第三章5 『乖離の覚悟はあるか』
涼晴と依茉との関係に焦点を当てております。ではでは。
「だめです、オフィスにもいませんでした……」
『そうか……。悪ィな、新人ちゃん。オレもこれから練習があるから、バックアップできるのもここまでかな』
「大丈夫ですよ、私が見つけて見せますから。打騎さんも頑張ってください。ありがとうございました」
静寂。静寂。静寂。
かつてないほど、心が冷える。一段と室温も低く感じられる。
練習が始まる直前まで手を貸してくれた打騎の声も、電話から聞こえなくなってしまった。これでまた、独りぼっちだ。なつかしき学生時代に慣れ親しんだとはいえ、今となっては耐えがたい感覚になってきている。
──文月 涼晴が、姿を消した。
事実が発覚したのは、小説家の暗く悲惨な過去を聞かされ、気分を落としながら事務所に戻った時だ。合鍵を持っているのは依茉だったため、入るなら裏口から入るしかない。だが、依茉が帰ってきたときには、事務所はもぬけの殻だった。
待っても、待っても、いくら待っても。ついには彼女は小説家のデスクで眠ってしまったが、それだけ待っても彼は帰ってこなかった。
現在の時刻は、午前十時三十二分。未だ小説家は行方をくらましたままだ。
「大丈夫かな、先生……」
ソファに深く座ると、いつもより足腰が重く比重を帯びているように感じられた。昨日も『宝船』を出た後、涼晴を捜索していた影響だろう。彼が好きなブラックコーヒーを注ぎ、心を落ち着かせようとする。これで彼が帰ってきてくれたらなんて、漆黒の液体に願いを込めながら一口──
「私ちゃん、事務所に参上ー!!!!」
「おひゃあっ!? び、びっくりしたぁ!?」
何の前触れもなく玄関の扉が開くと、先日聞いたばかりの可愛らしい少女の声が、所内を埋め尽くした。めぐりめぐって依茉の鼓膜を突き抜け、彼女は危うくコーヒーを吹き出しそうになる。
「む? なんだ、スズは留守か」
腰に手を当てながら事務所を見渡す。が、彼女のお目当てである文月 涼晴の姿は、残念ながら見当たらない。不満そうにほほを膨らませ、ずかずか歩を進める。声からして彼女は毘沙門天……
「……ん? えっと、あなた誰ですか?」
依茉が見つめる幼女は、断りもなく小説家のワークチェアに腰掛け、子供らしくくるくる回転して楽しそうに遊んでいる。
ほほえましいのは確かにそうだが、『聞いたことある声』と『今見ている人物』との齟齬がある気がして、依茉は思わず疑問をつぶやいたのだ。
「ニンゲン貴様!! 忘れるなと釘を刺しといたはずだろ!! 毘沙門天だ、毘沙門天!!」
「ほ、ほえぇぇ!? すすす、すいません!? 忘れてたわけではなくてですね、昨日と服装が全然違うのでわからなくって……!!」
子供っぽく憤慨する『七福神』の一神は、明らかに前日とは違う出で立ちで、彼女の前に現れた。
ジーンズ素材のオーバーオールに、大きな丸眼鏡。特徴的な服装やアクセサリーはこれくらいだが、雰囲気や『三叉槍』を持っていないだけでこうも印象が変わるものなのだと、依茉は妙に感心するのだった。
よく観察すれば長いピンクのポニーテールは変わっていないので、一応彼女の個性は残っているようだった。
「ま、私ちゃんは心が広いから特別に許してやろう。きちんとニンゲンに化けられているという証拠でもあるしな」
「に、人間に化ける? どういうことですか?」
「私ちゃんたちのような神はこうして確かな存在はあるんだが、ニンゲンのイメージや信仰のおかげで姿が不定形なんだ。かみ砕いて言えば、『どんな姿にでもなれる』ってことだ。でも流石にあの姿のまま人間界に来ることはできないんだ、法典上な。ただ例外として、『神人牽崇』という秘術を使うことで、こうして人間界へと姿を持って現れることができるんだ」
これは依茉の勝手な想像でしかないが、神像などで表される『たくましい姿』の神様というのは、もしかすると毘沙門天の言う『姿を自由に変えられる』という特性を生かして、自分自身を美しく見せていたのかもしれない。
それを昔の彫刻家が、彼らの姿を世界に知らしめようとして、神像を作り上げたのかもしれない。
神もビジュアルを気にしているのかと想像すると、ちょっと面白い。
「ところでエマ、どうして私ちゃんの弟子がいないんだ? 買い出しにでも行ったのか?」
「その……大変申し上げづらいことなんですが…………」
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これまでのいきさつを説明していたら、もう十一時を回っていた。
