10 悪役令嬢、奇跡に挑戦する②
そうして話をしているうちに、気づけば炎の属性騎士執務室の前まで来ていた。
「オリヴァー? 昨日言ってた件だけど、入るよー?」
礼儀にうるさい先輩、と説明していたくせに、アクアはノックもせずに執務室の扉を開けてずかずかと中へ歩みを進める。
「失礼します……」
あんな入室をした義弟の後に続くのは、さすがに気が引ける。せめてもの挨拶を口にしつつ、シルヴィアは恐る恐る室内へと足を踏み入れた。
「マイペースなのは相変わらずだな、アクア。ほんっとに、しょうがない奴だ。……さて、炎の属性騎士の執務室へようこそ、シルヴィア。俺が炎を司るオリヴァーだ、よろしくな」
そんなシルヴィアを快く迎え入れた男性。炎の属性騎士、オリヴァーは席から立ち上がると、シルヴィアに白い歯を見せて爽やかに笑いかけた。
まさに正統派ヒーローとでも言うべきキラキラした光に満ちた、その姿。
燃えるような赤い短髪、明るい鳶色の瞳。属性騎士に選ばれる前は近衛騎士団に属していたという彼は、身体にしっかりと筋肉がついていて力強さが感じられる。上背も高く、属性騎士の中では一番男性的な攻略対象と言っても良いだろう。
だからといって、粗野な印象は全くない。カラッとした初夏の風のような気持ちの良さが感じられる。
裏表がなく、誰とでもすぐ仲良くなることに長けている。それなのに軽薄さが感じられないのは、その行動に真っ直ぐな誠実さがあるからだろう。どこをどう取っても、文句のつけようがないほど清々しいキャラクター、それがオリヴァーだ。
「アクアのことは心配していたんだ。何をやっても面白くないって顔をしてさ。マイペースで他人とはしっかりと壁を作って、そのくせいつも傷ついたような顔をして。
……家族との折り合いもあまり良くないと聞いていたから、実のところ今回の話を聞いて驚いた」
嫌味なくさらりと、オリヴァーはアクアの過去を口にする。
「もうっ、昔の話はやめろよー。それよりオリヴァー、この茶葉使って良いー?」
そんな彼の言葉に、アクアは反発する様子もない。それどころか部屋の主人を差し置いて、彼は訪れて早々に執務室の戸棚を勝手に漁り始める。
おっ、美味しそうなお菓子発見、と呟きながら慣れた手つきでお茶の準備を始めるアクア。
座って、と促されて、シルヴィアはその様子を心配そうに眺めながらも椅子に腰掛けた。
「ごめんなさい、わがままな義弟で。多分あれ、試してるんだと思うんです。どこまでやっても怒られないか、どこまで甘えて良いのか……ああしないと測れないんでしょうね」
義弟の横暴っぷりに、椅子の上で身を縮めて謝罪を述べる。
驚いた、とその対面にどっかりと腰を下ろしたオリヴァーは目を丸くした。
「アイツのこと、よく理解してるんだね。――なんだアイツ、自分のこと気にかける人間なんか居ない、とか言っておきながら、こんな素敵な姉がいるなんて聞いてないぞ……」
「いえ、私がそういうふうに周囲を見られるようになったのは本当に最近のことで。アクアには、本当に可哀想なことをしてしまって……」
「なになにー? 何の話ー?」
予想外にテキパキとお茶の支度を終えたアクアが、二人の会話に無邪気に割り込む。
なんでもないわ、とシルヴィアは慌てて言葉を切った。
「それにしてもアクア、貴方、先輩に向かってそんな言葉遣いなんて……」
「えー? もちろん、学校にいる時はちゃんとしてたよ。でも、もうこれからは同じ属性騎士なわけでしょ? 敬語の方が水くさいよ」
オリヴァーもあっさりとそれに頷く。
「俺もそれが良いって言ったんだ。なんならシルヴィア、あんたにももう少し砕けた態度をとってほしいくらいさ」
「そ……それは……」
「もうー、義姉さまったら頭が固いんだから」
思わず言葉に詰まったのを、アクアに笑われる。
「ま、別に無理にとは言わないさ。ただ、俺がそう望んでるってのは知っといてほしい」
肩をすくめてさらりとそう述べたオリヴァーは、いかにも自然に話題を学校生活の思い出へと転換させる。そんな気遣いがさりげなくできるところまで、男前である。
シルヴィアはそんな優しさに甘えて、楽しくアクアの学校生活の話を聞かせてもらっていたのだが――しばらくして。
よしっ、とオリヴァーはそんな会話を切り上げるように勢いよく手を打った。思わずその音の方向へと、シルヴィアの視線が吸い寄せられる。
そんな彼女に、オリヴァーは軽い調子でとんでもないことを言い放った。
