01-24
「ねむーい。まだ朝日が昇りきってないヨー」
「はいはい、いいから着替える。永守君達もスタンバイしてるわよ」
「ピースケカワイー、インコインコ、チョーインコ、ギョヘ」
昨晩の内に準備を済ませ、朝早くから出発すると決めていたのにこれである。
永守誠曰く、徳島市内から高松まで片道二時間以上かかるので、出発時間が前倒しするのは当然と言えば当然であった。
高松自動車道が徳島にまで開通すれば大幅に短縮できるのだろうが、まだ数年はかかるだろうし、ない袖は振れない。
それにせっかく香川の地に入る以上、観光……というか、美味しいうどんを食べようとタイムスケジュールを調整した結果でもある。
「先輩方、おはようございます!」
「おー、待たせたねーゴメンネー」
「アンタの準備が遅いのよ。直前になって鞄の中をひっくり返すんだから」
「だってー、忘れ物するよりましダヨー」
学生寮前に待機していた大型のボックスカーに乗り込む。運転手は永守家の使用人のお爺さんだ。
車内はオカ研の全部員が搭乗しても窮屈と感じないほどゆったりとしており、助手席に永守誠、中央には女子二人と籠に入ったインコが一羽、後部に男子二人の配置となっている。
「あっそうだ。嘉納君、旅館の手配とか料金プランとかどうなった?」
「問題ない。従姉妹に電話をすると一番良い部屋を準備しておくとの返答を得ている。
料金に関しては出張費としてクスノ……あ、いや。家族から支給して頂いた」
本当に嘘が苦手な男だ。お爺さんはともかく事情を知らぬ烏丸三十郎の前で、裏の顔を見せるなと釘を刺したのにこれだ。とはいえ隠す努力をしているのでまだよしとする。それでもまだ言葉が固い。クスノハとは本当は魔術結社ではなく軍隊か何かなのだろうか?
「これだけあれば足りるだろう」
嘉納護は言葉を終えると、女子二人にポンと通帳を手渡した。
「え、なになに……って、え?」
絶句―――二人の顔色が青ざめる。想定していたよりゼロが二個ほど多かったからだ。
「これだけあればズワイガニや伊勢海老が食べられるよ零ちゃん!」
「そうね! ウニとイクラも付けてもらいましょ!」
「落ち着け。山に海産物は無いぞ」
一時的な恐慌状態に陥った二人を諫める。ハッと我に返り深呼吸をした後、嘉納に素朴な質問をした。
「……それにしても多くない? これ」
「同感だ。過ぎたものは返金するつもりだが、加藤さんが気を使ってくれてな」
「加藤?」
「養父だ。14の頃に父と死別してから世話になっている。
冷凍食品の“かとうのうどん”は見た事あるだろう。あそこの社長さんだ」
かとうのうどんと言えば全国展開している味もシェアも第一位は揺るがない冷凍うどんの大手メーカーだ。
嘉納は以前、七星高校に来る前に香川で任務をこなしていたと言っていた……おそらく加藤氏もクスノハの関係者なのだろうと容易に想像がついた。
それにしても養子とは初耳であり、思わず女子のトーンが少し落ちる。
嘉納は申し訳なさそうに気にするなと言って話題を切り替えた。
「配慮が足らず不快な思いをさせて面目ない。それでは今晩立ち寄る亀行屋の話でもしようか。
前にも言ったがあそこは俺の従姉妹が経営しており、本来ならば父が死んだ際に彼女に養って貰うのが筋だったのだが、色々あって距離を置いていた」
「色々?」
「ああ、千代女姉さんのショックが余りにも大きくてな。
俺を見るだけで父を思い出す始末だった……。
精神的動揺から立ち直る為にも俺を受け入れる事が出来なかった、という流れだ」
「あー、それはまた……けど今日寄っても大丈夫なワケ?」
「三年も前の話だ。千代女姉さんも既に立ち直っているので問題はない。
……と、ああすまない。また暗い話になってしまったな。宴会部長、後は頼む」
「はいはーい、そうですよー。今日はお寺に行ってうどん食べて、温泉入って楽しみましょー!」
なんだか申し訳なさそうに嘉納は口を閉ざすと、烏丸にバトンタッチした。
普通の人生を歩んでいないと察していたが、京都の和菓子屋で平々凡々の生活をしていた楠木飛鳥にとって、それはまるで映画のような人生に映っていた。
「そういや、香川のうどん……讃岐うどんだったけ。あれってどういうのナノ?」
