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赤の名前

作者: 誘唄

MBSラジオ短編賞というコラボイベントがあったので、とりあえず書いてみました。




桜よりも華やかで、牡丹よりも淡い赤。

そんな赤を作ろうとして、全てを捧げてきた。

毒々しいべにの唇からは罵声が溢れ、妻は去った。追うことはしなかった。そんなことよりも赤を求めた。

紅梅色でも桃色でもない、柔らかな赤。

そんな赤が記憶の片隅にあり、確かに見たはずなのにどこで見たのか思い出せない。

あの赤を取り戻そうと、作り出そうとして全てを捧げ尽くして、そして全てがなくなった。

にびのような深緋ふかひが採血の度に身体から溢れていく。こんなにも濁った赤が身体を巡っていることを医者は普通のことだという。赤の中身を外国語やら記号やらで言われたが、正直俺には分からなかった。わかったのはもう赤を作るのが無理だということと、起き上がることの出来ない体が日増しに紅鼠べにねずに染まり細く弱くなっていくこと。赤を求めてくたびれた鼠のようになって死んでいくのだからそんな色にも染まろうと苦笑を漏らし、軽くむせる。咳き込む力も無く、軋む肺の痛みに眉を顰める。いつからここでこうしているのか。そしていつまで。答えの出ない問いを押し退けて、赤だ、と心が呟く。あぁ、あの赤はどんな赤だっただろうか。俺はいったいどこでそれを見て、何故こんなにもこだわっているのだろうか。

周りの医者たちが騒ぎたてるのをぼんやりと眺め、俺は昔を思い出していた。





親というものの記憶はほとんどない。僅かに今の俺のように病床に臥せっていた男の姿が浮かぶが、顔は見えない。痩せ朽ちた老木のようなものが小綺麗な空色の病院着を纏い、臥せっていた。だがその姿は一瞬で消えて、黒緑、あるいは烏羽色からすばいろの服に囲まれ、放り投げられてしたたか身体を打ち付けた。それが唯一、俺の知る親だった。

母親はそれより前に死んでいたのだろう。忌まわしい物を見るような目で見る女が記憶にあるが、会話をしたことはなかった。

そして、なんの言葉もないままに俺は家を失った。6つか7つの頃だったと思う。



食うことが出来るようになるため、出来ることを全てやった。露天や庭先の野菜、鶏などを盗んで食い、時に忍び込んで干し飯を食った。時に捕まって殴られることもあった。だから俺は負けじと殴り返し、隙を見て逃げた。殴られる痛みと恐怖はあったが、飢えはそれにまさった。どれだけかそんな日々が続き、同じように飢えたガキと奪い合いの喧嘩もした。商店主などの大人相手が糧になっていたのだろう。大抵は俺が勝った。相手の数が多い場合だけ逃げて、少なくなるのを待ってから襲った。まともな会話をする相手もなく、人間よりも猿のような生き物だった。



少し育ち、血に似た色の名前から、猩々卑(しょうじょうひ)と呼ばれるようになった。緋色ではなく卑俗ひぞくな猿だ。確かに当時の俺は猿のように人を襲い、食い物を盗む卑しい生き物だった。赤を好むようになったのはその頃だろう。その名で呼ばれることが、生きていることの証のような気分でいた。それが忌み名であっても、その頃には本当の名前なんてものは失くしていた。他のガキと連むこともあった。俺は常に食い物だけを奪っていたが、他のガキが札入れを奪うのを見て不思議に思っでいた。金というものが何なのか、当時の俺は知らなかった。



夜中に飲みふける大人から酒や食い物をたかるようになると、襲う数は減っていった。時折、発作のように赤が見たくなり人を襲うこともあったが、その生活に膿んでいたのだろう。夕日の輝かしく雄々しい赤を追いかける日々が続き、少しずつ山間やまあいへと住処を移した。山に入って知ったのは、食えるものは多くあることだった。食えるかわからないものは避け、見知った草花や果実だけを食い、誰が仕掛けたのか罠に嵌った獣を食った。そんな人と言えない生活をしている中で、山奥で暮らす人間がいることを知った。

それが、俺の師匠だ。


赤を好んで染物をしていた男。その男を襲って食い物を奪うより、その作業に目を奪われた。一刻がかりで掘り出した食い物を砕いて煮しめたり、山を分入って枝を切り集めたり、川で布を洗ったり。物を食うことすら忘れているかのように、日がな一日煮たり漬けたり洗ったりとしていた。俺はその手にしていた布が、都度色を変えるのを見ていた。


