リクエスト~桜降る 雪の様に~
「リクエスト~桜降る 雪の様に~」
「C食入ります」
朝食が配られる時間、衛生夫はそう言って食器口に飯を置いて行った。
「何だと、この野郎が」
俺は衛生夫の背中に、威圧的な声を投げかけた。
衛生夫は俺の声を無視し、忙しそうに隣りの舎房へと移って行った。
懲罰は昨日で終わった。終わったと言いうのに、刑務作業に従事する舎房内作業者が食べるべき「C食」がこの部屋に入って来たと言う事は、刑務所側は、俺に対し集団生活不適格者の烙印を押し、このままこの俺を独房で飼い殺しにする事を決定したと言う事だ。
「上等だこの野郎」
一声吠え、俺は入り口のドアを思い切り蹴とばした。
直ぐに担当が飛んできて言った。
「今ドアを蹴飛ばしたのはお前か」
「知らねぇよ」
「本当に違うのか」
「知らないって言ってんだろが」
シラを切った。
担当は隣の舎房の奴に「何処から音が聞こえたか分かるか」と聞いた。
「分かりません」と隣の舎房の奴が答えた。
「そうか」と言って担当は、自分の持ち場へと戻って行った。
俺だって初めからこんな調子で懲役を務めようと思って居た訳では無い。
今度の懲役で6回目の刑務所暮らし。
これだけ回数が重なれば、さすがに仮釈放を貰うのは無理だとしても、無事故で真面目に出所までの日々を頑張るつもりでは居た。
ケチの付き始めは、新入の訓練工場からだった。
「お前達に先ず言って置きたいのは、この新入訓練で我慢を覚えろと言う事だ」
担当の言葉に人情を感じ、その時は頑張ろうと言いう気持ちに成れた。
金魚を入れるビニール袋の紐通しなんていうチマチマした作業にも一生懸命に成れた。
人より少しでも多く作業をしよう、あいつは頑張ったと認めて貰おう、そんな目立ちたがりの性格が仇と成った。
作業台からピンク色のビニール紐が滑り落ちた。手を上げ、作業指導の許可を得てから拾うのが、この新入訓練工場で教えている基本中の基本だ。
目だけを動かし周りを見た。
衛生夫は忙しそうに働いて居る。
手を伸ばせば床に落ちたビニール紐を誰にも気づかれずに拾う事が出来そうだ。
担当台を横目で見ながら、俺は床に手を伸ばした。
その途端「河原!」と地鳴りがする程の大声で名前を呼ばれた。
静かにドアを開け、工場内に入って来た意地の悪い若い交代の担当だった。
直ぐに手を引き着座姿勢に戻ればまだどうにか成ったのかも知れない。
俺は更に一〇センチほど手を伸ばし、落ちていたビニール紐を拾い上げた。
「オイ、今自分がやった事が何か分かって居るのか」
若い担当に大声で怒鳴られた。小僧の様な若い担当に怒鳴られ、火が付いたように自分の顔が赤く成るのが分かった。
「済みません」
取り敢えず頭を下げて見た。
「済みませんじゃねぇよ、分かってるのかと聞いてんだよ」
若い担当は容赦なく俺を怒鳴りつける。
限界だった。
「だから謝ってんだろうが、手前ぇ何様だこの野郎」
言った直後には『しまった』と感じて居た。
だからと言って、「今のは無しです」とは言えないのが刑務所のルール。
俺は担当抗弁と、ビニール紐を拾う際、椅子から尻が離れたと言う理由で無断離席と成り、懲罰を受ける事に成った。
新入訓練の最中に懲罰を受けてしまえば、罰明けに配役されるのは再び新入訓練工場だ。
只でさえ厳しく指導される新入訓練工場で、一度ケチが付いて居るだけに、一言注意を受ける度、目の敵にされて居る様な気持ちに成った。
行動訓練の時、停止の動作でたった一度タイミングが合わなかった。
若い職員がそれを見逃さなかった。
列の外に引っ張り出された。
「お前一人が合わないだけで皆が迷惑するんだよ、やる気が無いんだったら出てってくれよ!」
大勢の受刑者の前で怒鳴られた。
自分の子供よりはるかに若い職員に怒鳴られ、また同じ過ちを犯した。
「だったら出てってやるよ、このガキが!」
再び担当抗弁。真面目にこの懲役を務めようと言う気持ちが消えた瞬間でもあった。
刑期もたかが二年だ。このまま独房で二年暮らすくらい、それ程苦痛とも思わなかった。
二十日の懲罰が終わり、新入訓練工場に配役に成る朝、俺は独房から出る事を拒んだ。
作業拒否で調査に成った。取り調べの間、金魚を入れるビニール袋に、ただ一本の紐も通さなかった。
当然担当からは何故仕事をしないのか注意を受ける。その注意指導に一いち口答えをし、懲罰を受けるための調査に担当抗弁が加わった。
府中刑務所に収容されて四ヶ月。ついに俺は処遇上、つまり集団生活不適格者に指定され、昼夜独居の住人に成った。
昼夜独居の住人に成ると言う事は、運動と入浴以外は独房から一歩も外に出られないと言う事だ。
朝食の後、独居担当が食器口からA4の紙を一枚入れて来た。
「この後ラジオ放送が入るから、それを聴いて感想を書く様に」
担当はそう言ってラジオのボリュームを上げた。
「うるさいからラジオは消してくれよ」
俺がそう言うと
「教育指導日のラジオは、余暇時間のラジオとは違うから消す訳にはいかない」
担当はそう言って俺の部屋の前を離れた。
全く刑務所と言う所は、どうして面倒な事ばかりを押し付けて来るのだろう。
「過ちはもう再び」と言うアナウンスと共に、辛気臭いババアの声で放送は始まった。
直ぐに男の声に切り替わり、ただでさえ暗い話を殊更に芝居がかった陰気な声で作文を読み上げて行く。
仕事が終わり、家の近くで酒を飲んだ男が、短い距離だからと車を運転し家に向かった。そこにバスから降りて来た男が、黒い蝙蝠傘を刺し黒いカバンを持ち、灰色のスーツでバスの後ろからいきなり道路を横断した。
そこへ飲酒運転の男が通りかかり、轢き殺してしまった。雨の夜、横断歩道の上でも無い。それでもこの男は危険運転で刑務所に入れられた。
こんな馬鹿げた話は聞いてられないと思った。
担当が持って来た感想用紙など、丸めて捨ててやろうかと考えていたが「男は悪く無い」と一言だけ書いて提出する事にした。
感想文を書いてしまうと、もうこんな放送には用は無い。ラジオ放送は、引き続き女の声に変わり暗い話しを語っていたが、俺はその声を無視し本を読み始めた。
直ぐに食器口が開く音がした。
「放送が流れている間は本を読むな」
交代の若い担当だった。
「うるせぇな、感想は書き終わったよ」
俺は言い返した。
「感想文を書いたからいいと言いう訳では無い、放送が流れている間は黙って放送を聞きなさい」
まだニキビの後が残る若い担当に、命令されているようで頭に血が登った。
「俺に一いち命令してんじゃねぇよ」
そう言い放つと、若い担当は俺との会話を避ける様に何処かへ居なく成った。
ザマアミロと腹の中で毒づき、読みたくも無い官本を開き、字を目で追った。
間も無くしてドアの鍵が開き、袖口に金線を巻いた年輩の担当に部屋から出る様に言われた。
「指示違反」で調査を言い渡された。
「ふざけやがって」と、悔しさが込み上げて来た。
一日中独房に居て作業をする訳でも無い。夜のラジオも煩いばかりでスピーカーのスイッチはいつも切って居る。昼夜独居に居て懲罰を受けているかどうかなど、どうでも良い事だと言うのに、一方的に調査を言い渡されるのは、喧嘩に負ける様で面白くは無かった。
だからと言って不機嫌を顔に張り付け、態度に出した所でそこに居るのは自分独り。ただ貧乏揺すりを繰り返し、聞きたくも無い教育放送を聞いて居るしかなかった。
イライラして居る時は時間の経過も早い。
直ぐに昼食の時間と成った。
同時に軽快な音楽が流れ、若い女の声が聞こえて来た。
「皆さまこんにちは長谷川理沙です。一か月のご無沙汰でした。今日もけやきの散歩道の時間がやって来ました」
と明るく語り掛けて居る。
ついさっき処遇本部に呼び出され、ラジオ放送が入って居る時はラジオを聴く以外の事をしてはいけないと言われ、調査まで言い渡された身としては、こんな矛盾に納得できる訳が無かった。
叩き付ける様に担当を呼ぶための報知機を出した。
直ぐに昼夜独居の責任者である本担当がやって来た。
「どうした」
「オヤジよ、どうしたじゃねえよ。さっき処遇本部に呼び出されてラジオを聴く以外は何もするなって言われたのによ、これじゃあ飯も食えないじゃんかよ」
俺がそう苦情を訴えると、本担当は少し笑い「今は休み時間だから、ラジオが流れていて居る時間は余暇時間と思って好きなようにして居て良いから」と言った。
「ラジオが付いて居る間は何もするなとか、ラジオが付いて居る時間は何をしても良いとか、ちょっと難しすぎないか」
俺の言うそんな苦情にも、変わり者ばかりが住まう昼夜独居の正担当は慣れているのか、「まあ、そんな事言うなよ」と笑いながら俺の部屋の前を離れて行った。
「今日は三区の皆さんのリクエストと、冬の食べ物と言えば、と言うテーマでお送りいたします」
パーソナリティーの言葉に「おや?」と思った。この放送は刑務所の中だけの特別な放送なのだろうか。
そう思うと少しだけ耳を傾ける気持ちに成った。
放送は、長谷川理沙と名乗ったパーソナリティーがそれぞれのメッセージを読み上げ、リクエスト曲をかけて行くと言うスタイルで、受刑者が好みそうな曲が多く、飽きずに聞く事が出来た。
放送もそろそろ終わりに近づいたころ「冬の食べ物と言えばウナギの鍋です」と言うメッセージを読み上げた。
ウナギは夏の食べ物だとばかり思って居た。況してや、ウナギを鍋で食べるなど聞いた事も無い。ところ変われば食べ物の季節や食べ方も変わるのかと思って居ると
「あらゴメンナサイ、これウナギじゃ無くてウサギだわ」と言った後、コロコロと笑う長谷川理沙の声が聞こえた。
思わず俺も笑って居た。
この刑務所に来て何もかも思い通りに行かず、取り調べと懲罰を繰り返し、挙句には処遇上となり、昼夜独居に押し込まれてしまった。そして、こう成った理由をすべて誰かのせいにし、日々荒んで行った。
俺は一体いつから笑って居なかったのだろう。そんな事を考えている間に、放送はエンディングに向かって居る様だった。
「では、来月は四区の皆さんのリクエストです。テーマは桜の思い出をお願いします。では皆さんごきげんよう」
そう言ってラジオ放送と休憩時間が同時に終わり、再び退屈な教育指導日が始まった。
一週間の取り調べの後、二十日の懲罰が言い渡された。
普通なら「指示違反」など十日か十五日が目一杯と言うのに、繰り返し担当に楯突き常習化して来ると、懲罰も重くなってくるようで、その点に関しては外で受ける裁判の判決と変わりが無い。
懲罰に成ると、日がな一日中廊下に向かって座り、壁に寄り掛かる事も出来ないのは辛いが、担当からやれ仕事をしろ、綺麗に仕上げろと文句を言われないだけ、懲罰で座っている方が気が楽だともいえた。
それともう一つ、懲罰の利点がある。
空想の世界に逃避する事が出来る事だ。
自分がすごい金持ちになり、高級車やブランド品に身を包み、この世の春を謳歌する姿や、アイドルや女優を連れてドライブやクルージングに出掛ける。そんな馬鹿な空想に酔っていると、時間はアッと言う間に過ぎていく。
深と静まり返った舎房棟の廊下、遠くで金属のぶつかる音が聞こえてくれば飯の時間だ。
飯は懲罰中の唯一の楽しみ。腹が膨れると眠気と闘うのが辛いが、また直ぐに新たな空想のネタを探して時間をやり過ごすのだ。
何時もの様に朝飯を食い、廊下に向かって座っていると、遠くに女の声が聞こえた。
