93 - こもれ日の下
バレー部での練習を終えて、洋輔と合流。
二人そろっての下校は六月になっても当然続いていて、しかしやはり、先月と比べてまだ日が高いなあ。
野良猫四匹を撫でたりしつつ帰宅、両親はお仕事で不在。
とはいえお母さんの帰りは七時ごろ、お父さんも八時前には帰れるとホワイトボードに書いてあった。
六月に入ってから大分楽になる、とは言っていたけど、本当に劇的に変わったな……。
まだ二日目だから断言はできないけれど。
で、そのまま足立くんに連絡を取ろうと電話をしてみたけど、どうやらお留守のようだ。残念。
手紙でも出すか。
洗濯籠に体育着などを投げ入れてから自室に戻って、学ランをハンガーにかけつつ私服に着替え、手紙用の紙と封筒……、うーん。
今一お気に入りって感じの物がなかったので、適当な紙をふぁんと錬金、自分好みのお気に入りど真ん中なものを作成。
これでよし。
「だから全然それでよしじゃねえからな?」
「いいじゃん別に。はがきだって逸脱してなければ出せるんだから」
「まあ……」
それに文字は自分で書くし。
変に改まった感じで書くのも妙なので、久しぶり、佳苗です、みたいな感じで書きだすことに。
演劇部に入ったよ、あとバレー部にも。
バレー部ではリベロをやることになりました、そっちの調子はどうですか。
今度よかったら遊びにおいでよ、皆も呼ぶから。
そしてよかったら遊びにいってもいいかな、なんて書いて、っと。
これでよし。
「洋輔。ついでに洋輔も手紙書かない?」
「んー。改まって俺が足立に手紙を出したとして、足立の奴、怯えねえか?」
「……別に仲が悪いわけでもなし、怯えることはないと思うけど」
不審がることはありそうだけど。
明日は雪でも降るのかみたいに。
結局、洋輔も一枚だけ手紙をさらっと書いて、一つの封筒で一緒に出すことに。
あとは切手は前に雑誌の懸賞のためのアンケート用にストックがあったのでそれを使う。
完成っと。
「ん? 佳苗、出かけるのか。どこ行くんだ」
「ポスト。手紙出してくる」
「ああ、そりゃそうか」
一キロ近く離れた郵便局まで持っていくのも難儀な話だ。そもそも二百メートルも歩いた場所にポストがあるんだし、特殊な形の郵便でもないし。
普通に封筒の手紙を出すとき分の切手は貼っておいたから大丈夫だろう。うん。
「洋輔もついであるなら一緒に行く?」
「いや、別にいいや。俺、ちょっとゲームしたい」
「あっそ」
実に洋輔らしい。
というわけで、僕は手紙を抱えて鍵を持ち、そのままお出かけすることに。
家を出て鍵をかけ、ポストへと。
最寄りのポストは二百メートルほど歩いたところ、まあ、そこまで遠くはないけど近いわけでもない、微妙な距離なんだよね。
ちゃんと手紙のほうに投函して、と。
早ければ明日、遅くても今週中には着くだろう。たぶん。
ふと空を見上げると、少し雲が出始めていた。
だけど空はまだまだ明るく青く、夕陽というには早すぎる。
「もう五時半なんだけどなあ……」
六時くらいまでは明るいか。
七時になるとさすがに暗いけど。
ついでにどこか寄り道でもして帰ろうかな、それとも大人しくこのまま帰るかな。
ポストの前で少し悩んでいると、足元に灰猫が近寄ってきていた。
初見だな。青い首輪をつけているから、野良猫じゃなくて飼い猫か。
「君は何処の子だい」
僕の問いかけに灰猫はにゃあと鳴くだけで、つん、とそっぽを向いて歩きだした。
ううむ、この子は気難しいタイプかもしれない。名前どうしよう。
そう悩み始めると、少し歩いたところでその子は振り返り、僕をじっと見ていた。
しばらくにらみ合うように見つめ合い、
「……ついてこい、とでも?」
別に答えを期待しているわけではない。
実際、その猫は答えなかった。ただ、ご機嫌そうに尻尾を揺らして、待っている。
やれやれ。
まだ明るいし、いっか。
灰猫に近づくと、猫は再び歩き始め、僕から少し離れると止まって振り向く。
そんなことを繰り返して到着したのは、小さな地域の公園である。
あるのは小さな砂場と、ブランコ。
滑り台は無い。
一本だけ大きな樹が生えているのが特徴……なんだけど、猫が砂場で粗相をすることが相次いで、猫除けネットと柵が張られてるんだよね。
まあネットが張られているのは砂場だけ。
公園部分には時折猫が集まっているのは知っていた。
猫に招かれるがままに、僕はその一本の樹の下へと移動する。
満足したのか何なのか、猫は木の根元で丸くなるように座った。
「結局、君は僕に何をさせたかったんだろうね……」
やれやれだ。
とりあえず初見でいきなり道案内をしてきたのでナヴィとでも名前を付けておこう。
性別は……、
「ちょっとごめんねー」
灰猫を撫でつつ身体をごろんと転ばせ、性別を確認。男の子だったので、ナヴィくん。
まあ飼い猫だから、ちゃんとした名前がわかればそっちで呼ぶけれど。
僕も樹に寄り添うように座ってもたれかかり、ナヴィくんの頭をなでる。
にゃあ、とナヴィくんは鳴いて、そのままごろごろと身体を回し、仰向けに。
服従するの早くない?
