11話 生きる本能
夕陽が私達の後方――西の山麓の陰に隠れた午後六時、帰路のちょうど真ん中あたりで、香苗さんは馬運車を路肩に停止させて、
「運転交替ね、よろしく」
と言って、さっさと降車するや、前方を回り込んで助手席のドアを開けてきました。
「さ、早く、早く」
香苗さんは、私を右側の運転席へ押し出すように、助手席に乗り込んできました。
往路は全て香苗さんの運転だったので、復路は私が運転するのは自然な考え方でもありますが、二トンサイズとはいえ、高い運転台からの車両感覚、内輪差の注意、そしてルームミラーによる後方確認ができないトラックの運転には怖気を感じていました。
「あたし、実質労働時間が八時間を超えたら、仕事をしない人なんで」
香苗さんはそう言うと、ハイライトを吸い始めて、社長と同じ臭いの人になりました。
「働くのは好きじゃないんですか?」
「馬の仕事は好きさ。馬は人を裏切らないっしょや。したけど仕事だから、ちゃんと残業代もらわないとやってられないべや」
「残業代もらえないんですか?」
働いて一ヶ月未満の私は、初任給の支給はまだでした。
「うちの牧場、タイムカードないし、実質労働時間なんて分からなんのさ。まあ、残業代ならともかくとして、平気で給料遅延すっから、それが改善されるまでは、あたしは週四十時間労働を超えたら、自主ストライキさ」
「給料遅延は、会社経営の末期症状です。淡田牧場の経営状況は芳しくないんですね」
「牧場の懐具合までは、あたしは知んないけど、去年の一歳馬は全部で五千万円くらいで売れて、肥育馬は百頭くらい売ったし、銭っこが無いはずはない、って思うんだけど」
私の給料は、月に二十万円で雇用契約をしました。寮費が無料でしたし、仕事人間だった私はお金の掛かる趣味を持ちませんでしたから、食費と衣服代以外は大きな使い道もなく、その月給で充分でした。
とはいえ、事業計画上の考え方としては、私一人を増員したことで、淡田牧場は年間四百八十万円以上の粗利増を目指さなければなりません。それは家族経営規模の淡田牧場にとって大きな足枷になりはしないか心配になってきました。
運転を始めて三十分、ようやく私はトラックの運転に慣れてきました。私が仕事でトラックの運転を務めることなど、プライド高き銀行員時代の私には到底及ばない考えでした。
なにしろ、地方に勤務していた新人時代でさえ、東京の都市銀行員ということで、大手地場産業からも一目置かれる存在でしたし、大手町の本社勤務時代は、国内金融業の中枢を担っているという自負心――今思えば単なる自惚れの鎧を纏った私だったのです。
当時の私は、トラックの運転手など、大卒者が選択する職業ではないと蔑んでいました。
しかし、一円の狂いも許されない銀行仕事でストレスを抱えるよりも、一センチの停止位置誤差があったとしても全く問題視されない運転仕事の方が、精神的な負荷が少ない、プライベートライフ充足型の職業なのではないかと今更ながら認識するに至りました。
室蘭を起点とする国道三十六号線に戻ってきた頃は、辺りはすっかり暗くなり、片側二車線の左側をゆったり走っている私の二トントラックの横を、タンクローリー、コンテナトレーラー、ミキサー車、土砂ダンプカー、自走式クレーン車などの様々な種類の大型車が追い抜いていきました。
きな者が小さな者――強者が弱者――を制するヒエラルキーのごとく、私の二トントラックよりも何倍も大きな貨物車が、その風圧で私を圧迫しては遠ざかっていきました。
運転社会の序列において最下層に位置づけられた私は、人間社会の最下層に甘んじている三十六号の存在が再び気になり始めました。彼は夜通し三十六号線を歩いているのでしょうか。
それとも適当なねぐらを見つけて露営をしているのでしょうか。雪の少ない東京などの都会ならば、コンクリートジャングルの片隅で段ボール生活を営むこともできましょうが、氷点下が続く北国の路上生活者はどのような場所で夜を過ごしているのでしょうか。
私は、淡田牧場に雇用されていなければ、無職のままに貯金を使い果たしていたかもしれません。夜空を眺めながら夜を越して、三十六号と同じように、国道の名前を付された名無し人間になってなっていたかもしれません。
