01-08
何かの間違いであると祈ろうとも、現実は覆されない。
永守誠から溢れる力は紛れもなく魔力であり、それは此方側の住人である事を意味していた。
咄嗟の判断が致命的に弱いのは楠木飛鳥の欠点である。
頭では彼是と可能性を模索しようと努力はしているものの、一周回って何も思い浮かばない。
よく大月零に怒られている放心癖がそれであり、その様は永守を苛つかせた。
「先輩……魔法の存在まで認識しているならば、その先の可能性……補助魔法について想定すべきです。
ただ無秩序に魔力を漏らす術者は、自分の存在を他者に教えている二流に過ぎません……。
故に、この呪符のような神秘を隠す為の隠匿魔法が存在するのです」
甘味処から暫く歩いた裏通り……市内とはいえ路地裏に一本入ると人通りは極端に減っている。
平日の夜中となれば尚更であり、居酒屋目当てのサラリーマンが近寄るにも早い時間だ。
―――煌びやかな繁華街の光を背に、永守の細い指が飛鳥の頬をつたう。
「僕が幻覚魔法によって別人が擬態しているものだとしたら、先輩はどうなるのでしょう……?
昼間から一連の行動が全て計算によるものである可能性は推察しましたか……?
安易に確証の得ない相手に対策もなしに単独でついてきて、その身を護れるのですか……?
僕が本腰を入れていれば、先輩を殺して魔導書を奪うのは造作もないんです」
永守の口調は静かな怒りを秘めてはいるが、その瞳は何処か悲しげであった。
脅迫の類ではなく、あくまで飛鳥の身を案じ、優しさから己を拒絶している。
例え恨まれようと、まだ穢れを知らぬ女性を護るがのように。
だが、飛鳥は永守に笑顔を魅せた。
「そんなのは、信じてる相手に失礼なんだよ。
だって……永守君は良い子だもん」
屈託のない笑顔に真っ直ぐな瞳。
その無垢な言葉は搦め手を企む相手の闇を祓う神々しき光。
不純物がない言霊は、永守の心に突き刺さる。
「その微笑みが僕を惑わせるッ! いったい何人の心を奪ってきたのかッ!」
「ちょっと待って何言ってるの!? 変だよ永守君!?」
「五月蠅い! 人の気持ちも知らずにッ!!」
永守が好意的解釈により曲解しているものの、一般的には永守の理屈は正論に満ちている。
一方飛鳥といえば甘いものを奢ってくれた可愛い後輩の一心でしかない。
そう、それしかない……が、その一念が岩をも通した。
精神的動揺を受けているのは永守であり、人心即ち摩訶不思議を体現していた。
「埒が明かないな……どうして分かってくれないんだ」
「いやもうホントにね」
「仕方ない……先輩、はっきり言います。
貴女は此方側に向いていませんし、来てほしくない。
今なら間に合います。その魔導書を破棄すれば貴女に火の粉はかかりません。
僕達が責任をもって処分しておきますので、どうか身を引いてくれませんか?」
最後通牒―――彼女の身を案じた永守が精一杯みせた配慮である。
彼に残された理性が、平行線の打破を試みる。
「そうしたら楽なんだけど、もう、知っちゃったジャナイ。
ここで目と耳を塞ぐと、零やフレイムさんを裏切る事になるし……。
それに、永守君が何かを背負ってるなら、私も手伝いたい」
この人は危険だ……僕の障害となる。永守は確信した。
甘い甘いシュークリームの様なお嬢様は此方側で生き残れる筈がない。
義務感に彩られた青春の情熱は、永守の信念を加速させるッ!
「止むを得ません……。
手荒な真似となりますが、身柄を確保させて頂きます。
魔導書を回収後、先輩の記憶は消去させて頂きます」
「え、そんな事まで出来るの!?すごい!」
「はい。ですがご安心を……先輩を含めて関係者の記憶は操作させて頂きます。
先輩はいつも通り、昔と変わらぬ生活を約束しますよ」
正直に尊敬するが、それは我が身に迫る問題である。
飛鳥はせめてもの抵抗ばかりと鞄から紅い魔導書を取り出し身構える。
言われたままに体と魔導書を差し出す訳には行かない。
永守の目が座った。
腰を落とし半身を逸らす……前傾姿勢のそれは、まるで獲物を狙う狩人のようだ。
最早互いの主張は聞き入れられぬと悟った刹那、周囲に何かが衝撃が走った!
