01-02
翌日。酷い疲労感で目が覚めた。
床の上で突っ伏していたようで体の節々が痛い。
何かの間違いでありますようにと、勉強机の上を恐る恐る覗き込むも、天板の焦げ跡が事実だと証明している。
この場に第三者が居たならば、顔色一つ変えず場の状況を注視する楠木飛鳥を、冷静沈着な少女だと評価するのかもしれない。
だが、内心は頭が真っ白になっているだけであり、只の棒立ちであった。華麗に立ち回る技量など無い。
―――とりあえず、ペットに餌をやろう。
部屋の隅にある鳥籠に被された布を取る。セキセイインコのピースケと目が合う。
「おはよう、やっとお目覚めか」
二度倒れた。
「倒れたいのはこちらの方だ。人を呼びつけておいてする態度ではないね」
「うーん……その、まず落ち着こう? ピースケカワイーネー」
「落ち着くのは君だぞ?」
飛鳥は考える……ピースケは随分とイケメンボイスに成長されたようだ。
これは雌鳥も選び放題だと、飼い主としては嬉しい限りである。
雛鳥生まれたら大きな籠も新調しなくてはいけない。
「いい加減落ち着きたまえ! まったく、この場は私が仕切らせて頂く!
いいかねお嬢さん、キミは確かに私を召喚したのだ。
だが余りに御粗末な儀式のお陰でこの様だ……おい聞いているのかね!?」
「あっハイ、私は今日も元気です」
俄に信じ難いが、昨日の落書き魔法陣が起動したようだ。
ここまで言われたのだから納得せざるを得ない。
ピースケ曰く彼……フレイムさんはダイアー大陸にあるエッケルト王国の王都リレウドから、飛鳥の召喚によってチキュウへとやってきたらしい。
が、随分と奇妙な話である。例の洋書によると、本来の召喚儀式とは膨大な魔力を消費するので複数人の術者が何日もかけて負荷を軽減するものと書いていた。
それに特定の星々の位置や特殊な魔術装具、対象との因縁を繋ぐ触媒等々……言い出したらキリがない程の前提を無視している。
そもそもダイアーとかリレウドとか何なのよ、である。
飛鳥はよくわからない事は深く考えない悪癖があり、まあいいや、と疑問を流した。
「とりあえず……学校行くね。ピースケ、じゃなかった……フレイムさんまたね」
「私も少し眠るとしよう。
御粗末な儀式の副作用か、キミからの魔力供給が殆ど来ていない。
活動停止中はキミを護衛出来ないので、それは理解して欲しい」
「あーうん、大丈夫大丈夫~」
本来であれば常軌を逸したショックで寝込む事もあるだろう。
だが、間の抜けた楽天家である少女は日常の継続を優先した。正常性バイアスが働いたのであろう。
そもそも、どうして良いか分からない本音もあり、まずは学校という現実に逃避したかった。
ともかく。問題を先送りにして少女は自室の扉をパタンと閉めると足早に去っていく。
……静寂に包まれた籠の中、フレイムに微睡みの波が押し寄せる。
彼は意識が遠退く中、楠木飛鳥への対応を模索していた。
あの娘……敵対心はないだろうが、自分を召喚できた事実は偶然ではありえない。しかし嘘をついているとも思えず、彼女に不幸があればこちらにも反動がある恐れもある。
彼我の関係が魔術師とファミリア(使い魔)と同一とするならば、主人の死は従者の死に直結する。
運が良ければエッケルト王国に送還されるかも知れないが、魂ごと雲散霧消する確率が高いと見るのが賢明だろう……アレと一連托生なのかと考えると気が滅入る。
それよりも危惧すべきは世界を繋ぐには互いの座標軸を指定してラインを固定する必要があり、それには相応の大規模儀式魔術を行使した“一番槍”が必ずいるはずだ。
