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01-28

 根香寺を後にして、今日の最終目的地にたどり着く頃にはすっかり日は暮れていた。

 宿の前とはいえほとんど街灯はなく、車を降りると足元さえ暗い。

 古い造りの門はそれほど広くなく、飛鳥は肩透かしをくらった気分だ。


 「ねー、ホントにここの旅館やってんのー?」

 「失礼な奴だな。ちゃんと事前予約している。その証拠に、見ろ」


 護が指差した先には黒い縦長の看板が並んでおり、『歓迎 七星高校オカルト研究部御一行様』と書かれている。

 それを見て、飛鳥と零はちょっと引いてしまった。


 「ウワァ……なんか、逆に恥ずかしいネー零ちゃん」

 「ほんとね。もうちょっと他に言い様はなかったのかしら」

 「ならば代表者として楠木の名前にすれば良かったか?」


 飛鳥は自分の名前の下に『様』がつく場面を想像して、満更でもない笑みを浮かべた。


 「やめときなさいよ。余計に恥ずかしいわよ」


 零に腕を引かれて門をくぐった。

 玄関の両脇には、宿の名前を刻んだ提灯が掲げられている。

 そこを抜けると、すでに着物姿の女性たちが並んでいた。


 「いらっしゃいませ。亀行屋へようこそ」


 出迎えてくれた仲居たちは、まるでファッションモデルのような美人揃いであった。

 外の薄暗い風景が、一瞬にして華やかな世界に生まれ変わった。

 そこへ、奥からさらに際立った美しさの女性が現れる。


 「護ちゃん、待ってたわぁ」

 「千代女姉さん、お久しぶりです」

 「あら、他人行儀ね。昔みたいに千代姉って呼んでくれていいのよぉ」

 「いや、子供じゃあるまいし。俺ももう十七だ」

 「もう、そんなになるの……なんだか、修造さんに似てきたわねぇ……」


 淑やかな指先を、そっと護の上腕に添えている。

 所作の一つ一つが艶やかで、見ている方が恥ずかしくなるほどだ。

 実際、後ろの男女四人は呆然と立ち尽くしている。

 それに気づいた護が向き直った。


 「ああ、すまん。紹介しよう。俺の従姉の千代女姉さんだ」

 「ようこそ、温泉旅館亀行屋へ。女将の嘉納千代女です」


 深々と下げた首からはらりと落ちる後れ毛が、艶っぽさを増している。

 長い睫毛に垂れ目、その左目のそばに泣き黒子。何より視線が注がれてしまうのは、着物の重ねがはち切れんばかりの胸である。


 「ち、ちち、千代女さぁーん! 写真撮らせてもらってもいいッスか!?」


 烏丸はカメラを構えたまま迫っていった。


 「あら。嬉しいですけど、取材はお断りさせてもらってますの。ごめんなさい」


 道理で、どの旅行ガイドブックを見ても載っていないわけである。

 女将のこの美貌を世に広めない事は惜しい気もするが、それはやめた方が正解かもしれない。

 あまり大きくはないこの旅館に客が殺到すれば、すぐにパンクしてしまうであろう。


 「いや、あの、取材したいのは山々なんスけど、そうじゃなくて、個人的に写真を撮らせて欲しいッス!」

 「そういう事でしたら、喜んで。でもそれはお帰りの際に承りますわ。旅の疲れもあるでしょうから、今はお部屋にご案内しますわね」


 一行は我に返ったように、次々と玄関に荷物を置いた。

 その時、飛鳥は頰の辺りにチクリと痛みを覚えた。ほんの一瞬、虫に刺されたような感覚は誰かの視線だと気づいた。

 その視線の先を追うと、千代女が柔和な笑顔を向けていた。


 「貴女が楠木飛鳥さんね。修造さんから聞いてたわ」

 「……ふェえ?」


 変な声が出た。

 さっきの外国人みたいな男といい、自分はいつのまに有名人になったのか。というか、修造さんとは誰ぞや。

 それを問う前に、千代女からとんでもない言葉が出た。


 「護ちゃんの許嫁だって」

 「「……キョヘ?」」


 カゴの中の生き物とその飼い主が、声までリンクした。


 「……許嫁!!??」


 その場にいた面子が全員叫んだ。


 「ど、どういう事だ、千代女姉さん。親父が何を言ったんだ?」


 あの護のですら動揺を隠せていない。


 「あらぁ、そういう事だから一緒に来たのだと思ったのだけれど、違うのかしらぁ」

 「いや、知らん。全くわからん。ちゃんと説明してくれ」


 どうやら、修造と呼ばれる人物は護の亡父の事らしい。


