私的作家論ー作家が学問を修めることの重要性について
日本の作家に思うのは大学などの高等教育機関でどうも“学問”というのをあまり修めていないようなきらいがある。
法律や医学、自然科学など自らの修めた知識をあり余すことなく作品に活かす作家もいるがそれほど多くはない。
過去から現在に至る日本の高名な作家の最終学歴を調べてみると非常に面白いもので大学卒業や大学院を終えたものよりもむしろ大学を中退して高等教育をドロップアウトした人間のほうが非常に目立つ。
一方で欧米をはじめとした諸外国では大学卒業ばもとより有名大学の大学院で文学はもとより歴史学・人類学・法学・政治学・社会学を修めた作家が非常に多いことに気づかされる。
欧米の高名な作家のなかには文学の世界で名をなした後に大学教授の職につくものも少なくない。
またアメリカの大学などでは創作クラスというものがあるらしくてそこで教鞭をとる有名作家が次世代の文学の担い手となる後進の育成に励んでいる。
ところで日本の大学とりわけ文学部ばどうだろうか?
放送やマスコミに多くの人材を輩出していることは歓迎しよう。
人文学研究機関として機能を果たしていることも歓迎しよう。
日本の大学文学部の教育・研究はきちんとしていて学生や教員も優秀な人間が少なからずいる。
半面教員のなかにも元から高等遊民であった人間も多かったがゆえに学生やOBにもこの高等遊民たる人間が多いのも事実である。
さらには大学の学部課程で学問を修めることもしないで中退の道を選んでしまい作家稼業に身を投じた人間も少なくない。
大学を中退して作家稼業の道に入った人間のなかには、落伍者の末路にたどり着いてしまう人間も沢山いる。
また有名大学を出た作家でも大学の勉強が嫌いで学生のころから文学の世界に身を投じた人間も多いことに気付かされる。
これは日本の大学教育とくに文系学部が欧米のそれとくらべてレジャーランドもしくはサロンに近い存在てあることも一因であるが作家の道を目指す学生自信があまり勉強しないのもからんでいる。
私自身学生時代は作家よりもむしろ歴史学やスラブ政治の研究者もしくは政治活動家を目指して大学院受験のために中途半端であったが独学で勉強していたし、就職先も本に関わることができたらと思い書店員を目指して就職活動や大学の講義などに積極的に取り組んでいった。
また両親も私自身が研究者もしくは宗教家が天職であることを把握していたのか大学文学部できちんと学問を修めることを熱心に薦めた。
大学文学部を中退して芸術の世界に身を投じる高等遊民にはなってほしくはなかったのかもしれない。
私自身も研究者や作家を目指して大学ではあらゆる分野の学問の習得に専心した。
研究者になるならともかくなぜ私は作家になるために大学で勉学に専心してきたのか?
それは私自身が日本の作家よりもむしろ英米の作家の経歴に魅力を感じたことや自身の作品をより面白いものにしたいことさらには諸分野の学問の知見を最大限に活かしながら自分自身の文学スタンスを確立していきたいという望みがあったことが最大の理由である。
近年の日本の小説家のなかにも学生時代に習得した様々な学問の知見を作品に活かしていく傾向も少なからずみられるが欧米と比べるとそれほど多くない。
自己の生い立ちや生きざまを反映させた私小説的なものが主流となっているためなのかそうした学問の知見よりもむしろ自分の見たこと感じたこと体験したことをフィクションとして書く傾向が極めて強いように思われる。
しかしながら私の考えからすると自分の見たこと感じたこと体験したことのみをフィクションとして表現するだけでは知的生産活動ー作品を生み出す作業そのものが停滞してしまいかねないことを非常に危惧している。
作家をはじめとする言葉を用いて表現をしていく職業は常日頃から知的生産活動を少なからずとも活発にしていかなければならない。
ましてやこれからの作家ーとくに小説家は自分の自身の生い立ちや生きざまのみを書くような私小説的な感覚ではやっていくことがますます難しくなってくるど考えている。
そのためにもこれから文学の道を志ざす人は大学での学問ーとりわけ人文社会科学を徹底的に習得することを心がけて欲しい
。
自分は文学の道を志ざすのだから文学以外の学問には興味・関心もないし勉学する意味がないと言って大学での勉学をおごたってはいけない。
さらには歴史学・法学・政治学・経済学・経営学・文化人類学・考古学・宗教学・国際関係学・音楽学・映像メディア学といった一見作家稼業に必要なさそうな学問でも一生懸命に勉強していれば幅広い識見を持つことができるようになり、書き手自身の世界がもっと広がるようになるだろう。
これから作家になりたいと思う人は文学のみを勉強するだけでは駄目だと私はここで断じて論ずる。
さらに文学の分野に限ってみても、今後は古今東西・有名無名を問わず日本文学やフランス文学、ドイツ文学・ロシア文学・英米文学から発展していくかたちでラテンアメリカやアジア・アフリカなどの文学作品や潮流にも目を向いていなければならないと考えている。
大学で文学を学びたいのならは日本文学・フランス文学・ドイツ文学・ロシア文学といった蛸壺的な枠組みにとらわれてはいけないし世界文学の潮流も日に日に変化しているのだから懐古趣味的なスタンスにとらわれてもいけないと思う。
蛸壺的な枠組みにとらわれずに“文学”という学問を勉強することで視野もますますひろがるものと考えているし、古いものに執着せず日本ならびに諸外国の新たな文学の流れを改めて学習していくことにより自分自身の殻を破ることもできるのだから。
とにかくこれからは間違っても“中退”して学問を修めることを放棄してはいけない。
それ以前にこのご時世企業や官庁などでも“幅広い分野の識見”や“プロフェッショナルとして必要不可欠な専門的知識“が求められているのだから“中退”なんで普通の仕事にすらありつけない。
このためにも文学などを生業にしたいと考えている人たちは、有意義な大学生の期間に学問別・学部別・学科別にとらわれずありとあらゆる“学問”を習得してほしい。
文学活動などに励むのも大いに結構だが、大学はあくまでも“学生の教育”と“学問の研究”をする場所である。
そのためにも“学生の本分”である“勉強”を忘れてはいけないのである。
僕がこの評論を執筆した契機は、僕自身以前から文学や歴史学はもとより法学・政治学・国際関係学・経済学・社会学などあらゆる学問分野に関心があり、大学時代はそれらの学問を習得することに専心していたことさらには学生のころは“作家”よりもむしろ“研究者”や“聖職者”に憧れをいだいていたことが一番の理由です。
僕自身の独断と偏見ですが“研究者”や“聖職者”というのは“立派な職業”といった感覚があり、“作家”というのは“地位や名誉が得られることはできるもののヤクザ稼業な面が否めない"といった考えがあったために今の今まで“小説家”として世に出ることを躊躇していたのです。
このようなことや“作家”という職業が欧米と比べて社会的に低くみられることがないように文学以外の学問を習得することが必要不可欠であることを痛感しており、今回のエッセイを執筆するはこびとなりました。
今後は自分自身の過去も踏まえた“作家の生活態度はどうあるべきか”や作家が自己満足の世界に閉じこもらず幅広い事象に目をむけることの重要性やにいかにして政治・社会と向き合っていくのかについて言及した“なぜ作家は自己満足の世界に閉じこもってはいけないのか”“いかにして作家は政治・社会にコミットしていくのか”について執筆していきたいと考えております。