「せっかくここまで来たことだしさ……奇跡の発現でもしてみるかい、シルヴィア?」
「な、ななな……! 奇跡の発現ですか⁉︎ 出会ったばかりなのに……そんな……!」
平然とした様子オリヴァーとは対極的に、悲しいくらいに動揺が出てしまうシルヴィア。平静さを装うことすら失敗した彼女を前に、オリヴァーは楽しそうに笑って頷いた。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
――奇跡。
それは、聖女候補たちが現状使うことができる、聖女の能力の片鱗である。
攻略対象である属性騎士は、それぞれの属性に対応した『加護』を司っている。聖女候補たちは彼らと力を合わせ、その『加護』が世の中に行き渡るように調整することが求められているのだ。彼らの加護が滞れば魔物が発生したり田畑の実りが減少したりするし、逆に浸透していればアースガルドは豊かになる。
聖女としての適性は、この奇跡の発現の成功度合いに掛かっているといっても過言ではない。
実際、ゲームの中でも、この奇跡は大変重要な要素だった。
ただし、奇跡は簡単には成功しない。属性騎士との信頼の積み重ね、どのような方向の奇跡を起こすのかの擦り合わせ、そして本人の揺るぎない想いがあって初めて成功するのだ。初期の頃の成功率はかなり低い。
特に悪役令嬢であるシルヴィアの成功率は……ゲームをしていての体感ではあるが、かなり低く設定されていた。
しかも、この奇跡。
成功・失敗に関わりなく、属性騎士側に多大な負担を強いることになる。ゲームの中の話になるが、属性騎士と奇跡に挑戦した場合、翌日その攻略対象は執務室に現れず、デートもキャンセルされることになっていた。
だからこそ、好感度の低い相手には「奇跡の発現」をお願いしても断られることが多いのだ。
だというのに、オリヴァーは屈託なく笑う。
「んー? 話していたら大体、シルヴィアがどんな人物なのかわかったしさ、キミとなら一発で成功できるかもって。……もちろん、シルヴィアが嫌じゃなかったら、だけど」
「オリヴァー相手が嫌なら、僕が相手でも……」
「やります」
アクアの言葉を遮って、即座にシルヴィアは返事をした。
初めての経験だ。まだ、自分の中の聖女の能力もはっきりと理解できているわけではない……おそらく、今回の挑戦は失敗するだろう。それでも挑戦することができれば、得られるものは多いはず。
……もちろん、力を貸してくれるオリヴァーのためにも失敗するつもりはないけれど。
キッと真っ直ぐオリヴァーを見据えて頷けば、彼は満足げに笑う。
「やっぱりシルヴィアは思い切りが良いタイプだな。じゃあ、早速始めよっか。
……アクア、この後俺スゲー疲れると思うからさ、なんか元気出るお茶とお菓子でも用意しといてよ」
「はいはい、わかったよ――義姉さまも、あんまり無理しないでね?」
むぅ、とふくれながらもアクアは諦めたように首を振る。
「えぇ、心配してくれてありがとう」
シルヴィアはそんな彼ににっこりと笑いかけて、奇跡を行う水盆へと足を向けた。
――ちょうど、その時だった。
「オリヴァーさまー? いらっしゃいますかー?」
突然。
無邪気な声と共に、勢いよくガチャリと執務室の扉が開いた。
「あっ! ごめんなさい、もしかしてお取込み中でしたか?」
明るい声と共に、眩しいほどの金色の髪と、少し子供っぽい赤いリボンがシルヴィアの目の前で揺れた。
元々は庶民だったとは思えない抜けるような白い肌と、それ故に誇張される桃色の瑞々しい頬。
申し訳なさそうに眉尻を下げながらも、それでも部屋の中へ足を踏み入れる悪意なき厚かましさは、愛される者の傲慢さ故だろうか。
着ているのはシルヴィアと同じ、白いブラウスとジャンパースカート。但し、シルヴィアのスカートが落ち着いた紺色なのに対し、彼女の服は淡いピンク色だ。それもあり、同年代なのに二人並ぶと彼女の方がよっぽど幼く見える。
――どうして、このタイミングで、彼女が。
シルヴィアは目の前の光景が信じられずに思わず喘いだ。
「わぁ、アクアさまもシルヴィアさまもご一緒だったんですね! 初日にお会いしましたけど、改めてよろしくお願いします、聖女候補のハルカです!」
物怖じせず、真っ直ぐに挨拶する声が耳を素通りしていく。
――そう。
突然の闖入者である彼女こそが、シルヴィアのライバルでありゲーム上でのヒロインとなるハルカ、その人だった。