数日が過ぎ、男の腹が鳴った。俺の腹もなっていた。男は川から籠を上げ、中から魚を出して焼いた。奪おう。そう思ったが、しなかった。男が魚を焼いている間、俺は浸かっている布を見に男の工房に入り込んだ。やがて男が戻って来たので、慌てて逃げた。何をやっているんだと怒鳴ることもなく、男が仕事に戻るのを見て安堵し、魚を奪わなかったことを悔いた。未練で焼き後を見に行くと、魚が二尾。焼けすぎないように避けて置いてあった。夢中になってそれを平らげてから、俺が見ていたことを知っていて、わざわざ残しておいたのだと気づいた。

その日から、俺は男の仕事を手伝うようになった。



偏屈で無口、無愛想な男。そして仕事しか知らない男。師匠はそんな男だった。

二、三週間に一度訪れる男がそんなことを言っていたし、俺もそう思った。男は商人で、籠から染料と食料を出して師匠が染めた布を籠に入れて去っていった。

殴られることが多かったが、不思議と殴り返したいとは思わなかった。不出来な弟子を鍛え育ててくれているのだという商人の言葉で、また師匠に殴られた。嬉しかった。



ヒヨッコ程度に俺が仕事に馴染んだ頃、師匠が倒れた。慌てふためく俺に一言、「年だ」と師匠が言った。半月と経たずに、師匠は死んだ。俺は初めて人が死ぬことが怖いと知り、死んだことを悲しいと知った。



それからしばらくは、一人で生きた。師匠のように赤を作ろうと躍起になり、必死になって寝食を忘れて没頭した。だが、俺は未熟だった。出来の悪い弟子が残ってしまったことを申し訳なく思い、荒れた。



十年が過ぎ、師匠のようにはなれないと諦めつつあった頃。荒れた俺を気遣って、商人が嫁を娶れと言い出した。どうでもよかった。そんなことよりも、赤を作れない自分の不甲斐なさに首を括りたかった。だが師匠に合わせる顔もなく、死ぬことが出来なかった。だから、ただただ仕事に没頭した。商人が嫁を連れて来た時も、顔を見もせずに仕事に戻った。今にして思えば、ちゃんと断ってやるべきだった。



俺の生活はほとんど変わらなかった。ただ赤だけを、師匠の赤を取り戻そうとする日々だった。数年の時が過ぎ、自分が全く師匠に近づいていないような不安だけが募った。商人は良い赤だ、綺麗な色だと俺を諭したが、慰めにしか思えなかった。ある日俺は全てを投げ出したくなって、暴れた。全部ぶち壊してしまえば良いと思って、昔のように猿のような生き物へと返ってしまえば良いと思った。俺をなだめようとしたのだろう。だがそんな妻さえ、俺を責めているとしか思わなかった。俺は妻を殴り、犯した。



妻は出来た女だった。摘める程度の飯を用意し、俺が食べなければ自分が食った。魚の罠や菜園なども整え、商人相手に金額の交渉までしていたらしい。それら全ては、居なくなってから商人に言われて知った。



結局、俺は一人になった。一人でしか生きられないと悟った。商人が顔を出すこともあったが、会話はなかった。顔を合わせないことさえあった。妻が子供を産んだと言われたが、俺は仕事に戻った。合わせる顔など、あるはずもない。現世では妻に合わせる顔が無く、浮世では師匠に合わせる顔が無かった。俺はますます厭世するようになった。



数十年が過ぎ、商人が代替わりした。食料が置かれず、札入れが残されていた。食料を調達するのに、これを使えと言われたが、俺はこれまで一度も金を扱ったことがなかった。赤紅の模様が目を引いたが、それが何を意味するのか、この札がどれほどの食い物になるのか、そもそも札の価値も分からなかった。商人が苦笑まじりに説明していたが、全く理解が出来なかった。



山を降りると、まるで違う国に来たように思った。拓けた田園風景があったはずの場所はなくなって、白塗りの箱のような建物が並んでいた。木造ではなく、石のようなのっぺりとした壁だ。風鈴に似た音がしてそちらを見れば、目の前を人が走り去っていった。随分と足の速い男だと思えば、けったいなものに跨っていた。周りを見れば幾人かがその輪っかを三つ継ぎ合わせたような物に乗っていた。

朧げになった記憶とあまりに違う景色におっかなびっくり道を歩き、飯屋を見つけた。

昔に見た飲兵衛たちの様子を思い出し、札入れから札を出して、飯と酒をくれと頼む。なにやら色々と言われたが、適当に出してくれと返した。

出て来た飯は奇天烈で、何を食わされているのか不安になったが、久しぶりに飲んだ酒は身体を熱くさせ、飯を流し込むのに役立った。



大分酒が回り、このままでは帰るに難儀すると思いながら店を出た。日が暮れ始めていたが、夕日は建物の陰で見えなかった。ふらふらとする足を運び、夕日を探して路地裏を歩く。ここは白ばかりだ。白と黒に染められて、赤はどこに追いやられたのか。きっと、師匠と一緒に浮世へと旅立ったのだ。そんなことを思いながら、歩いた。ガキどもが道を塞いできたが、どうでもよかった。帰ったら赤を作ろうと、それしか思わなかった。


