95 - 子供の事情
その他も話し合いを終えて予鈴と共に教室に戻ると、涼太や昌くん、というか六班の皆が『聞いていいものかだめなのか』と困惑しているのがわかりやすく、そして六班の皆は案外その辺りの心配りができるため聞いてくることもなく、そのまま午後の授業が始まった。
これ、前多くんあたりだったら問答無用で切り込んできてそうだよな。別に聞かれたら答えるけど。
隠し事というほどのことでもないし……。
ともあれ午後の授業。
を終えてホームルームが始まるまでの短い間に、昌くんとちょっと話し合い。
「どうする、うちに来れる日は直近だと……?」
「んーと、土曜日。明日かな? 日曜日は部活の練習と、そのあと郁也くんの家にお邪魔することになってるから」
「そっか。じゃあ、土曜日……、土曜日なら晶のやつも一日、家に居るはずだから、いつ来ても大丈夫だよ。お昼はどうする? うちでたべるなら、用意しておくけれど」
「悪くない?」
「大丈夫。じゃあ、用意させておくね」
僕が思うに『用意しておく』と『用意させておく』には天と地ほどの差があるはずなんだけど、その辺りを昌くんは気にしていないようだった。
剛毅といは全然違うけど。やっぱり昌くんも根はお坊ちゃんなのかも……郁也くんと比べたとき、違うのは社交性のステータスだろうか。
「じゃあ明日の十一時ごろかな。昌くんち行くね」
「わかった。待ってるよ」
カステラ用意しておかないと……。
抹茶カステラとかの変化球でもいいけど、普通のカステラでいくか。最初は何事も基本に忠実が一番だ。
帰りのホームルームが始まると、緒方先生からの伝達事項はそろそろプールの授業が始まるから準備を忘れないこと、一年生にとっては初めての定期テストが今月末にあるからそっちの勉強も欠かさない事、くらい。
土日もくれぐれ気を付けて、平穏無事に生活するように、と締めて、解散となった。
僕のアレを念頭に置いているような気がするのは被害妄想だろうか……。
まあ、いいや。
案外何事も起きないときは起きないもので、翌日、土曜日。
今日は昌くんの家に遊びに行くよ、という話は両親に昨晩済ませておいて、また昨日のうちに手土産のカステラも用意しておいたので、それをちゃんと紙袋に入れていざゆかん。
尚、洋輔はぐっすり眠っている午前十時半である。
昨日夜更かししてたみたいだし、その反動だろう。何とも不摂生なと思う反面、洋輔らしいといえば洋輔らしい生活なので、変に口出しするのもなんか違うし。
まあいいや。
とりあえず、昌くんの家へと向かう。
昌くんの家は街でいうと結構離れていて、微妙に遠かったり。
そもそも八幡神社自体が遠いのだ。
まあ遠いと言っても歩きで十分くらいだし、自転車でも使えばもっと早いんだろうけど。
いや、自転車に乗れないわけじゃなく、実際持ってるんだけど、いちいちヘルメットするのめんどくさいし、カステラがつぶれたら嫌だし。
というわけで普通に歩いて向かう。途中野良猫が数匹いたけど、ごめんよ、帰りに撫でてあげるからしばらく日向ぼっこでもしていてほしい。
さて、八幡神社に到着である。
八幡神社はこの街でも特に大きな神社で、その広さは学校と同じくらいにはあるし、この付近では初詣の人気スポットだ。
かくいう僕も洋輔たちとここに初詣に来ること多いしな。
で、そんな八幡神社を挟むように二本の横道が存在する。
片方は車が入れないような狭い路地で、もう片方は車が入れないこともない道だ。
後者の、神社が接していない側には民家が四件ほど連なり、その奥には荘厳と言って過言ではない門戸がある。
その門構えは立派過ぎて、てっきりここは神社の神主さんやら宮司さんやらの住んでいる家だと思ってたんだけどね……。
近づくと、インターフォンを発見。
その下には表札があって、達筆な字で弓矢と書いてあった。
残念ながらこの家で間違いなさそうだ。
観念してインターフォンを押すと、
『弓矢です。どちら様ですか?』
とすぐさま回答が。早っ。
「渡来佳苗、と言います。えっと……」
『お話は聞いています。少々お待ちください』
…………。
あれか。
この家も家事手伝いさん的なのが居るのか。
待つこと一分弱、門が開くと、そこには昌くんと、昌くんを一回り小さくしたような甚平の男の子が立っていた……って、うん?
