88 - 祭の後で明らかに
朝。
今日は目を覚まして最初にするべきこととがあるので、ベッドから降りて壁際へ、そしてそこに貼られているカレンダーをびりっと破って、六月へ。
五月の分は適当にふぁん、と大中小の折り鶴セットにして机の上に飾り、卓上カレンダーも五月から六月にカードを変更。
というわけで、六月一日、水曜日。
なんだか五月って長かったな……だいたい体育祭と球技大会が両方ぶち込まれてるせいな気もするけれど。
そう考えると今月は安心だ、その手のイベントは授業参観と芸術鑑賞、あとはボランティア系のものに前期中間テストがある程度だ。
…………。
あれ?
イベントの量的には変わらないし、むしろテストがある分だけ余計に大変なのでは?
今月って祝日もないし。
あとバレー部にも入ったから休日もたまに練習があるし、合同練習で紫苑とかも行くわけで。
家庭的には両親のお仕事が一段落するからご飯や洗濯とかは大分軽減される反面、家庭教師さんが来るようになるから……あっれえ、今月は楽だと思ったんだけどそんなことはないのか。
まあいいや。まだ六月の初日なのだ。色々と考えるのは後でいい。
昨晩、寝る直前に今日の準備はしてあったから、一応教科書とかに問題はなし、と。
あとは晶くん向けのポーチを持っていくわけだけど、適当な透明のビニール袋をふぁんと作ってそこに投入……するまえに最後の確認。
ファスナーの動作に問題なし、ボタンも外れそうにない。生地に汚れもないし、大丈夫。肩から掛けたり腰に回したりするバンドはよくある素材で、これもよくある仕組みでどうとでも使えるように調整可能なやつだから、使い勝手については大丈夫だろう。たぶん。
多少手荒に扱っても問題ない程度の頑丈さは付与してあるけど、自己再生機能は自重した。当然完全エッセンシアによる完全耐性もつけていないので、燃やせば燃えてしまうので要注意。
尚、ポーチの中には一応仕切りがあって、必要ない可能性も高かったけれどスマホが入れられるポケットを用意してある。まあスマホを持ってなくても電子マネー系のカードとかを入れたパスケースを入れたりペンを入れたり使い道はあるから、無駄になることはないだろう。たぶん。
機能的にも見た目的にも問題なしということで、改めて透明のビニール袋に投入、これでよし。
ついでにメモ用紙に『かなえハンドメイド』、『ある程度は雑に使っても大丈夫だし、雨水くらいははじきます。修繕が必要ならば持ってきてね』と書いて、添えておく。
で、このまま持っていくわけにもいかないので鞄に……うーん、部活用の方に入れとくか。
「さてと」
時計を見ればいい時間。
さっさと朝ごはんとか終わらせてこよっと。
洋輔と共に登校、今日の野良猫は二匹。ちょっと少な目、残念。
あんまり多くても遅刻しかねないから、三匹くらいが一番いいんだけどね。
まあいいや。
下駄箱で上履きに履き替えて、階段を上って教室へ。
ロッカーで簡単に整理をして、洋輔と一緒に「おはよー」「おはようさん」と入ってゆく。
もはや答えてくれない子のほうが少なくなっていて、僕にとっては良い変化だ。僕にとっては、だけれど。
「んじゃまたな」
「うん」
一度洋輔とは別れて自分の席に手持ちのノート類を置きつつおはよう、と周囲の子たちにあらためて挨拶をしてっと。
昌くんはすでに来ていたので、部活用の鞄は持ったままそのまま昌くんの席へと移動。
「あれ? どうしたの?」
「いや、遅くなったけど。完成したから、持ってきたよ」
「何を?」
というわけで、鞄から例のポーチを取り出して昌くんに提出。
昌くんは首をかしげて、数秒ほど考え、
「……えっと?」
と言った。
あれ、言ってなかったっけ。
「ほら。晶くんにポーチでも作るか、ってやつ。なかなか鶸萌黄をどうやって入れるかとか、悩んだんだけど……ちょっとデザイン的にダメかな?」
「え……? これ、買ってきたんじゃなくて作ったの?」
「うん。手作り。一応、ある程度防水性とかはあると思うし、普段使いならできると思う……けど。気に入らないなら作り直すか」
「いや。いやいや、気に入らないなんてことはないよ。……作った?」
「うん」
何度確認するんだろう、昌くん。
はい、と昌くんの手の上にポーチを乗せると、昌くんはおずおずとビニールの中に入っているメモを取り出して目を通した。
「そこにもあるけど、言ってくれればある程度ならば修繕できるから。気軽に言ってね」
「あ、ありがとう……うわあ。すごいな。これ、晶はすごく喜ぶと思うよ」
それは良かった。
「……おれのアレも大概だったけどさ。渡来って何、職人か何かなのか。そういうのって既製品でもそこそこ値が張るタイプのやつだろ……」
「どうだろう。ありあわせの材料で適当に作っちゃったから……。頑丈さとかもある程度確保してーとか考えると、どうしてもね。市販品と比べると使いにくいとか、結構あるかも」
「そうかあ? 色使いもなんか妙に手馴れてるし。……でも確かに手作りなんだよな。その犬とか鳥、プリントされてるならまだしも、刺繍だろ……」
「そうだね」
「そうだね、って……」
昌くんまで呆れ始めている。
やっぱりやりすぎだろうか?