もし私がそのような局面に立たされていたならば、人間としての尊厳を保つこと、すなわち生きることを選択できていたかどうかは分かりません。
結局、その夜は三十六号の姿を視認することなく、私達は淡田牧場へ戻ってきました。室蘭で目撃した三十六号は、白老を超えて徒歩移動するには時間的に無理があります。おそらく、三十年間の往復生活のうちに、野宿する定点を確保しているのでしょう。
午後七時過ぎ、馬運車を繁殖牝馬厩舎前で停止させると、「お疲れっす。それじゃ、後はよろしく」と言う香苗さんに、タバコとビールを交換条件として、馬を馬運車から降ろす作業を手伝ってもらいました。
荷物を降ろす作業ならいざ知らず、一千万円もする生き物を何事もなく馬運車から降ろす経験をしたことがない私は、自分の残業代は置いといて、身銭を切って香苗さんに残業依頼をしました。
身心ともに非常にデリケートな馬は、輸送によるストレスから発熱したり、あるいは環境の変化を受け入れられずに暴れてしまうことも多々あるそうです。
発熱した場合は肺炎や胸膜炎へと病勢が進行する火種となり、暴れた場合は骨折の危険性があり、どちらにしても最悪の場合は予後不良――殺処分になってしまいます。コインキャットに万一のことがあれば、一千万円が水泡と化してしまうのです。
しかしその心配をよそに、コインキャットは香苗さんの指示に従って、荷台から地面に架けたスロープをおとなしく降りてくれました。発熱の兆候もないようです。
手綱を香苗さんから受け渡された私は、コインキャットと一緒に厩舎の鉄扉へ向かいました。すると、何の支持もしていないのに、コインキャットは私の右側を歩き出しました。
「歩く時の位置は、常に人間が左で、馬が右」と、隆雄さんから教えられていた私は、調教されたコインキャットの賢さに感心しました。
人間が何をさせようとしているのかを察知し、自らの意思をもって行動するコインキャットの振舞いは、利発な仔出しをする母馬の未来図を見た気がしました。
それでも私は、初めて見る新しい環境下におかれたコインキャットがナーバスにならないように、細心の注意を払いながら馬房まで誘導しました。
馬の歩調のリズムを無視して直角に曲がると、馬が転倒してしまう場合もあります。おとなしくしていても、物に驚いて、急に暴れ出す場合もあります。何に驚くかは馬によって千差万別ですし、油断は禁物です。
一般的には、突然舞い降りたカラスや突然開いた傘などの急な動作に驚く馬が多いのですが、中には風が吹いただけで驚く馬もいれば、水溜まりに写る自身の姿に驚く馬もいます。
慎重過ぎる私の心奥を察知したのか、香苗さんは、
「馬の耳は口ほどに物を言うから、馬が今どんな気持ちか知りたければ、馬の耳を見て。馬の耳の周りには細かい筋肉がたくさん付いているから、それぞれの耳が前後左右別々に動くのさ。したっけ、耳が向いている方向に馬が驚きそうな物がないかどうか、注意しながら歩かせて」
と、助言してくれました。
確かに、コインキャットの耳は、不審な物を捕捉するレーダーのように、左右別々に頻々と動いていました。肉食動物から身を守るために進化してきた草食動物の機能をフル回転させている体配は、命を守るためには一秒たりとも努力を惜しまない弱者の悲哀にも見えてきました。
動物社会においても強者だけが生き残り、弱者は淘汰されていくのです。しかし動物は、捕食と子孫繁栄のために戦うことはあれど、精神的欲求のために戦って、相手方を死に追い込ませることはしません。
それに対して人間は、優位な立場を濫用したマウンティングや、嫉妬心から誘引するハラスメントといった精神的強圧を妄用して、相手方をこの世から厭離させるまで追い込ませることが多事多端です。
ならば、動物よりも人間の方が、神の摂理を無視した哀れな生き物なのではないでしょうか。すると、見映えや尊厳を気にせず、主我の趣くままに行動している三十六号は、他者からの干渉を飄然と打っ遣って、生への拘りを貫いている強い人間なのかもしれません。
(つづく)