別にいいけど。
しばらく撫でていると、他にも猫が数匹集まってきた。
レオン、オルバス、安治衛門とか、見知った子ばかりだな。
片っ端から撫でてみたりしていると、僕の肩まで器用に登ってくる子もいて、なかなか図々しいぞ安治衛門。
ちなみに安治衛門は白と黒のぶち猫だ。ちょっと肥満気味なので正直重い。
まさかナヴィくんが皆を呼んだとも思えないし。また僕に集まってきたパターンかな。
まあこの頃、あんまりたくさんの猫に囲まれたりはしてなかったからなあ……ああ、猫屋敷が待ち遠しい。
いつ行こう。今度の日曜日に行くつもり満々だったけど、郁也くんの方に用事が入っちゃったからな。来週かな?
今週いくとしたら土曜日か……あとで連絡してみよう。
だけどそれとはまた別に、こういうのもやっぱりいいよなあ。
猫に囲まれる、ほどではないけど、猫がたくさん。
僕の周りで転がっていたり、僕の肩の上で大あくびをしていたり、おすまし座りをしていたり。気ままなところは猫らしい。
木漏れ日の柔らかな光を感じつつ、そして肩の上に重みを感じつつ、まあ、これも幸せかな、と思う。
「うん……」
なんだろう。
安らぐなあ。
「……もしかして、ナヴィくん。君は僕をリラックスさせるために呼んでくれたのかい」
話が通じるわけもない。
それでも何となくそう声をかけてみると、案の定ナヴィくんは首をかしげるだけだった。
話しかけられている、ことは認識しているのかな。
それともただの偶然か。
まあいいや。
そうであったと勝手に信じることにしよう。
実際このところ、ちょっとのびのびとできるタイミングがあまりなかったからなあ。
ナヴィくんが意図したにせよそうでないにせよ、僕にとってはとてもありがたい時間だ。
一匹ずつ首元を、頭を撫でていくと、一匹、また一匹と猫が増えてくる。
中には喧嘩でもしたのだろうか、ちょっと怪我をしている子もいて、ちょっと傷が痛々しい。
飼い猫じゃないから……まあいっか。
賢者の石に魔力を流して、治してやる。
周囲に人もいないし。
で、傷が治ったところで止めて、周囲を確認。
猫の数は八匹。
ううむ。ナヴィくん以外の七匹は知ってる猫だな……。
尚、首輪のついている飼い猫はナヴィくんを含めて二匹だけ。
大体この周囲でよく見る猫ばかりだから、遠くから集まったりはしていないようだ。
「やれやれ。縄張り争いをしないのは偉いけれど」
そしてこの猫たち、縄張り争いらしきものはあまりしていない。
以前それをしている場面に介入して以来かな。
…………。
そう考えるともしかして、僕ってボス猫かなにかと認識されているのだろうか?