そこで、記憶が飛んでいる。

頭が痛み、背中も痛む。

あぁ、刺されて殴られたのだったか。ガキどもにやられたのだろう。食い物なんぞ持っていなかったというのに。

医者の言葉を思い出す。もう長くはないのだと。

家はどこなのかと言われ、師匠の顔が浮かんだ。すると、赤だ、と心が呟いた。そう、赤だ。

俺はまだ赤を作れていない。師匠に合わせる顔も無い。どこで見た赤なのかさえ、思い出せていない。何もかもが中途半端だ。

家族はいないのかと怒鳴られ、妻を思い出した。

そして顔すら朧げになった妻の、名前すら覚えていないことに今更ながら気がついた。なんと薄情なことか。こんな様になるのも当然というものだ。

喚き立てる医者を尻目に、俺は眠りに落ちていった。輸血だなんだと騒がしい。あぁ、この後に及んでも、俺はまだ赤を求めている。あの赤はどこにあるのか。



ふと目覚めた。どうやら昔の記憶を辿っているうちに眠りに落ちていたらしい。

ぼんやりとした頭で、どこにいたのだったかと考える。

もう長くはないと告げた声が聞こえ、そうかお迎えが来ているのかと思う。

死んで行くのが赤の追いやられた先ならば、思い出せない赤を探そう。師匠がいる場所ならば、改めて弟子にしてもらおう。

声をかけられていたが、その言葉がわからない。

俺を覗き込んでいるこの男は誰だろう。随分小洒落た格好をした男。どこか、誰かに似ている気がして目を凝らすが、視界が霞んでいる。確かに見覚えがあるのだが。

いや、もはや誰だったとしてもいい。もう俺は死ぬらしい。思い出せても、意味は無いだろう。それに思い出すならば、赤だ。

桜よりも華やかで、牡丹よりも淡い赤。


指を握られる感触。

柔らかく、力強く、なのに儚すぎて頼りない。

そんなものが俺の指を握っていたが、そちらは視界に入らない。

だが、この感覚には覚えがある。ずっと昔。ずっとずっと昔の記憶。

男の姿はいつのまにか女の姿に変わっていた。

あぁ、その唇。見覚えがある紅色だ。毒々しい紅の唇から溢れているのは、去っていった日の罵声だろうか。それとも積み重なった怨嗟だろうか。

すまなかったと言葉に出来ず、悪かったと声も出ない。

お前がこうしてここにいるなら、先程の男はお前の子か。そうか、お前は一人で立派に育てたんだな。見たことがあるのも当然だ。俺の顔に似てしまったのだろう、すまないことだ。

とてもではないが、俺の子だなどと驕ったことは言えない。産んだと知っていながら一度も会おうとしなかった子だ。恨まれて当然だろうに、それでもこうして来てくれたのか。本当に立派に育ったものだ。

握られた指。息子が腕を掴んだのだろう、引き上げるように持ち上げられて、息子の顔が視界に入る。

ああ、俺の濁った目には見えないが、きっと真っ直ぐな目をしているんだろう。その抱えているものは何だ。

あぁ、俺の指を握っていたのは、その赤児か。

俺にも義弟がいたっけなぁ。幼い頃、よくあやしてやったのを思い出したよ。


俺が家を追い出された時、顔中腫らすほどに泣き喚いて。あいつだけは俺を家族として接してくれていたんだなぁ。

普段は桜色の頬が、泣き過ぎて赤く染まってなぁ。

その子の頬みたいに、桜よりも華やかで、牡丹よりも淡い赤になって。

あぁ、あぁ。

やっとわかった。やっとわかったよ。




俺は、家族だと思われたくて、その赤を求めて。




俺はもう、その赤を手に入れて、失っていたんだなぁ。すまなかったなぁ。




紅が動いているのが、もうほとんど見えない。色々と言いたい事もあっただろうに。

馬鹿と言っているくらいしか、唇からはわからないんだ。赤児を見せてくれても、顔ももうわからないんだよ。

お前が頑張って育てた息子が、立派に嫁を迎えて子を成したんだろう。俺の馬鹿な頭じゃ、それ以上何を伝えようとしているのか、わからな




なでしこ



あぁ、あぁ、そうか。

繰り返しお前の紅が伝えようとしているのは。

ありがとう。お前が妻になってくれて、本当にありがとう。



撫子



あぁ。良い名前だ。

本当に、良い名前だ。




朱華はねずとか蘇芳すおうとかときとか躑躅つつじとか、他にも沢山の赤があるようですが使いきれませんでした。

気になった方は「和色」で検索すると山ほど見つけられると思うので、調べてみてください。

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