小さき友よ
成功の生涯を送った、とは言えない少女だった。
彼女は誰よりも有名になり、誰よりも無名に死んだ。
あたしよりずっと若かった彼女は、いつも一人だった。
世界の真ん中を歩いていた、そんなあの子にとって、あたしはどう映っていたのだろう。
これは、決して救いがある話ではない。
けれど、あの子にとってこの世界、この国が、価値のあるものだったと信じたい。
・・・そんな、勝手なこちら側の思い出話なのだ。
「自分より強い相手とケンカする度胸もないくせに、自分より弱い者をいじめるような、卑怯な人間にはなるな」
それが父親の口ぐせだった。
あたしは28歳にして、アンセルム大陸《サンマルス国》の麗人と呼ばれる、クレシダ=ブルームフィルド。
女系王族親衛隊、ルナ・ガードに配属された、生粋の女騎士だ。
遅くに産まれた子供だったあたしは、たいそう父に可愛がられて育ったらしい。
ただし、そこは武門の娘でもあったので、本人の記憶の中ではきっちりと文武両道に教育されたという思い出しかない。
・・・まあ、要するに、父の命令はいつも絶対だということだ。
とっくに彼は、引退しているのだけれど。
「お前に話がある」
そう言って呼び止められたのは、親衛隊の夜勤明けのことだった。
普段は衛兵に見回らせ、上官である私たちは控え室で待機しているだけなのだが、やはり何かあった時の責任の重さか、にぶい疲れが体に残っている。
「・・・何? 明日は 北の ”列国” の左端の国、ストラムへ表敬訪問が決まってるから、早く休みたいんだけど」
現在即位している女王は、きわめて活動的な人物である。
王をほったらかして各国へと出かけることも多く、むしろ国家元首よりも外務の”顔”だと、王室内外でも噂されている。
「うむ。その事だがな・・・」
めずらしく煮え切らない様子で、父は自室へと私を誘った。
なにやらモゴモゴと口ひげを動かしていたが、やがて重厚な机に手を置いて、きっぱりと言う。
「クレシダ。お前の親衛隊勤務は、今日で終わりだ。明日からは、転属が決まっておる」
「はあ!?」
何を言っているの、このヒゲちゃびんは。
あたしがどれほど優秀な仕事をしているか、分かっているのだろうか。
「もう決まったことだ。親衛隊が所属している宮内部からも、「是非に」と推薦があったらしい」
「あっ・・・」
それを聞いたあたしは、間の抜けた声をあげていた。
もしかして、あれだろうか。
聖騎士。・・・いつか、「わが国が信仰しているビュイック神は格好いいから、教団付きの騎士もいいよね」ともらしたことがあった。
それを伝え聞いた城下教区”司教”が「大歓迎ですぞ!」とかなんとか言って、スタイル抜群のあたしを引き抜こうとしたとか。
「うむ。思い当たることがあったのか。まあさほど驚くことはないかもしれんな。どちらにしろ、王宮に深くかかわる仕事には変わりがないのだから」
父はそう言って、あたしの新しい肩書きが書かれた書状を、手渡してきた。
・・・それにしても、こんなに強引な転属なんて、ちょっと急ぎ過ぎではないだろうか。
はっ! まさかあの司教が、良からぬ想いをあたしに抱いて!?
そんなことを考えながら、差し出された着任状を、両手で厳かに受け取っていた。
そこには、あたしが長い時間をかけて己を磨き上げてきた、騎士などとは真逆の職業が記されていたのだ・・・!
『汝をS級へと推薦するーー”宮廷魔術師” クレシダ=ブルームフィルド』
「ふざけてんじゃないわよ・・・」
そんな呟きとともに、あたしは翌日、目を覚ましていた。
どこの魔術世界に、騎士から宮廷魔術師へとクラスチェンジさせる集団があるんだ。
あの話のあと、どうにか転職なんぞやめさせるために、あたしは父を説得しようとした。
”オヤジぃ! あんた、言ってたじゃん!! 魔術師はたしかに一人で騎士千人ぶんの戦力になることもあるけど、弓矢でポロッと死んだりするし、品格もはるかに騎士が上だって!!”
