1話 埋葬
リアカーの荷台には、ほんの一時間前まで血流を漲らせていた胴体と、電動ノコギリで断截された長い首と四肢が無造作に横たわっていました。
本来ならば、生を受けた時と同じ姿態のままに葬ってあげたかったのですが、埋葬地の残りスペースを考慮すると、大きな馬体を四分五裂にせざるをえなかったのです。
私は、二週間前に北海道胆振地方――道央太平洋岸地域にある乗馬とサラブレッド生産の淡田牧場に雇用されたばかりでした。それまでの私は、都市銀行で部長を務めていましたが、五十五歳の役職定年を迎えたと同時に、同行の慣例に従って自主退職した後、紆余曲折を経て淡田牧場に採用してもらったのです。
ですから、馬の扱い方も全く経験してこなかった私は、専ら上長に言われるがままに行動することしかできません。銀行員時代の私は、指示待ちでしか仕事ができない部下が一番嫌いで、そのような部下には良い査定を与えませんでした。
しかし因果応報、今の私は、全てにおいて指示をされないと何一つとして仕事を完遂することができない半端者に成り下がっていました。
金融業界で培った私の経歴は、牧場仕事においては全く役に立つところがありません。有用なスキルといえば、普通自動車免許を持っていたおかげで、トラクターを運転できることくらいでした。
北海道の三月中旬の最低気温は、氷点下を上回る日は一日もありません。道内でも比較的温暖な地域にある淡田牧場の牧草地もまだ雪化粧されたままでした。
牧場の墓場は、厩舎裏手にある高さ五十メートルほどの低山――牧場の私有地に設えられています。馬にブルーシートを被せて、リアカーを小型トラクターに連結した私は、裏山の上り坂に向かって、低速ギアでゆっくりとアクセルを踏み込みました。
南側斜面の雪は、朝から太陽光に照らされていたので、小道に積もる雪は柔らかく、ゴムタイヤがしっかり雪をグリップして、スムーズに走行することができました。
しかし、凍結したままの北側の小道では、積載重量五百キロを超えるリアカーを牽引したトラクターは、時折り横滑りをして、私の意志通りにカーブを曲がり切ってはくれませんでした。
都会のアスファルト道路でしか運転経験のない私にとっては、凍結した雪道上のトラクター運転は、恐らく潜水艦を操舵するよりも難易度が高いのでないかと感じました。
ここへ就職してから早々に、牧場の淡田社長が運転する軽トラックで敷地内を見学させてもらったので、墓場への行き方は分かっています。
しかし、自分の運転で雪道を走行するのは初めてだったので、狭隘な幅員のカーブでは何度も切り返しては内輪差を慎重に考慮しながらハンドルを操作しました。
リアカーが脱輪して崖から滑り落ちれば、その重量に引っ張られて、トラクターごと私も落下してしまいます。そうなれば、トラクターか馬の下敷きになって、速攻お陀仏になってしまう私の未来図が脳裏に浮かんでは消えて、心拍数は跳ね上がり、口中が激しく乾いて、唾を飲み込むこともできませんでした。
何十億円ものディールを扱っていた銀行業務よりも、よっぽどスリリングな緊張感が私の体を包み込んでいました。
凍結したつづら折りの難所を乗り越えると、支笏洞爺国立公園内にある活火山の樽前山が、私の目の前にその雄大な山容を現しました。
台形状の幅広い山体の頂には、富士山の火口部分だけを輪切りにして、そのまま置き去りにしたようなフジツボ型の溶岩ドームが鎮座しています。
有史以来、何度も噴火を繰り返してきた痕跡らしいのですが、今も水蒸気を噴出している溶岩ドームを明視すると、長い年月を掛けて再びマグマを噴出するためのエネルギーを充電をしていることが瞭然としています。
周辺には、畑から突如として出現した昭和新山や、数十年おきに噴火を繰り返す有珠山など、生動たる地球の息吹を感じさせる活火山がたくさん存在しており、そこだけ持続的かつ不可逆的な地球創生の営みを感じさせてくれるのでした。
もっとも、私は地球科学者でも地質学者でもないので、活火山そのものに興味を示すというより、そのマグマ活動がもたらす北海道の温泉の泉質の良さに感動を覚えました。
