19 悪役令嬢、負けイベントに挑む⑤
――そうして歩いて、どれくらいの時間が過ぎただろう。
進めば進むほど道は悪くなり、元々は人間の生活道路だった山道も気付けば獣道へと姿を変えている。
足元はぬかるみ、鬱蒼と茂る藪で視界も悪い。魔物の気配が感じられないのだけが救いだが、その所為で歩き続けなければならないのだから、それも良いのか悪いのか。
(良かった、やっぱり同行にフォーリア様を選んで本当に良かった……)
「大丈夫ですか、シルヴィア様? お荷物、少しお持ちましょうか?」
荷物を担ぎ直したシルヴィアを慮って、フォーリアが提案する。
「いえ、お気遣いなく……」
にっこりと笑んで、それを遠慮した。
実際、それは意地でもなんでもない。これだけ歩いたというのに、本当に体力的にはまだ余裕があるのだ。
これはおそらく、フォーリアと帯同したことによる『森の護り』が発動しているためだろう、とシルヴィアは考えていた。
緑の属性騎士固有の能力、『森の護り』――これはゲームで設定されている自動発動のスキルの一つで、山林での体力減少や怪我を減らしてくれるのだ。
ゲームでのシステムが実際にどこまで有効か不安だったが、どうやら設定通りだったらしい。
そうでなければ、さすがに弱音を吐いていたところだ。
ふぅ、と思わずため息が出るが、メゲたりなんかするものか。持ち前の負けん気を発揮して、顔を上げて前を向く。
ふっとフォーリアが微笑んだのがわかった。
「シルヴィア様は本当に……私が予想していたイメージとは違う方でびっくりしました」
「そうですか?」
一体、どんなふうに思われていたのだろう。少し不安になる。
「ええ。幼き頃から次期聖女として研鑽を積まれた貴族のお嬢様……というふうに聞いていたので、勝手ながらもっと高潔で近寄り難い、怖い方かと。お話してみるともっとずっと身近で……変な言い方ですが、年相応の女の子なんですね」
「失望させてしまったかしら?」
フォーリアは慌てて首を振る。
「とんでもない! むしろ相応しいな、と」
「その方が相応しいんですか?」
目を丸くしたシルヴィアに、これは私の持論なのですが、と前置きをしてからフォーリアは説明を始める。
「創造主たる我らが神は『超越者』でありますが、神の遣いである聖女はそうである必要はない……むしろ、人間的であるべきだと私は思うのです」
「人間、的……?」
意外な表現だ。
はい、とフォーリアは頷く。
「元神官が言うべき言葉ではないかもしれませんが……そもそも超越者たる神に、個々の人間の生活など理解される訳がないのです。神はただ俯瞰的に、あるがままに世界の存続を担っているだけ」
神職者が口にしているとは思えない、らしからぬ発言にシルヴィアはなんと返せば良いかわからず口をつぐむ。
だから、とフォーリアはシルヴィアの返事を待たずに言葉を続けた。
「だからこそ、聖女という存在がいるのです。我々の、大地に生きる人の喜びを、悲しみや苦しみを、理解する存在が。神と人を繋ぐ仲立ちが。
聖女に求められているのは、正しさでも高潔さでもありません。人々に必要なのは、ただ彼らの希望に寄り添い、明日の憂いを取り除いてくれる身近な御使い。むしろ、神と同じ目線に立つ裁定者であってはならないのです」
「面白い考え方、ですのね」
できる限り感情をにじませずに、相槌を打った。
シルヴィアの様子に気づく様子もなく、フォーリアは「宗教観というよりは人生観ですかね、これは」と、のほほんと笑っている。
それを見て、ほっと息をついた。どうやら、他意があったわけではなかったらしい。
「神と同じ目線に立つ裁定者であってはならない――」フォーリアの口にした言葉。
それは奇しくも、クレージュ家の育てようとしていた「聖女としてあるべき姿」と完全に対立していた。彼らは、シルヴィアをむしろ「奇跡をふるう神の代行者」として育てようとしていたのだから。
(きっと元のシルヴィアは、フォーリア様と相性が悪かったことでしょう……)
意図せず価値観を広げることになったシルヴィアは、自身を振り返ってこっそりと思う。
以前の自分は、市井の人間がどのような生活を送っているのか気にしたことなどなかった。
といっても、彼らに興味がなかったわけではない。出生率・識字率・平均寿命・所得格差……彼らを知るためにデータはいくつも確認したし、その数値を改善するために聖女として何が必要になるのかも真剣に考えていた。
ただ、目線が違っていただけだ。
民について誰よりも勉強していると自負していた彼女はその実、民の幸福については何も知っていなかった。彼女が目にしていたのは、「全体としてのあり方」だけだった。
(もちろんフォーリア様の言葉が全て正しいとは思っていない。でも……)
だからと言って、間違っているとも思わない。「正しい」は、いくつもある。
今まで自分の正しさだけを信じて生きてきたシルヴィアにとって、それは間違いなく大きな発見だった。