毘沙門天は涼晴がいなくなったことに大層ご立腹される……のかと思いきや、意外と冷静に、それでいて涼晴のことを気づかうようなそぶりを見せたのだ。『七福神』をも魅了する彼の魅力は、やはり底知れない。
「あやつが帰ってくるまで待つなんて言えるほど、私ちゃんも暇じゃない。ここらでお暇させてもらうぞ。涼晴によろしく伝えておいてくれ」
毘沙門天は子供っぽい容姿とは裏腹に、さっぱりとした言葉を残して事務所を去っていった。
依茉は彼女とは対照的に、何かを押し殺すかのような、苦しそうな表情をしていた。心の根底では、得体の知れない衝動がうごめいていて、今にも破裂してしまいそうだった。
毘沙門天の姿が見えなくなってから、五秒後。依茉は思い切って走り出した。玄関の戸を突き破るように押し開け、ゆれるピンク髪を見つけると、猛然と追いかけていく。毘沙門天はどうやら、事務所の裏口にある『扉』から現実世界に来たらしい。
……小さな体が、『扉』へと吸い込まれる寸前に、依茉の声が響き渡った。幸いにも通行人はいなかったので、悪目立ちすることはなかった。
「なんだ。私ちゃんに何か用でも?」
「……毘沙門天様は、文月先生のお師匠様なんですよね? 先生から戦闘術を学んだって聞いたことがあるんです。お願いです。…………私を、弟子にしてください!!」
ずっと前から考えていたことだ。いつもとなりに涼晴がいて、自分を守ってくれる時には彼の背中が見えている。
力がないことは分かっている。彼の手助けができないことなんか、誰でもわかる。『負』の群れに襲われた時も、自分が何かしたわけじゃない。やからを追い払ったのも、全部涼晴か打騎がやったことなのだ。
それが依茉には、不甲斐なく思えて仕方なかった。この時点で彼女に『七福神』から『才能』が譲渡されていないということはつまり、依茉には彼らのように戦う資格はないということを指し示しているのと同義。力もないし、知識もない。それでも──
「結論から言えば、無理だ。あきらめるんだな。お前は戦えない」
「そんな!! 私は先生を助け……うわっ!?」
夢中になってうったえかけていたせいか、また裏口の段差でつまづいてしまう。みっともなく地面にうつぶせになると、擦り傷特有の微妙な痛みが前腕を襲った。
自分のドジさを恨み、下唇を食いちぎらんばかりに噛みしめる。ほんのりと、血の味がした。
そんな時、毘沙門天が依茉の胸ぐらをつかみ、軽々上体を持ち上げた。一体この幼児体型のどこにこんな力が眠っているのか、疑問しか出てこない。
「理解るか? それがお前だ。無力で、惨めで、小さい。擁護しようのないただの人間だ。そんなお前が『才能人』のようになれると思うか?」
先刻までの子供っぽい雰囲気が嘘のように、毘沙門天からは圧倒的な威圧感しか感じられなかった。就職試験で熾烈な争いをくり広げた面接官なんか、比にならないくらいに。
真正面からの重力攻撃は依茉の心を折るほどに強力で、表情がこわばってしまう。人間なんて、そんなものだ。
だが彼女は忘れなかった。憧れたあの小説家の笑顔を。できることなら、もしも願いが叶うのなら、永遠に見ていたくなるような、あたたかな彼の笑顔を……。
「…………あなたの言うとおりです。私には、先生たちのような『才能』はありません。でも……助けたいって思っちゃいけないんでしょうか? 先生は今、自分の過去と戦っているんです。あのままじゃきっと心が壊れてしまいます。先生の担当編集である私が支えてあげなきゃ、誰も助けられないんです……!! たとえそれが、あなたのような神様だったとしても!! 相棒として、私が!! だから……私を…………!!」
涙でぐちゃぐちゃになった顔に、毘沙門天は不敵な笑みを浮かべながら顔を近づける。依茉の瞳の奥には、神である毘沙門天だからこそわかる『人の覚悟の炎』が揺らめいているのが見えた。
たたみかけるように、その炎に薪を投下していく。
「スズを助けたいというのは、心の底からの想いか!?」
「はい!!」
「今までの現実と乖離して、戦士となる覚悟はあるか!?」
「はいっ!!」
「私ちゃんの買い物に付き合ってくれるかッッ!?」
「はいっっ!!!! …………………………………………はい?」
こうして、不本意な約束を交わされた依茉の、地獄の特訓生活が始まる……
「よし!! そうと決まればさっさと行くぞ!! 行くぜ行くぜ行くぜぇー!!!!」
「どこへ!? どこへ行くんです!? あとつかんだまま引きずらないでくださいだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ!!!!」
……始まるのかッッ!?!?
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