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4 悪役令嬢、前世を思い出す④


 最推しの存在である護衛騎士クレイは、実のところゲーム本編の攻略対象ではない。スチルも無ければ、キャラクターボイスも当然ない。

 では、彼は何者かと言えば。

 悪役令嬢シルヴィアの情報をヒロインに教えてくれるという、ただのお助けキャラに過ぎなかった。


 ゲーム上の『アースガルド・ストーリー』では、その日に行動できる「行動ポイント」という数値が設定されている。

 それを消費して属性騎士エレメンタルナイトに会いに行ったりデートをしたりすることで、彼らの好感度を稼いでいくのだ。

 ただしライバルと訪問先が被ってしまった場合、後からきた人間は追い返されてしまい、行動ポイントが無駄となる。

 つまり逆に言えば、相手の行動が分かっていれば無駄なく一日を過ごすことができるわけだ。


 そんな大事な情報であるライバルの行動予定を教えてくれるのが……何を隠そう、このクレイなのである。しかも、行動ポイントの消費無しで。

 他にもゲームの基本情報を教えてくれたり、中盤になっても進捗が芳しくなかった場合は進め方のアドバイスをくれたりと、お助けキャラとしてヒロインの聖女就任に向けて活躍してくれるクレイ。


(まぁ正直なところ、かなりぬるいゲームだからそんな情報なくても基本的には勝ててしまうのだけれど……)

 むしろ聖女にならずにゲームを終わらせるほうが難しい、というくらいシナリオの難易度は低く設定されている。ゲームの目的が「聖女になること」ではなく、「聖女を目指す過程でイケメンと仲良くなること」なのだから、それも当然なのだけど。


 でも、そんなことは関係ない。クレイに会えるというその一点だけのために、前世のシルヴィアは毎朝礼拝堂に通い詰めたものである。

 通常の立ち姿と、「頑張ってください」と少しだけ笑みを見せる表情差分の、そのたった二枚を拝むためだけに。

 ちなみに、それ以外でのクレイとヒロインとの絡みは一切ない。全くのゼロである。





(ライバル陣営なのに危険を冒して情報を教えてくれる騎士、っていうシチュエーションに萌えたのよねぇ)


 シルヴィアの毎朝の習慣である祈りの時間だけが、二人の秘密の逢瀬の時間。その禁断の恋(と勝手に解釈していた)のどきどきに、当時は悶絶したものである。


 ――どうしてライバルの護衛騎士を務めるクレイがヒロインの手助けをしてくれるのか。いろいろな妄想を膨らませたものの、公式の設定は特にない。

 当時は「密かにヒロインに想いを寄せるクレイが、自分にできる範囲でそっと彼女の応援をしているのだ」と受け止めて、そのいじらしさにキュンキュンしては小説やらイラストやらの大量の黒歴史を量産したものだが……裏切られる身となっては、堪ったものではない。


(分かっているのは、彼が二年後の聖女試験でヒロイン側につくということだけ)


 シルヴィアの髪を梳かし終え、就寝前のお茶をテキパキと準備するクレイの横顔に、一見すると憂いはない。


(それでもあんなことをするんだから、きっと私に不満があるのよね……)


 ――それとも。

 すれ違っただけで恋に落ちるほど、主人を裏切ってでも力になりたいと思うほど、魅力的な人間なのだろうか。あのヒロインは。




「おじょーさま、お茶が入りましたよ」

「ええ、ありがとう」


 前世の知識を使って考えると、今のタイミングで「私も手伝うわ」と申し出るのが好感度を稼ぐポイントなのだろう。距離を縮めて、同じ目線で少しずつ相手の本音を知っていくのだ。

 そんなことを何気なく考えてから、シルヴィアは苦い笑みを浮かべた。


(でも、そんなことできない。だって私は、貴族ですもの)


 ヒロインである平民出身のハルカなら、それも簡単にできたであろう。

 体当たりで相手にぶつかれる、無邪気な駆け引きの上手い彼女なら。


(でも私には、そんな真似……)


 使用人の真似事なんて、許されることではない。

 今までの彼女を構築する常識と、新しく得た異世界の感覚。その乖離に、シルヴィアの心は苛まれる。


 ふぅーと、大きなため息が出た。

「おじょーさま?」と、怪訝そうに顔を上げるクレイ。そんな彼を見て、ふとシルヴィアの口から言葉がついて出る。

「ねぇ、貴方も席についてくれない、クレイ?」

「お、俺がですか? それは……」

「大丈夫。貴方なら、誰かが近づいてきてもすぐわかるでしょう? ……なんだか、誰かと一緒にお茶を飲みたい気分なの」


 ――自分が彼を手伝えないのなら、クレイに来てもらえば良いのだ。

 降って湧いた名案を、シルヴィアは深く考えずに言葉にする。

 お願い、と細い目の奥を見つめながら言葉を重ねれば、「あーっ、もう、」と幾分乱暴に髪をかき上げながらクレイが諦めたように椅子に座る。


 本当なら使用人の、しかも異性を同じテーブルにつかせるなんて、よろしくないことは分かっている。

 それでも、使用人とお茶を飲む程度のことであれば、まだ貴族の行動として認められる……気がする。


(いえ、やっぱりダメかしら?)

