02-08
―――同刻、鷹匠町、地下室内。
ここは星の知識が所有する飲み屋街の一角、古びたBARの地下室。
関係者以外は立ち入る事はできず、常連客ですら存在は知られていない。
仄暗い室内はコンクリートが剥き出しになっているものの、防音設備は万全だ。
シェルターにも流用できるよう、幾重にも重ねられた分厚い壁が遮音性能を高めている。
蒸し暑さを感じたのか、金髪の男……烏丸三十郎がエアコンのスイッチを弄りながら会話している。
会話の主はここにはいないが、まるで無線機を持っているかのようであった。
「アーアー、ジョエルさーん? 聞こえますかー?」
「通信妨害はありません、どうぞ」
「それでは貴女は高校内に移動して下さい。そちらに飛鳥の従者が向かう筈です」
精神感応のピアス。
何も知らないと烏丸三十郎がまるで独り言を呟いているように見えるが、
彼の耳に刺したピアス……否、正しくはピアスに取り付けられた小さな宝石が送受信の役割を果たしていた。
連絡先は生徒会長こと、ヴァチカンからの刺客であるジョエル・ジョヴァンナ。
彼女との会話中に意識を向けるは、彼が常に持ち歩くファイルがあった。
その中にはヘクスマップが展開されており、ハニカム構造に徳島市内地図が描かれている。
それは戦略シミュレーションゲームの如く、各々の陣営のユニットが配置されていた。
「いいですかー、大学病院に待機している楠木飛鳥と大月零は間もなく別行動に移りまーす。
大月教授が残した研究成果を解除する為に、大月零が七星大学に向かう筈です」
「確証は?」
「そうするように仕向けてるからですよ。選択肢は無意識の内に誘導しています」
「憶測の域を越えないのでは? もし楠木飛鳥や別の人間が向かうのでは?」
烏丸の曖昧な説明に少々苛立ちを覚えたジョエルは噛み付いた。
「ここで必要なのは“誰が”ではなく、分散するかしないかですよー。
七星大学、大学病院、七星高校の三箇所を同時攻略する必要なんてありません。
我等の成功条件は楠木飛鳥と紅い魔導書の破壊なのです。
二つのターゲットが常にスタックしている以上、後は敵戦力を分散させるのが一番です」
「ふむ……目標を単独行動させ、不意を付く……か」
「はい。相手はほぼ素人ながらも、迂闊に煽ると爆発しかねない危険物ですからね。
このタイミングで嘉納護を虚数空間に容易く封印できたのは僥倖でしたねー。
ヴァチカンからお借りされた聖剣であろうと、確実に息の根を止めるのは難しい相手ですし」
烏丸が手にしたヘクスシートには大学病院から楠木飛鳥を残してユニットが移動させられていた。
五色台への誘導、大学を襲撃した星の知識、高校に現れた姉妹霊、そして海外の魔術結社に至るまで。
全てはクスノハ総帥の孫娘である妖狐飛鳥、そして……。
過ぎたる魔力を保有する紅い魔導書。この二つを滅せんが為の罠であった。
彼と彼女は所属は違えど似た者同士であった。
見定める為に何か月もかけて懐を探る。決して敵だと悟られぬよう、愛と正義の隣人となる。
愚かな真似はせず、淡々と粛々と……深く深く沈降する。
そして対象が人類の敵と断定せし時、胸の中で断罪の剣を突き刺すのだ。
「流石にジョエルさんでもフレイムは荷が重いです。
姉妹霊だけでなくルーファスにも救援に向かわせます。無理せず時間稼ぎして下さい」
「了解しました。大月零の方は?」
「あっちは実質無害ですから星の知識の若い衆をけしかけておきますよ……後は楠木飛鳥を確実に仕留めたらゲームセットです。
おそらく俺が相手するでしょうが、イレギュラーが発生した時はジョエルさんが対応できる様に両面待ちしています。
どちらに転んでも対象が敵意を認識する前にあの世行きになってますよ。
これほど幸せな事なないでしょう?」
「お見事。ですが策士策に溺れないように」
「ハハハ、大丈夫ですって。それではー」
ツーツーツーツー
ピアスから意識を外すと、隣で座っていた男が呟いた。
からん。丸い酒瓶から注がれた琥珀色の液体がロックグラスの氷を潤す。
氷から喉へ。その熱い火照りはアルコールによるものと誰もが言うだろう。
だが、彼の魂は否定していた。
「お前ほどの男が悠長な事だ」
「お互い様だよ、ルーファス。キミは自惚れが強すぎる」
「どういう事だ?」
挑発にも取れる一言に穏やかではない様相だ。
男は眉を顰めるも、大人の対応で烏丸の出方を伺った。
「戦いはね、“相手に闘争を認識させた段階”で二流なんだ。
対象を恐喝する、侮辱する、威嚇する、敵視する……その他様々の負の想念は不要だ。
わざわざ敵の装甲を高める愚策さ。愛と正義を謳ってる方が効率的だよ」
「ふ……人間はそこまで合理的にできてはいない」
「友人だと思って忠告したのだけど……いいさ。凡人の器に収まるならば、それでも結構」
「嫌いではないが、真似をする気はないな。俺は俺の信念の下で自由に生きる」
名誉を捨てて真理探究を選んだ魔術師ですら、彼の異常性を認識した。
人間とは自分が思っている以上に感情の動物であり、朗らかな笑顔で隣人を斬り殺す真似は出来ないものだ。
もはやそれは合理主義者の枠内を越えた異常者である。
だが、彼と彼女はやってのけている。それは人知を超えた信念か、狂信的な信仰の成せる御業か。
「どう思ってもらっても構わない。ただ、失敗は許されない。
彼女はいわば無自覚な悪、アレが一番タチが悪い。楠木飛鳥は加速度的に凶悪になっている。
挙句あの魔導書だ。正しく保管するか破壊するかの二択しかない。
そもそも人類には過ぎた力だ。本来ならば全て焚書するべきなんだ」
「……そうか、お前らしいな」
ルーファスは何処か物悲しい表情を見せると、烏丸から顔を背けた。
人を騙した生き様に信頼など得られないと、烏丸自身も察してはいた。
例え互いに背を向けた火と油であろうとも、せめて目的だけは共有したかったのだ。
からん。ルーファスは再び喉を潤した。
球体の氷にヒビが入り、二つに割れる様を儚げな瞳で見つめている。
まるで割れた氷が己であるかのように。
「知っているかサンジューロー。この酒は国産ウイスキーの祖がスコットランドから持ち帰った洋酒を研究し、解析し、模倣した結晶だそうだ。
因果な事にね……遠い昔、この酒を積んだ大日本帝国の聯合艦隊が大英帝国に一矢報いる事となった」
「はは、ハイランダーの魂がサムライと共に、再びイングランドへ牙を向いたとでも?
いくら魔術師であろうともオカルティックが過ぎるぞ」
「そうさオカルティックさ。人の心なんてものはね……」
「そうか」
烏丸は丸い酒瓶を奪うように掴み取ると、浴びる様にラッパ飲みをした。
「おいおいキミは未成年では?」
「ここでの戸籍上はね。偽造されたモノに意味はないよ」
半分近くまで減っていたとはいえ、アルコール度数40度の蒸留酒を一気飲みするのは、慣れた者でも早々できるものではない。
しかし烏丸は意味深な挑発ごと飲み干した。後顧の憂いを断つために。
「これで君達は俺と共にある」
「頼もしい奴だよキミは……」




