37 悪役令嬢、護衛騎士と再会する②
「……やっぱり来てない……か」
アースガルドに降り立ったシルヴィアが向かったのは、クレイと過ごした街外れの海辺だった。街の喧騒が遠く聞こえ、周囲の静寂を際立たせていく。
静かに吹き抜けた海風の冷たさに、ぶるりと身を震わせた。向こうの街の賑わいとは裏腹に、海辺にはひとっこ一人いる気配がない。街を上げての感謝祭の日だ。こんな日に、こんな寂れた場所に足を運ぶ者など居ないだろう。
そのうえ。
「どこが、景色が良いのかしら……」
つい困惑の声が洩れた。
海辺から見えるのは、代り映えのしない普段の街の景色。背の高い屋敷や、教会の屋根が見えるばかりだ。クレイの言っていた『穴場』の意味がわからない。
――それでも、クレイと約束したから。
シルヴィアはローブをかぶり直し海風からできる限り身を守ると、ゆったりと腰掛ける。
絶え間ない波の音。心を空っぽにしてその音に耳を傾けていると、精神がだんだんと落ち着いてくるのを感じる。不安も心細さも流されていき、ただ時間だけが緩やかに過ぎていく。
やがて、太陽は海の向こうに沈んでいった。待ち人は、まだ来そうもない。
風がどんどん冷たくなってきた。熱を失った砂に体温を奪われそうで、シルヴィアはその場から立ち上がる。
「あ……」
何気なく街に目をやったシルヴィアの口から、思わず声が洩れた。
大広場の周囲が、一段と明るくなる。と同時に、夜空に向かって次々に色とりどりの光が舞い上がったからだ。
わっ、という歓声がここまで聞こえる。――ランタンが、放たれたのだ。
それぞれの人間が思い思いの薄紙を張ってカラフルに作ったランタン。そこに聖女へのメッセージを書いて一斉に空へと放つのが、感謝祭の一番の盛り上がりとなる。
「綺麗……」
大広場から距離があるために、シルヴィアの位置からはランタンの全容をよく見ることができた。ふわりふわりと風に乗り、優しい光を放ちながら空へと昇っていく無数のランタン。
低空で密集していたランタンは徐々にゆったりと空を泳ぎ始め、鮮やかな色彩の天の川を作り始める。気ままに空を泳ぎながらそれぞれのランタンが描く、夜空の模様。あの一つ一つに笑顔が、想いが込められているというのは、なんて奇跡的なことだろうか。
――ああ、クレイが見せたいと言っていたのは、このことか。
幻想的な景色を見上げながらも、シルヴィアの頬には冷たいものが流れ始めた。ここに来たのは、自分だけ。彼との約束は、果たされなかったのだ。
「クレイの嘘つき……」
恨めしい想いが、口をついて出る。
「一緒に見ようって、言ったのに……」
しゃくりあげた泣き声が静かに夜空に消えた、その時。
ふわり、と優しい匂いがシルヴィアの首元で漂った。それと同時に、氷のように冷えていた背中が温かいものに包まれるのを感じる。
後ろから腕が回され、シルヴィアの身体はすっぽりとコートの中に抱きすくめられる。自分の頬を、柔らかい何かがくすぐるように触る。
そして最後に。耳元で揺れる温かな吐息がシルヴィアの心を溶かした。
「遅くなってすみません、おじょーさま」
「っ、クレイ……!」
しばらくその腕の中で固まっていたシルヴィアは、硬直が解けると噛みつくような勢いで振り返った。
困ったような顔で、でも目に優しさをにじませて微笑むクレイ。そのコートは今まで厳しい旅をしていたかのようにボロボロで、靴も泥だらけだった。
「本当は着替えてからお会いしたかったんですが……これじゃ恰好がつきませんね」
「そんなこと、どうでも良い! 何処に行ってたのよ、バカバカバカ!」
むしゃぶりつくように体当たりをすれば、クレイはそれを優しく抱き留めてシルヴィアの頭を撫でる。
「出ていけなんて言って、ごめんなさい……話も聞かずに追い出して……!」
「とんでもない。俺こそ、おじょーさまを聖女にしたくないなんて言ってしまって申し訳なかったです」
コート越しに、クレイの温かな体温を感じる。懐かしい匂いがする。
その圧倒的な安心感と、それでも早くなっていく心臓の鼓動。
「もしかして、クレイが気にしていたのは……時間の隔絶のこと?」
ただの勘違いだったらどうしよう、自分の独りよがりだったら……そんな不安に襲われて、シルヴィアは具体的な表現を避け、フォーリアの言葉を使って漠然と質問する。
それなのにクレイにはしっかり伝わったらしい。目尻を和らげて苦笑する。
「ええ、そうです。俺は……おじょーさまが何百年もの時を生きるのが怖かった。俺だけ年老いて、貴方の前から消えて行くのが嫌だった……」
すみません、と消えいるような声でクレイはささやく。
「私、そんな簡単なことさえわかってなかった。自分のことしか考えてなかった……」
抱きついていた腕を解き、シルヴィアはクレイから一歩距離を取る。
この距離で並ぶと、二人の身長差を感じる。上を向かなければ、目を合わせられない。
心を決めて、右手を握りしめた。緊張のあまり心臓が締めつけられ苦しくなるが、合わせた目は逸らさない。