 今までの自分の常識にかなっているのか、自信がない。

 それでも、シルヴィアは敢えてその違和感には目を瞑ることにした。


「どうしたんですか、おじょーさま。今日なんか、変ですよ」

「うん、ちょっとね。……当たり前だと思っていたことなんて、儚いんだなと思って」


 細い目のまま、器用に鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしたクレイ。そんな彼を、少し愉快な気持ちで眺めながらお茶を飲む。

 前世の「田丸りさ」は、クレイの表情をたった二パターンしか見ることができなかった。それに比べて、今の私はなんという幸せ者だろう。


 物腰柔らかで微笑みを絶やすことなく、一見すると穏やかで人懐こい青年に見えるクレイ。

 でも実のところ彼は、意外とシニカルでにっこりとした顔で毒を吐く男だ。当たり障りなく接している分には気付けないが、自分の内面には決して立ち入らせないし、他人に興味も持っていない。

 それでいながら心を開いた人間に対しては意外と面倒見が良く、助けを求められたら辛辣な言葉を口にしながらもそれに応える。まさに『萌えの宝庫』のような人材なのだ、この最推しは。


 そして……そんな彼を一番近くで見ることができるのがこの私、シルヴィア・クレージュなのである。

 ――こんな立場を、みすみす逃してなるものか。





 覚悟を決めたのか、自分の分のお茶に手をつけ始めたクレイをそっと盗み見て、シルヴィアはこっそりと頷いた。


 ――そう、私のやり方はこれで良い。

 コクリ、と美しい所作でお茶を飲み下す。

 聖女適性試験までに、後二年ある。このタイミングで前世の知識を手に入れられたのは本当に幸運だった。


 ――負けるものか。この二年のアドバンテージをフルに活かして、ヒロインに負けないくらいクレイの好感度を稼いでやる……!

 



○   ○   ○   ○   ○   ○   ○




「と、思っていたのだけれどねぇ……」

 長い回想から現実に戻ったシルヴィアは、しみじみとつぶやいた。

 教会の外から聞こえた彼らのやり取りがあまりにショックで、思わずクレイとの過去を遡ってしまった。


 ――あれから二年。

 彼女なりに頑張って、クレイと仲良くなろうとしてきたのだ。

 最初は面食らっていた彼も、今では何も言わずともお茶の時間に対面に座るのが日常となった。秘密のお茶会を通して、会話の数も増えた……ように思う。


 ――それなのに。

 試験開始からたった二日。

 たった二日で、クレイはヒロインの味方になってしまったのだ。


(なんなら初日と言っても良いわ、一日目はチュートリアルだもの)


 ――これが「シナリオの強制力」というものなのだろうか。

 前世の知識で得た単語を、うんざりと思い浮かべる。

 今自分が過ごしているこの現実がただのシナリオに過ぎないなんて、なんて笑えない話だろう。それを娯楽として楽しんでいた前世の人間が、自分も含めて恨めしい。


(こんなことなら、礼拝堂の散策なんてしなければ良かった)


 ――そうしたら、彼の裏切りを知らずに済んだのに。




 ずっしりと落ち込んでいたシルヴィアは、そこでふと気が付いた。前の自分であれば、礼拝堂の散策なんて発想、きっと考えもしなかったということに。


 昔の自分は良くも悪くもストイックな人間で、目的以外の寄り道を無駄、もしくは不適格な行いと切り捨てる傾向があった。

 朝の礼拝が目的であれば、それ以外の行動は彼女にとって無駄でしかなかった。散歩なんて、言語道断だろう。


 妥協を認めず、意固地でかたくなな努力を続けていたシルヴィア。その姿は、あるべき姿への執着とすら言えるものだった。思い返せば、ゲームでのシルヴィアもそんな人物だったように思う。

 それは、周囲や父親からの「聖女として正しくあれ」という教育……いやもっと正確にいえば、洗脳をまっすぐに受け止め続けた故の結果だ。

 閉塞した環境で過ごしていて、己の歪さに気付けるはずもない。


 そんな心の貧しさに気が付けたのは、ひとえに前世の知識を得て視野の拡大ができたおかげだ。

 それは間違いなく、ゲーム上のシルヴィアにはない強みだろう。




 ――大丈夫、運命は変えられる。私はまだ、諦めたりなんかしない。


 大きく息を吸う。

 パチンと扇を閉じて、シルヴィアはキッと顔を上げた。


 聖女試験も最推しのクレイも、諦めたりなんかするものですか!


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