それ程の術者が魔術行使の痕跡を見逃す筈もな……く……ダメだ、意識が遠くなる。
「ピョリリリ、ピョリ、ギョヘ、ピースケカワイーネー」
フレイムの意識が途絶えると、肉体の正当な持ち主であるピースケの物へと切り替わった。
/*/
―――七星高校内、放課後。
ここは七星高校に数ある部活の一つ、楠木飛鳥が部長を務めるオカルト研究部。
一芸を広い視野で磨くべしという理事長の考えにより、学生はメインクラブとサブクラブを必ず入部する義務があり、楠木飛鳥のメインクラブはオカ研に所属し、サブクラブに文芸部を選択していた。
彼女の本分を鑑みれば文芸部に重きを置くべきではあるが、引退した前部長の推薦を辞退する事ができず、流されるままに部長の椅子に座っている。
オカ研をメインクラブに選択していたのが飛鳥以外いなかっただけかも知れないが。
部員数は4名。
2年が飛鳥含めて2名と1年が2名で構成されており、今この場には同期である大月零だけしかいない。
ボブカットに白衣の上からでも強調された胸囲が印象的な少女、大月零とは入学から何かと一緒であった友人であり、喧嘩しあえる腐れ縁の仲だ。
メインクラブに科学部を選択し、両親に大学教授を持つ生粋の理系人間である。
容貌も頭脳も一級品ながらも、勝気な性格が全て台無しにしていた。
もっとも、零本人は生来の外見的容貌に拘りは持っておらず、文系理系の違いあれど本質は似たもの同士なのである。
「アンタ昨日の夜何やってたのよ! 寝かけていたので目が覚めたじゃないの!」
「零ちゃんそんなに怒んないデヨー」
「深夜に隣の部屋で大きな音を出されたら怒るわよ! 怒鳴りにいっても返事しないしさ!」
「ゴメンヨー、今度学食奢るからサー」
「嘘付け! そう言いながら私が何度ランチを奢らされたかッ!」
「2回ぐらいダッタカナー?」
「13回よ!」
流石に言えない。信じろという方が無茶だ。
昨日の出来事を曝け出せばどれ程楽なものか……飛鳥は言っても油を注ぐだけだろと判断し、暖簾に腕押しを決め込んでいる。
「飛鳥さ、何か悩みがあるならいつでも言いなよ? アンタ嘘が下手なんだからさ」
「うーん頑張る―……私、零ちゃんのそういうトコ好きだよー」
「んもう、またそうやって茶化して!」
本当にこの子は……こんな時ですら人の身の上を心配してくる。
まるで私が悪いみたいじゃないか。
怒鳴られついでに相談してみようかと心が揺らぐ……けどね、そんな大事な選択をすぐにできる訳ないじゃない。
飛鳥は結局言葉を呑んだ。
気付けば日が暮れ、他の部室の灯も消えていた。
部長権限で部室の鍵の管理は許されているものの、いい加減に帰らないと寮内で何を変な噂を流されるか分かったものではない。
別に言われた所で気にする二人ではないが、流石にお腹が空いてきた。
荷物を片付けて帰り支度を済ませていると、お香の様な匂いが鼻についた。
「ねえねえ零ちゃん、何か変な匂いしない?」
「少し甘い……これ、ムスクの香りね。隣で香でも焚いているのかしら」
「でさ、も一つイイカナ?」
「何よ?」
「部屋の隅で座ってるアレって……ナニカナ?」
飛鳥の一言に零は目を丸くした。
部室の隅にあるロッカーの上に、何か黒い生き物が鎮座している。
それは形容するならば翼の生えた猿のようであった。
二人揃って異形の獣を凝視したまま硬直していると、獣がゆっくりと瞳を開いた。
「―――――――!!」
獣は低い声で哭き、翼を開く。
業火の如く真っ赤な瞳をしたそれは、幻想世界の悪魔そのものである。
獣も私達から視線を外すことなく、ゆっくりと両の腕を広げ、長い爪を振るい降ろした―――。