01-33
「見えるかね、これが主の背負いし宿命だ」
意識が回復した少女は騎士の言葉に胸が詰まった。
ピースケを宿主とした彼、フレイムの真なる姿に驚く間もなく、無意識の所業で済まされない現実を直視する。
天上の星々が降り注ぐ破壊された室内、鼻につく焼け焦げた異臭、汚れた寝巻き姿の友人……察しが悪い飛鳥とて、これだけのピースが揃えば何が起きたのか想像はつく。
大月が大まかな事情を伝えると、慌てて千代女の安否を確認すべく駆け寄った。
するとどういう訳か、千代女は立ち上がろうともせず、それどころか身を屈めて伏せ始めた。
「飛鳥お嬢様、この度は誠に申し訳ございません。愚かにも牙を向いた私めをどうかお許し下さいませ……」
謝るのは私の方なのに、どうして土下座されているのか。
理解の範疇を越えた出来事に一呼吸ほど呆然としてしまうが、今はしっかりしなくては。
両の掌でパチンと頬を叩き、己に喝を入れると千代女に答えた。
「謝るのは私の方です……。私が未熟なばかりに旅館を無茶苦茶にしてしまって……。
それに、綺麗な顔に傷までつけてしまうだなんて……ごめんなさいっ!!」
フレイムの治癒魔法により皮膚や毛根の再生はしているものの、美しい髪が随分と短くなってしまった。
これ以上の再生は時間の経過を待つしかない……ファッションに無頓着な飛鳥とて同じ女である以上、自分が何をしでかしたか理解している。それなのに何故ここまで卑屈になるのか、今の彼女には心苦しいだけである。
「遅くなった! 飛鳥! 怪我はないか!?」
「すみません! 先輩! 大丈夫ですか!?」
嘉納護と永守誠の声が聞こえる。彼等も私達の心配をしている。何故なのか。
私が悪いのに、何故そこまでして大事にしてくれるのか。
居場所のない罪悪感が悶々と胸の中で駆け巡る。そこに突き刺すは従者の言葉。
「何を気に病む必要はない。主は“今まで通り庇護されるお姫様”であれば良い。
大事な仲間とやらが身を挺して守ってくれよう」
お嬢様……お姫様……。幾度も聞いた飛鳥にとって分不相応な言葉。
この魔導書を持つから? 否、それだけではない。部外者であろう人にすら過剰に甘やかされている。
与えられるだけで良いのか? 否、その筈はない。それは悪く言えば愛玩動物と変わりはない。
綺麗な容貌でも、性的魅力がある訳でも、カリスマがある訳でもない。
口下手だし、頭の回転は速くないし、ボキャブラリーに乏しいし。
お見苦しい下半身デブだし、胸だって大きくないし、鈍臭いし、可愛い仕草なんて出来やしない。
そう。それらは大月零が全て上回っている。なのに、彼女ですら飛鳥を第一に考えてくれている。
わからない、わからない……が、今のままでは間違っている。
「……嬉しいけど、それは違う。大事にしてくれるのはわかる……だけど。
それは籠の中の小鳥と同じダヨ! そんなの嫌だ! 私はちゃんと空を飛びたい!」
フレイムは不敵な笑みを見せ、チラリと大月の姿を見る。
騎士の視線の先には行き場のない腕を伸ばし、唇を震わせている少女が一人。
「ん? どうかしたの零ちゃん?」
「え……。ううん、何でもないわ」
精一杯の強がり。気丈な姿を振る舞わんと、普段と変わらぬ彼女を演じる。
それが正しいと信じ続けた少女が見せた、いつも通りの痩せ我慢。
一人の少女が決意した巣立ちの意思は、大月の希望とは相反する言霊。
このままでは彼女の騎士にも王にもなれやしない。
始めは変わった友人程度であった思いが膨張し、身勝手な理想像を描いた結果である。
幻想が自我を持ち独り歩きするということ。それは大月の存在意義を否定する事でもあった。
その傍ら、思春期の情熱に頬を緩める騎士が一人。
嬉しげに、楽しげに目を細める様は、どこまで想定の内であったか計り知る事は出来ない。
「良いのか? 苦難の道だぞ?」
「うん。だって遅かれ早かれそうなるデショ?