「そうか、今日は教育指導日か」そう思うと同時に、再びあの辛気臭いババァの過ちはもう何たらとか言う放送を聞かされるのは溜まった物ではないと思った。
「フン」と鼻を鳴らし、足を投げ出し両手を後ろに突いて座っていると「ちゃんと座ってろ」と若い担当が注意をして行った。
また腹が立った。
さて、今日はどんな空想を浮かべて時間を潰そうかと考えて見たが、遠くに聞こえるラジオ放送が気に成って、思う様に自分の世界に入る事が出来ない。
そう言えば…と思い出したのは、前回の教育指導日の昼飯の時に流れて居たけやきの散歩道と言う所内放送の事だ。
今日も昼飯の時間に流れるのだろうか。
懲罰中の俺の部屋には流れる事はないだろうが、耳を澄ませば隣りの部屋の音が聞こえるかも知れない。
『確か、今月のテーマは桜の思い出がどうとか言ってたな』と前回の放送の事を思い出して居ると、有る事に思いが至った。
そう言えばウサギの鍋…この間の放送の時は長谷川理沙と言うパーソナリティーのリアクションが余りにも面白すぎて、ただ笑って過ぎてしまったが、良く考えて見ると、俺は一度だけウサギの鍋を食べた事が有った。
あれは小学校二年生の時だった。
俺は札幌の北野沢と言う、農家の多い地域の貸家に家族五人で住んで居た。
隣が大家の家で、何時も俺を可愛がってくれた大家の長男、肇が居た。
俺はこの肇兄ちゃんが大好きだった。
ある日、肇兄ちゃんが苫小牧の全寮制の高校に合格し、単身すぐにも学校の寮に引っ越す事を我が家に報告に来た。
俺は余りのショックと悲しみで泣き出してしまい、何時までも無き止むことが出来なかった。
余りの俺の悲しみ様に、肇兄ちゃんは出発の朝、可愛がっていたウサギを俺にくれた。
俺がそのウサギを受け取って居ればなんて事は無かった…。なんて事は無かったのだが、そのウサギを受け取ったのは何時も週末に泊まりに来ていた祖父ちゃんだった。
俺が学校から戻ると、家の台所から実にいい匂いが漂っていた。テーブルの上を見て今日は鍋料理だと直ぐに分かった。
冬の北海道、鍋料理は最高のご馳走だ。
肉も山積みに有る。
「今日はなに鍋?」
嬉しく成った俺が話し掛けると、母ちゃんは困った顔をし、祖父ちゃんは食卓テーブルの椅子に座り肩を落としている。
戦争を生き抜いてきた祖父ちゃんは、肇兄ちゃんがくれたウサギを食材と勘違いして解体してしまったのだ。
俺も何度か餌を上げた事の有る、白い大きなウサギだった。
俺は肇兄ちゃんが遠くに行ってしまった事と、ウサギが死んでしまった事で大泣きをしたが、ウサギの鍋は何故かしっかりと食べた事だけは覚えて居た。
あの時の母ちゃんの顔、俺より先に泣き出してしまいそうな祖父ちゃんの顔を思い出すだけで、今は笑いが止まらない。
祖父ちゃんは俺が中学一年の時に死んだ。母ちゃんはバブル経済が弾けた頃、大きな借金を作って若い男と何処かへ消えた。今は生きて居るのかどうかも分からない。
遠くで音楽が聞こえる。けやきの散歩道のオープニングに違いない。
この間の放送時間は昼飯の時だったのに、今日は午後からの放送の様だ。
息を殺して長谷川理沙の声を聞き取ろうとしたが、何を話して居るのか聞き取る事は出来なかった。
確か今月のテーマは桜の思い出と言って居た筈だ。
故郷を離れ、横浜に出て来たのが二十四歳だった。あれから既に三十年が過ぎて居ると言うのに、桜の思い出を手繰り寄せた途端、俺は札幌の丸山公園の桜の木の下に立っていた。
大きなおにぎりを頬張り、ジンギスカンを焼いて居る。喧嘩ばかりしていた4歳年上の兄貴や、何時も俺の後を追い掛けて居た弟が笑って居た。
若くして死んだ親父や、長年恨み続けた母親さえも幸せそうに子供たちを見つめて居た。
小学校に上がるか上がらないかの頃だったのだろうか、確かな記憶では無いが、古ぼけた写真が語る様に、それは確かに有った風景の記憶だった。
あの頃、俺が覚醒剤に狂い6回も刑務所にぶち込まれる人間に育つと誰が想像できただろうか。初犯を務めて居る時に死んだ父親が、もし今も生きて居たとしたなら、こんな俺の姿を見て何と言うのだろう。
配食の号令で俺は現実に引き戻された。
涙で目元が濡れて居た。
「何だよ…」独り言ちて大きな溜息を一つ吐いた。
今回の懲罰は何時ものそれとはいささか勝手が違った。
何時もなら馬鹿げた空想を膨らませ、ニヤ付いて居る内に懲罰が終わると言うのに、けやきの散歩道を聴いてからと言うもの、家族の事や昔別れた女や子供の事を考える時間が多く成って居た。
考えた所でどうにもならない事なら、初めから考えない方が良い。それが刑務所の中で、精神的にも健康に暮らす秘訣だ。
少なくとも俺はそう思って居る。
それなのに…少年刑務所で初犯を務めて居る時に父親は肺がんで他界し、前刑は実兄が四十八歳の若さで胃癌によって急死して居る。
家族の死に目に会えないならまだしも、俺は二人の葬式にさえも参列する事が出来なかった。
今回の懲罰の期間に自分の人生を振り返り、初めて「後悔」の二文字が頭に浮かんだ。
暗い気持ちに成った。二十日の懲罰がひどく長く感じた。
懲罰が終わると、月に二回ある教育指導日がまた直ぐにやって来た。
昼食の時間に再び「けやきの散歩道」の放送が有り、どうやら再放送が流れて居るらしいと言いう事が分った。
懲罰中、今月のテーマの「桜の思い出」に思いを馳せた時、不覚にも幼少の頃の家族の思い出に涙を流してしまった。
今日はパーソナリティーのテンポの良い会話や桜にまつわる音楽を聴いていると、また違う感情が湧いて来た。
音楽は不思議だ。ケツメイシの「さくら」や森山直太朗の「さくら独唱」を聴いているだけで、その曲が流行って居た頃に自分の側にいた女の事や、一緒に過ごした時間、どんな事で悩んで居たのかさえ鮮明に浮かんでくるのだ。
ケツメイシの「さくら」が流行って居た頃、俺は一歳年上の涼子と言う女と暮らして居た。
涼子には小学校二年生になる奈菜と言う娘が居た。
奈菜は良く懐き、俺の事をニイニと呼び、何処に行くにも後を追って付いて来た。
俺も奈菜の事が可愛くて仕方なかった。
しかし、奈菜の事が可愛く成れば成るほどに、同じ年ごろの自分の本当の娘に会いたくなるのだ。
前妻との間に生まれた俺の本当の娘は、同じ横浜の目と鼻の先に住んでは居たのだ。
ところが、俺が務めた五年の懲役の間、出所まで必ず俺の帰りを待つと言う約束を守れなかった元嫁は、俺の出所が近づく直前に警察を間に入れ、俺が娘の側に近寄れない様に手を回した。
悔しかった。確かに五年もの長き間、懲役を務めたのは俺の勝手かも知れない。
しかし、五年も刑務所に入れられる様な悪事を働き、贅沢三昧をさせてやったと言う自負も俺には有った。
だからこそ、元嫁も「帰って来るまで絶対に待って居る」と約束したのでは無かったのだろうか。
出所後、娘の側に近寄る事も出来ないと知り、初めは殺してやりたいと思う程元嫁を恨んだ。
憎くて、悔しくて、自分の頭の中がどうにか成ってしまうのでは無いかとさえ思う日が続いた。
ある日、涼子の娘の奈菜が、学校で流行っている「どうぶつの森」と言いうゲームの攻略本が欲しいと言った。
それは人気の本で、近所の本屋を何件も回ったのに、どの店も売り切れだった。
俺は車の助手席に奈菜を乗せ、郊外の大きな本屋へと出掛けた。
カーステレオからケツメイシの「さくら」が流れて居た。
本屋へ着くまでの間、俺は奈菜と二人「ヒュルリラ、ヒュルリラ」と合唱をしては大きな声で笑った。
そして俺は気付いた。元嫁の事は許せなくとも、娘の幸せを願うなら、俺の様な犯罪者は近寄らない方が良いのだと。
そして、今目の前に居るこの奈菜と言う娘の為に、全力を尽くして生きなくてはいけないのだと。
一時間の「けやきの散歩道」はあっという間にエンディングと成り、パーソナリティーの長谷川理沙が「来月は五区の皆さんのリクエストです。テーマはゴールデンウィークの思い出です。沢山のリクエストをお待ちして居ます」と言って放送は終わった。
五区と言いう事は、つまり独居や考査で作業者をする者も含まれる。
リクエストまでして聞きたい曲など思い浮かびもしないが、この長谷川理沙と言うパーソナリティーにメッセージが書けるなら、何かリクエストをするのも悪く無いと思った。
月曜日、作業が始まると直ぐに食器口が開き「願い事は有るか」と正担当のオヤジが聞きに来た。
「願い事では無いんだけど」
と俺が言うと
「用事がある時は先ずは番号名前だろ」
と間髪入れずにきつい声が返って来た。
途端に俺は気分が悪く成り、あからさまな舌打ちをして見せた。
「何だ」
「何でもねぇよ」
と俄かに険悪な空気と成った。
「だから何か用事があったんだろ」
と担当にもう一度聞かれ、リクエストカードの件を聞くだけは聞いて見ようと思った。
「教育指導日の所内放送で来月は五区のリクエストだと言ってたから、俺でもリクエストが出来るのか知りたかったんだよ」
不貞腐れた様に俺が言うと、オヤジはニヤリと笑い
「だったら来月は取り調べに成らない様に頑張れ」
と言って隣りの部屋に移動して行った。
オヤジは出来るか出来ないかの答えは出さなかったけれど、頑張れと言うのだから多分出来るのだろう。
オヤジが言う様に、せめて五月いっぱいは調査に成らない様に頑張って見ようか。
ゴールデンウィークの思い出…。
そう思うと再び札幌の丸山公園の桜の下が浮かんで来る。
札幌のゴールデンウィークと言うのは、つまり桜の季節でも有るからだ。兄と弟、父親に母親、兄は異母兄で母は継母、世間から見れば些か複雑な事情を抱えた家族かも知れないが、桜の下でジンギスカンを食べたこの日の記憶は、確かに幸せな家族の思い出だった。
自分の父親の歳が一体いくつなのかを初めて意識した時、父は四十二歳だった。俺は父が三十三歳の時の子供と聞いているから、その時俺は小学校三年生だったのだろう。
その頃、それまで住んで居た札幌の郊外の田舎町から、すすき野のど真ん中にあるマンションに移り住んで来たばかりだった。
そのマンションの部屋は、北向きの全く日の当たらない部屋だったとは言え、家族五人が住み、子供たちは皆この家から学校に通い、日曜日は必ず家族で外食をした。
そこには人並みの家族の形が有った。
それに比べて俺はどうだ。
あの頃の父の歳を遥かに超え、来年には父が死んだ五十五歳に成ると言うのに、自分の子供に父と名乗る事も許されず、弟にさえ見放され、今もこうして刑務所の中に居る。
揚句には刑務所のルールも守れず、不自由しか感じない独房暮らしだ。
すべての日本の国民は、最低限の文化的かつ近代的生活を保障されていると言うのに、誰とも交わる事が許されない昼夜独居に、憲法二十五条が生かされて居るとは到底思えなかった。
この先の人生を本気で考えなければいけないと思った。
懲罰を繰り返し、けやきの散歩道と言う放送を聴かなければ、こんな事も考えなかったのかも知れない。
涼子と奈菜、そして俺の三人で親子ごっこをしたのは、たったの二年だった。
あっけなくこの親子ごっこが終わった理由は、勿論俺が事件を起こし逮捕されたのが原因だった。
刑務所に入るたび、俺は大切な家族を失って来た。そう、刑務所に入るたびに…。
