8 悪役令嬢、義弟と再会する④
――クレージュ家は、歪な家だった。
今でも、アクアは当時のことをそう思い返す。
家族とはとても思えない、冷え切った集団。
そんな彼らを先導する、シルヴィアの父親である当主。
そして、その歪みを一身に受け止めていたのが……シルヴィアだ。
初めてシルヴィアに出会った時、幼いながらもアクアはその美しさに衝撃を受けたのを覚えている。息をすることも忘れ、その一部の隙もない美貌に見惚れた。
なんて綺麗な人だろう、まるで伝説に語られる妖精のようだ――と。
それが妖精どころか人間性すらない、単なる機械のような存在だと気づくのに、さほどの時間は掛からなかった。
与えられた命令に唯々諾々と従い、入力された内容通りの反応をする。……ただの、人形だ。
クレージュ家の人間の顔など、シルヴィアを除いて一人も覚えていない。それなのに、彼らは未だに悪夢に登場してはアクアを苛んでいく。
黒く塗り潰された顔でぐるりとアクアを取り巻き、彼らは壊れた蓄音機のようにただひたすら同じ言葉を繰り返すのだ――「努力しろ」「どうしてもっと頑張れない」「クレージュ家に相応わしい人間に……」
四方を取り囲んだ顔のない大人たちは、アクアを黒く塗り潰そうとじわじわ迫り続ける。
「努力しろ」「努力しろ」「努力しろ」……そして、シルヴィアのように、クレージュ家に栄光を!
――努力とは人間性をすり減らすことなのだ、とアクアがそう結論を出したのも、当然の帰結であった。
努力を強要し続けたクレージュ家の人間と、それに律儀に応え続けたシルヴィア。
その結果が、あのザマだ。
彼女には、何もない。
喜びも、悲しみも、すべてが「そういうものだから」で出力しているだけのただの反射でしかない。
「聖女になる」という目的ですら、周囲に押し付けられただけのハリボテのゴールだ。
皆の期待を背負い、聖女かくあるべしと努力を積み重ねた彼女は、結局そういうモノに成り果ててしまった。
――だから、僕は努力をしない。自分を失わないように。
全てを適当に、できるだけ何もせずに。
そうして、自分をすり減らさないように。
幸い、自分には努力せずとも及第点を取るだけの能力はあった。
周囲からはいろいろと言われることもあったが、それに耳を貸すこともなかった。そうやって、万事をやり過ごしてきた。
属性騎士として、自分の司る「癒し」というのは、これで良いのだと確信していた。
――それなのに。
久々に出会った、心を失ったはずの彼女は、記憶の中の彼女とは大きく変わっていた。
「貴方の学校生活は、きっと良いものだったのね」――そう、柔らかく微笑んだシルヴィア。
その姿は、初めて会ったときの完成された無機質な美しさと異なり、血が通ったもので。魅力的で、眩しくて……、綺麗だった。
――ああ、彼女はもう大丈夫なんだ。
その表情を見れば、話をすれば、すぐにわかった。
もう失われたと思っていた彼女自身を、シルヴィアは取り戻したのだ。
強要された使命、押し付けられた努力の積み重ね。辛いことも苦しいことも、きっと多かっただろうに。
彼女はそれらを自身の強さをもって肯定した。
――だから、もう大丈夫。
それなら僕だって、頑張れる。
ふっとついたため息は、まるでこぼれた笑みのようで。
そこで初めて、アクアは自分の気持ちに気がついた。
ああ、そうか。僕は心を失うのが怖かったのはもちろんだけど、それ以上に。
――彼女が心を失ってしまったことが、悲しかったんだ。