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第三章1 『Levon』

第三章ですってよ、奥さん。ではでは。

 薄手のコートとはいえ、そろそろ汗ばむ季節になってきた。今年は例年よりも気温の上昇が激しいらしく、今日東京都心では30℃を記録したと、テレビリポーターが原稿を読み上げていたのを覚えている。



 七月──。

 春の温かさは『暑さ』へと切り替わり、新入社員はそろそろ自分の仕事に慣れ始めるころ。高みの見物でもなんでもないが、小説家は一人炭酸水をたしなんでいる。



「熱くなってきましたねぇ……」


「オレのせいか?」



 うちわをパタパタと仰ぎ、ソファでくつろいでいる野球選手は、冗談交じりにそう言った。涼晴(すずはる)はくすっと女性的に微笑し、「そうかもしれませんね」とテンションに乗ってあげるのだった。

 とはいえ、彼が事務所に来てからというもの、若干だが室温が上昇したように感じる。打騎(うつき)のことだから、周りの空気を温めるくらい暑苦しくても違和感は感じない。迷惑行為には変わりないが。



涼晴(すずはる)よ。ふと思ったんだが、オレと新人ちゃんと、仕事の関係者以外でここに人が入ってきたことあるのか?」


「空き巣的な意味でですか?」


「いや、友人的な意味で」


「……それ以上言ったら炭酸水ぶっかけますよ。今日は暑いですし、丁度いいですよねー」


「ヘイヘイヘイ!! ストップ、やめろ!! オレが悪かったから!! コップを掲げるんじゃない!! 了承とる前からぶっかけるつもりだろお前!!」



 あははは、と口から流れ出る笑いとは裏腹に、小説家の両目はすわっていて死んだ魚のようになっている。何をされるかわかったものじゃない。


 反応から察するところはあるが、どうやら彼は未だに友好関係の輪を広げようとしていないらしい。友人の多い打騎(うつき)から言わせてみれば、「ありえない」の一言で一蹴できてしまうようなことだが、涼晴(すずはる)にとっては骨が折れる作業なのだろう。



 だが、何がそこまで彼を引き留めるのだろう? 一体何が鎖になっているのだろう?



 ──今にも喧嘩が勃発しそうな現場に、扉が開く音が響き渡った。


 初夏の鋭い太陽光とともに、文月 涼晴(ふづき すずはる)の担当編集者である金鞠 依茉(かなまり えま)が帰還したようだ。



「はひ~……今日暑いですね。あ、打騎(うつき)さん。こんにちは」


「おう。新人ちゃんもお疲れさん。こーんなクソ暑い中外出してまで仕事させるなんて、まったく人使いの荒い上司だこと。なー?」



 さっきの腹いせか、ニヤニヤと笑いながらうちわで涼晴(すずはる)の方をパタパタ仰ぐ。本人は炭酸水を一口飲むと、やれやれと言わんばかりにため息をつくのだった。



「私だってやらせたくてやらせてるわけじゃないんですよ。今日は原稿を持っていかなければいけない日だったので。それに、私はちゃんと止めたんですよ?」


「あはは……仕事できるって思ったら、つい」


「似てるなぁ、お前ら」



 笑いが巻き起こり、厚さが一瞬忘れられたようだった。依茉(えま)は小説家が飲み進めている炭酸水が無性に飲みたくなり、キッチンにある冷蔵庫まで取りに行こうとした。

 その時、ポケットの『異物感』に気づき、そういえばと取り出してみる。




「先生。これ、郵便受けに入ってたんですけど、何かわかりますか? ファンレターとかでしょうか」



彼女が指で挟んでいるのは、真っ白の長方形の紙のようだ。しかし見たところ住所や宛名などの記載が一切ないことから、誰かが郵便受けに直接投函(とうかん)をしたということが分かる。