色々やる事あるけど、自分の力ぐらい使いこなさないと話にならないし」
「承知した。幸か不幸か、もう一人のキミから授業料は預かっている。それでは鍛え直すとしよう」
少女はこくりと頷いた。
現在置かれている環境の抜本的な解決策が見つかってない以上、魔導書にまつわる知的好奇心とは別に、行使する以上は相応しい人間にならなくてはいけない。単純に魔導書を放棄してもフレイムとピースケのリンクは切れないし、何より裏社会の事を知り過ぎた。
そして星の知識に大きな動きが見受けられないとはいえ、彼等は人の命を何とも思っていない連中だ。いつか来るであろう全面対決の時までに出来る限りの準備はしておく必要もある。
紅い騎士は会話が落ち着いた頃、旅館のスタッフや宿泊者の喧噪が次第に大きくなってきたのもあって、以前のセキセイインコへと姿を変える。流石に騎士の姿は異物でしかない。
「いやーセンパイ大変だったっスねー? 大丈夫っスかー?」
都合の良い男だ。烏丸が今更ながらひょいと顔を出してきた。
本人曰く爆発で気を失っていたと言っているが、戦闘に巻き込まれる事を思えば不幸中の幸いであろう。
魔術ですら危ういのに騎士と妖狐の姿を目撃されると言い逃れが出来なくなってしまう。
「お疲れ様だ。このままでは仮眠する事もままならん。高松市内のホテルに移動しよう」
「旅館の事につきましてはご心配なく。お気をつけ下さいませ……」
嘉納護は既に警察への根回しは済ませてある事、復旧についてはクスノハから人員が送られる事などを千代女に耳打ちする。彼女は責任者の立場から身動きは取れないが、見送りの際は姿が見えなくなるまで深々とお辞儀しているのが印象的であった。
これにて、波乱に満ちた取材旅行であったが、一応の終わりを見せる。
彼等の長い長い夜は更けていった。
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帰宅後、嘉納や永守から事の顛末について情報交換する事となった。
嘉納は護衛ができずに申し訳ないと平伏していたが、彼の立場からすれば同情の余地はある。
総帥の孫娘が何の訓練も受けていないと考えるのが無理があるし、魔術書があったとはいえ高位魔術を行使していたのが余計に誤解を招いたのだろう。
それに亀行屋は外部からは堅牢な要塞であったが、まさか飛鳥本人が内部から結界を破るとは、まさに想定外であった。これを慢心と断ずるのは些か酷な話であろう。
なお、旅館の修理費用についてはクスノハが賄う事となった。成り行きからして当然ではあるが、その一言を聞いて飛鳥が心底ホッとしていた。どこから捻出するつもりだったのか、自力で支払う気でいたようだ。
そういえば千代女との不純異性交遊を指摘するタイミングがあったので、それとなく注意すると真っ向から否定された。彼の性分からして当然ではあるが、これは飛鳥の早合点が招いた誤解でもある。しかし現場に直面すれば誤解するのも致し方ない面もあった。
ただ。意思疎通を図る事により、飛鳥の精神衛生が改善されたのは大きな成果とも言えよう。
永守はクスノハ総帥と会談する手はずとなった。互いに多忙な身なれど、飛鳥の身に眠る魔力の根源、妖狐の存在はお世辞にも安全とは言い難い。国家としても対応を協議する必要があるので当然とも言える。
ただ、魔術書とフレイムの存在もあるので、ある意味安全である反面、またある意味ではクスノハの虎の子との見解もできる。
国家と魔術結社……この場においては神国守護課とクスノハの協力的な関係とは、未来永劫と保証されているものではなく、一時的な同盟や共闘の類に近いのだ。
クスノハとて、方針が変われば星の知識のような過激派に転身しないとも限らない。永守としては胃の痛い会合となる。
星の知識と言えば五色台で出会ったデッドエンドと名乗る謎の男についてだ。
風の元素種族を使役した彼は、おそらく紅い魔導書に類する本の所持者か……もしくは異世界ダイアー大陸から召還された従者だと推測される。
その場にフレイムが居なかったのが残念であったが、現状ではここまでの推測が限界である。
ただ、彼が星の知識の関係者である以上、再び相まみえる事は避けられない。
しかし何故、実力行使に出ず、それどころか協力的な対応を見せたのかは未だもって謎の包まれていた。
後日、約束通りフレイムによる鍛錬が行われる事となる。
彼曰く、膨大とはいえ預かった魔力にも有限である以上、彼が直接指導するのは魔術に特化させ、肉体鍛錬は嘉納護に代理を任せる流れとなった。
飛鳥もさることながら、件の妖狐ですら直線的な戦いすら出来ない有様を危惧したからだ。
事実、前回の妖狐戦において彼女が放った禁術はフレイムに傷一つ与えていなかった。
これは彼は幻術と一緒に防熱の魔法を発動しており、これによりあらゆる炎からのダメージは無効化されていたからだ。
つまり火霊系魔法を得意とする魔導士にはセオリーとも言える対策すら、妖狐は見抜いていなかったのだ。
例えば防熱を解呪する等の対抗手段がある。学校の勉強のように傾向と対策を知らないと、魔術師同士の戦闘は本当に一方的なものとなってしまうので、それらを叩きこむ必要があったのだ。
しかし元々飛鳥はRPGも嗜むゲーム好きである事から、魔術戦のノウハウは苦も無く理解していった。
問題は肉体鍛錬だ。こと近接戦闘においては、鬼である護が適任なのは間違いないが、護曰く一端の戦士にすれば良いのだなと呟いて承諾した辺り、手加減をする様子は見受けられない。
しかしこれだけでは暴走の制御に一番必要な精神鍛錬がおざなりとなる。思春期の少女に何事にも動じない強靭な精神を身につけろと言うのが無茶な話なので、付け焼き刃ではあるが精神抵抗が上がる指輪を身に付ける事となる。これは妖狐を封印するアイテムではないが、結果的には同じ事だとフレイムが説明しており、拒む理由もないので素直に従った。
大月は皆々が忙しくなる間、彼等とは距離を取り、部活面のサポート、後方支援に重点を置いた。
元を辿れば今回の取材旅行は課題提出の為である。学生である以上は部活の存続も大事な環境維持である。烏丸を酷使しながら課題の作成や新たな情報収集を担ってくれている。
それでも有事の際に足手まといにならないよう、飛鳥とは別に嘉納の元へ個別指導を願い出た。文科系とはいえ基礎的な肉体は既に出来上がっているのと、異様とも言える飲み込みの速さから、彼の師事をスポンジの如く吸収している。
だが、本人が全く納得していない辺り、向上心が強いというよりも設定したハードルが遥か高みにあるようだ。
無論、彼女にも思う所はある。道を決めあぐねている苛立ちと、戦闘の専門家でもない負い目から、今は飛鳥から距離を置きたかったのだ。
その姿はまるで童話に出てくるウサギとカメのよう。
二人を分かつ分岐路にて、彼女達が再び追いつき交わるのか、はたまた二度と相容れぬのか。
それは少し……先の話。