そういえば名前しか知らないご当地名物、讃岐うどん。
さしたる違いはないだろうが、どんなものかと疑問に思って聞いてみた。
飛鳥なりに場の空気を和ませようと気を使ったのもある。
「んとですねー、手元の資料によると茹でた麺に生卵と醤油を混ぜて食べるらしいスよ。
天ぷらやおでんと一緒に食べるのが地元スタイルらしいッス」
「は? うどんはお汁があって甘いお揚げが乗ってるもの! 生卵と醤油ってありえないネ!」
思わず飛鳥が噛み付いた。
関西人である彼女に醤油うどんは常識の枠外であり、下品無粋野蛮の三拍子が脳内を駆け巡っていた。
しかも生卵とかありえない。たまごかけご飯じゃあるまいし、美意識が足りていないと精一杯の主張を見せた。
と、一頻り愚痴った所で苛々するのは男性陣である。
「嘆かわしい……いくら先輩でも聞き捨てなりませんね。
コシのある麺と醤油と卵の三重奏、そして彼等を彩るは天かすと青葱と生姜のコントラストはまさに宇宙の体現だと全く理解していない……」
「気が合うな永守。無知も此処まで来ると罪でしかない。
この京都女を後悔と羞恥の海に沈めてやろう、絶対にだ」
「そうですね、先輩もう少し待ってください。本当の讃岐うどんをお見せしますよ……」
「どうしてアンタ等は場を掻き混ぜるんだよ!?」
地元民の異様ともいえる自尊心に烏丸は泣いていた。
彼等を駆り立てる者は何なのか、それは郷土愛か、それとも遺伝子レベルにまで刻まれた信念なのか。
ギスギスとした雰囲気のまま、気付けば香川高松市内を過ぎ、そのまま坂出、宇多津と走り抜けていた。
「あ、あの店凄いわね。店の外からでも麺を打ってるのが見えるようになってるわ。
駐車場には大型バスが止まってるし、美味しいんじゃない?」
「あそこも美味しくて有名ですが、値段と味が釣り合っていません。何も知らない観光客用ですね」
「あ、そう……」
そのまま宇多津を通り抜け、丸亀、そして善通寺に入ると、或る店の前で停車した。
昼食にはまだ時間が早いというのに既に行列ができていた。第一駐車場がほぼ満車になっている。
「ここだ。暴力的な肉の量に酔い痴れろ」
「嘉納先輩の仰る通り、ここの目玉は肉うどんです。ただ、冷やの大は素人にお勧めしません。
狂気とも言える肉の量に冷えたうどんが合わさる事で牛脂が固まりタイムアタックとなります。
普通に肉うどんの温の小が無難でしょう。
先頭の嘉納護が黙々と皿にかしわ天とオニギリを取ると、おばちゃんに注文を始める。
「これと肉うどん冷や大一つ。後ろの女子二人には肉うどん温の小を一つずつ」
「あいよ!」
用意されたうどんをトレーに乗せて会計を済まし、レジの奥にある薬味のセルフコーナーを陣取った。
ここではネギ・生姜・天かす等が入れ放題となっており、嘉納はありえない量の肉うどんの上に、これまたありえない程の薬味をドンドン投入し、冷水器からお冷を注ぐと皆が座れるテーブルを確保した。
「座れ。ダラダラしていると牛脂が固まる」
「う、うん……」
実食―――。あ、甘い。噛めば噛むほど牛肉の味が溢れてくる。
それにこのうどんの麺はどうだ。想像していたよりも比較にならないコシの強さだ。
モチモチとしていて今まで食べてきたうどんとは最早別の食べ物のようだ。
これは麺に圧倒的な自信が無ければ出来ない食べ方だ。消費量日本一の名は伊達ではなかった。
しかも安い。かけうどんの小を注文していれば200円でお釣りが来る値段は反則だ。他県の半値近くの料金プランを実現しているではないか。
完食―――。10分もせずに全員綺麗に平らげた。
「はい、すみません。とてもおいしゅうございました。
……けどこれ、聞いてたうどんとは少し違うネ?」
「当然だ。ここは肉うどんの美味い店だからな。
次は釜玉うどんの美味い店、その次は釜揚げうどんで美味い店に連れて行く」
「え、まだ回るノ?」
「はい。このように香川では食べ歩きする為に、小は比較的少なく盛ってくれています。
……先輩方、逃がしはしませんよ」
鬼畜天使が微笑みをみせている―――彼も郷土の誇りを貶されてご立腹のようだ。
この狂気の宴は彼等の気が済むまで続き、五色台に向かう頃には昼をとっくに過ぎていた。




