91 - ちりちり心模様
階段を上って二階へ、そしてそのまま僕の部屋へご招待。
軽く整理はしてあるけど、特段いつもと違うことはない。
一応天井の隠し扉は気づかれないはずだ、はしごもないし。
「ここが僕の部屋です。勉強机は、そこ」
「ふむ。結構大きいね」
「そうですね。色々と工作して遊ぶこともあるので、大き目のものなのかな」
実際はどうなんだろう。
あの机買ってきたの、お父さんだったような……。
「えっと、香木原さん……、いや、香木原先生? かな?」
「あはは。どっちでもいいよ。別に名前でもいいし」
「じゃあ、とりあえず香木原さんと呼びますね。香木原さんの椅子は、近くに父親の書斎があるので、そこから持ってくると思います」
「ありがとう。それは助かる」
いやあまさか立ってやってもらう訳にも行くまいよ。
とはいえ毎度移動させるのは面倒だから、適当に作っとくかな……。
「ん……、テレビもあるんだ?」
「主にゲーム用ですけど、一応、番組も見れますよ」
「ふむ。映像の再生はできるのかい?」
「ブルーレイとか? なら、できますよ。カセット、とかいうやつは、たぶん無理かな」
「なるほど」
僕はまるでなるほどって感じじゃないんだけど。
映像教材とかあるのかな?
理科の実験映像とかは正直結構見たい感じがする。
「うん、大体わかった。早速、今度の土曜日の夜から授業を始めようと思うけれど、いいかな」
「はい。そのあとも、毎週土曜日ですか?」
「そうだね。もちろん都合が悪ければ、ずらしてもらっても構わないよ」
ふむ。
「飲み物とかおやつとか、毎回用意しておいたほうが良いのかな?」
「……飲み物については、合ったほうが良いけれど。おやつは、どうかな。お勉強をするわけだし」
それもそうか……。
飲み物は……、冷蔵庫ないし魔法瓶でも用意しておこう。お母さんにお願いするまでもなくすぐに作れるし、適当に買ってもさほど高い買い物ではない。
あるいは電子ケトルかな。そっちのほうが応用はきくか。普段は『ふぁん』で終わるけど、友達が遊びに来た時とかはさすがにダメだろうし。
となるとお茶類とかコーヒーとかも少量でも置いときたいなあ。
「香木原さんはコーヒー、紅茶、お茶ならどれが好きですか?」
「紅茶かな」
「わかりました。今度から用意しておきますね」
「ありがとう。さてと。じゃあ、今日は本当に挨拶だけだから、そろそろ……」
ふむ?
香木原さんは少し落ち着かないようなそぶりを見せている。
何か後に用事が詰まってるのかもな。だとしたらあんまり引き留めるのもダメか。
「はい。じゃあ最後に紹介だけさせてください」
「紹介?」
「洋輔ー」
と。
声をかければ、窓の向こう側に人影が。
当然、それは洋輔のものだ。
洋輔は『きょとん』とした様子で、しかしその視線は香木原さんに向いている。
「紹介します。あっちの部屋にいるのが、幼馴染の親友で、洋輔、この人が今度から僕の家庭教師になる、香木原士さんだよ」
「……はじめまして」
「……はじめまして」
うん?
なんか……あれ?
二人とも嘘ついてる。
「もしかして知り合いだったの?」
「いや、知り合いってわけじゃないかな……うん。知り合いというほどのつながりはない、と言い直す」
「ふうん?」
知り合いじゃない、は嘘。
知り合いというほどのつながりはない、は本当だけど、嘘も微妙に混ざってる。
洋輔が僕に対して、無駄とわかっていても曖昧に濁してきているのは、少なくともこの人の前では言えないってことなんだろうけど……。
それに咄嗟に警戒しているわけでもないところからして、別に敵視があるとか、そういう感じではなさそう。
ただ、気まずい、感じかな?