午前中の室内体操が終わる頃、若い立ち合いの担当が入浴の準備をする様に言って来た。懲罰中に伸び切った髭を剃れるのは本当に嬉しかった。
湯に浸かり、手早く体を洗い念入りに髭を剃った。何か月も刃を替えていない剃刀は切れ味も悪く、つい力を余計に入れてしまう。
左の顎に痛みが走った。直ぐに血が滲み白いタオルが紅く染まった。
傷はそれほど深くないと言うのに、剃刀で切った傷は中々血が止まらない。
入浴の時間は十五分。流れる血はそのままに、髭だけは綺麗に剃り落そうと思った。
出浴三分前を知らせるブザーが鳴った。
手間取って居る内、また直ぐに一分前を知らせるブザー。と同時に立ち合い担当の「一分前」と言う号令が聞こえた。
俺は急いで身体を拭きパンツを穿いたが、最後に血に染まった白いタオルと濯ぎたいと思い、洗面器に一杯の湯を組んだ。
「何をやってる、早く出ろ」
若い担当が大声で叫んだ。、
「オヤジよ、何やってるか見りゃ分かるだろうよ。血が止まらないんだよ」
見てくれと言わんばかりに、俺は顎を突き出した。
「何がオヤジだ。俺はお前の親でも何でも無いんだよ。そんなもん如何でも良いから早く出ろ」
更に追い込むような若い担当の怒鳴り声。
「何だと、この野郎」
気が付いた時には声に出て居た。
せめて一ヶ月くらいは頑張って見ようかと、心に誓ったのは僅か十五分前の事だと言うのに、俺は如何して何時もこうなんだろう…。
思った所で、一度口に出してしまうとその次の言葉も止まらないのが俺の悪い所だった。
「おい小僧、お前の歳が幾つか知らねぇけどな、頭が弱いようだから良い事を教えてやるよ。木の上に立って見ている奴の事を、この日本では親って呼ぶんだよ。テメェが偉そうに担当台と言う木箱の上に立って懲役を見ている以上、テメェの歳が幾つだろうがオヤジと呼ばれるんだよ。よく覚えて置きやがれ」
これでもかと言う程の座った目で担当を睨み付け、俺は大声で一気に捲くし立てた。
騒ぎを聞き付け、昼夜間独居の本担当が直ぐに飛んで来て、俺の襟首を掴んで舎房まで無理やり連れて行った。
「バカ野郎が」
本担当のオヤジがそう言いながら、胸ポケットにしまって有る手帳に挟んで有った絆創膏を一枚取り出し俺にくれた。
俺は絆創膏を顎の傷に貼り付けてから、オヤジの前で正座をした。
「五月いっぱいは頑張れと今朝言ったばかりだろ」
オヤジの言葉に返す言葉も無かった。
「演説としては中々良い演説だったと思うし、あの若い職員も勉強には成っただろう。けどな、お前のやった事は担当侮辱罪だ。今、処遇本部から連行の職員が来るから、良く誤って来い。まあ、調査に成るのは間違いないけどな」
オヤジはそう言って舎房の扉を閉めた。
俺はこの正担当が嫌いでは無い。不思議とこのオヤジにきつい事を言われても、余りカチンとは来ないのだ。
変わり者が多い昼夜独居の住人を上手に扱える人が、この様なエリアの正担当に成るのかも知れないと思った。
「ウィっす。すんませんでした」
俺はオヤジに頭を下げ、血の付いたタオルを洗う為、流し台へと向かった。
懲罰は二十五日間だった。ほぼ丸々一ヶ月に近い懲罰では、五月の「けやきの散歩道」は再放送も含めて二回とも聴けない計算だ。
まあ、自分のやった事なのだから、仕方が無いと諦めるしかなかった。それでも教育指導日が来ると、せめて6月のテーマだけでも聞き取れないかと、朝から他の放送にも耳を澄ませていた。
しかし、音楽なら曲名が分かっても、人の声は何を話して居るのか分からない。
昼食が終わり暫く経つとけやきの散歩道のテーマソングが流れて来た。懲罰中は、部屋の真ん中に安座で座って居なくてはいけないと言うのに、思わず身体が扉の近くに移動してしまう。
扉の近くで聞き耳を立てると、何となくでは有るが話の内容が理解できた。
このまま耳が慣れれば、もう少し聞き取りやすく成るかも知れない。
そう思った途端、遠くいから近づいて来る革靴の踵の音が聞こえた。
担当が舎房の前を通るのだろうと思い、俺
は決められた舎房の真ん中付近の着座位置へと素早く移動した。
足音は俺の部屋の前で止まった。足音の主はオヤジだった。目が合った。オヤジは食器口の前に座れと無言で指を指した。
俺は指示された通り食器口の前に正座をした。そして、オヤジは食器口の窓を開け、元来た方へと戻って行った。けやきの散歩道がはっきりと聞き取れる様に成った。
そして俺は、胸の内側から込み上げる圧力に押され、耳が遠く成る様な感覚を覚える。
人に情けを掛けられ、泣きそうになるのを我慢して居たのだ。
自分の為に何か努力をしようとしても、直ぐに忘れて失敗ばかりしてしまう。だったら、このオヤジの為に、迷惑を掛けない様に日々の生活を頑張って見ようか…そんな考えが一瞬頭を過ぎった。そしてまた直ぐに「ガラじゃねぇや」と呟いた。
「けやきの散歩道」の6月のテーマは「胸を張って自慢出来る事」と言う事だった。
懲役は角突き合わせてアゴを回せば、自慢話ばかりで開けくれると言うのに、改めて人に自慢出来る事は何かを聞かれれば、それが何で有るのかに思い当たる物が無い。
自慢の娘は確かにいるが、既に俺は父親ですらない。車の運転もバイクの運転も人並み以上で、更には手先の器用さにも自信があり、どんな仕事でもやれば何でもできると言うのに長続きした試しがない。
警察に捕まり刑務所に入る度に全てを無くし、自慢出来る物さえ持ってはいない。
つまり、人に自慢出来る事が何も無いのだ。
それならば、今回の残りの刑期を一度も調査に成らず、俺は頑張ったと胸を張り、人に自慢出来る様に努力をして見るのはどうだろう。その為には如何したら良いのか…。
懲罰中の身、考える時間なら幾らでも有った。懲罰中でも何か出来る事は有るんじゃ無いだろうか。
そうか、俺の為にどんな小さな事でも、働いてくれた人に「ありがとう」と礼を言ってみるのも悪く無い筈だ。
先ずはそこから始めて見ようか。
夕食の時間が来た。衛生夫が「食事はいります」と言って飯物相を食器口の台に乗せた。
「ありがとう」
俺は衛生夫の横顔に声を掛けた。
衛生夫は驚いた顔で立ち止まり、俺の顔を見て小さく頭を下げた。
空に成った食器を下げる時、もう一度「ごちそうさん」と声を掛けると、衛生夫は照れくさそうにニコリを笑い頷いてくれた。
悪い気はしなかった。人と交わる事はこんなにも簡単な事だったのだ。
若い頃は何一つ意識をしなくても、誰とでも仲良く出来た。担当だって皆自分より年上で、多少厳しく叱られたとしても、頭を下げる事も簡単に出来た。
それが今ではどうだ。何度も刑務所を出入する度に、自分自身五十代の半ばとなり、職員どころか受刑者さえも殆どのものが年下ばかり。中には我が子より遥かに若い職員もいる。
日に日に俺は素直さを無くし、ただ因業な初老の爺ぃに成ってしまったのかも知れない。
翌朝、衛生夫が朝飯を入れる時「お早うございます」と言って飯物相を食器口から入れてくれた。
「お早う、ありがとうな」
と俺が言うと、俺よりも二回りは若いと思える衛生夫が、はにかんだ様に笑った。
午前中の求刑時間が終了すると、先ほどの衛生夫が「丸首、パンツ洗濯です」と着替えを持って来てくれた。
「何時もありがとう」
と俺が話し掛けると
「あと何日ですか」
と衛生夫の方から話しかけて来た。
「あと二日で終わるよ」
と俺が言うと
「頑張って下さい」
と幼さの残る顔で衛生夫が言ってくれた。
その途端「何を話してる」と言う担当の怒鳴り声が渡り廊下に響いた。
衛生夫は成れた物なのか「洗濯の出し方を教えて居ました」と大声で答え、隣の舎房へと移って行った。
俺の部屋を離れる前、衛生夫はもう一度俺の顔を見た後、赤い舌を出しウィンクをした。
俺も片手を上げて笑って見せた。
たったそれだけの事でその日は凄く良い一日に成った気がした。
衛生夫の名札を見た。星野と書かれていた。覚えて置く事にした。
ここが刑務所である以上、住みやすい場所で有る訳が無い。だが、ここで決められた歳月を暮らさないといけないのなら、自分の住む場所は自分で住みやすくする必要があろう。
二十五日の懲罰が終わり、先ず俺が始めた事は仕事の内容を替えて貰う事だった。
朝食が終わり、何時もの様に金魚のビニール袋が入って来た。
作業開始の号令の後、担当が願い事を聞きに舎房を回りだした。
「長い事」
正担当のオヤジが食器口を開け、俺に声を掛けた。
「五百六十六番、河原」
俺は規則通り食器口の前にかしこまり、自分の称呼番号と名前を言った。
何時もは横柄な態度で願い事を申し出るのに、今日は決り通りに願い事を申し出た俺を見て、担当は驚いた様に眉毛を少し持ち上げた。
「用件」
オヤジはそう言ってボールペンとメモ帳を持ち直し聞いた。
「他の仕事に変えて欲しいんだけどダメですか」
「何か理由が有るのか」
「実は老眼鏡が弱くて、ビニールの穴が見えないんですよ」
人に物を頼む以上、言葉使いにも充分注意をした。
「他の仕事と言っても、ハンガーのシールはがしくらいしか無いけどそれでも良いか」刑務所の定番の仕事で、ハンガーに貼られたSMLと言ったサイズのシールをはがす仕事が有る。
「それで良いです」
俺がそう答えると、オヤジは満足そうに頷き
「どうした、心でも入れ替えたか」
と俺を揶揄った。
腹は立たなかった。
「何だいオヤジ、俺の事からかうのかい」
俺がそう言うと、オヤジは笑いながら俺の舎房の前から離れて行った。
直ぐに衛生夫がハンガーを持って舎房にやって来た。
本当の事を言えば、老眼鏡が弱くて手元が見えないと言うのは真っ赤な嘘だ。
今回の懲役がこんな風にミソが付いてしまったのは、金魚を入れるビニール袋の紐通しをしていたのが原因だった。すべてはそこから始まった。だからと言って金魚を入れるビニール袋には何の責任も無いのだが、それでも俺は同じ仕事をする気には成れなかった。
残刑は一年八か月。もう一度俺が工場にでられるチャンスが有るかどうかは分からないが、今迄の気持ちをリセットし、一からやり直すにはどうしても違う仕事をしたかったのだ。
「この仕事はやった事が有りますか」
と衛生夫の星野が言った
「いや、初めてだよ」
「簡単です、ただシールを剥がすだけですから。糊が残って居てもやり直しに成るのでそれだけ気を付けてください。まあ、のんびりやって下さい」
「ありがとう」
お互いに意味も無く笑い頭を下げた
『やり直せるかもしれない』ふとそんな自信が湧いた。
毎日の生活、特に対人関係の中に少しだけ注意を心がけて暮らすだけで、区に呼び出されるどころか職員に叱られる事さえ少なくなった。
刑務所の中は月日の経過が早い。
起床、点検、シャリ三本。明けりゃ満期が近くなる」と謳われるように、毎日が昨日と同じ今日を過ごして居ると、時間の流れに鈍感になって来る。
失敗ばかりの今回の懲役を一度リセットし、やり直そうと心に決めてから、三ヶ月の月日は簡単に過ぎて行った。
その三ヶ月の間に何事も無かったのかと言えばそれは違う。
三階に有る舎房から、一階に有る運動場に行くまでの間や、入浴の際の行き帰りに若い担当から注意をされる事は何度かあった。
そんな時、以前の自分なら聞こえよがしに舌打ちをしたり、顔色を変えあからさまに態度に出すのが当たり前だったと言うのに、今は昼夜独居と言う不自由な暮らしながらに、楽しみにしている幾つかの物を奪われるのは嫌だった。
