22 悪役令嬢、負けイベントに挑む⑧
「魔物討伐、ご苦労様でした」
――場所は再び、謁見の間。
討伐を終えて、数日後。聖女からの招集を受けて、シルヴィアたちは再び一堂に会していた。
今回はオリヴァーも復帰しており、聖女候補とともに五名の属性騎士全員が顔を揃えている。
「今回の討伐の苦労については、聞き及んでいます。フォーリア、もう身体は大事ありませんか」
「お心遣い、痛み入ります。おかげさまでもう大丈夫です」
聖女からの問いかけに、穏やかにフォーリアが笑む。
その無事な姿に、シルヴィアはほっと安堵の息をついた。
「では、今回の課題の評価を行います」
御簾の向こうから聞こえる声は、常と変わらず柔らかい。それなのにその言葉を聞いて、シルヴィアの心臓はギュゥっと締め付けられる。
――大丈夫。わかってたはずだ、これは負けイベントだと。
必死に自分に言い聞かせて、心を落ち着ける。
勝負はここからが本番なのだ、これから頑張れば良い。
そう思っているのに気を引き締めていないと、ふとした瞬間に泣きそうになってしまう。足元が今にも崩れ落ちてしまいそうな感覚。
聖女の言葉は静かに続く。
「今回の討伐は、ハルカに帯同したアクアの力で成すことができました。……ですが、」
――ですが? その言葉に何が続くのだろう。
「彼に加護を送ったのはシルヴィアだった……ハルカ、私の認識に間違いはありませんね?」
「はい! 魔物を前に硬直してしまった私の代わりに、咄嗟にシルヴィアさまが加護を送ってくれたんです!」
――え? 何を言っているのだ、この二人は。
今回のイベントは、ハルカの聖女としての能力が広く認められるシナリオのはず……
「僕からも証言します。僕らが到着した時には、すでに魔物は大きな損傷を受けた状態でした。今回の討伐は義姉さ……いえ、シルヴィア様の尽力でできたものだと思います」
「アクア……」
この議論はどこへ向かっているのだろう。話の流れについていけず、シルヴィアは呆然と彼らの発言を聞いている。
「よろしい」
御簾ごしに聖女が頷いたのが、わかった。
「今回の討伐。当初の想定とは異なる組み合わせで加護がなされたため、どのように判断すべきか迷っていましたが……シルヴィア。あなたの貢献は、参加者全員の知るところとなっています。今回の課題、あなたの働きを評価しましょう」
「ありがとうございます……」
(どうなってるの、これ??)
反射的に淑女の礼で挨拶を述べてしまったが、何が起きているか理解できない。ハルカが認められるべき場面で、何故自分が会場の中心に進み出ているのだ……?
周囲からの拍手が降り注ぎ、笑顔を向けられる。その対象が自分になっていることに、処理が追いつかない。
そんな内面の混迷とは裏腹に、これまで培った社交スキルで「これからも皆様のお力をお借りしたいと存じます」というような挨拶を笑顔で述べて、気づけばなんとかその場を凌いでいた。
「次代属性騎士の皆、これからも彼女たち聖女候補の力となるよう、惜しみなく精進を重ねていきますように」
――あ、この台詞は聞き覚えがある。
「また、聖女交代の不安定な時期のため、今後も魔物の出没が予想されます。時機が合えば、アースガルドの魔物討伐の手助けをしてあげてください。こちらは、聖女試験の評価の対象となります」
ここの言葉も、記憶にある。ゲームではこれ以降、魔物討伐クエストが選択可能になるのだ。
――と、いうことは。
静かにシルヴィアは手の内を握りしめた。手のひらの柔らかい肉に、爪が食い込むのを感じる。
初めて確かに見えた希望の光に、興奮を隠せない。
基本となるシナリオは、確かに存在する。
前世のストーリーに沿って、聖女試験は進められている。
――それでも。
(未来は、シナリオは……、変えられる……!)