まあ作ってしまったものは作ってしまったのでいまさらという感じはする。
「晶くん、すぐに退院できると良いね」
「…………」
そうだね、と頷きかけて、しかし昌くんは、
「あれ?」
と言った。
「え?」
「いや……。言ってなかったっけ。晶、この前退院したよ」
なん……だと……?
「退院したのは良いけど、久々の家でなんか疎外感があるらしくてね。だからペットでも飼って、気を紛らわせればいいかなって話になったんだよ。晶は犬が好きだから犬かなと思ったんだけど、世話するのは嫌だって言ってきかないから、じゃあ世話の度合いが少なくて済む猫かなあって……」
「いや猫も大概世話は必要だよ……? しかも本能的なところは夜型だから、思った時に思ったように動いてくれるとも限らないし」
「まあね。でもまさか、うちで狸や狐を飼う訳にもいかないからさ」
それはそうだけど。
っていうかその二つってペットにできるんだろうか。
害獣指定されてる可能性もありそうだけど……アライグマみたいに。
「問題は完全な家猫にできるかどうかなんだけどね……ぼくの家、マンションみたいにがっちり固めてるわけでもないから」
「そういえば昌くんの家って結局どこなの? 郁也くん家の近く……だよね?」
「うん。郁也の家からだと大通りとは反対側に少し歩くと迂回する道があるでしょう。あの道沿いに八幡宮があるのは知ってる?」
八幡宮?
……って、ああ。
「神社の事か。結構大きい奴だよね」
「そうそう」
…………。
待て。まさかその神社が家とは言うまいな。
「その八幡宮の横道をちょっと進むと、ぼくの家だね」
「あ、よかった。神社が家なのかと……思っ……、た……?」
けど、頭の中にこの街の地図をとりあえず展開してみる。
で、言われた八幡宮、神社がある場所を思い出して、その周辺地域を思い出してみると、確かに横道はある。
「細いほう? それとも、えっと、車がぎりぎり通れる方?」
「後者だね。車が入れる方」
「…………、」
え、っと……。
そっちの横道は、神社を挟んで民家が四件ほど。
「行き止まり、だよね。四件くらいあったと思ったけど」
「いや、その行き止まりだよ」
「……え? あそこって、あの神社の神主さんの家じゃないの?」
「神主さんの家は反対側。細い方の道を挟んだ方だよ。よく間違われるけど」
そっちにある家は普通の家だ。
で、今僕が思い出している場所にある……つまり、かろうじて車が通れないこともない神社の横道、その行き止まりにある家は、荘厳な感じのする和式の門がでんと構えられ、大きな庭がある、大きな家だ……という話を聞いたことがあって、実際近くにあるビルから覗いてみたこともあるけれど。
「あそこがぼくの家。このポーチのお礼もしたいし――晶にもお礼をさせたいし――、今度遊びにおいでよ。おせんべいとお茶くらいは出せるよ」
「……か、カステラでも持っていけばいいかな?」
「いや別に」
いやでもあの家を訪ねるとなるとやっぱり何か手土産は必要だと思う……。
うん。
ビルから覗いた限り、そこにある家はとにかく広い。
具体的には八幡宮と同規模かそれ以上。
敷地的にはたぶん、学校の校庭が普通に入るくらいだ。
庭も広々としていて、池とかもあったように見えた。
「ひょっとして昌くんちって、鯉とかいる?」
「いるよ。三匹だね」
「いるんだ……ってことは、やっぱりあのおっそろしく広い家か……」
「あはは……。おじいちゃん、にあたる人が、当時仕えていた人に『お礼』として貰ったんだって言ってたかな。で、お父さんがそれを譲ってもらって、今、ぼくたちが住んでる感じ」
