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12 悪役令嬢、奇跡に挑戦する④


「クレイっ、どうしたの、わざわざこんなところまで……」

 状況が飲み込めない、という顔を浮かべながらもオリヴァーはクレイを室内へと案内する。そうしてやってきたクレイに、取り乱したままシルヴィアは詰め寄った。

 ――ああもうっ! この場の情報量が多すぎて、頭の中がパンクしてしまいそうだ。


「今日のおじょーさまにはこれが必要なんじゃないかと思いましてね。――ほらコレ、もう一人の聖女候補サンのために作ったんでしょ?」

「私のために……?」


 ハルカが不可解そうに声を上げる。

 一方のシルヴィアは差し出されたモノが何か正確に読み取り、引ったくるようにしてそれを受け取った。


「クレイ、ありがとう。もう帰ってくれて良いわ」

 なんとか平静さを保って、彼にそう告げる。だというのに、クレイは悪戯な顔で追及の手を緩めない。


「あれ、違うんです? 五属性の基本的な知識や属性騎士エレメンタルナイトの名称・相性についてまとめたノート。突然もう一人の聖女候補が現れて聖女試験をするぞ、って話になったときにおじょーさまが作り始めたヤツですよ?

こんな基本的な事項、おじょーさまなら大昔に覚えているし、てっきりライバルの方にあげるものかと……」

「もう良いって! わかった、わかったから、貴方は戻りなさい!」

 言っていることは確かにその通りなのだが、シルヴィアは必死に声を張り上げてクレイの言葉を遮ろうとする。


 ――前世の知識により、もう一人の聖女候補の出現を予期していたシルヴィア。いよいよ聖女試験の話が出たときに真っ先に思ったのが実は、ハルカと仲良くなれたら良いな、という気持ちだった。

 二人で協力して切磋琢磨していく健全なライバル関係が築ければ、クレイを奪われることもなくなるのでは……という下心ももちろんある。だがそれだけでなく、彼女は「友達」という関係性に飢えていたのだ。

 昔と違って、対人能力はクレイとのお茶会で少しは鍛えられたはずだ。ゲームの中のハルカは素直で優しい子だったし、こちらがツンケンした態度をとらなければ友達になれるかもしれない。何気ないおしゃべりに花を咲かせたり、どこかに一緒に出かけたり……そんなことが彼女とできたら。


 そう思って作り始めたのが、仲良くなるキッカケのためのノート。平民から突然聖女候補に祭り上げられてしまったのだ、いろいろとわからないことも多いだろうと慮った結果であった。

 でもそんな想いとは裏腹に、出来上がったのは味も素っ気もない淡々と情報をまとめただけのシロモノ。わかりやすくまとめることはできたけれど、これではタダの参考書だ。自作の参考書を押し付けてくる相手と、誰が友達になりたいと思うだろうか。


 という訳で、そのアイデアはお蔵入りになっていた……のだが。

 ――何故、クレイがそのノートを手にしているのだろう。その黒歴史は、机の奥底にしっかりしまったハズなのに。

 隠していた恥ずかしい過去の遺物を目の当たりにして、シルヴィアの動揺は極限へと達する。


「はいはい、と。んじゃ、それ渡したんで俺は帰りますよ」

 そんな主人の姿を見てやれやれと肩をすくめたものの、それ以上は何も言わずクレイは素直にくるりと背を向ける。


 それを見てホッと息をつく。――さて、ここからどう仕切り直そうかとシルヴィアの意識が逸れた、その瞬間。

 退出しようとしていたはずのクレイが素早くこちらに向き直った。

 なにを、と思う間もなくシルヴィアの右耳に、クレイの囁き声が落ちる。

「今朝の仕返しですよ」

 笑いを含んだ、少し掠れたイジワルな声。身を屈めたクレイのサラサラの茶色い髪が、シルヴィアの頬をそっと撫ぜて去っていく。


「なっ……!」

 ――息! クレイの吐息が耳に!


 ボンっとシルヴィアの顔が赤く染まった。

 なんだか耳が熱い。心臓もバクバク言っている。なんだ、今の破壊力は⁉︎


 気がつけば、肝心のクレイは耳打ちをして素早くその場からの脱出を決めている。

 残されたのは、あまりの出来事に真っ赤な顔でその場に立ち尽くしたシルヴィアだけ。


 やっぱりアクアの様子が聞いてた話と違うことを根に持っていたのね、と冷静に呟く自分と、羞恥に悶える自分が別々に脳内で暴れ回る。

 ……いけない、何か対応をしなければ三人に不審に思われてしまう。


「えぇと……」

 改めて背筋を伸ばし、厳しい視線でハルカを射抜く。ハルカがビクッと姿勢を正した。

 ……うんうん、大丈夫。多少無理があることは承知しているが、それでもこのままのノリで押し切れそうだ。


「貴方、文字は読めて?」

「はいっ、時間は掛かりますが一応は……」

 庶民上がりとしては、文字が読めるだけでも優秀な方だろう。


「それなら、このノートを差し上げるわ。五属性の基本的な情報が書いてあります。それを見て、勉強なさい」

「あっ、ありがとうございます……!」

 差し出したノートを胸にかき抱くように受けとって、ハルカは眩いばかりの表情でシルヴィアを見上げた。


 ウルウルと涙で滲んだ瞳は先ほどと同じだが、そこに浮かぶのは感謝の光だ。

「私、一度聞いただけで物事を覚えられるほど、優秀じゃなくて……何度も同じことをお聞きしたり間違えたことを口にしてしまったりして、自分ってなんてダメなんだろうって落ち込んでいたんです。

……でも、こうやって紙に書いてあったら覚えられそう! シルヴィアさま、私なんかのために本当にありがとうございます……!」


「……もしかして、何かを覚えるのに紙に書きつけるというのは、一般的ではないの?」

 シルヴィアの問いに、ハルカは困ったような顔を浮かべる。

「そうですね。紙もインクも高価ですから……ごめんなさい、男爵家に引き取られたけどまだ感覚が庶民なんです、私」

「私も、貴族の感覚でものを言っていたわ。固定観念に囚われてはダメね」


 ――だから、先ほどの暴言は忘れて!


 素直に謝れないシルヴィアは、言外にそんなニュアンスを込める。

 その思いが届いたのかはわからないが、ハルカはにっこりと笑って頷いた。


「私、焦って自分のことばかり必死になってたみたいです。シルヴィアさまの邪魔をしちゃってごめんなさい……また、お邪魔しますね」

 どうやら一息ついて、周囲を見る余裕ができたらしい。先ほどとは打って変わって素直にハルカは退場する。




 突然の闖入者は、そうしてその場を去っていき。


 ――後には、毒気を抜かれた顔の三人が残されたのだった。


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