ああ、だから服従するのが早かったとか……いやさすがにないとは思うけど……。
猫の一匹が、にゃあと鳴く。
別の一匹が、にゃあと鳴く。
鳴き声は連鎖するように、そして最後は八匹揃ってにゃあと鳴いて、皆がそろって空を眺める。
何か儀式が始まっているような……。
つられて空を眺めてみると、大きな樹、その葉っぱの隙間から、徐々に朱色に染まり始めた空と白い雲が見えた。
風に雨の気配はない。
特に奇妙なものも見えない。
一応色別してみても、世界は緑の一色だ。
「にゃ」
聞いてるよ、なんて猫たちに答えつつ、樹にもたれかかったまま目を閉じる。
しばらくすると肩から重みがすっと消えて、あれ、と目を開ければ、猫たちは皆が警戒するように公園の入り口に視線を向けていて。
またもつられてそちらに視線を向けると、見知らぬ男性が公園の入り口に突っ立っていた。
その人は、少し心配そうに僕を見ている。
しばらく見つめ合うようにして、結局観念したのかなんなのか、
「おおい、君。具合が悪いとか……?」
と、男性は声をかけてきた。
ふしゅー、と、僕の周りで猫たちが威嚇を始めている。
それを見て男性は一歩下がった。
その時点で猫たちには見下されることが確定したわけだけれど……、まあ別に、見知らぬ人のヒエラルキーなんてどうでもいいといえばどうでもいい。
「いいえ。猫と遊んでるんです」
「そうかい……。いやあ、なんか。奇妙な光景だね?」
「慣れっこですよ」
「そうかい……」
男性はその後も何かを僕に問いかけ杳として、しかし猫たちがさらに威嚇をしたからか、去ってゆく。
結局誰だったんだあの人。
見覚えは無いな。町内会の人ではないと思うけど……。
まあいいや。
ふと気が付けば陽もだいぶ傾いている。
そろそろ、帰らないと。
「さてと。猫ちゃんたち、今日はこの辺で失礼するよ」
んにゃ、とまるで僕の言葉を理解しているかのように、八匹の猫は揃って鳴いた。
何事もなく、平穏で平和で、だからとてもつまらなくて、それでも幸福に違いない一日を経て、僕は思う。
こんな日々がいつまでも続けばいいのにな、と。
それは絶対に叶わないことを知っていたから、余計にその思いは強かった。
帰宅すると、家の電話がけたたましく鳴っていた。
誰だろう、液晶を確認すると、表示されている電話番号は……あれ、お母さん?
受話器を取って、と。
「もしもし」
『もしもし、佳苗ね。よかった、やっとつながった』
「ごめん。手紙出しに行ったりしてたんだ。どうしたの?」
『今、テレビつけられる?』
うん?
「ちょっとまって」
保留のボタンを押して受話器を置き、子機を手にしてリビングへ。
改めて子機で応答して、リモコンを操作しテレビをオン。
「つけたよ。どこ見ればいい?」
『えっと、十三』
「ここか」
やっているのは午後のニュースだ。
ニュースというか情報番組というか。
まあ、正直中学生男子である僕にとっては非常に興味のない番組である。
続いてのコーナーは、視聴者からの投稿動画です、なんて流れで……ん、んんん?
『ねえ佳苗。正直に教えてほしいのだけど、手紙を出しに行ったとき、寄り道したの?』
「ポストに投函したところで猫見つけて、そのまま公園に。ちょっとだけだよ? 二十分とかじゃないかな」
『じゃあその間に撮られたのね……』
テレビで流れていたのは、猫に囲まれた少年だ。
そしてその少年の肩には猫が一匹乗っている。
ああ、あれって他人から見るとこう見えてたのかあ……。
そのうち、猫の一匹がカメラの方を向いたかと思うと、他の猫たちも反応する。
そして少年の肩からも降りて、威嚇を始めた。
そんなところで動画は終わっている。
微笑ましいですね、みたいなコメントをするコメンテーターさんたちはみんな笑顔……と見せかけて、あれ、と一人だけおかしいな、と真顔な人も居た。
その人はキャスターさんだから……。
たぶん僕の顔を知ってて、あれ、なんか見覚え有るなあってところかな?
『あんまり目立つことはやめなさい、佳苗』
「うん。……でも、撮っていいなんて言ってないよ?」
『そう。ちなみにそれ、誰が撮ったのかわかってるの?』
「それはわかんないな……。ただ、確かにあの動画に映ってるのは僕だし、その時男の人に話しかけられてるよ」
『……そう』
お母さんは少し声を静めてそう頷く。
ちょっと怒ってるようだ。
『今日はいまから帰るから、そうね、一時間もかからないと思うわ。家の鍵はかけた?』
「もちろん」
『ならば私が帰るまで、誰が来ても応対しない事。ああ、刑事さんならいいわ。念のため、ね』
わかったよ、と答えると、電話は切られた。
僕が想像していた『叶わない』とは違う方向だけど、まあ、日常なんてこんなもんか。
厄介な。




