑を浮かべた。
だが、楽しい時間もここまで。そろそろ出発の時間だ。
「……行ってきます!!」
巨大な絵筆にまたがり、軽く跳躍する。すると彼女にかかる重力が軽くなったように、ふわふわとホバリングを開始する。柄をぎゅっと握りしめ、背中から感じる皆の想いを注入していく。
──行けッッッッ!!!!!!!!
風と共に『彩色の魔導士』は、戦いの旅へと飛び立った。彼女の姿は見る見るうちに小さくなり、一分と経たぬうちに視認できなくなってしまうのだった。
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「行っちゃいましたね……」
なおも手を振り続けている依茉は、一人静かにつぶやいた。ちょっと高飛車なイメージがあった愛絵の旅立つ姿は、まるで今までとは異なるものだった。依茉の思い描く、『戦士』そのもの。まさしく、強き者の宿命を背負っているように感じた。
と、いつまでも余韻にひたっているわけにもいかない。愛絵が言っていたように、涼晴と共に原稿に取り掛からなくては。
「さ、仕事しましょうか。……………………あれ?」
先刻まで隣にいたはずの小説家の姿が、消えていた。
『宝船』の周辺は見通しがよく、特別障壁になるようなものはない。しかし周りを見渡しても、彼の姿はどこにも見当たらなかった。
「………………文月、先生?」
ぽつ、とつぶやいた。彼の名を呼ぶ声はすぐさま消滅する。
閑散としたした雰囲気が、これから何かが動き出す、『嵐の前の静けさ』のように感じられた。
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