5 悪役令嬢、義弟と再会する
「今日はやっぱり、水の属性騎士のところに行こうと思うわ」
朝の礼拝を終え朝食の席についたシルヴィアは、開口一番にクレイにそう告げた。
「おや。予定の変更ですかい?」
突然の変更に驚いた様子も見せず、クレイは穏やかに笑む。
……いや、彼の表情がデフォルトで微笑み状態なのは、いつものことだけど。
紅茶を一口飲んでから、シルヴィアはこくりと頷く。
「ええ。本当は雷のライカさまと今後の発展産業について意見を交わそうかと思っていたのだけれど……よく考えたら、私、属性騎士の皆さまのことをあまり知らないもの。まずはご挨拶と……情報収集をってところかしらね」
「なるほど、それで水の……アクアさまのところですか」
アクアとの関係に気がつき、クレイは納得の声を上げる。
「ええ、そういうこと。……もっとも、歓迎してもらえるかはわからないけれど」
こんなちょっとした弱音も、クレイの前でなら少しずつ吐けるようになった。
「大丈夫でしょう。あの方とはもう数年会ってないじゃないですか。今のおじょーさまに会えば、きっと驚かれると思いますよ」
何が変わるわけでなくても、クレイにそう言ってもらえるとそんな気持ちになってくるから不思議だ。
クレイの細い目の向こうに、優しい視線を感じる。きっと彼は、本気で言ってくれている。
そう感じられて、ほっと肩の力が抜けた。そんなところで。
「まっ、おじょーさまの会話レベルもだいぶ上がりましたしね」
軽い調子で付け加えられた言葉に、思わずブハッ、と紅茶をむせそうになった。ケホケホ、と咳き込みながらも、なんとか貴族のプライドで中身を溢さずにカップをソーサーに戻す。
「えっ……私ってそんなに会話下手だったの……?」
「そりゃあ、もう。……覚えてません? 最初にお茶を一緒にしたとき貴方は、『家名は何?』やら『出身地はどこ?』やら『その護衛技術はどこで習ったの?』やら、ひたすら俺を質問攻めしたじゃないですか。俺はまた、面接でも受けさせられてるのかと思いましたよ」
「う……そう、だったかしら……」
「んで、その次はおじょーさまがひたすら話をするフェーズが来て。日によって内容は違いましたけど、例えばその日飲んでるお茶が目についたとしたら、その種類・産地から始まって、上等なお茶が育つために必要な環境やら諸々……とにかく、おじょーさまが今日のテーマと決めたものをひたすら講釈する、謎の時間になりましたね。ま、そのおかげで俺の立場じゃ一生知ることのなかった知識を得ることができましたけど」
「クレイ、もうやめて……もう、わかったから……」
忘れていた過去の記憶が掘り起こされ、シルヴィアの顔はもうこれ以上ないほど真っ赤になる。広げた扇に隠れて上目遣いで恨めしい視線を送るが、クレイはにこやかな顔で言葉をやめない。
むしろ、普段から細い猫のような目をさらに細めて、楽しそうに指を折って思い出を数え上げる。
「やっと会話というか、言葉のキャッチボールができるようになったのは、それから三ヶ月くらい経ってでしたかねぇ。いやぁ、感動しましたよ。おじょーさまが初めて俺に、「貴方はどう思う?」と、訊いてくれたときは」
「クレイ……私が酷かったのは認めるから、お願い、私の言い分も少しは聞いて……」
羞恥に顔を染め上げて涙目で懇願すれば、やっとクレイは言葉を切った。
ニヤリ、と唇を意地悪く吊り上げるクレイ。普段の微笑みと似ているようで全く異なるその笑みを向けられれば、シルヴィアはまた別の意味で頬が熱くなるのを感じる。
ああもう、こんな意地悪を言うときでも格好いいんだから。最推しというのは、ずるい。
「あのね……確かにあの当時の私は物知らずだったけど、でも私、お茶会のホストは立派に務めることができていたのよ?」
貴族にとってお茶会やパーティでの会話は、必須である。別に会話が苦手というわけではないのだ、と必死に訴えた。
「それは、貴族のそういった催しには情報収集や関係構築といった目的があるからでしょう」
「え?」
こともなげに返された指摘に、思わず思考が止まる。
「おじょーさまが苦手なのは、目的のない会話ですよ。現に、あれだけ茶会やパーティで交流して家同士の繋がりができても、おじょーさまには友人が全然いないじゃないですか。そういうの、相手にも伝わるもんですから」
「う……」
ぐうの音も出ない。自分以上に自分のことを把握されている。それが気恥ずかしい一方で、クレイが自分のことを見てくれているということには素直に嬉しさを覚えてしまう。
それでも一矢報いたくて、シルヴィアは真っ赤になりながらもなんとか言葉を絞り出した。
「私には……クレイが居てくれればそれで良いもの……」
一瞬硬直した後、はーっとクレイは大きなため息を吐き出した。
「ったく、会話能力ゼロのくせに、どうやってそんなセリフ覚えてくるんだか……」
「クレイ……?」
どうやらまた、選択肢を間違えてしまったらしい。慌てて言い訳をしようとするが、それよりもクレイが口を開く方が早かった。
「とにかく! おじょーさまの対人能力が上がったのは確かです。自信を持って、行ってきてください」
有無を言わせない調子でそう締め括られれば、それ以上何かを言うのも憚られる。
「そうね、行ってくるわ」
これから会う予定の人物にいささか憂鬱な気持ちに陥りなりながらも、シルヴィアはゆっくりと立ち上がった。
「義姉上は、聖女に相応しくない――」
最後に会ったときに、彼に投げつけられた言葉が耳の奥で甦る。
シルヴィアは首を振って、そんな声を振り払った。
――水の属性騎士、癒しの化身アクア。
本日会いに行こうとしている彼は、ゲーム内ではシルヴィアともっとも仲が悪い属性騎士として描かれている人物であり、そして。
――シルヴィアの義理の弟でもあった。