「クレイ……私、貴方が好き。聖女になったら、貴方を拐っていきたいくらいに」
好きなの、ともう一度小さくこぼしてから、耐えきれずに視線を落とした。
「……でも、私まだ、聖女試験をどうするか決心がついていない……」
子供の頃は、純粋な憧れだった。大きくなるにつれそれは、自分しか居ないという使命感へと変わった。
そして、今は。ただの憧れでも、悲愴な使命感でもなく、自分の力でアースガルドを良くしていきたい、彼らの幸せを支えたいと本気で思うようになっていた。
クレイも聖女試験も、諦めるという選択肢を選べなかった。
ズルいやり方だとは思ったが、それでも自分の気持ちだけは伝えておきたいとシルヴィアは想いを言葉にする。
「良いんです、おじょーさま。もう、良いんです」
ゆっくりとクレイは首を振った。
「大丈夫。おじょーさまは、全力で聖女試験に取り組んでくれたら良い。俺は、応援します」
「それって……」
クレイはもう、私に未練がないということだろうか。
シルヴィアの唇にそっと人差し指を当て、クレイはそれ以上の言葉を塞ぐ。
「大嫌いって言ってくれたじゃないですか。あれ以上に嬉しい嘘を、俺は知らない。
だから俺は、取引をしてきたんです。ずっと、おじょーさまの傍に居られるように」
「取引……?一体、誰と……」
「彼方の地に居る、妖精王。彼に、持ちかけたんです。この瞳と引き換えに、寿命を伸ばしてもらえないかって」
そっとシルヴィアの頬を撫でて、クレイは微笑む。
「言ったでしょう、この瞳はとても珍しいと。人間が持つ、妖精の瞳。これを取引の代償に、俺はおじょーさまと生きる手段を手に入れました。だからもう、おじょーさまは好きにして大丈夫。俺はどこまででも、ついていきます」
「でも、それじゃクレイは……」
「あ、大丈夫です。妖精の瞳は、おじょーさまが聖女になるまでは引き渡さなくて良いって契約なので。妖精王は快く受けてくれましたよ。
……なぁに、この片目と引き換えにおじょーさまとの年月を買えるなら、安いものです。そんな顔しないで」
『妖精王は快く受けてくれました』のセリフが、『恫喝しました』の副音声と共に聞こえたのは、何故だろう。クレイは悪い笑みを浮かべている。
「だから、おじょーさま……もう一度、言ってもらえませんか。さっきの言葉」
「え……?」
一瞬戸惑ってから、何のことを言っているか気がついた。頬がかぁっと熱くなる。今更ながら自分の言った言葉が思い出されて、恥ずかしさに身悶えしそうだ。
「っ、その、クレイ……」
「あーあ、妖精王探すのって結構大変だったんですけどねー……、おじょーさまのために頑張ったんですよ、俺は」
チラッ、チラッと視線を送りながらわざとらしく大きなため息をつくクレイ。しばらく躊躇ったが、その圧力には勝てなかった。
「……ええ、好きよクレイ。世界で一番、誰よりも愛してる」
「〜〜〜っ!」
今度は、クレイの顔が赤く染まる番だった。余裕綽々の態度で意地悪げに迫った姿はどこへやら、真っ赤になったクレイは誤魔化すように目を逸らし、額に手を当てる。
「やっぱり、おじょーさまには敵わないですね……その言葉、そのまま全部本心とは……」
「当然じゃない」
シルヴィアは不敵に笑む。クレイへの想いは、揺るぐはずもない。
雰囲気が和やかになったところで、何かを思いついたようにシルヴィアははっと顔を上げた。と思えばカバンの中を漁り、あるものを取り出して見せる。
「ねぇコレ、一緒に上げない?」
それが何か見定めたクレイは、ふっと笑みをこぼした。
「良いですね、やりましょう」
やがて、ふわり、と二人の手から光が放たれた。空を目指して上がっていくのは、シルヴィアの用意した小さなランタン。
月の光を浴びながら、ランタンはゆっくり、ゆっくりと上空へ上がっていく。
一斉に放たれた大広場の光の洪水から取り残された、たった一つの微かな灯り。揺らめきながら闇夜に船を漕ぎ出す、希望の灯火。
その姿が自分たちと重なって見えて、シルヴィアはクレイにそっと寄り添う。
――私たちは、シナリオとは大きく離れたところに来てしまった。未来はもう、何ひとつわからない。
さながら、闇夜に挑むランタンの灯火のように。
それでも、不安はない。きっと後悔もしない。
この灯火を胸に焼きつけて、私は挑戦を続けるだろう。
「愛してるわ、クレイ」
「ええ、おじょーさま……俺も、誰よりも愛していますよ」
にっこりと笑い合う。
自然と、唇が重なり合った。
ゆっくりと、目を閉じる。
――ランタンは、月を目指して静かに船出を続けていた。
これにて、『悪役令嬢は、護衛騎士の裏切りの理由を知りたい』完結です。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
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