リアクションをしないように気を付けつつもちょっと観察。そう来たか。
「ようこそ、佳苗。ほら、晶。挨拶」
「はじめまして。えっと……渡来さん」
「君が晶くんか。初めまして。渡来佳苗です」
はじめましてっ、と改めて言って、晶くんは無邪気に跳ねた。
とりあえず、僕は持ってきた紙袋を昌くんに手渡す。
「これ、つまらないものだけど。というか、カステラ」
「別にいいって言ったのに」
「僕も食べたかったからってことで」
「あはは。佳苗らしいね。じゃあ、どうぞ。案内するよ。ほら、晶も」
「うん!」
満面の笑みを浮かべて玄関へと向かう晶くんの足どりはしっかりとしていて、ちょっと前まで入院していたと言われてもそうそう分からないとは思う。
ただ、一挙一動を注視しておけば、あれ、と考える挙動もあるにはある。
「……さすがは佳苗って言うべきなのかな。もしかして、気づいた?」
「多分……っていうか、推測だけど。間違ってたらすごい失礼なタイプの」
「それなら、合ってるかも」
歩き始めて昌くんが言う。
「晶の目。右目と左目で色が違うでしょ。いわゆるオッドアイってやつ……なんだけど、まあ、それが原因なのか、別に原因があるのか。片目の視力がおかしいんだ」
そう。
僕が反応に困ったのは、晶くんの左目が青かったからだ。
右目は昌くんと同じ、普通の茶色だったけれど。
そういえば日さんという昌くんたちのお姉さんも、目が青いという話だったっけ?
だとしたら遺伝なのだろうな。
とはいえ、こうもきっかり分かれたオッドアイの子なんて、猫以外ではほとんど初めて見たかもしれない。
そして気になった挙動は……、うーん。言っていいのか、悪いのか。
「別に隠すことでもないけど、あんまり大っぴらに言う事でもなく手さ。ごめんね、驚かせちゃったかな」
「ううん。……でも、ちょっと気になるな」
「目が?」
「いや。目が悪いから入院してたって訳じゃなさそうだから。……それこそ、聞くべきことじゃないか。ごめん」
「ああ、いや。構わないよ。どうせそのことも話すつもりだったしね」
寂しそうに昌くんが言ったところで、玄関に到着。
玄関がそもそも広い。僕の部屋くらいはあるぞ、これ。
「晶、お母さんにお願いして、カステラを切ってもらっておいで」
「もうやってもらってる!」
「そう。じゃあ……、えっと、客間かな」
客間があるのか……いや、あるよな、この規模だと。
「ああ、そうだ。佳苗、トイレはこの廊下の突き当り、と、そっちの階段の向こう側の扉の向こうが近いよ」
「うん。ありが……近い?」
そこにあるよ、じゃなくて?
「一階で遠いところだと、道場を挟んだ向こう側とか、倉庫脇とか。裏門の近くにもあるね」
いや多くない?
っていうか、
「え? 道場って何?」
「道場は道場だけど……」
ああうん……、そうだよね……。
だめだ、郁也くんの家がものすごい一般家庭に思えてくる。
なんだこの文化的な差は。この家の掃除すっごい大変そうだぞ。
まったく、何人のお手伝いさんを雇ってるのやら。
「ぼくの家はほら、坊……、えっと、村社のことね。あの家と違って、お手伝いさんも居ないからね」
「こっちにこそ必要じゃない……?」
それはぼくもそう思う、と真剣にうなずきながら昌くんは僕を客間へと案内してくれた。
玄関から結構距離が離れている。
そして客間がすさまじく広い。なにこれ、時代劇か何かのセット?