聖女試験の結果も、クレイとの関係も、決められた運命など存在しないのだ。
――それは、見えない未来に抗おうとするシルヴィアにとって、これ以上ないほどの福音であった。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
「クレイ、聞いて! 今回の魔物討伐の件、私の働きが聖女様に認められたの! 貴方のおかげよ!」
謁見が終わり帰宅したシルヴィアは、帰宅の挨拶を口にする間も惜しんで真っ先にクレイに試験の結果を報告する。
「おじょーさま……今日は随分とテンションが高いですね」
そんな彼女の姿に、出迎えるクレイが苦笑する。しかし、そんな反応も無理はない。
なにしろ今日謁見の間に赴く直前まで、魔物討伐が終わってからずっとシルヴィアは憂鬱な表情で暗く沈んでいたのだ。いくら頑張ろうと結局シナリオからは逃れられない……そんな無力感に苛まれて。落ち込む彼女を心配するクレイの気遣いすら、今は向き合いたくないと無碍にしてしまう始末。
そうして家を出た彼女が、スキップするかのような弾む足取りで満面の笑みを浮かべて帰ってきたのだ。クレイが呆れるのも当然だろう。
彼の冷めた視線には気づいていたが、興奮が抜けきらぬまま帰宅したシルヴィアは暴走が止まらない。舞い上がるような気持ちに任せて、ガシッとクレイの両手を握りしめた。普段であれば恥じらってできないような大胆な行動だが、今の彼女に怖いものなどない。
「だって本当に貴方のおかげなのよ? 私がこうして無事でいられるのも、聖女試験で評価されたのも、全部クレイが居てくれたから。この前は言えなかったけれど、あの時のクレイは本当に格好良かったわ……!」
彼の手を包み込んだまま、キラキラした表情でクレイの顔を見上げる。
――ああ、テンションの高い主人を前に困惑している時であっても、やっぱり彼は顔が良い。
「あぁ〜……褒めていただけるのは嬉しいんですけど、流石にちょっと照れくさいというか……えぇと、憧れの聖女様から認められて良かったですね……?」
「えぇ、本当に!」
力強く頷いた。
幼いシルヴィアが次期聖女と定められた時から、彼女にとって聖女はずっと憧れの対象であり続けた。
もちろんシルヴィアは、本物の聖女に会ったことはない。聖女は聖域に座す存在で、アースガルドに降り立つのは年に一度、立場を隠して訪れる冬の感謝祭の時だけだからだ。
それでも、歴代の中でも最長と言われる三百年の安定した御代を支え続けた実績は、それだけでも聖女の人ならざる御力を象徴するに相応しい。親族からは事あるごとに、お前も彼の方を目指して精進を重ねよと、言われたものだ。
「聖女様は……どのようなお方でしたか?」
クレイの質問に、シルヴィアは少しだけ意外な心持ちを覚えた。彼が自分から話を聞きたがることは、滅多になかったからである。
しかしまぁ、アースガルドに生きる者が聖女という存在に関心を抱くのは、ある意味当然の反応。
特にそれ以上思うこともなく、謁見の間での姿を思い浮かべる。
「御簾の向こうで姿は見えないけれど……声は、思ったよりも若かったわ。聖女様と知らなければ、同じくらいの年頃の女の子かと思うくらい。でも落ち着いていて、ほんの少し言葉を発するだけでもこちらの背筋が伸びるようで……、もう御簾の向こうから感じられる威厳がすっごいの! お言葉をいただくだけで心が震えるような、圧倒的な神々しさとでも言うのかしら……本当に、素晴らしい方だと思うわ、聖女様は!」
だから、とシルヴィアは普段見せない気弱な一面を覗かせる。
「だから、ちょっと不安になるのよ――私は、あんな完璧な聖女になれるんだろうかって」
「心配性だなぁ、おじょーさまは」
シルヴィアの不安を、クレイはあっけらかんと笑って流した。
「良いですか、おじょーさま。聖女様は確かに三百年の御代を支えた方ではありますけど、三百年前はおじょーさまと同じ、ただの女の子だったんです。御簾の向こうに居るのは、神様なんかじゃない。そこに居るのは、ちょっと責任感が強くて頑張り屋の……おじょーさまみたいな人間だ。――それを、必要以上に神聖視するのは、却って失礼ですよ」
そこまで一気に言い切ってから、クレイははっとしたように言葉を切った。
「すみません、出過ぎた真似を」
「いえ……別に構わないわ。ただ、少し驚いた。貴方、まるで聖女様のことを知っているかのように話すのね」
何気ないシルヴィアの感想に、クレイはただ曖昧に笑って返す。
だから、シルヴィアは思ってもみなかったのだ。
――まさか、本当に。
――クレイが聖女様と知り合いだったなんて。