3 悪役令嬢、前世を思い出す③
「本当に医者を呼ばなくて大丈夫なんです?倒れるなんて、初めてのことなのに……」
部屋を訪れたのは、彼女の護衛騎士であるクレイだった。テキパキと看病を進めながら、気遣わしげに尋ねる。
主人を心配し様子を窺いながらも、その流れるような動作が滞ることはない。
本来なら身の回りの支度はメイドの仕事なのだが、彼女のメイドは入れ替わりが激しい。
その結果、少しずつ元からいるクレイの仕事範囲が増え、今では屋敷の内外に関わらず彼女の側にはクレイが控えていることが常となっていた。
渡された冷たい果実水を飲みながら、シルヴィアはゆっくりと首を振る。
「大丈夫、少し疲れが溜まっただけだから。社交と勉強続きで少し体力的に無理をしたみたい。
お父様の指示とはいえ、聖女教育と並行して貴族としての勤めも果たさなければならないのは、結構堪えるのよ。最近、夜はずっと社交に駆り出されていたでしょう?」
シルヴィアの答えに、クレイは一瞬細い目を見開いた。
「珍しいですね。おじょーさまが、お父上のことをそんなふうに仰るなんて」
ぎくり、と身体が強張った。
「……私らしくなかったかしら、そんなふうに愚痴をこぼすなんて」
いいえ、と優しくシルヴィアの髪を梳きながら、クレイは首を振る。
「俺はおじょーさまの味方ですから。むしろ弱音を吐いてもらった方が、嬉しいです」
――尊すぎるー!!
脳内の絶叫は、かろうじて声にはならなかった。シルヴィアは歓喜の快哉をグッと堪え、喜びにそっと身を震わせる。
なんとか自身の感情を押し殺すことに成功させてから、シルヴィアはさりげなく鏡に映るクレイへと目をやった。
――クレイ。私の忠実な護衛騎士。
幼い頃から私のそばにいて、どんなときも私を支えてくれた大切な存在。
家族の交わりも薄く同年代の友人も居なかった彼女にとって、クレイは唯一の心許せる友人であり、自らを照らす光だった。
長めの茶髪を後ろに束ね、猫の目のようにいつも笑っているような細い目でシルヴィアの髪に櫛を通すクレイ。
その地味だが整った顔に見惚れながら、シルヴィアはもう一度前世について思いを馳せる。
……そう。このクレイこそが彼女の前世「田丸りさ」の一番の推しキャラ、命を捧げても惜しくないと思うほど恋焦がれていた、最推しの相手だったのだ。
(それにしても驚いた、前世の自分「も」クレイのことが好きだったとは)
前世の記憶が甦ろうが、他の世界の文化について知識を得ようが、十四年間シルヴィアとして過ごしてきた経験は覆らない。シルヴィアにとって「田丸りさ」という人物は、間違いなく今の自分とは他人だった。
それでも同じ相手を好きになるのだから、彼女と通じる部分はやはりあるのだろう。
(でも知りたくなかったな……)
頭が痛むのは、突然手に入れた膨大な情報に脳のキャパシティが圧迫されている所為だけではない。
むしろそれよりも。
(――クレイが、私を裏切るなんて)
知りたくなかった自分の未来が、シルヴィアの心を大きく蝕んでいたのだった。