02-01
件の騒動から一週間後、飛鳥と嘉納は毎日とある部室の片隅を借りていた。
ここはウェイトリフティング部。飛鳥の人生にとって対極であった場所が現在の主戦場である。
ベンチプレスで体に似合わぬ負荷をかける少女をよそに、嘉納と部室の主が談話していた。
「オイオイオイ、大丈夫なのアノ子?」
「ハッ、不肖ながら私、嘉納護が申し上げます。ご心配には及びません先輩方!
彼女の非常識な目標は常識的なトレーニングで達成される事はないのです!」
「そおーう? それならいいけど……ちゃんと管理してあげなさいヨ?」
「ハッ、了解であります!」
部室の持ち主達ですら心配する程のハードトレーニングをこなす元・文学少女。
見る影もなくなった彼女は、嘉納護が組み立てたスケジュールを淡々とこなしている。
「あの子ったら確かオカ研の部長さんよねぇ……信じらんない。あんなの私達でも休憩挟まないと無理よー?」
「ハッ、こればかりは私も驚きを隠せません! 精神は肉体を凌駕するのであります!」
嘉納護が直立不動で受け答えつつも、護の視線は明後日の方角を見つめている。相変わらず嘘の苦手な男である。
実際は彼が貼った多量の治癒呪符のお陰で無休憩による連続訓練を可能としている。
当の飛鳥本人もウェイトによる負荷はあれど、疲労感は即座に回復しているのでさほど苦痛ではなかった。
何の苦労もなく力を手に入れる奇跡はできないが、魔法と言う名のズル(チート)によって近道する事はできる。
やっている事はいわゆるTVゲームの高速レベリングと同じである。
「あー、まあいいわぁ。部室の鍵はいつもの所に置いといてねぇ」
「畏まりました先輩方! お疲れ様であります!」
上級生を敬礼で見送ると、ここで準備運動は終わる。ここから先は本腰を入れた訓練である。
「飛鳥ァ! これにてベンチプレスは終了だ! 次は模擬戦闘を開始する!」
「ふぇー……」
マットの上に移動するは二人の男女。少女は両手足にウェイトを付け、背中にはリュックを背負っている。総計40kgは越える負荷をかかえながらも、鬼人の連撃を凌いでいる。
これも全ては実戦経験に劣る現代人を経験させるべく、最鈍の環境下で最速の打撃を繰り返し叩き込み続けているのだ。
初めの三日は全く反応できなかったが、四日目に入る頃には打撃を受けながらも体を躱すに至り、今は掌で攻撃を受け流すにまで至っている。
人間の順応性とは恐ろしいものであり、非常識を常識にまで昇華すれば何とかなるのだ。
幸い打撃痛は回復呪符で緩和・完治されていく……それでも痛みは走るがそれは微々たるもの。一線級の猛攻を肌で感じる恩恵に比べるまでもない。
全て未経験である彼女にとってこれは歓喜である。暴風に慣れる頃には一山いくらの雑兵の攻撃は微風となろう。
「躱すだけでなく貴様も撃ち込んで来い! 俺は憎むべき敵だ! 敵に容赦などいらん!」
「うへへへへ……」
「笑う暇があれば殴り返せ! 腕を掴んだら必ず極めろ! 極めた腕は必ず折れ!」
「うふぇへへへ……」
「敵は止まっても油断はするな! やりすぎて丁度いい! 追い打ちは絶対にしろ!」
「うえへえへへふぇ……」
「狙いは正中線だ! 目玉と首と股間を潰せ! 動きの早い相手は足から潰せ!」
いくら呪符によるブーストがあれど、限界を三周ぐらい越えたオーバーワークに全身が悲鳴をあげている。なんなのよコイツと口喧嘩する元気は欠片も無い。
ぷつん。全身の糸が切れるように、飛鳥は前のめりに倒れ込んだ。
無意識に機能が緊急停止した頃。気付けば時計の針が21時を指し示していた。
「よし、これにて戦闘訓練終了! 以降はフレイム殿による魔術訓練がある! 5分以内にシャワーと着替えを済ませ戦線を離脱する! 貴様のだらけた生活を取り戻すにはまだまだ時間が足らん! タイムイズマネーと知れ!」
「さーいえっさー……」
指の先まで動かない。呪符の回復が追い付いていない。
飛鳥はシャワー室で吐いた。しかし出る物はなかった。
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「大月センパーイ。いいんスか? あのままだと飛鳥センパイ死んじゃいますよ?」
「問題ないわ、人間って結構頑丈だから。ちょっとダイエットしてるだけよ」
「えー……マジすか……」
「アンタこそくだらない事言ってる暇があるなら手を動かす!」
「ういーす」
カタカタとキーボードを叩く音が心地良い。オカ研の部室では烏丸三十郎と大月零が課題作成に注力している。