例えば、毎月放送される所内放送の「けやきの散歩道」や毎日の運動時間の日光浴、夏季入浴を含め三回に増えた入浴時間だ。
つい何日か前も、作業が終わり材料出しの際に本担当の中丸のオヤジが話し掛けて来た。
「最近区に呼ばれないな」
直ぐに熱くい成って居た以前なら、オヤジだってこんな冗談を言って来る事は無かった。
「ラジオがさ、聞けなくなるからね」
俺も笑って返事を返す。
「工場に出ればテレビだって観れるんだから頑張れよ」
「オヤジ、俺はテレビはどうでもいいんだよ」
「何だ、テレビは嫌いか」
「教育指導日のさ…」
そこまで言って俺が口籠ると
「そうかお前は長谷川理沙さんのファンだったな。だったら尚更工場に出られる様に頑張れ。運動会に出れば、顔位は見られるぞ」
オヤジはそう言って大声で笑い舎房の扉を閉めた。
『運動会に出れば顔が見られるのか』オヤジの話しを聞いて少しだけ興味が湧いたが、俺は番組が好きなだけで、長谷川理沙と言うパーソナリティーに惚れている訳では無い。
何時かその事をオヤジにちゃんと言わなくてはいけない。ただ、十月に有る今年の運動会は無理だとしても、来年は運動会に出られれる様に頑張って見ようと思った。
参加が出来ない今年の運動会が開催された日、スタートを合図するピストルの音や、観戦して居る懲役の歓声や、いかにも運動会らしいアップテンポの曲が独居の窓から飛び込んで来た。
この歓声の中に長谷川理沙が居るなら、本人が放送で言って居た自称中山エミリ似と言うのも確かめてみたいとも思った。
そんな事を考えていると、可笑しくて一人でニヤニヤと笑ってしまう。
来年は本当に運動会に出られる様に頑張ろう。改めてそう思えた。
ただ少しだけ心配な事が有る。
昼夜独居に居ると、立って歩くと言う事がほとんど無い為か、運動不足が著しい。
平日の晴れた日は一階まで降りて運動をする事はするが、百回ほどのスクワットとストレッチをして射房に戻って来ると、三階までの道が果てしなく遠いのだ。
膝はわらうし息も切れて苦しくなる。
時には夜中に足の脹脛がつる、所謂こむら返りが起きて、その激痛に飛び起きる事さえある。
それだって一度や二度では無い。地下頃では頻繁に起きていると言っても良いくらいだ。
房内運動の時間にもスクワットなどの運動をしようと考えるのだが、夜中のこむら返りが怖くて運動が出来ない。
日に日に体力が落ちて行くのを感じる。
こんな事で、工場に出た時に皆に付いて行けるのだろうか。
もう一度、工場に出られる様に頑張ろうと決めてからは、考える事も前向きに成って居る様な気がしていた。
日曜日の夜中、右足がこむら返りを起こし、その激痛で目が覚めた。
何時もは五分程で緊張が解けると言うのに、その夜は左足の脹脛も同時にこむら返りを起こし、思わず叫び声をあげるほどの痛みだった。
何時もなら、こむら返りが治まれば、何事も無かった様に同時に痛みも消えるのだが、その日のこむら返りは、打ち身の様な痛みが翌朝まで残った。
月曜日の朝は医務の回診が有る。規則通りに回診を受けようとするなら、週末までに願い事で担当にどの様な理由で診察を受けたいのかを申し出る必要が有る。
ただ今回の場合、急な要件でも有るし、もっと言えば今日の夜中に再びこむら返りに成らないとも限らない。
その時の為に湿布かサロメチールの様な物が欲しいと思った。
朝食の後すぐに担当を呼び出すための報知器を押した。
「用件」
報知器を押し上げる音と、用件を聞きに来た担当の声が重なった。
その担当の顔を見て、俺は舌打ちをしたい程の気持ちに成った。
何故ならその担当は、何時か俺が風呂上りに「お前は馬鹿か」と担当侮辱をした相手だったのだ。
「566番、河原」
近頃の俺は、腹の中にどんな思いが有ろうと、規則通りに食器口の前にかしこまって自分の番号名前を告げる事も苦にはならなく成って居た。
「何だ」
若い担当は過去の経緯を今も根に持って居るのか、冷ややかな声で応対して居る。
こう言う場面では、けんもほろろに扱われる事がほとんどだ。
結果は見えていると言うのに、それでも俺は頼むだけは頼んでみる事にした。
「実は昨夜足がつって、今日の夜もつるかもしれないので湿布が欲しいんですけど」
「今は大丈夫なんだろ」
帰ってきた答えは想定内の嫌味だ。
カチンと来た。やはりこいつは以前の事を根に持ち、仕返しの為にワザと俺の事を冷たくあしらっているのだと思った。
「今は大丈夫ですけど、今日は医務回診の日なんで、見て貰える様に中丸のオヤジに言って貰えませんか」
「今日の回診で見て貰うには、週末までに申し出なきゃダメだって決まってるだろ」
『この野郎』と心の中で呟いた。
「ダメですか」
「今もつっているならまだしも、今日つるかも知れないなんて理由で薬が出せると思って居るのか。緊急性の無い事に一々対応してられないだろ」
このクソ担当は、何を言っても俺の願い事を聞き入れる気は無い様だ。
「ああそうかい」と腹の中で毒づいて、俺は引き下がる事にした。
暫くすると、医務回診の為の台車がカラカラと音を立て、俺の独房の前を通過して行った。
無性に腹が立った。
叩き付ける様に報知器を降ろした。
少し経つと、正担当の中丸のオヤジがやって来た。
「どうした」
俺がイラついて居るのが直ぐに分かったのだろう。称呼番号と名前を言わず、行き成り用件を切り出した俺の事を、中丸のオヤジは咎める事をしなかった。
「オヤジよ、ここん所夜中に足がつって痛くて仕方ねぇから、今日の医務回診で見てくれって朝一番に頼んだんだよ」
頭に血が上った俺は、言葉もぞんざいだ。
「まあ、そう興奮するな。それでどうした」
そんな俺を中丸のオヤジは軽くいなす。
「緊急性が無いからって相手にして貰えなかったよ」
「どの職員だ」
「前に担当侮辱で懲罰を受けた時のやつだよ。あの野郎、あん時の事を根に持って嫌がらせしてるんだよ」
話しながら俺のボルテージは上がる一方だ。
「だから、少し落ち着いて話せ。ところで今はどうなんだ」
中丸のオヤジが笑いながら言った。
「我慢できない程じゃ無いけど、何時こむら返りが起きるか分からないから怖いんだよ」
それは虚勢を振り払った俺の正直な気持ちだ。
「よし、俺に任せろ。今日中に見てくれる様にするから。その代わり、後でその職員が来ても文句を言ったりするなよ」
中丸のオヤジは、俺に釘を刺す事も忘れなかった。
そして、食器口の扉を閉める前「よく我慢した」と大きな声で言ってくれた。
何処かこそばゆい気持ちがした。文句を言うなと言ったオヤジの言葉に「分かりました」と約束をし、俺はハンガーのシールはがしの仕事に戻った。
オヤジに「よく我慢した」と褒められたことがヤケに嬉しかった。
少しすると中丸のオヤジが再び舎房の前に現れた。
「おう河原、今医務に連絡したらな、今日は丁度消化器内科の医者が来ているから、昼から見てくれるそうだ」
「消化器内科ですか」
中丸のオヤジも、俺さえも笑って居た。
「そうだ消化器内科だ」
「オヤジよ、俺が痛いのは足だよ。丁度良く消化器内科の医者が来るって、なんの関係が有るんだよ」
「河原ぁ、俺は刑務官だぞ、そんな事が分るかい。医務で丁度良くって言ってるんだから丁度良いんだろうよ。まあ医者は医者だ。よく見て貰って来い」
中丸のオヤジの言い方が可笑しくて、俺は笑いながら涙が出て来た。
「オヤジありがとう」
素直に言葉が出た。
中丸のオヤジは何も言わず、ただ片手をあげただけで担当台に帰って行った。
昼食の後すぐに医務へ連行され、診察室に通された。
白線の前に立たされ、おそらくは消化器内科の先生と思われる、如何にも頭の良さそうな若い先生と、一メートルほどの距離で対峙した。
何時も舎房の回診に来る見知った職員が「証拠番号と名前をフルネームで」と声を掛けて来た。
「566番、河原一男です」
俺が直立不動で返事をすると「座りなさい」と消化器内科の先生が丸い椅子を指さした。
先生は少しの間俺のカルテと思わしきものを眺め「それで」と言った後「足がつるんだって」とやけにゆっくりとした口調で言った。
「こむら返りって分かりますか」
俺が言うと
「分かるよ、脹脛だろ」
と、先生は俺を見ずに行った。
「どっちの足」
「どっちと言うか…その時によって違うんですけど」
「最後に成ったのは何時」
「昨夜です」
「どっちの足」
「昨夜は両方です」
俺の答えに先生は二度、三度と頷き「何時からつる様に成ったの」と聞いた。
何時からだろう…そう聞かれ振り返ってみると、初めてこむら返りを起こしたのは今から一年くらい前だったように思う。
つまり、刑務所に収監される前だ。
その頃は毎日覚醒剤も使って居たし、その影響だとばかり思って居た。
それ程の頻度でも無かった事で、気にも留めて居なかった。
立て続けに足がつる様に成ったのは、この1,2か月の事だ。
その通り説明すると、消化器内科の先生は、驚く程意外な事を言った。
「実は足が良くつると言うのは、肝臓に疾患がある人の症状なんだ」
「肝臓ですか」
俺は余りの驚きに、仰け反る様な姿勢で言った。
「何か思い当たる事は有るか」
「まあ、今回の事件も覚醒剤だし、c型肝炎のウィルスも持って居るので、肝臓に何が有っても不思議では有りませんが」
「c型は何時分かったの」
「二年前に、やはり刑務所の検査で」
「その時何か言われた」
「ウィルスは有るけど、数値は正常だと言われました」
先生はそれが癖なのか、再び二度三度頷き
「今日は取り敢えず血液検査をして、一週間後にまた呼ぶから」
と言った。
「け、血液検査ですか。自分は、あの、ちょっと打ち身みたいな痛みが残るんで、湿布か塗り薬が欲しいだけなんですけど」
俺は早口でそう言うと、先生は「それも出して置くから」と言って診察は終わった。
薬物の乱用でほとんどの血管がつぶれてしまって居る俺は、中々採決が出来ず、両腕に五か所もの穴を開けられたと言うのに、結局首の太い血管から血を抜かれ、痛々しい姿で独房の有る西五舎三階に戻って行った。
舎房棟の廊下を歩いて居ると、中丸のオヤジが俺を見つけ、直ぐに近寄って来た。
「随分痛々しい姿で帰って来たなぁ」
中丸のオヤジも驚いて居る様だった。
医務棟から連行してくれた職員に礼を言って頭を下げた後、中丸のオヤジと自分の舎房に向かって歩いた。
歩きながら、たった今消化器内科の先生から受けた説明を、そのままオヤジに話すと「やっぱ医者は凄いな」と、しきりに感心して居る様だった。
「やっぱ消化器内科で良かったんですね」
俺が言って笑うと「本当だな」と、中丸のオヤジが笑った。
その時はまだ、そうやって冗談を言って笑えるだけの余裕が有った。
一週間後、人生が一変する様な結果が俺を待って居た。
「まあ座りなさい」
前回と同じように消化器内科の先生は、目の前の丸い椅子を俺に勧めた。
「実は血液検査と言うのは色々多くの事が分る様になってね、まあ順番に説明するから落ち着いて聞いて貰えるかな」
先生のその言葉だけで、検査の結果が余り良くないと言う事が分った。
「はい」と返事をし、俺は足の付け根で揃えていた掌を握りしめた。
「先ず、君の足がつる原因としては、やはり肝臓の疾患が疑われる」
「そうですか」
俺が答えると、先生が前回と同じように二度三度頷いてから話しを続けた。