洋輔主観で色別したときに赤かったのはその辺が理由かな……あとで確認しようっと。
「まあ、知り合いじゃなくても顔を知ってるくらいなら、そこまで心配もないか。えっと、香木原さん。洋輔は隣の家の子なんだけど、ずっと一緒に育ってるので。授業中も時々話したりするかもしれません。いて当然だから……」
「……うん。まあ、あんまりおしゃべりばかりされても困るけれど、そのくらいならば構わないよ。ちゃんと勉強はしてくれよ?」
はい、と頷くと、香木原さんは洋輔にもう一度視線を向けた。
洋輔とか香木原さんの視線がぶつかり合い、先に視線を切ったのは珍しいことに、洋輔の方である。
本当に珍しい。
僕相手ならともかく、僕以外にここまで『しおらしい』のは。
弱みを握られてる……、感じじゃあないよな。いや、握られているとしても一方的ではなくて、弱みを共有している感じか。
ふうん。
洋輔にも意外な人脈があるものだ。
「さてと……それじゃ、今日は今度こそこのあたりで失礼しよう。土曜日はこれからよろしくね、佳苗くん。それと……鶴来くんも、ね」
「……ええ。はい」
洋輔が曖昧に頷いて、香木原さんは部屋を出て階段を下りてゆく。
とりあえず見送りはしなければならないので、いったん部屋を出て追いかけると、遠くからベッドに身体を投げるような音がした。洋輔だな……。
「案内は終わったよ、お母さん」
「そう。それじゃあ香木原さん、今後お願いしますね」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
お母さんと香木原さんがそう挨拶をして、今日は本当にこれだけで帰るらしい。
靴を履いて、玄関を開けて。
「それでは、失礼します」
「お疲れ様です」
「また土曜日に。……と、その前に一つだけ教えてください、香木原さん」
「何かな?」
「なんで洋輔の苗字、知ってたの?」
「……うん?」
僕は洋輔を『洋輔』としか紹介していない。
なのに香木原さんは、洋輔を『鶴来』と呼んだ。
もちろん、隣の家なのだから、その表札を見たと言われればそれまでだし、僕や洋輔の名前は不本意ながら全国的に知っている人がいる。
ましてやお母さんのことだ、僕の家庭教師を頼むという時点で、ある程度事情は説明しているはず。ならば鶴来洋輔という幼馴染がいる、と教えていたっておかしくはないし、教えてなくても調べていたっておかしくはない。
だからここはいくらでもいいわけができるのだ。嘘にはならない範囲で答えることはできるはずだ。
なのに、帰ってきた答えは。
「名札があったからね」
で、それは全面的に嘘であるはずの、本当だ。
いや実際のところ、それっぽいことを言っているけれど嘘でしかないはずなのだ。
僕の部屋に洋輔の名前が書かれた名札なんて置いていないし、洋輔の部屋には確かに『鶴来洋輔』と書かれた小学生時代の名札や、『鶴来』と書かれたジャージも置いてあったけど、その全部は『見えない位置にあった』。
でも奇妙なことに、この人は嘘をついていない。
つまり……ま、追求しても藪蛇がありそうだし、この辺にしておこう。
「そうでしたか。変なこと聞いてごめんなさい」
「ううん、こちらこそ。それでは、失礼します」
改めて挨拶をして、去っていく香木原さんを眺め、手を振りさようなら。
玄関が閉じた後、数秒ほどその場で待機して。
「佳苗。今の話、どういう事かしら?」
「そのままだよ。洋輔のことを洋輔、としか紹介してなかったんだけど、香木原さんは『鶴来』って洋輔に話しかけたんだよね。どこで知ったのかなって思って」
「事前に二回お話をしていて、そこで鶴来さん……ああ、洋輔くんのお母さんね、彼女も交えていたから。その流れもあったんじゃないかしら?」
「あー」
っていうかちゃっかり洋輔のお母さんも混ざってたのか、この話。
だとすると本格的に洋輔も家庭教師を検討されてるな。
「まあいいや。お母さん、今度電子ケトル買ってきて、部屋に置くつもりなんだけど。何かついでに買い物ある?」
「特にないわね。ティーカップとか湯呑、急須とかはどうするの?」
「ちょっと歩くけど、ほら、猫グッズのお店あるじゃない。あそこで買ってみようかなって」
「良いわね。でも無駄遣いはしちゃだめよ」
「うん」
自室に戻ると洋輔が我が物顔で僕の勉強机の前、椅子に座ってくるくると意味もなく回っていた。
回転いすに座る十特に意味もなく回りたくなる気分も分からないわけじゃない。僕も時々やるからな……。
「それで、洋輔。あの人とどんな知り合いなの?」
「……俺はお前に隠し事するだけ無駄だ、と判断してるし、だから言っておくぜ。俺は今から嘘をつく」
「そこまでして隠したいの……? なんかやましいお知り合い?」
「んー。そこまではいかねえんだけどな。ただ趣味が似てるっていうか……なんていうか。その流れで、ちょっと知り合った」
趣味が似てる……?