 「だって私、聞いたわよぉ。修造さんが京都に住んでいるお友達のお宅に遊びに行って、向こうにも護ちゃんと同い年の女の子がいらっしゃって……」


 飛鳥はやたら早打ちする心臓を抑えるのに必死である。


 「護ちゃんとその子はずいぶん打ち解けて別れを惜しんでたから、向こうのお母様が『それじゃあ二人は結婚しちゃえば?』って言い出して……」


 千代女の話は初耳であるはずなのに、自分の中の記憶と結合してゆく。


 「そうしたら、相手の女の子の方からプロポーズしてきたんですって」


 思い出した。


 「あしゅか、まもぅくんとけっこんしゅゆー」


 思い出した、思い出した、思い出した。


 幼い頃、父親が「パパのお友達のとこの子だよ」と紹介してくれた、男の子。

 ちっとも笑わないけど、おままごとには真面目に付き合ってくれて、嬉しかった。

 その頃の自分の周りは大人ばかりで、同じ年頃の子供と遊べた事がすごく嬉しかったのだ。


 あれは、あの時の男の子が、護だったのか……。


 「あれー? あれれー? 飛鳥センパイに嘉納センパイ、こりゃどういう事ッスかぁー?」


 烏丸が心底楽しそうな声で尋ねてくる。

 その声に、飛鳥は遠い追憶から戻ってきた。


 「ちがう……ちがうちがう違ぁーうッ!! ぜっっったい違う! そんな約束してない!」


 飛鳥は激しく顔を左右に振って否定した。


 「だいたい、私と嘉納くんが子供の頃に会ってたとかどういう偶然よ!? 漫画か!? 小説か!? そんな使い古された設定いらんワ!!」


 自分でも言ってて訳が分からないが、少し冷静さを取り戻してきた。

 見れば、護は不愉快極まりない顔で眉間にしわを寄せている。


 「アンタも本気にすんじゃないわヨ! アンタとの結婚なんか絶っっっ対にあり得ない!」

 「当たり前だ。子供の戯れ言だろう。そんな約束は無効だ」


 きっぱり言われると、何故か余計に腹が立ってきた。


 「そもそもアンタみたいな朴念仁、全っっっ然好みじゃないんだから! 私の好きなタイプはね……」


 言いかけて、飛鳥は口をつぐんだ。

 その理想のタイプの人間そのものが頭に浮かんで、ますます頰が熱を帯びるのを感じた。


 「どうした?楠木」

 「……ッ! なんでもないわヨ!」


 それっきり、何も言えなくなってしまった。

 その様子を見ていた千代女が、くすくすと笑っている。


 「あらあら、違うのぉ? それなら、私が護ちゃんを獲っても文句は言わないのねぇ?」


 千代女は護の腕に手を回し、胸を押しつけている。

 何故そういう発想になるのか。理解ができないまま、部屋まで通される事になった。

 顔の熱がなかなか引かない。耳まで真っ赤になっている事だろう。恥ずかしいやら情けないやらで、涙が滲んできた。

 それにしても、隣の親友がやたら怖い顔をしてるのは気の所為だろうか。

 女子二人が案内された部屋は、五色台の山々が開けて瀬戸内の海を一望できる窓を備えていた。


 「すごいわねー。別に旅館だから泊まれたらどんな部屋でもいいけど、最上級の部屋ってのも悪くないわねー」


 窓の外を眺めている零の声は、感情がこもっていない。

 仲居がテーブルにお茶を出して去っていくと、零は飛鳥の方に振り向いた。


 「飛鳥、さっきの話だけど」

 「ハイ、なんでショウ?」


 飛鳥は肩を震わせた。


 「子供の頃に嘉納君と結婚の約束をしたって……」

 「あー! アー! ヤメテー! 子供の頃って言ったってすごく小さい時の話なのー! ていうか完全に忘れてたのー! 掘り返さないでー!」


 飛鳥がテーブルに額を打ちつける度、湯飲みの表面が揺れている。

 零はため息をもらした。


 「まぁ、確かに子供同士の約束だし。親が決めた事だとしても、本人の意志が尊重されるべきだし……」


 零のつぶやきは、誰に向けられたものかわからなかった。


 「気を取り直して! せっかく旅館に来たんだから、浴衣に着替えよう。ほら飛鳥、いろんな柄があるよ。どれがいい?」

 「うゥ〜、零ちゃんが選んで〜」


 テーブルに突っ伏したまま、浴衣の方を見ようともしない。

 嫌な赤みを帯びた頬、全身に纏わりつく倦怠感……羞恥心だけでこうも滅入るものなのか。

 少女が違和感の元を知るには、まだ先の事であった。

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