”初めてロングソードを買ってもらった日に 「イノシシを狩ってこい」って命令もこなしたし、「貴族学院でパーシャル家の馬鹿息子がうち立てた最高得点を破れ」なんてムチャ振りにも応えた!”
・・・そもそも、ほんとにバカなら学科歴代最高点なんて出てないからね!?
それでも、父の翻意は固かった。
伝統ある武門の名家であるというのに、いや、だからこそ頭が上がらないところがある偏屈集団”宮廷魔術師”に尖兵を送れるのは、喜びの極みだったのだろう。
あたしはやれやれとため息をついて、ベッドから立ち上がった。
いつもはビシッときめるメイクも、今日は適当でいいだろう。
そう思えば、まああのダラダラしたローブ姿も悪くはないのかも。
「また仕事を一から覚えなきゃいけないけど・・・」
そんな重苦しい想像をよそに、あたしは現実逃避なことばかりを考えていたのだった・・・。
「おはよ」
「お早う。クレシダ」
まだスイッチの入らなかったあたしは、いつもよりゆるい室内着で朝食の席についた。
父はわずかに眉を歪めたが、押さえる所はきちんと押さえる娘の性分を知っているので、あまり強くは言ってこない。
その代わり、「あらあら」と無害代表のような母が、朝食のポタージュを運びながらおかしそうに微笑んでいた。
ちなみにこの家では、貴族らしい給仕係や料理人などは、雇っていない。
なんでも一から十までやるのが好きな母が、掃除が大変なための侍女以外を、受け付けないのだ。
(・・・うむ。今日の母の料理も、最高においしそうだな。朝食なのにここまで食欲をそそる匂いを出すのは、至難の技だろう)
いつものごとく食堂の空気を吸い込んで、あたしはスプーンを取る。
さあ、新しい仕事は頭を使うだろう。たっぷりと糖分を摂っておかねばならない。
その時だった。
「!?」
ボンヤリした意識が晴れたあたしの斜め前に、見知らぬ少女が座っている。
しかも、オリーブオイルで焼かれ、香草たっぷりのボンレス・ハムを、トーストからはがして美味しそうにーー
おい! それはチーズトーストと一緒に食べるんだよ!! 母のゴルゴンゾーラは、辛味の強いピッカンテタイプで絶妙なーーって違う!
「ちょっと、この子だれよ? 親戚にいたっけ、こんな子供?」
おそらく12か、13歳ぐらいだろう。
この国には珍しくもない栗色の髪の毛、だが邪気のなさそうな透き通った紅眼は、あたしを一瞬にして黙らせた。
「!」
(・・・アン=リビエラ・・・。サンマルス国唯一の、いや、大陸全土を見渡しても公式には一人しかいない、SSランクの魔術師ーー)
一度だけ、王宮の食堂で鉢合わせたことがある。
無神経なしゃべり声をあげて歩く貴族騎士の集団から、ひらりと身をかわした時にあたしとぶつかったのだ。
まだ年端もいかない子供なのに、落ち着いた謝罪のできる好人物だった。
「何をしておるクレシダ。先生に挨拶しないか」
「は!?」
間の抜けた返事を返すあたしに、
「愚か者。お前の素養が宮廷魔術師Sランクだと見抜き、執政部はおろか、軍部、その参謀方にまで声をおかけ下さったのは、このリビエラ上級魔術師なのだぞ」
「・・・」
さんざ今まで、「騎士以外は動物であり、人にも悖る道がほとんどなのだ!」
などとほざいてきたくせに、自分が美味しい汁を吸えると思ったら、コロッと態度を変えている。
まあ確かに、宮廷魔術師の存在は、家族にとっても破格の恩恵をもたらす。
何しろ遊撃において、一個師団を壊滅させ得るSランク術師は、軍部最高位 ”統合元帥” に匹敵する立場が約束されているのだ。
「・・・お早うございます、ブルームフィルドさん」
いそいそと立ち上がって、少女は頭をさげた。
あたしはつられるように挨拶し、姿勢を正す。
家族と区別がつきづらいので、「クレシダとお呼び下さい」と伝えた。
「・・・」
それを聞くと、なぜか少女は、嬉しそうににっこりと笑って続ける。