「詳しく調べて見ないと分からないんだけどね、数値だけの話しをするとALT、AST、ガンマと言う肝臓の状態を表す数値がかなり高いと出て居る。肝臓の数値の事は分かるかな」
先生が最後に俺に質問をした。
「ガンマくらいは聞いた事が有りますけど、その数値が高いとどうなるのかとか、そう言うのは全く分かりません」
握りしめた俺の手に汗が滲んだ。
「ALT、AST、ガンマと言う肝臓の状態を表す数値は、良く車のスピードメーターに例えられるんだ。君は車の運転はするのかな」
「はい」
「じゃあ分かると思うけど、30キロとか40キロだと安全運転だけど、80キロでは一般道では絶対に出せないスピードだよね。100キロを超えると高速道路でさえスピード違反だろ」
俺は先生の言葉を一言も聞き漏らすまいと、しっかり先生の目を見つめたまま、首だけで頷いた。
俺のその仕草を確認し、先生も首を一度縦に振った。
「君の場合、この三つの数値のすべてが300を超えている」
「300?」
「そうだ300だ。300キロのスピードで肝臓癌や肝硬変に向かって走っていると思ってくれて良い」
「300キロ」
おうむ返しに返事はしたが、まるで実感が無い。
正直「だからどうした」と言う気持ちだった。肝数値は三桁を超すと拙いと言うのは良く聞く話だが、300を超えていると言われても、足がつる以外に何処か具合が悪いとか、痛くて仕方ないとかでは無いのだ。
しかも、俺の場合肝臓の悪い人にありがちな、浅黒い顔色でも無かった。
「残刑はどれ位有るんだい」
「一年ちょっとです」
「肝臓の数値だけの事を言えば、本格的な治療は出所後でも大丈夫だと思う。問題は別の所に有るんだ」
「肝臓以外にも有るんですか」
『もったい付けるな』そんな言葉が一瞬頭の片隅を過ぎった。
「腫瘍マーカーと言う数値に異常がある」
「腫瘍マーカー?」
「そうだ。つまり、身体の何処かにオデキが有る可能性が高い」
小児科の先生が子供に説明する様な物言いに、一瞬ピンと来る物が無かったが、それはもしかすると…。
「ガンですか?」
只でさえ色の白い俺の顔面は蒼白に成って居たのではないだろうか。
「まだ決まった訳では無いよ。肝数値は確かに高いが、腫瘍マーカーは良性の腫瘍でも高くなるからね。大きなニキビが幾つかあってもね」
『脅かすなよ』と思いながらも、肝臓の数値の事も気に成った。
「肝臓のガンとかも怪しいんですか」
「それをこれから調べたいと思う。明後日CTを撮りたいんだけど同意してくれるかな」
同意も何も、是非にだってお願いしたい位だ。
「よろしくお願いします」そう言って俺は深々と頭を下げた。
「分かった、じゃあ水曜日の朝食は食べないで待って居てくれ。外の病院に行って撮影する様に成るから」
事務的な言い方だった。消化器内科の先生のその言い方に、憐れみや同情の色が混じって居なかった事に、もしかするとそれ程大袈裟な事では無いのかも知れないと、気持ちを落ち着かせることが出来た。
CTの検査は、テレビのドラマで見た事の有る機械そのままで、威圧的な存在感さえ醸し出していた。CTの機械に横に成り、造影剤を太い血管から一気に体の中に押し込まれる。瞬間、身体が熱く成り小便でも漏らしてしまったのではないかと言う不快な感触が有った。
その昔「ゴジラ」と言う粗悪な覚醒剤が出回った事が有ったが、そのゴジラを彷彿とさせる様で具合が悪くなった。
CTの結果はまた一週間後、何をするにも時間が掛かる。直ぐにでも結果を知りたいと言うのに、イライラする日が多くい成って居た。
消化器内科の先生が、パソコンの画面上のポインターをマウスで操りながら色々と説明をしてくれたが、パソコンの画面を見た所で、俺にはそこに何が映っているのかも理解できない。
「要するに、肝臓と肺に癌細胞が有るんですよね」
単刀直入に俺は聞いた。
「組織の一部を取って検査をして見ないと、悪性かどうかは分からないけど、今回の検査で腫瘍が有る事は分かった」
医者はどうしてこうも勿体付けた物の言い方をするのだろう。
「先生、自分も心構えってヤツが有りますから、先生の見解を聞かせて貰えませんか」
「いい加減な事は言えないよ」
「多分で良いですよ。後で違っても文句は言いませんから」
少しだけ強い口調で言うと「オイッ」と立ち合いについて居る医務課の職員に注意をされた。俄かに、消化器内科の先生と睨み合いに成った。俺は縋る様な目で先生の言葉を待った。
俺の態度に注意を与えた医務課の職員を、消化器内科の先生が片手を上げて制し、話しを続けた。
「じゃあ言わせて貰うけど、俺としては悪性の癌でほぼ間違いないと思って居る。理由は二か所に腫瘍が出て居る事で、どちらかの癌がどちらかに転移しているのではないかと思えるからだ」
「転移」
先生の一言で俺は愕然とし言葉を失った。
「俺は死ぬんですか」
「それこそもっと検査をしないと分からないよ」
まあそうだろう。その為の検査ならどんなに面倒でも我慢が出来る。
「君の場合、何をするにも先ずは肝数値が100を切らなくては何も手を付けることが出来ない。今日からウルソと言いう薬を出すから、毎食後一日三回忘れずに飲むようにね」
聞きたい事は山ほど有る筈なのに、頭の中のパズルを上手く組み立てることが出来ず、何も質問することが出来なかった。
舎房に戻ると中丸のオヤジが心配して直ぐに飛んで来てくれた。
「どうだった」
「オヤジ、俺癌だってさ」
明るい調子で俺が言うと、中丸のオヤジは長い溜息を吐いて黙ってしまった。
消化器内科の先生から受けた説明を中丸のオヤジに掻い摘んで話して聞かせた。
「河原、お前にとって何が一番良いのかを一緒に考えよう」
俺の説明を聞いて中丸のオヤジがそう言った。
有り難くて涙が出た。
「泣かせるなよオヤジ」
俺は洟を啜る真似をしてお道化て見せた。
中丸のオヤジが担当台に戻ると、入れ替わりに衛生夫の星野がやって来た。
「作業指導お願いします」
一言担当に断ってから、星野は食器口の窓から顔を覗かせた。
「カワさん、検査の結果どうでした」
近頃、星野とは「カワさん」「シノちゃん」と呼び合い、気心の知れる関係に成って居た。
それだけに、俺が最初に血液検査を受けた時から、星野は検査の結果を気にかけてくれている。
「おうシノちゃん、笑っちゃうよ。俺癌だってよ」
殊更明るく、何かの笑い話の様に話した。
「癌って…何笑ってるんですか。大丈夫なんですか」
口先だけでは無い、心から心配そうな顔で星野が聞いた。
「チャラへ―だよ、こんなの。今の時代だよ、癌なんて病気のうちに入らないって」
俺がそう言うと、星野は困ったような顔で俺を見つめた後「何か有ったらドアパンチでも報知器でも良いですから分かる様に知らせて下さいよ。俺、直ぐに飛んで来ますから」と言ってくれた。
昼夜間独居と言う狭く限られた空間と、数少ない人間関係の中、担当の中丸と衛生夫の星野の存在がとても有り難かった。
特に星野との関係は、同じ懲役と言う立場から、雑談を交わす事一つを取ってみても、いたずらを共有する様で心が癒される事が多かった。
それにしても…たった今、星野に「今の時代癌なんて病気の内に入らない」と強がっては見せたが、本当にそうなのだろうか。
300キロのスピードで肝臓がんや肝硬変に向かっていると言われても、今現在自分の肝臓がどうなって居るのか…腎臓は本当にひとつでも日常の生活に問題は無いのだろうか。
病気に対する知識はゼロと言って良かった。
これが娑婆で受けた診断なら、直ぐにでもスマートフォンやパソコンで検索も出来ようが、ここは刑務所の、しかも独房の中。誰かに意見を聞く事も出来ない。不安は募るばかりだった。
翌日、何時も通りの朝が始まった。
作業が始まると、遠くの舎房から一部屋ずつ中丸のオヤジが願い事を聞いて回って居る。
俺の部屋の前に来ると、中丸のオヤジは「願い事」と言って食器口の窓を開けた。
「今日は有りません」
俺が答えると、中丸のオヤジは願箋を二枚食器口の上に乗せ「指印」と短く言って差し出した願箋の上を、指で二回「トントン」と叩いた。
少し前の自分なら「何か分からない物に指印なんか押せるか」と憎まれ口も叩く所だが、この数か月で中丸のオヤジとの信頼関係は出来上がって居る。
言われるがままに二枚の願箋に指印を押すと「特別官本貸し出し願い」と表題の下線を指さしながらオヤジは言った。
オヤジに借りたボールペンで言われた通りに書くと、次にメモ用紙を渡された。メモ用紙には「最新の癌治療2018」と「C型肝炎の新薬」と言う二冊の本のタイトルが書いて有った。
「図書の担当に問い合わせたら、丁度新しい官本が有るって言うからよ」
「オヤジ…」
言葉に詰まった。
「こんな所だから知りたい事も調べられなくて、イライラしたり不安になる事ばかりだろうけど、俺に出来る事は全部してやるから、腐るなよ、腐ったら終わりだからな」
他の舎房に聞こえない様に小声で言ってはいるが、中丸のオヤジの言葉には力がこもっていた。
「ありがとうございます」
思わず嗚咽が漏れた。この人は何故こんなにも優しくしてくれるのだろう。社会のルールも守れずに、刑務所に入れられてさえ尚も反抗的な態度で迷惑ばかり掛けて居ると言うのに。刑務所側の目から見れば、俺の様な厄介な人間はさっさと出て行くか、いっそ死んでくれた方がありがたい筈なのに…。
「ありがとうございます」
もう一度頭が下がった。
「それから、今後もしかすると一度娑婆に帰って外の病院で治療できる可能性も出て来るかも知れない。その時は事前に外で動いてくれる人が必要になって来る。お前は身元引受人も決めて居ない様だけど、その辺の事も今の内から考えて置けよ」
そう言って中丸のオヤジは食器口の窓を閉めた。
「執行停止」そんな言葉が頭に浮かんだ。
弟の良二…俺は首を横に振った。
10年前、兄の邦夫が死んだ時も俺は刑務所の中だった。その事実に弟は激怒した。俺に残された唯一の肉親。それまでは、刑務所に入り手紙を出せば必ず返事をくれていたと言うのに、兄の死後、何度手紙を出しても弟からの返事は無く、そのまま10年が過ぎて居る。
好き勝手をやって生きて来たと言うのに、こんな時ばかり弟に頼る事なんて出来る訳が無かった。
舞子…「バカな」声に出して打ち消した。
今回捕まるまで一緒に暮らして居た女だ。
覚醒剤をやらないと言うだけで、頭から信用して付き合って来た。今回警察に捕まり、20日間の接見禁止が終わると舞子は直ぐに面会に来てくれた。
今迄に付き合って来た女と同様、刑務所に入るほどの悪事を働き、その金で一般の家庭では出来ない様な贅沢をさせて来た。
その見返りなのか、他の付き合って来た昔の女と同じ様に、舞子は毎日のように留置場に面会に来てくれた。
舞子が他の女と違ったのは、俺の刑期が確定した後の行動だった。
「ねえ、今幾らお金持ってる?」
拘置所の確定房で移送待ちをしている時、面会に来た舞子がいきなりそう切り出した。
「60万くらいかな」
「刑務所って、月に幾らくらいお金使うの」
「まあ、一万円有れば十分足りるよ」
「じゃあ、毎月二万円ずつ差し入れしてあげるから、その60万私に預けてよ」
誰が信じられるかと思った。今まで刑務所に入った数だけ女に逃げられているのだ。舞子だけが、ちゃんと俺の帰りを待って居るとは思えなかった。
「何に使うんだよ」