弓矢? 否、小型ナイフが我ら四方を取り囲むように撃ち込まれる。
刃には呪符が刺さっており、四枚が互いに干渉している。
「人払いの呪符!? 何者です!?」
永守は即座に反応し、木刀袋の紐を解くと同時……彼の頭上に黒い影が落ちてきた。
「……人の獲物を横取りするんじゃあない」
楠木飛鳥はその声を知っている。学食で聞いた男の声だ。
しかし、どういうことだ。永守の上から飛び掛かった姿は昨晩の鬼そのものではないか。
鬼は長く黒い爪で永守の肩口を切りかかるも、永守の木刀に弾かれる。
木刀はその一撃で砕け散るも、その内側から刃のついた真剣が姿を見せた。
「武器聖化を魔化した桃木の鞘を容易く砕くとはね。
この仕込み刀で戦うのは久々だよ」
「耐久力の無い仕込み刀で俺に挑むとは笑止。青江や虎徹にでも魔化すべきだったな」
「それはどうかな?」
鬼の連撃が容赦なく永守を襲うも、すんでの所で身を躱す。
初手こそ刀で受けたものの、後の攻撃は全て回避し続けている。
鬼の姿や形容するならば大型のヒグマであり、下手に触れる事は死を意味していた。
しかも人語を解する闘い慣れた戦士である。野生動物とは危険度が比較にならない。
だが、熟練度は永守が一枚上手のようで、円を描くように場を詰めては、鬼を壁際に追い詰めている。
「小賢しいな、人間!」
「戯れは終わりだよ、化け物!」
永守の一撃が鬼の右腕を捉える! その深さや骨にまで達している。
しかし迂闊な事か、永守が僅かに刀を引き抜くのが遅れたのを鬼は見逃さなかった。
幾重もの筋繊維が刀に絡み合い、食い込み、巻き込み、鋼鉄の様に硬質化していく。
鬼は刀が刺さった腕の筋肉を凝固させると、刀が鈍い音を立てて砕け落ちた。
「では、お嬢様は回収させて頂く」
「まだ策はある! 失せろ鬼め!」
永守が鬼と飛鳥の間に立ちはだかる。
ブレザーの胸元から隠した呪符を展開するも、鬼の反応速度が彼を凌駕し、鬼の蹴りにより永守は数メートル吹き飛んだ。
一歩、まだ一歩と飛鳥の元に恐怖が迫る……しかしどうしたことだろう、ぴたりと鬼が歩を止めた。
鬼の本能が危険を察知している。ひ弱な少女を無意識に敵だと認識している。
「可愛い後輩に何してくれてるのよ……。
私……本気で怒ってるんだから!!」
飛鳥の周囲に火の粉が舞っており、怒りによりトランス状態に陥っている。
魔導書を構えた少女から分不相応の魔力が放出されている。
確かに彼女は魔術の素人ではあるが、力を持ち過ぎた素人は達人よりも始末が悪い。
調整が、できないのだ。
魔導書を起点として、周囲の空間に無数の神聖文字が彫り込まれていく。
飛鳥の掌に小さな火球が生まれたと思いきや、瞬く間に尋常ではないサイズの巨大な球体となった。
その大きさや直径にして5~6メートルはあるそれは飛鳥の手の内にある。
「そのサイズ……まさか爆裂火球か!!
待て、俺は!!」
「問答無用!! 吹き飛べぇぇ!!」
鬼は咄嗟に距離を取るも、爆裂火球の圧倒的な破壊力は周囲全てを飲み込んでいく。
弾け、混ざる。盛大な爆発音と共に、火と熱が支配した……。
―――砂埃が落ち着くと、そこはまるでミサイルが着弾したかのような有様であった。
建物の壁面は熔解し、アスファルトは吹き飛び巨大なクレーターが出来ている。
地面のひび割れから水が勢いよく噴き出す様を見るに、水道管が破裂しているようだ。
人払いの呪符も吹き飛んでおり、路地裏に人が来るのは時間の問題である。
幸運にも鬼の姿も見当たらない……飛鳥と永守は一先ずその場を立ち去った。