「それでは、そのように呼ばせて頂きます。・・・少しでも早い方がいいと、こんな朝から出向かせてもらいました。・・・クレシダさん。慌ただしいかもしれませんが、出立の用意ができるまで待たせてもらいます。どうぞ、お許しを」
これから先生になる人にそんなことを言われ、あたしは恐縮してしまった。
どうやら、あちらにもそれなりの理由があるらしい。
ペコリとまた頭を下げて、あたしも朝食をとるべく、急ぎテーブルについたのだった。
それから40年の時が過ぎーー
などということはないが、あたしの人生は早かった。
何しろ魔術師の人生とは、同じことの繰り返しなのだ。
「ああー。今日も膨大な魔術体系を頭にたたき込まないといけない」
「うう・・・感覚が追いついてこないため、魔術の発動効果がイマイチ」
ほとんどが、そんな毎日を送ることになった。
アン先生 ーー リビエラとは呼ばせてくれなかった ーー は、のんびりやっていきましょうと、気長な言葉をいつもかけてくれたが、期待に応えられないのは心底情けなかったのだ。
『クレシダさんは、私の勘だと、62歳くらいでS級に目覚めます!』
そんなとんでもないことを言った彼女は、
「定年退官が65歳でも、ほんの数年S級がいるだけで、どれだけ国が助かると思います?」
そう言ってあたしを励ましてくれたものである。
ーーそうそう。
忘れてはいけないエピソードが、一つ。
あたしたちの国、サンマルスと、隣国 《ドーズ》は、お互いの戦力を見せつけるため、国土の外から魔術の空撃ちを定期的にしている。
『はッ! 間抜けな大砲の撃ち合いだ!! そういや”旧世界”にも、他国の頭を越えてミサイルを撃ちまくってた失敬国があったな!』
と無関係の勢力には馬鹿にされることもあったが、これをやりはじめてから国境の小競り合いがなくなったのだから、賢い政策だと信じたい。
会話も通じない愚かな国を進歩させるには、「こちらの方が強い」と学ばせてやらなければならないのだ。
ーー これは、そんな一幕の、あたしの忘れられない衝撃ーー
ザワザワ。
ガヤガヤ。
「先生、ずいぶん見物客が多いみたいですけど?」
あたしとアンは、その日、城壁の高台に立っていた。
サンマルスの北西部にある支城の一つで、そこは崖を背にし、城下町を見下ろせる場所に建っているので、天気が良ければ向こうにひろがる森や湖までうかがえる。
ーー壮観! 思わず額に手をかざして、そんな言葉までが漏れていた。
変わって、足元に目をやれば、城壁の前後に押し寄せた者はほとんどが魔術師。
・・・この国、いや、大陸最高の奥義を見物しようと、目を爛々と光らせながらザワついている者たちである。
「いざというときのために、私は5年に一度しか魔力を放出させてもらえませんからねー・・・」
にへっと子供じみた笑みを浮かべて、20歳を迎えたばかりのアンは、ローブの袖をまくっていた。
そう。彼女が隣国 《ドーズ》を威嚇するためには、安全保障で国にいる全魔術師がフルに魔力を溜め込むという保険をかけねば、やらせてもらえないのだ。
魔術実験すら自由にできないーー
それが、歴代屈指の”魔法使い”の実態である。
「クレシダさん、よく見てて下さいね。あなたは私と同じ”感覚派”ですから。そばにいるだけで、多くを吸収できる人です」
そんなことを言って、彼女は前方眼下の観衆に、割れるよう指示を出していた。
ほとんどの魔術師は、”理論派”ーー
それでなくても独立独歩の異能集団の中で、彼女は常に孤独だった。
『ーー我、蒼海の主と盟にある者なり』
何のタメもなく、胸の前で両手を向かいあわせた彼女は、詠唱を始めた。
『旧き世より、 深き場所にて傅きし兵どもよ、いま我の声を聞け』
「!」
かろうじてその詠唱を聞き分けた、壁前にいる男の一人が、震えたように固まった。
『十二の槍にて眼前すべてを尖破し、”蒼姫”の威を示せ。我はそなたらの座と覇を、この世に知らしめる者なり』
これはーーこの魔術はーー
共に並び立つ魔を持ちて、アン=リビエラが請う!!