いやどっちかというとこう、義侠系の映画だろうか。
ほどなくして、晶くんが切ったカステラと急須、湯呑などを持ってきて、慣れた手つきで配膳。
そして同じく慣れた手つきで、昌くんがお茶を入れてくれた。
なんだこのチームワーク。
さすが兄弟。
「どうぞ」
「ありがとう。晶くんもね」
「はい!」
いい子だなあ。
そして当然と言えば当然だけれど、すごく昌くんに似ている。
本当に違うのは目の色くらいかな……ああ、でも髪質もちょっと違うかも。
昌くんと比べるとちょっと癖がある感じ……いやそうでもないかな……。
「どうしたの?」
「いや。昌くんと晶くんって似てるなあって……。えっと、お姉さんも似てたりするの?」
「そうだなあ。ぼくたちと比べるとだいぶ背は高いけれど、似てると言えば似てる……かな」
「ねーちゃんの昔の写真って、ボクとかにーちゃんにそっくりだもんねえ」
ああ、そうなのか……。
血は争えないものだな。
「さてと。じゃあ、役者もそろったことだし。晶?」
「うん。えっと、渡来さん。バッグ、ありがとうございます!」
「あ、うん。気に入ってもらえたなら何よりだよ。……今にして思えば、もうちょっと小細工してもよかったかなあ」
「本当にアレ手作りなんだ……。親が困惑してたよ」
ふむ。品質値だけは高いからな。
とはいえ、機能性というものは品質値では測れないわけで。
「使いにくい部分とかあったら言ってね。どんどん改良するから」
「あ、はい……。え、あれ? なんか思ってたのとリアクションが違う……」
「そうだね……え、改良?」
「うん。作るのも改良するのも大差ないし。何か特定の道具を入れられるポケットがほしい、とか、そういう要望があったら言ってくれればいくらでもやるよ?」
呆れた、という感情を隠そうともしない昌くんと、頬を引きつらせるだけの晶くん。
このあたりは性格の差というより接した時間の差っぽいな。昌くんも最初のころならこんな感じのリアクションだっただろうし。
「あ、カステラいただきます。晶」
「いただきます」
「どうぞ。……僕も貰うね」
とまあ、そんなわけでカステラを一切れ。
やっぱり買ってきたやつはおいしいなあ。自分で作った方が味的にはおいしいはずだけど、なんか気分的な問題で。
で、お茶を一口飲んでいるところで、こほっ、と晶くんが咳をした。
今の咳は……。
何か引っかかるな。
「晶。大丈夫?」
「うん。ちょっと……、んー」
「熱は……無いね。いつものか」
「だと思う」
「…………?」
「晶が入院してた理由ね。視力的なものじゃなくて、『原因不明の不調』、なんだよ」
原因不明の不調……?
晶くんの頭をなでながら、昌くんはその辺りの事情をざっくりと教えてくれた。
物心がつき始めた頃、晶くんがいきなり不調を訴えたのが始まり。
その理由は不明……ただ、何か突然、『疲れ切った』かのような感じになるらしい。
複数の医者にかかってはみたけれど、その原因の特定はできなかった。
逆に言えば、主要の病気ではないし、特定疾患と呼ばれるような難病や、世にも珍しい奇病まで含めて調べたけれど、その線は否定されたんだとか。
不調には波のようなものがあって、本格的にダメなときは身体がまともに動かないくらい、大丈夫なときは普通に運動もできる程度で、今はちょうどその『大丈夫』になってきたころ、だから退院した、そうだ。
「ごめんね。急に重い話にしちゃって」
「ううん。聞いたのは僕の方だし」
「あはは。……ほらね、晶。言った通りでしょう?」
「……うん」
うん?
「晶はたしかに、他の子と違うかもしれない。その違いは、いろんな人が笑うことかもしれないし、憐れむことかもしれない。でも、こうやって『ふつう』に接してくれる子だって、絶対に居るんだ。……ごめんね、佳苗。佳苗の性質、利用させてもらっちゃった」
「僕の性質を利用……?」
今の流れで何か利用されてるだろうか。
「カステラを持ってきたところとか……?」
「うわあ。…………。にーちゃん。ありがとう」
「どういたしまして。晶、具合悪いなら少し横になりなさい」
「うん。そうする」
そう答えるなり、晶くんはその場に横になって――自然と、昌くんの膝を枕代わりに、しかも即座といって過言ないほどすぐさまに、すう、と寝息を立て始めた。
ぐっすり眠っているようだ……。
「佳苗なら……特にどんな事情を持ってても、気にしないだろうって――晶の事情を教えられても、普通に接してくれると思ってさ」
「事情なんていちいち気にしてたら、僕とか大概だもの」
「まあね。でもそれが、晶にとっては一番……」
一番欲しくて、なのに一番縁遠いものだから、と昌くんは言う。
しっかりと、お兄さんの顔をして。