「なにか、書いてあるんですか?」


「はい。L、e、v、o、n……れ、ぼん? 『リボン』って読むんですかねコレ? でもつづりが違うような気が……」



 首をかしげる依茉(えま)から渡された固めの紙に視線を落とすと、そこには見事な筆記体で、確かに『Levon』と書き記されていた。天才小説家である涼晴(すずはる)にも引けを取らないくらいの達筆さだ。



「あー、いえ、これでも一応間違いではないんですよ。『ひも状の織物』を意味するリボンならばスペルミスになりますが、この『levon』は人の名前に使われる方ですね。ちなみに発音は『リヴォン』のほうが近いです」


「さ、流石ですね先生……」



 一体どこでそんな知識を詰め込んでくるのか、依茉(えま)には皆目見当もつかないのだった。それと同時に、彼の博識さに詠嘆するのだった。



「……おや? これ、中に何か入っていますね」



 そう呟いて、目立たないように加工が施された封を開け、中から一枚の紙を取り出す。出てきた紙には、同じ人物が書いたと思われる達筆な筆跡で文章が書き連ねられていた。小説家は怪訝(けげん)そうな顔で、静かに読み上げていくのだった。



「『文月 涼晴(ふづき すずはる)。お前をパーティー会場へと案内しよう。特別着飾る必要はないが、心の準備はしておくといい。』……」


「はぁ……。パーティーの招待状ってところか? だとしたら回りくどすぎないか? 直接投函するようなもんじゃない気が……っておい、聞いてんのかよ」



 手紙の内容が気になった打騎(うつき)は、ソファから立ち上がり涼晴(すずはる)に歩み寄っていく。しかし小説家は、彼の問いかけに対するレスポンスを起こさず、手紙を凝視している。




「『裏社会(バックヤード)で、待っている。──levon』」




 淡々と告げられたその言葉が、『才能人(タレント)』である二人を戦慄させた。



 郵便ではなく、直接投函された手紙。この時点で微細な不自然さはあったものの、内容でその不自然さが一気に『違和感』へと姿を変えたのだった。現実世界において、文面で『裏社会(バックヤード)』と記されているのを見るのは、二人ともこれが初めてのことだった。

 未曽有(みぞう)の事態すぎるがゆえに、驚きのリアクションすらも迷子になってしまったようだった。



「これは……居場所が割れてるって、ことか?」


「『Levon』なんて人……私は知りませんよ。おそらくというか、ほぼ確実に偽名でしょうけど」


「つか、問題はそこじゃねぇ。涼晴(すずはる)が『Levon』ってやつに狙われてる可能性があるってことだろ」



 わざわざ現実世界で涼晴(すずはる)に手紙を送るということは、『裏社会(バックヤード)』で話しかけることがためらわれたからだろう。涼晴(すずはる)も毎日のように『裏社会(バックヤード)』に出入りしているわけではないが、彼の住所を知っているのならば、彼の監視は可能だ。


 「狙われているかもしれない」という、曖昧(あいまい)な恐怖は不気味さとなり実体化し、、心にへばりつく。若干だが、委縮(いしゅく)するところはある。



「どうしますか、先生。悪戯(いたずら)かもしれませんよ」



 依茉(えま)の言うことは至極真っ当な意見だ。ノリにノった若者の『才能人(タレント)』が、どこかしらでパーティーをしていることはあるかもしれないが、見ず知らずの人からパーティーの紹介が送られてくるなど、悪戯の可能性が高い。



「仮にパーティーだとしたら、喜んで参加しますよ。そうでなかったとしても、危険性はなさそうですし、行ってみましょうか」


「『(ルーズ)』共も最近は落ち着いてるみたいだし、心配はねぇだろうな。何か起こっても、オレらなら乗り越えられるしよ」


「なんか……盛大なフラグが立った気がするんですけど」




 ──夏が始まる少し手前、彼らのもとに三回目の試練が舞い降りることになるとは、この時点では誰も知る由もなかった。



「ほら言わんこっちゃない……」

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