いずれ近いうちに、名湯と誉高い登別カルルス温泉へ行って、心の中で湯に浸かった自分を想像すると、心なしか凍れた空気中に硫黄泉の臭気が漂っているような気がしてきました。
厩舎から墓地までは僅か三百メートルの距離でしたが、安全第一の低速走行してきたので、到着時に腕時計を見ると、出発時から二十分も経過していました。
土葬された各馬の塚――土まんじゅうには、それぞれの馬名が記された卒塔婆がすでに八基ほど立っていました。今から穴を掘って埋める九基目の卒塔婆には、「南無馬頭観世音菩薩リリーエンド号」と毛筆で書かれています。
サラブレッドとしては高齢な二十歳牝馬のリリーエンドは、二月に種付けをしたのですが、胎盤炎が原因で流産してしまったそうです。高齢の母馬から産まれた仔馬は、一般的に競争能力に劣ると言われ、一部の例外を除いて、その仔馬は高い値段では売れないそうです。
それゆえに、リリーエンドにとっては最後の妊娠機会だったのですが、孕ませることができなかった彼女は廃用――つまり殺処分となってしまったのです。
「命ある限り、老衰するまで飼うことはできないのですか?」
と、馬産素人の私は、淡田社長に質問しました。
「馬はペットじゃなかばい。仔を産まない繁殖牝馬は、働かざる者食うべからずたい。先月引退したうち生産の牝馬が戻って来るけん、一頭分の馬房を空けないといかんし、リリーエンドはもう御役御免ばい」
そう言って首を掻き切る仕草をした社長は、経済動物に対する愛情の欠片も持ち合わせない実利主義者です。ある意味、赤字に窮した会社への融資を拒む銀行業務の考え方にも似ているのかもしれません。
銀行は、融資先の社長に人望があるからといって、融資金額を上乗せすることはありませんし、倒産しそうになれば融資金を引き揚げたりします。
そうしなければ共倒れになってしまうので、経営体質が脆弱な取引先は真っ先に切り捨ての対象としてきました。
とはいえ、銀行は直接的には命までは奪いませんから、商品価値がなければ、その命を処分するという畜産経済に慣れるまでには、相当な時間がかかりそうです。
淡田社長は、もともとは九州で馬の肥育牧場と馬肉店を営んでいたそうです。食肉用の馬は、主にアメリカから生きたまま輸入して、サシが入るように肥育した後に解体して直売していたらしいのです。
ところがアメリカは、牛肉を売ろうとする外向圧力とは対極的に、動物愛護精神から食肉目的での馬の輸出を法律で禁止したのです。
安価な仕入れルートを失った淡田社長は、一時期は廃業を考えたそうですが、後継ぎのいない北海道のサラブレッド生産牧場が売りに出していることを聞きつけて、土地を含めて破格値でこの牧場を買い取り、競走馬生産と食肉馬肥育を同時に営みながら今日に至っているそうです。
墓場は、霊園のように升目状に区画整理されたものではなく、山の斜面を切り崩した場所に、無造作に掘った穴へ葬っただけのものでした。
馬の死体は産業廃棄物として法律で指定されているので、土葬する場合は保健所からの許可を得た場所に廃棄しなければなりません。
ですから、淡田牧場では、保健所から認められた産廃処理場所を有効活用するために、馬を土葬する場合は横臥させて埋めるのではなく、身躯を分断して縦に放り込むかたちで埋葬していました。
シャベルを土に突き刺す際に、何気なく墓地の上空を見ると、いつの間にか二十羽ほどのカラスが落葉した木々の枝に止まっていました。
鳴き声をあげないカラスは、むしろ不気味で、幽界から舞い降りた死神の使者のようでした。カラスは、それぞれ別の方向に首を傾げていましたが、隙あらば翕然と馬に群がってきそうな気配を漂わせています。
気温が低いこともあって、人間には馬の腐敗臭は感じませんが、食物を嗅ぎつける野生動物の五感の鋭さなのでしょう。ということは、雪解けの時分になれば冬眠から目覚めた哺乳動物――熊も現れる可能性が高いということでしょうか。
いや、最近の暖冬のせいで、冬眠しない熊も増えていると聞きましたし、背筋が寒くなった私は、できるだけ早く土葬を済ませてしまおうと、振り下ろすシャベルの速度を上げました。
(つづく)