「居抜きの小料理屋が横浜の野毛に有るのよ。あなたが帰って来るまで、そこで働いて待って居ようかと思って」
そう言われたのでは無下に断る事は出来なかった。『舞子は覚せい剤をやらない』唯その事だけが舞子を信じ、60万の金を宅下げする決心をさせた。
舞子とはその面会が最後となった。勿論一円の金も差し入れされる事は無かった。
その舞子が、俺の病気を知って何か手助けをしてくれるとはとうてい思えなかった。
つまり、俺の為に外で動いてくれる者など、誰一人居ないと言う事だ。
中丸のオヤジが進めてくれた特別官本は直ぐに届いた。まだ薄暗い早朝からページを捲り、一心に本を読んだ。
少しずつでは有るが、自分の病気の正体が分かる様に成って来た。
肝数値が300を超えているのは確かに良くない様だ。ガンマが高いまま大きな手術をすると、合併症を引き起こす危険が有るのだ。だったらC型肝炎を先に治療したら良いと思うが、C型肝炎を治す新薬の「ソバルディ」は腎臓に疾患のある人は飲むことが出来ない。
況してや「ソバルディ」は一度飲み始めると三ヶ月は止めることが出来ない。更にその薬は一錠6万円以上もする高額の薬で、絶対に失敗する事の出来ない治療でも有った。
肺が先か腎臓が先かは分からないが、既に片方がもう一方に転移して居る可能性を考えると、C型肝炎を治療する時間を癌は待ってくれるようには思えない。
分子標的薬によって癌を小さくし、手術の時期を遅らせる方法もあるが、それは俺が娑婆に居て先進医療を受けられた場合の事だ。
只でさえ薬の高い刑務所が、どれだけの治療をしてくれるのか、不安以外の何物でも無かった。
父親は肺癌、兄は胃癌、二人とも宣告から三ヶ月で死んだ。この先刑務所の情けで病気の治療をして貰い、命が助かった所で俺に何が出来るのだろう。
満期が来て娑婆に帰った所で行く当てもない。生きる事、即ち犯罪を犯す事に直結する俺にとって、この病気を切っ掛けに人生が劇的に変わるとも思えない。再び何らかの犯罪に加担し、誰かに迷惑を掛けながら生きるのなら、このまま治療を拒否し、死を択ぶことも選択の一つでは無いだろうか…。
教育指導日の朝、中丸のオヤジが何時かの様に、ラジオ放送の感想文を書き込む用紙を持って来た。
「河原、前回の感想文な、A判定に成ってたぞ」
「本当ですか、なんか嬉しいですね」
自分が刑務所に入る事で、どれだけ家族や友人に悲しい思いをさせて来たかと言う内容を書いた感想文だ。
「今回もAを取れる様に頑張って書いて見ろ」
「はい」と返事をして見たが、やはり今後の治療の事が頭を離れない。
「オヤジ、ちょっと聞いて貰いたい話しが有るんだけど、後で時間を貰えますか」
絞り出すような気持ちで言ってみた。
「ひと通り感想文の用紙を配り終ってからでも良いか」
そう言って中丸のオヤジは、50人程が暮らすこの五舎三階の住人に、教育放送の感想用紙を配りに行った。
十五分ほどで中丸のオヤジは俺の舎房の前に戻って来た。何時もなら食器口の窓を開けて話しをするのに、その日は改まって話しの有りそうな俺の事を気遣ってくれたのか、舎房の扉を開け、入り口に座り込んで話しを聞いてくれた。
「オヤジ、これからの治療の事なんだけど、例えば俺の命を助ける為の治療を、今後一切拒否する事って出来るのかな」
「何だ藪から棒に」
中丸のオヤジも心外な、と言う顔をして居る。
「何かに反抗する為とか、不貞腐れて言ってる事じゃ無いんだ。このまま社会に戻ってまた犯罪を犯すくらいなら、自然の流れに任せて命を終わらせるのも、一つの選択じゃないかと思うんだ」
思いの丈を誠意を込めて話した。
「河原、お前のその殊勝な考えには敬意を表するがな、ここが刑務所である以上、お前の命に係わる治療を断る権利はお前には無いんだ」
成る程、刑務所に入ると言う事は、病気によって死を選択する自由も無い事を、俺は初めて知り驚いた。
「犯罪を犯さなければ生きていけないと言いうなら、生活保護を受けながら何かのチャンスを窺うのも良いじゃないか。再び刑務所に舞い戻って来るならそれでも良い、まずは病気を治せ。その上で死にたいなら出所してから好きにしたら良い。とに角、俺の目に見える範囲に居る以上、俺はお前を死なせたくない、それだけだ。あまり悩むな」
そう言って、中丸のオヤジは担当台に戻って行った。
オヤジの言う通りだ。病気の治療と言う大義名分が有れば、生活保護も簡単に決定が下りるだろう。しかし俺の様な懲役太郎が、死ぬのが嫌だからと言って、国民の血税を使わせて貰うのは如何なものだろうか。いずれにしても刑務所側は、問答無用で病気の治療をする事だけは分かった。
けやきの散歩道の今月のテーマは「家族について」だった。
気に成って居る事がもう一つある。父親は五十五歳、兄貴は四十八歳、俺は五十四歳、河原家の男は決まって似た様な年齢に成ると癌を発症する。医者の説明によれば、俺の癌も二年ほどの時間を掛けて大きく成った物らしい。だとすれば、四歳年下の弟の良二の身体にも、既に癌が有る可能性も否定できない。
一言癌検診に行くように言ってやりたいが、弟に手紙を出した所で、良二は俺からの手紙を読むだろうか…。
けやきの散歩道で読まれる受刑者たちの家族との思い出のメッセージやそれにまつわる思い出の曲を聴きながら、俺は良二の事ばかり考えていた。
俺の手紙を良二が読んでくれるかどうかは別の問題として、先ずは手紙を書いて見よう。
それが兄の務めであると思う事にした。
前略良二様
元気か。邦夫が死んで以来だから十年振りだろうか。
勘の良いお前の事だからもう分かって居るだろうけど、俺はまた刑務所の中に居るよ。
良二、俺な癌に成った。宣告を受けてまだ一ヶ月位なものだけど、今のところ何処かが痛いとか、具合が悪いとかの自覚症状が全くない。
親父や兄貴の事を考えると、何時俺の命が尽きても不思議じゃ無いと覚悟はして居るつもりだ。
良二、この一ヶ月間、俺も病気の事を色々と調べてみたが、遺伝性の癌と言うのは無いそうだ。
だったら何故俺も親父も、兄貴までも似たような年頃に癌に成ったのかと言うと、家系としての癌が有るかららしい。つまり親の好きな食べ物の組み合わせや、親の生活習慣を子供が受け継ぐ事が多いからだ。その生活習慣が癌を発生させる可能性が高いそうだ。
アイヌネギや泥ワサビや河原家の男は皆、山菜と酒が好きだからな。
まあ、何が原因かは分からないけど、お前は親父に似て日本酒が好きだから、病気には充分に気を付けてな。
色々と迷惑を掛けて済まなかった。
愚兄
月曜日の朝の願い事で手紙を出す事にした。
「手紙の発信をお願いします」
食器口の窓から連絡袋に手紙を入れ、中丸のオヤジに手渡した。
中丸のオヤジは封筒の裏蓋に書かれた続柄を確認した後「よし」と力強く頷き、手紙を預かって行った。
結局その手紙は弟の手には届かなかった。
弟の良二が受け取りを拒否したのか、或いはこの十年の間に引っ越しをしたのかは分からないが、俺が送った手紙は「宛先に訊ねあたりません」と言う赤いスタンプが押され、俺の手に戻って来た。
「河原」とかの鳴く様な声で中丸のオヤジが指印を取りに来た。
「あれ、戻って来ちゃったんだ」
わざと明るい声で返事をした。
「他に住所の分かる親族は居ないのか」
中丸のオヤジは意気消沈と言った声だ。
「オヤジが落ち込んでどうするんだよ。出所
したら会いに行って、病院に連れて行くから大丈夫だよ」
俺が言うと、「そうか」と言って中丸のオヤジの顔に漸く笑顔が戻った。
癌と言う病気は不思議だ。自分が癌だと知らない内は、何の自覚症状も無いと言うのに、癌を宣告されるとその瞬間から身も心も癌患者と成るのだ。
癌に対する先入観が、殊更に自分は重い病気なんだと精神的に追い込んで行く。
その結果全ての体の不調を癌につなげて考えてしまい、不安ばかりが大きく成る。
何時もの様に一階の中庭に有る鳥籠の様な運動場で、日課のスクワットを始めた。何時もならどんなにきつくても、三十回のスクワットを三セット、十回のスクワットを一セット、合わせて百回のスクワットを必ずしていたと言うのに、腰に鈍い痛みを感じる様に成り、もしかすると腎臓に有る癌が疼いて居るのかも知れないと思い込み、日課のスクワットを止めてしまった。
一階の運動場から三階の舎房に上がる階段で、息が苦しくなり立ち止まってしまう。
それが肺癌の所為なのかどうかは分からないが、幾ら息を吸っても肺に空気が届いて居る気がしないのだ。
一月の独居房。舎房の中に居るよりは、例え四十分でも外に居て、陽に当たっている方が暖かいに決まって居る。息が苦しかろうが、腰が痛かろうが運動にだけは必ず出る様にしていた。その運動も、参加する気に成らなくなるまで幾らも時間が掛からなかった。
食欲も失せた。病気を宣告されるまで、食事だけが唯一の楽しみだったと言うのに、急に何を食べても美味しいとは思えなくなってしまった。油物は勿論、あれ程楽しみにしていた週に四回のパンも、モソモソとして飲み物が無ければ喉を通って行かない。何時しか副食など手を付ける事も無くなった。
急激に体重が落ちた。
風呂に入る度に体重を計っていたが、その度に一キロづつ減って行くのだ。七十キロ有った体重は、僅か一ヶ月で六十キロまで減ってしまった。
それでも、それ以外は特に体調が悪いとか、我慢できない程の痛みが有ると言う事も無かった。
相変わらず俺は、中丸のオヤジや衛生夫の星野と軽口を利きながら、ハンガーのシール剥がしの仕事を何時も通りに熟していた。
「作業指導お願いします」
星野が俺の舎房の前で大声を出した。担当台の方から「良し」と言う交代の職員の声が直ぐに聞こえた。
『また油を売りに来たな』と俺も楽しい気持ちに成る。予想通り食器口の窓が開き、星野が顔を覗かせた。
「あと一時間くらいで作業止めですよ」
独居に居ると時間が分からない。その為、星野は時々こうやって時間を教えてくれるのだ。
「カワさん身体の調子、如何なんですか」
「別に悪く無いよ」
「悪く無いって、急に痩せちゃったじゃ無いですか。飯だって全然食べてないし」
衛生夫をやって居る星野は、仕事がら独居者の食べ残した残飯を集めて歩くため、俺がどれくらい食べて居るのかを承知して居る。
「食欲が無いだけで、具合が悪いとかじゃ無いよ」
「だからそれが癌の所為じゃないかって言ってるんですよ」
今日の星野は執拗だ。それだけに俺の事を本気で心配してくれているのが良く分る。
「シノちゃんよ、俺はガキの頃から親や学校の先生に癌だ癌だって言われて来たんだぞ。学校の癌だ、家の癌だ、街の癌だってよ。本物の癌に成ったからって慌てる事は無いって」
星野に安心して欲しくて言った冗談も、今日は星野をイラつかせてしまった様だ。
「何バカな事言ってるんですか、人が心配してるのに。兎に角、身体が資本なんですから、無理をしても食べて下さいよ」
星野の目には、薄っすらと涙さえ浮かんで居る。
「分かったよ、分かったから怒るなって」
俺は素直に頭を下げた。
「おいどうした、何か問題でも有るのか」
交代の職員が担当台の方から星野に声を掛けた。
「いいえ、今説明が終わりました」
星野は担当に返事をし「じゃあ後で材料を持って来ますから」とさも仕事の話しをして居ましたとでもアピールして居るのか、ワザとらしい事を俺に言って自分の持ち場に戻って行った。