『灰塵槍!!』
視界のすべてが台風と化したかのように、長大で個性ある12本の槍が集束し、空中を荒野へと焼き上げた。
傅く華々《ライン=ナイツ》 ーー
それは、深海の主”蒼姫”を単発で喚び出すのと同レベルだと言われる、SSSクラスの連鎖召喚だ。
「アン!? 今のは何ですか! どうやったら自己の等級を超える術式がーー」
あたりの騒音が止み、呆然としていた観衆をよそに、あたしは話しかけていた。
こんなことがあるはずない。でも、今の大魔術は、確かにあたしも感覚的に同調できた。
不理解を押し流す、圧倒的な本質の奔流ーー
「クレシダさん。これは秘匿事項ですけど、私は4Sランクです。ふざけてSSSSなんて呼ぶ人もいるけど、これは呪いでもあります」
アンは、まるで誇ることもなく、淡々と語っていた。
「歴史書で把握されているのですが、SSを超えるランクの魔術師は、驚くほど才能が短命なんです。たぶん私は、30代までの身体的、精神的な充実が許される期間しか、4Sの魔術は使えません。その後は、並みの術士以下の能力になるでしょう」
「・・・」
ずっと、疑問に思っていた。
どうして この少女 は、こんなに大人びているんだろうと。
年相応の振るまいなど何もなく、人への甘え方がなぜこんなに下手なのだろうと。
・・・おそらく彼女は、未来に夢を見るべき一番幼いころに、”終わり” を告げられた人なのだ。
「アン・・・」
何と言っていいか分からなかったが、あたしは思わず寂しそうに微笑む師に、近づいていた。
空虚な才能だ。
誰よりも華々しく、そしてそれより遥かに長い時間を、衰えて過ごさねばならない。
「これで、私に教えられることはすべて伝えました。・・・クレシダさん、私と友達になってもらえますか?」
そんなちっぽけな願いを言うために、この娘は弟子を選んだのだろうか。
いつか食堂で、ぶつかってきた彼女を支えたあたしに、同種の異能と、ほんの小さな共感の可能性を感じ取って。
「あなたが願ってる以上に、きっとあたしは貴女のことが好きよ。騎士道にかけても誓う。たとえ憎しみと共になろうと、この思いはずっと変わらないと」
ほそい腕で長身のあたしを抱きしめたアンは、初めて得た友の胸の中で、かすかに頷いたのだった。
ーーその後、クレシダ=ブルームフィルドは、大方の予想を覆し、50代にてS級の魔術を発動させられるまでに成長した。
見事に任期を終え、退官を迎えた彼女を送り出したアンは、その後、隣国 《ドーズ》との争いに巻き込まれることになったという。
当時の前線で、魔術部隊の重責を負う立場になっていた彼女は、ドーズの、兵卒の命を無視した無謀な攻めを止めるため、衰えたSランクにも届かぬ魔力で身を挺することになった。
・・・彼女がその戦から帰ることはなく、軍属の死はすべて国葬によって讃えられたが、アンは前例のないまま列兵として、碑銘を並べられた。
クレシダだけが、その才能の歪さから、伴侶も拒みつづけた孤独な彼女の碑銘の前に、立ち止まったという。