お礼であんな豪邸を……いったいどんな人に仕えていたんだか。流れ的に村社家とか言われそうだから聞きたいけど聞きたくない……。
「詳しい間取りは知らないし、実際に行ったことがあるわけでもないから何とも言えないけど。それなら、家猫でも大丈夫じゃないかな。猫って結構運動したがるけど、広いし」
「うん……広さ的にはまあ、ぼくもそこまで心配してないんだけど。縁側がね、ほら、くれ縁だけじゃなくて、濡れ縁もあるから」
「ごめん。用語使われるとさっぱりわからない」
「えっと、くれ縁っていうのは雨戸とかを使って閉じられるやつで、建物の中にある、って扱い。濡れ縁は建物の外にあるって扱いだけど……」
厳密には違うかもしれないけど概ね把握。
つまり、
「扉で仕切れるのがくれ縁で、開けっ放しのが濡れ縁?」
「だいたいそうだね」
なるほど、扉か。扉があれば猫は……、まあ。
「猫、扉くらい開けるけどね。鍵かけてても単純なやつで、賢い子だったりすると、開けちゃうこともあるし」
「え、そうなの?」
「うん」
ノルちゃんに至っては生半可な魔法鍵でさえ余裕で突破してたしな……今となっては懐かしい。
まあ、ノルちゃんは猫又だったわけで、普通の猫とは違うけれど。
「結局さ。小猫の間にどの程度世話をして、ちゃんと懐いてくれるかどうかの問題だと思うよ。昌くんが世話をするなら、昌くんにはとりあえず懐くだろうけど……晶くんはどうかなあ。結構猫ってそういうヒエラルキーの付け方厳しいから」
「たまには晶にも餌やりをやらせればいいかな」
「……それ、時々餌を運んできてくれる奴隷って感じで見られると思う」
猫というのはそういう生き物だ。
だからこそとても可愛い。
正直犬派の晶くんに合うかどうかは微妙な所なんだよな……。
「まあ、いいか。なるようになるだろうし」
「昌くんがそれでいいなら、僕としても口出しはできないね……」
「あはは。でも、本当にありがとうね。これは今日、晶に渡しておくよ」
「うん」
でもま。
早いところ退院してほしいなあ、とは思ってたけど、すでに退院したとは……。
良いことだ。予想外にもほどがあったけど。
千羽鶴とかにしないで本当に良かった……。
その後簡単な雑談をしている間に郁也くんが寄ってきたので、
「そうだ。郁也くん、昨日はありがとう」
「どういたしまして。で、何かわかった?」
「明確に、って感じじゃないんだけどね。一応ヒントみたいなものはあったよ」
それはよかった、と郁也くんは笑みを浮かべた。
屈託のない、本心からの笑み。そこに嘘の要素はまるでない。
だからあの水墨画の裏側に何があるのかは、少なくとも郁也くんは知らされていない、か……。
「あの水墨画、買ってきたのはお父さん……みたいなこと、郁也くん言ってたよね」
「うん」
「今度お父さんとお話させてくれないかな?」
「……え? ボクのお父さんと?」
郁也くんは眉間にしわを寄せて、少し考える。
その態度からは、別に隠しごとのニュアンスは感じ取れない。
「別に、良いと言えば良いけれど。お父さん、帰ってくるのいつも八時過ぎだからなあ。電話でならば今晩でもいいけど」
「できれば直接かな……、でも、お休みの日に押し掛けるのも迷惑だよね」
「うーん。迷惑ってわけじゃないけど……そうだ。じゃあ、日曜日とかどうかな。たぶん今週の日曜日はバレー部の練習があるから、その後、ボクの家に改めて来てもらうとか」
「いいの?」
「うん。日曜日なら、お父さんも家に居るだろうし」
なら、週末か。
良くも悪くも、そこで大体がわかるだろう。