食欲が無いと言っても、突き上げる様な吐き気や胃がもたれて食べられないと言うのとは事情が違った。
言うなれば、食事に対する情熱が消えたとでも言おうか、つまり飯を食うのも面倒なのだ。
もしかすると死ぬかも知れない…と言う恐怖心が常に頭の中に有る事で、出所したらどんな楽しい事をしてやろうかと考える頭の中のcpuを、過去の自分の生き方を反省する方向へと働かせる様になった。
何故あの時シンナーを吸ってしまったのだろうか、何故あの時覚醒剤をやってしまったのだろうか、何故あの時暴走族に入ってしまったのだろうか、何故その時々に俺に甘い声を掛けて来た者の言葉に従ってしまったのだろうか…。そんな事ばかりを考えていると、食欲など湧いてくるはずも無かった。
悪い事とは知りつつも、星野に心配を掛けたくない俺は、主食のパンや麦飯の残りをトイレに流す様に成った。
寒い夜だった。
今年はインフルエンザが大流行して居るとかで、独居で生活して居る者にも全員マスクをする様に指示が出て居た。
朝起きると喉が痛かった。唾を飲み込むのも辛い。年を取ると余りと発熱する事も無く成る様で、自分自身何年も風邪で熱を出した記憶も無い。
しかし、今朝は何だか様子がおかしい。やけに頭に靄が掛かり顔も熱いのだ。
もし仮に三十八度以上の熱が有ったら…強制的に病舎に入病させられてしまう。病舎がインフルエンザで満員御礼なのを差し引いたとしても、癌やC型肝炎を抱えて居る俺は病舎の独居に移されてしまうかも知れない。
それは嫌だった…。
今、この五舎三階に居て中丸のオヤジや星野との短い言葉のキャッチボールに癒されているからこそ、発狂しそうな死の恐怖とも闘って居られるのだ。
風邪くらい我慢しよう。丁度良くマスクで顔の赤いのも隠す事が出来るだろう。
ところが、もう一つの難関が待って居た。
肝数値を下げる為の飲み薬「ウルソ」があまり効果が得られず「キョウミノ」と言う血管注射に変わって居たのだ。
医務課の職員なら、俺の顔を見て直ぐにインフルエンザを疑うかも知れない。だからと言って今日はキョウミノは打ちませんとは言えない。
何時も通り医務課に出向き、血管注射を打ってもらった。
医務課の職員は、俺の心配など何処吹く風の様に、べつだん体調の良否を問われる事も無く、直ぐに舎房に戻された。本人の申告が無い限り特別な治療などしない。それも又刑務所の中の当たり前だった。
ホッとして舎房棟に戻ると、中丸のオヤジが舎房の扉を開けてくれた。
そして…。
「あれ、お前熱でも有るのか」
と言った。
「大丈夫です」
悪戯を見つかった子供の様に、俺はシドロモドロの口調で答えた。
「大丈夫って赤い顔をして居るじゃないか」
「オヤジ、本当に大丈夫ですから。今キョウミノを注射して来たから、多分それでだと思います」
俄かに押し問答と成った。
「まあ、お前が大丈夫と言いうなら良いけどよ、無理したって何一つ得なんて無いからな」
中丸のオヤジはそう言って担当台に戻って行った。
腰砕けに怠い体を舎房の壁に預け、深い溜息を吐いた。何とか上手く誤魔化す事が出来たと思ったのも束の間「熱だけ計って置け」と中丸のオヤジが体温計を持って、再び舎房にやって来た。
「オヤジ大丈夫だって言ってるだろ」
つい声が大きく成った。
「なにムキに成ってるんだ、熱だけ計れ」
中丸のオヤジが食器口の台の上に体温計を置いた。もう断る事は出来ない。仕方なく俺は体温計を脇の間に挟んだ。
「ピピッ」と電子音が鳴り、計測が終わった事を知らせる。体温計のデジタルが三十八度五分を表していた。
「河原お前…」
何時も笑って居る河原のオヤジの顔が怒気を含んだ。
「何故俺に隠す必要が有るんだ」
何も答える事が出来ず、ただ下を向いて居る俺に、中丸のオヤジが言った。
その問い掛けにも返事を返すことが出来ない。
「分かった。とに角入病するから洗面道具とチリ紙だけ用意しろ」
そう言って扉を閉めようとした中丸のオヤジを、俺は引き止める為に漸くの思いで声を出した。
「オヤジ待ってくれ、病舎は嫌なんだ。風邪で寝ているだけなら、独居に居るんだからここでも良いじゃないか」
「そんな事はお前が決める事では無いだろ。自分の体が如何いう状態かは、お前だって良く分って居る筈だぞ」
「ただの風邪だって。オヤジ、ただの風邪だから」
「ただの風邪だったら尚更病舎でちゃんと治して、ここにまた戻って来たら良いじゃないか」
「一度入病したら、俺はもう二度とここに戻って来れないかも知れないじゃんかよ」
最後は叫びにも近い声に成って居た。俺の目からは、止める事の出来ない涙が溢れている。
「河原…」
中丸のオヤジも絶句して居た。
「分かった。医務にはこのまま独居で寝かせる様に話すから、インフルエンザか只の風邪なのかだけ検査をして、薬を貰って来い、良いな」
また俺の我が儘を聞いて貰った。申し訳ないとは思いながらも、忍び寄る死の恐怖に、一人で立ち向かう事など俺には絶対に出来ないと思って居た。
また星野が心配して直ぐに飛んで来るだろう。
『まったくあいつは古女房みたいなことばかり言う』そう考えると、少しだけ笑える気持ちに成った。
鉛の様に重い身体を引き摺って、再び医務室に向かった。ただでさえ大量の薬を飲んで居ると言いうのに、AC酸と抗生物質が増えた。
どうやらインフルエンザでは無かったようだ。
舎房に戻り、布団に入ると忽ち眠りに落ちてしまった。三十七度までは直ぐに熱は下がったが、一週間が過ぎても微熱は続いて居た。
体力は落ち、この一週間で体重も随分減った気がする。咳が止まらなかった。防寒の為、着られる物はすべて着用し、カイロを抱いて布団に包まって居ると言うのに、日に日に悪寒は酷く成り咳も更に酷くなる一方だ。
息が苦しかった。息苦しさに深呼吸をすると胸の内側に痛みが走った。
口に手を当て思い切り咳込んだ。掌に血が飛んで居た。背筋が凍る程の衝撃を覚えた。
父親は肺がんで死んだ。しかし死因は窒息死だった。
実は癌と言う病気で死ぬ人は居ない。癌によって引き起こされる何らかの要因で人は死ぬのだ。
俺の父親は、肺の病巣を取り除いた後、縫合した傷跡からの出血が止まらず、肺に溜まった血によって酸素が取り込めぬまま帰らぬ人と成った。
その話しを刑務所の中で聞いた時の戦慄が、自分の肺から飛び出した血液を見て蘇った。
癌を宣告されて既に三ヶ月…。
「やはり俺は死ぬんだ」初めて確信することが出来た。
咳をする度に胸の痛みが増して行った。限界だった。もうこれ以上痛みに耐えられそうも無い。報知器を出して人を呼ぶしか無かった。土曜日、中丸のオヤジの居ない中、俺は半分意識を失いながら、病舎一階の独房へと移されてしまった。
余りにも強く咳込んだ事で、肋骨が二本折れていたのだ。長年の薬物使用で、骨さえもボロボロに成って居たらしい。
病舎は嫌だった。このままこの五舎三階に置いて欲しいと叫びたかったのに、何時も我が儘を聞いてくれる中丸のオヤジも居ない土曜日。もう諦めるしか無かった。
この状態では今日の明日には無理だとしても、自分の居場所に、中丸のオヤジや星野が居るあの五舎三階に帰れるように、俺は全力で病気と闘うしか無いと思った。
鼻の下にチューブを付けられ、痛み止めの点滴を腕に刺した姿は、もうどこから見ても立派な病人だった。それでも…病舎の看病夫から手厚い看護を受け、少しづつでは有るが肺炎は快復に向かって言った。
一日に一度、中丸のオヤジは必ず病舎に顔を出してくれる。短い時間では有ったが、一言二言オヤジと言葉を交わすだけで、俺の体調も良くなる気がしていた。
「体調はどうだ」
「かなり調子よくなりました」
「星野が心配してるぞ」
「もうすぐ帰れると言って下さい」
そんな他愛も無い雑談の時も有れば
「オヤジ、俺は後どれくらい生きられるのか教えてくれよ」
「知らねえよ、余計な事は考えないで早く病気を治せ」
「逃げようなんて気は起こさないから教えてくれよ」
「俺が知ってる訳無いだろうが。それに誰が死ぬって決めたんだよ」
「自分の体の事ぐらい分かるよ」
と言い合いに成る事も有った。
実際にはカラ元気でしか無かった。中丸のオヤジが来る時間以外は眠って居る事が多くなった。中丸のオヤジも、そして俺自身さえも、俺が再び五舎三階に帰れない事を認識して居た。
「オヤジ、人間は必ず死ぬんだ。でも死ぬまでは生きなきゃいけないんだ」
「おっ、今日は哲学的な事を言ってるな」
「どう生きるかって事より、どれだけ潔く死ねるかって事も考えなきゃいけない時は男には有るよな」
「まあ、有るかも知れないな」
中丸のオヤジも、俺が近い将来この世から
居なく成ると言う事を否定しなく成って居た。
「オヤジ、二十歳の選択って本を知ってるかい」
「大学生が一度死んで人生をリセットしてやり直すって話しか」
「さすが、学の有る人は何でも知ってるな…。オヤジ、俺は自殺じゃ無いけど、これでやっと人生をリセット出来る。今度生まれてくるときは、絶対に刑務所なんて入らないんだ」
「そうか、じゃあ俺は来世も刑務官に成るよ。お前には二度と会いたくないからな」
「へへ…」と俺は力なく笑ったが、中丸のオヤジの目は濡れて居る様だった。
「オヤジ頼みが有るんだ」
二月の最後の月曜日、何時も通り見舞いに来てくれた中丸のオヤジに俺は言った。
「どうした、俺に出来る事なら何でもやってやる」
中丸のオヤジらしい返事が返って来た。
「けやきの散歩道なんだけど、三月は五区のリクエストなんだ」
「リクエストしたいのか」
俺は黙って頷いた。
「御安い御用だ」
中丸のオヤジは直ぐに席を立ち、その日の内にリクエストを書き込む為の用紙を届けてくれた。
近頃は、トイレに立つのも正直息が切れて簡単では無かった。机に向かって字を書くなんて事は、気の遠くい成る様な労働の様にも思える。
しかし、今回のけやきの散歩道にはどうしてもリクエストしたい曲が有った。
そしてもう一つ…。
来月のテーマは「人生のターニングポイント」俺の人生のターニングポイントは、けやきの散歩道を聴き始めた時だった。
この刑務所での生活が上手く行かず、手当たり次第に職員に噛み付いて居る時、偶然にけやきの散歩道と言うラジオ放送を耳にした。
いや、長谷川理沙と言うパーソナリティーに出会ったのだ。
長谷川理沙が毎月出すテーマを自分なりに考え、自分がどれだけ親兄弟に辛く惨めな思いをさせて来たのか、自分の家族を不幸にして来たのかを考えさせられた。
もし、このけやきの散歩道と言う番組に出会う事が無ければ、俺は自分の歩んで来た道を反省する事も無く人生を終わって居たのかも知れない。
その事に気付かせてくれた、長谷川理沙と言うパーソナリティーに、一言礼を言ってからしにたかった。
俺の刑務所からの卒業は刑期の終了では無く、どうやら人生の卒業に成りそうだから…。
病舎には暖房が入って居る為、他の舎房棟と比べれば幾らかは暖かいとは言え、僅かばかりの暖房では、病気で弱り切った俺の体には、とても暖かいと感じられる程では無かった。
それでも、寒さに震えかじかんだ手でリクエストカードを書き込んで行った。
何時の間にか握力さえ衰えてしまったのか、ミミズの這う様な字しか書けず、恥ずかしさを覚えた。
就寝までの時間をすべて使い、どうにかリクエストカードを書き上げた。長谷川理沙に、感謝の気持ちが伝われば良いと思った。