できる事ならば陰に隠れて訓練させてやりたかったが、時間が有限である以上、烏丸の目を欺く余裕はないと考え、ダイエットなる無茶な言い訳を押し通す日々であった。
皆々が三者三葉に忙しい。飛鳥と嘉納はいわずもがなで、永守は明日の朝から京都へ出張する事が決まり、フレイムは昼間の内にピースケとの分離手段や妖狐についての調べ物を行い、夜は夜で魔術指導に付き合っている。
ならば手隙の二人が古巣を守るしかない。
烏丸とて彼女達の訓練を確認している手前、流石にそれは嘘だろうと思いつつも、その嘘に言葉を合わせていた。
「あ、すんません。ちょっとこれから用事あるんスよ。また明日手伝うんで失礼しますねー」
「ええ構わないわ。提出用の課題は落ち着いたしね。烏丸君こそお疲れ様」
「そんなの別にいいっすよー、俺はセンパイの横顔が見れるだけで幸せっすよー」
言葉とは裏腹に彼の視線は胸の谷間に向けられている。
美形の後輩とはいえ下品な男子は嫌いだ。大月の露骨に嫌そうな顔をみせるが、烏丸本人はニコニコと悦に入っている。
「烏丸キモイ。それにアンタ女子には困ってないでしょ、あいつらで満足してなさい」
「アレはアレ、コレはコレっす。それにセンパイだって自覚あるんでしょ? あんなのと自分がレベル違うって事に」
謙遜が美徳であるならば、物事を正しく評価したい感情は悪癖なのだろうか。
大月は遠い目をしながら少し悩む。彼の質問に対してではなく、自分の疑問に対してだ。
紙パックのミルクティーを飲み干した後、深いため息をついてから返答した。
「……負ける要素は無いわね。ただ、愚直にもキミを追いかける執念だけは勝てないわ」
「それって俺に興味ないって事っすか……ひどいなぁ」
「そうとは言ってないけど……まぁ同じか」
しょんぼりしながら退室する烏丸を見送った後、彼女も荷物をまとめて部室を後にする。
これから飛鳥と入れ替わりで同等の訓練を受けるのだ。
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逢魔が時も過ぎた頃、闇を背に一人の男が廊下を歩む。
片手にファイルを携えた彼、烏丸三十郎は生徒会室の扉を開けた。
「ご苦労様です」
部屋の奥に座するは身の丈と座席が釣り合わぬ金髪の少女、ジョエル・ジョバンナ。
ぴょんと椅子から離れる事により、初めて床と靴が触れ合う程だ。
生徒会長のテーブルと椅子が大きいのもあるが、そもそも彼女の背が低いのもある。
烏丸と比較すると頭二つ分は違う。その割に出る所は人並み以上に発達している。
お陰でそういうのが好きな異性……そう、烏丸のような好色にはたまらない物件なのだが、今日は違った。
「どうぞ」
テーブルの上に差し出した茶封筒は白い紐で固く縛られている。
ジョエルは封を切り取り中身の報告書を閲覧しながら彼の言葉に耳を傾けた。
「結論としてはクロですね。彼女の存在は人類にとって害悪でしかない」
「そうですか。それでは始末致しましょう」
「殺し切る為の手筈も整えています。この数日は神国守護課も動けません。今が頃合いです」
烏丸の瞳に情はない。まるで暗殺者のような凍える瞳を携えるだけだ。
それはジョエルに至っても同じ事が言え、普段の顔はあくまでも仮の姿だと確信できた。
「大英博物館から盗まれた魔導書と同質のそれを操る女か。皮肉な出会いだな」
「楠木飛鳥を初めて見た時から魔力の素質がズバ抜けてましたからね。何かあると睨んでましたが……。
アレが青い魔導書(R'lyeh Text)ならば仕事が早く終わるのですけど」
「相変わらず英国人はクイーンに頭が上がらん様だ。我等の法王と同じだな」
二人の立場は違うとはいえ、本質的には似た者同士だと言う。
違う国、違う教義、違う組織に所属すれど、今は協力体制を敷いているようだ。
「私としてはどうでもいい。魔導書の保管や処分はお前等に譲る。
私は人類を害を成す化物を狩る為に存在する。これまでも、これからもだ」
「まあそれはお互い様って事で。こちらも崇高なお役目のお手伝いができて光栄ですよ」
互いの目的に興味はなく、純粋なビジネスパートナーとして会話を続ける。
二人の実力は未知数なれど、彼我の戦力を正しく認識した上で策を講じている。
それは彼等は只の人間ではないという証明でもあった。
「それでは用事があるので今宵は失礼します」
「用事?」
「ええ、手駒を増やしてきます」
彼はその言葉を最後に、いつもの飄々とした態度へと切り替える。
彼の背中を見送りながら、ジョエルは首から下げた薬莢型のネックレスを無意識に弄っていた。