洋輔と趣味、好きなものが似ていて、それで何らかの意気投合でもしたってことか?
とはいえ洋輔の奴、本格的に隠し通すつもりらしい。
隠し事をしていることはバレたとしても、その内容までは絶対に教えない、そんな意志が浮かんでいる。しかも強烈に。
「じゃあこれだけは教えてほしいんだけど。あの人に名札見られたことある?」
「名札……?」
洋輔はやっと椅子の回転を止め、ゆっくりと、そして大きく首を傾げた。
「どーだろうな。一度か二度くらいは、まあ、見られていてもおかしくはねえかも。基本的には外で名札なんてつけてねえけど……」
「だよね」
登校して名札を付けて、学校が終われば名札を外して保管して。
それが小学校での日常だったし、中学校だってそれは変わらない。
となると、体育着かな……。
体育着を見られるシチュエーションなんて、それこそ名札と同じくらいにはなさそうだけど、皆無ではない。
小学校においての体育着登校なんて超レアなケースだし。運動会くらいだろうか。
ああ、あとマラソン大会も。
その付近で洋輔と会った人……ねえ。
「ぶっちゃけるとさ、俺はあの人の名前、はっきりとは知らなかったんだよ」
「…………?」
「逆もそう。たぶんあの人は俺の名前を曖昧としかしらなかったはずだ」
「もうちょっとざっくり言ってくれない?」
「あー。えっと、俺はあの人の名前を知ったのは、偶然ちらっと、学生証を見たから。『香木原士』って字面は知ってたけど、読みはわかんなかった」
ん……、つまり本名をお互いに隠している状態での知り合い?
そんな奇妙なつながりが洋輔にあったのか……っていうか。
「ネット系の知り合い……」
「……まあ、そういうこと」
納得。
つまり洋輔も香木原さんも、お互いの事をハンドルネームでしか知らなかったと。
オフ会か何かで実際にあったときに、洋輔は香木原さんの学生証を、香木原さんは洋輔の『名札』を見ていて、鶴来という名前を知っていた感じ……、うーん。
「どうせ洋輔の事だから、あのゲーム関係か、それ以外の趣味か。どちらにせよそこそこマニアックな感じなんだろうけれど……」
「否定はしねえよ」
「どうしても引っかかるんだよね。なんであの人、名札って言ったんだろう」
たしかに、と洋輔も僕の言葉に頷いた。
他にいくらでもごまかしようはあったのに、あの人は真実を言った。それが、名札。よっぽど何か印象が残ることがあった、と推測はできる。
写真とか動画とか、その辺? いや、それもないよなあ。
「ま、別にいいだろ。あの人がお前の家庭教師になるなら、別に悪くはないと思うぜ。結構いい人だし」
洋輔は本心からそんなことを言う。ただ、少しばかりの警戒もそこには含まれているような感じだ。
矛盾とまでは言わなくても、なんか複雑な感じはするんだよな……。いい人に警戒する意味ってあるのかな。
今一思いつかない。
となれば、警戒しているのは香木原さんにじゃあない……ってことかな。
「洋輔」
「ん?」
「僕と香木原さんの関係」
「は?」
「じゃあ、洋輔と香木原さんの関係」
「何が」
あ、こっちか。
「おい。理不尽だろ。誘導尋問ってやつじゃねえの」
「別に僕は尋問してないよ。つぶやいただけ。それに洋輔も答えてないんだから、誘導尋問にはあたらないはず」
「これだから動作型の真偽判定は便利すぎんだよ……」
「あはは。ま、安心しなよ、洋輔。別に僕の方から香木原さんに聞こうとは思ってないから」
むこうから話されたらその時は聞いちゃうかもよ、関係を。
そう言外に教えると、洋輔は一度、二度と頷いた。
「忠告サンキュ。先に連絡して、その辺口裏合わせしとくよ」
「うん。でもそこまで明言するってことは、よっぽど香木原さんとは『はじめまして』のほうが都合いいんだ?」
僕の問いかけに、洋輔は世間体としてなとだけ答え、苦笑交じりに頬をかいた。
それはとても、珍しい表情だった。