ベットに入る前、小便をする為、洋式の便所に座った。この何日か気掛かりな事が有る。小便の色がまるでウーロン茶の様な色なのだ。
癌の進行を抑える薬や、肝臓の数値を下げる為の薬、それらの副作用で起きる吐き気を抑える薬、点滴や胃薬と沢山の薬を飲んで居る事で、小便が黄色くなる事は有っても、ウーロン茶の様に赤茶けて居る事は無かった。
直ぐに血尿と思った…。
肺炎を併発していたとはいえ、この前は肺からの出血。この数日は血尿。直接的な痛みこそ感じないが、残された時間がそれ程多く無い事を実感するには充分な出来事では有った。
翌日、中丸のオヤジにリクエストカードを渡した。中丸のオヤジはそのカードを読んだ後「預かっておくよ」と力なく言った。
「何か感想とか無いの?」
俺が言うと
「俺に書いてくれたメッセージでも無いしな」
と中丸のオヤジはにべも無い。
「次の教育指導日は何時ですか?」
「確か十日だったぞ」
「読んでくれるかな?」
「読んでくれると良いな」
けやきの散歩道でメッセージを読んで貰いたい。その事だけが今の俺の生きる気力にも成って居た。
俺の病気が急変したのはそれから間もなくの事だった。
体の内側から突き上げるほどの吐き気に見悶えしながらも、胃の中のものを吐き出す事が出来ない。
当たり前だ…もう何日も栄養ドリンク以外のものを腹に入れて居ないのだ。
やっとの事で吐き出した時、目の前に血の海が広がった。俺は意識を失って居た
目が覚めると中丸のオヤジが居た。
「なかなか死なない物だね」
俺がふざけて言うと
「バカな事を言うな」
と一喝されてしまった。
「オヤジ、親の説教と昼間の酒は後から効いて来るって言うけど、本当だったよ」
「何だ、今日は諺か?」
力無く話す俺と、その声に合わせて答える中丸のオヤジの静かな会話だった。
「悪い事ばかりやって居ると親の死に目に会えないとか、ロクな死に方はしないとか、何時もお袋が言ってたんだ。ガキの頃はそんな事有るもんかってバカにしてたけど、全部本当の事だったよ」
「まだお前が死ぬって決まって無いだろ」
「オヤジもう良いよ。自分の体の事は自分が一番良く分るって言うじゃないか。俺はもうダメさ」
途切れ途切れに漸くそれだけの話しをした。
「何を弱気な事を言ってるんだ、お前らしくも無い。もう少し寝てろ」
中丸のオヤジはそう言って席を立った。
三月九日、再び大きな発作が有り、俺は二度目の吐血をした。死の恐怖を感じた。もうダメだと感じる程、俺には体力も気力も残っては居なかった。
明日はけやきの散歩道の放送日だ。明日一日命を長らえ、放送を聴けるなら俺は死ぬまで眠ったままでも良いと思った。中丸のオヤジに「大丈夫だ、明日はちゃんと放送を聴けるから」と言って欲しかった。
しかし、その日、中丸のオヤジと顔を合わせる事も無く、俺は深い眠りの中に落ちていた。
長い時間眠り続けていたのだろう。頭の芯が痺れた様に意識が揺れている。
静寂の中に身を任せていると、唐突にけやきの散歩道のオープニングテーマが流れて来た。
「良かった、この放送を聴けるんだ…」そう思うと「ふっ」と短い笑いが声に出た。
同時に扉の鍵を開ける音がし、中丸のオヤジが舎房に入って来た。
「今日は機嫌が良いな」
開口一番中丸のオヤジはそう言った。
「死ぬ前に長谷川理沙さんの声が聴けると思うとさ…」
弱々しい声で俺が答えると
「バカな事を言ってると星野が泣き出すぞ」
と中丸のオヤジが言った。
「星野?」
焦点の合わない目を動かすと、中丸のオヤジの背後に衛生夫の星野が確かに立って居る。
「カワさん」
たった一言星野は言ったが、後は声に成らず声を殺して泣いて居る。
「何か理由が無いと連れて来れないからよ、今日はお前の私物を星野に運んで貰ったんだよ」
中丸のオヤジは何時だって優しい。だからと言って俺の我が儘をここまで聞いてくれるのは、俺が特別の状況に有るからに他ならない。
「シノ、私物なんか独居の俺の部屋に置いとけよ、もうすぐ帰るからよ」
笑って言ったつもりだったけど…笑えているかどうかはもう俺にも分からなかった。
「分かったよカワさん。でも俺カワさんに会いたかったから、中丸のオヤジに頼んで連れて来てもらったんだ。荷物はこのままカワさんの舎房に持って帰るよ」
星野が細くなった俺の手を握って泣いて居る。ラジオからは長谷川理沙の明るく笑う声が聞こえて居る…。
そうだ、俺は何時もこの明るい笑い声に癒されて居たんだ。シノの思い遣りに助けられて来たんだ。
「今日は一緒にけやきの散歩道の放送を聴こうと思ってよ」
中丸のオヤジの声も濡れていた。
「オヤジありがとう、シノありがとうな…でも俺…何だか眠くて……すごいく眠いんだ…」
「ふざけるな河原、折角星野と二人で来てやったのに、起きろ、河原起きろ!」
遠ざかる意識の中で、長谷川理沙が俺のリクエストカードを読んで居る声が聞こえて居た。
「では本日最後のリクエストです。実は私も長年このけやきの散歩道のパーソナリティーをやって居るのですが、初めての経験です。では参りましょう、オヤジの推薦リクエストォ!。五区の独居のオヤジさんから是非に掛けて欲しいと渡された曲です。ではKさんからのメッセージを読みますね」
理沙さん初めまして何時も放送を楽しみに聞いて居ます
「Kさん初めまして、何時も聞いてくれてありがとうございますね」
私の人生のターニングポイントはけやきの散歩道に出有った事です
「あら、嬉しい事言ってくれますね」
けやきの散歩道を知るまで、私は自分の人生を振り返って反省する事なんてバカな事だと思って居ました。この刑務所に来てからも職員の言う事も聞かず、好き勝手に生きて来たんです。それがかっこ良いとさえ思って居ました。
でもけやきの散歩道を聴いて、理沙さんが毎月宿題の様に出す来月のテーマを自分なりに考えて居る内に、今まで迷惑を掛けて来た家族や、友人や私を愛してくれた多くの人達に申し訳ないと思える様に成ったのです。
長谷川理沙の声が少しだけ震えた様に聞こえた。
「ごめんなさい、何だか感動してしまいました。続きを読みますね」
と言った後「えっ?」と言う長谷川理沙の声が聞こえた。
そしてもう一度、断固とした口調で「続きを読みます」と言った。
理沙さん、実は私は癌なのです。医務課の先生は何も言いませんが、多分私はもう長くはないかも知れません。
でも暗く考えないでください。私はもう一度生まれ変わり、自分の人生を一からやり直すために今の人生を卒業するのです。そして、もう二度と刑務所に入らなくて良い善良な人間に生まれ変わるのです。
けやきの散歩道に出会わなければ、私は人生の最後に反省する事も知らず、また次の人生でも犯罪者と成って居たかも知れません。
理沙さん、あなたに心からの感謝の言葉を送ります。本当にありがとうございました。
一瞬の沈黙が流れ、長谷川理沙が洟を啜る音をマイクが拾った。
「何と言ったらいいのでしょう…Kさん、きっと病気のせいで弱気に成って居るのでは有りませんか?どうか頑張って病気と闘って下さいね。そしてまた、次の放送もメッセージを書いて下さい。Kさんの病気が快復する事を祈って居ますからね」
長谷川理沙が涙声で俺にエールを送って居る。シノが俺の手を掴んで泣いて居る。
「ちゃんと聞こえたか河原!」
中丸のオヤジも泣いて居た。
悪い事ばかりしているとロクな死に方は出来ないと、何時も母ちゃんに言われて育ったけど、またいつか空の上のあの場所で、母ちゃんに会った時に俺はこう言ってやるんだ。
「悪い人生じゃ無かったよ」と………。
「リクエスト曲は泉谷しげるさんの春のからっ風です」
いかにも昭和のフォークソングと言ったイントロがスピーカーから流れ、泉谷しげるのだみ声が聞こえて来た。
河原一男が人生の最後に選んだ歌は、今まで何度も人生に失敗した若者が、更生を心に誓い、周りの大人に頭を下げやっとの思いで仕事をもらい、今度こそ真面目に働いて頑張ると誓いを立てる歌だった。
それは河原自身が、何度も自分自身に誓いそれでも成し得なかった心の叫びだったかも知れない
『エピローグ』
約束の時間丁度に、その男は刑務所の受付に姿を現した。名前を聞くまでも無く、一目で判るほどよく似た兄弟だった。
「河原良二さんですね」
「中丸先生でしょうか?」
河原一男の死後、遺骨の引き取りを身分帳に乗って居た唯一の親族である、弟の良二に依頼した。
河原一男が生前手紙を出した時には宛先不明で戻って来たと言うのに、電話番号は変更されておらず、直ぐに連絡は付いた。
河原良二は快く兄である一男の遺骨の引き取りを引き受けてくれた。
多くの場合、受刑者が死んだ事を親族に伝えたとしても、遺骨の引き取りを拒否する事が多い。中には「迷惑だ」と憤慨し、二度と連絡をしない様に言われる事も有る。
その場合、遺骨は無縁仏と成り、やがて時が来ると引き取り業者の手によって産廃として処理される。
生前、河原一男が懸念して居た弟との関係の悪化は、二つ返事でわざわざ弟の良二が、北海道からこの府中刑務所に遺骨を受け取りに来た事だけで、河原一男本人の思い過ごしだった事が証明された。
「これでやっと兄を北海道へ連れて帰ることが出来ます」
河原良二が、兄の遺骨を抱いて笑った。
「一度、本人が良二さん宛てに手紙を書いたのですが、宛先不明で戻ってきてしまって」
中丸が申し訳なさそうに言った。
「家を建て替えたもので、一時的に引っ越しをしたのです。その時かも知れません。しかしその手紙には何が書いて有ったんでしょうね…。どうせまた金を送れとか本を送れとか、我儘を言って来たんでしょう」
笑顔のまま、河原良二が言った。
「いえ、そうでは有りません。職務がら彼の手紙を検閲させて頂いたのですが、彼が言うには癌は遺伝では無く、家系としての癌が有るそうで、弟さんの事を大変心配していました」
「家系としての癌ですか?」
「弟さんはアイヌネギとかどろ山葵と言った山菜が好きですか?」
「良く北海道の山菜をご存知ですね。親譲りでして、内の家では皆その二つが大好物なんです」
「そこです。その親譲りの食べ物の好物とか、生活習慣が親と同じ年代に同じ様に癌を呼ぶんだと彼は言って居ました」
あの日、河原一男が一番心配して居た事を、たった今、弟の良二に伝える事が出来た。
中丸は安堵の思いだった。
「そうですか…。早速帰ったら検査を受けてみましょう。他に何か遺言めいた事は言って居ませんでしたか」
「遺言めいた事は何も言って居ませんでしたが…」
中丸はそう言った後、ふと思い出したように「雪が観たいと…」と言った。
「雪ですか…。それなら、千歳空港に着けばたっぷり見せてやれるでしょう。今夜はゆかりの人を集めて送別会でもしてやります」
河原良二はそう言って、待たせていたタクシーに乗り込んだ。
春の雪を思わせる程、賑やかな桜吹雪がタクシーの行く手に降りそそいでいた。
まるで万華鏡の中をタクシーが走り抜けて行くように。
中丸はそのタクシーが見えなく成るまで、敬礼のまま見送っていた。
「オヤジ、雪が観たいな」
「やっと暖かくなったのに無粋な事を言うなよ」
「粋じゃ無いのは親父の方さ…。俺の田舎の雪はさ、静かで優しくて、なまら暖かいのさ…。オヤジ、俺ここから生きて出られたら、今度こそちゃんと働いて田舎に帰るんだ…」
完