86 - 夕陽色の忠告
部室に保管していたメモも手に取りつつ、改めて郁也くんにはメールアドレスを記したメモを渡して今度こそ帰ろう、と一緒に部室を出た、そのタイミングだった。
「いやあ、驚いたよ。のりとの後輩、なかなか楽しそうな子じゃないかい」
この陽気な声は……カミッロさん?
「だろう。自慢の後輩……、というほどまだ関係性は無いけども。ぼくとしても、彼にはかなり期待している」
「だったらなんで、あの子の兼部を赦したんだい? のりとが望むのは演劇部の充実だろうに」
と、藍沢先輩もいるのか。
郁也くんが小首をかしげて進もうとするのを手で抑止し、そのまま物陰でちょっと続きを聞いてみることに。
幸い、まだ気づかれていないようだ。
「そりゃあぼくも兼部しているから……さ」
「表向きの話は今更どうでもいいさ。あの子の身体能力、尋常じゃないしね……棒倒しの時、初回と取り直しの二回とも見たけれど、どっちの動きだって異常だろう。背丈に対して持ってる力が明らかに見合ってないし、動きが良すぎる。『この上のない、文句のつけようのない、完璧な動き』。あれはもう人間業じゃないね。ましてや神業ですらない。どっちかというとあの手の力は悪魔と契約したような類のものだ。才能って悪魔とね」
「カミッロらしい……な。ぼくもかーくんが『かなり動ける』ことは知ってたけど、あそこまでとは思わなかった。正直」
「うん?」
「かーくんがサッカーをしてたとしたら、一週間もしないうちにぼくは超えるだろう。一か月もあればおれさえもな」
「……そこまでかい? 技術的には申し分なくても、体力面でさすがにそれは無いと思うけどね。小柄だし」
「シャトルランテストで『音源が終わる』まで走り切って、尚余裕があった――なんてエピソードを聞いても、そう言えるか?」
「…………。冗談だろう?」
「真実だ。かーくん自身は全然気にしてないみたいだけどな……」
なんだろう、褒められてるけど同時に……、怖がられてる? 感じ?
「持久力は人並みどころか尋常じゃないレベル。敏捷性も最高級で、反応精度も完璧。重心移動も理想的で、動きの最適化まで終わってる。ただ、ルールに疎いからすべてのスポーツを得意としているわけじゃないってだけだ。ルールさえ覚えれば何でもできるだろうな」
「際立つねえ、異常性が。やっぱり悪魔か何かと契約してるんじゃないのかい?」
「何を対価にだ」
「人生とか?」
「哲学だな」
ははは、と笑い声が聞こえてきた。あながち間違いではないのかも。
悪魔ではなくて、契約先は野良猫だけど。
「演劇部を充実させるのは、だから確かにぼくにとっては本意だ。けど、かーくんだって年頃の男子だからなあ。運動したいって思うことだってあるだろうさ。で、それが何かの紛れでバレーボールを選んだんだろう。今回の場合は友人に誘われて……かな。だったら、それを邪魔する理由もないだろ?」
結局のところ、と藍沢先輩は言葉を区切って。
「楽しくなければ楽しくない……か。のりとはブレないねえ。くっくっく、まあのりとが善しとしてるならそれはそれでいいんだけどね。でも……忠告はさせてもらおうかな」
「忠告?」
「うん。自分から見てもあの子、やっぱりおかしいよ。尋常じゃない。スポーツ用のまで持ってるってことはよっぽど視力に問題があるのかな? その辺は詳しくないから分からないけれど、たとえば視力的に何かのハンデを負っていたとしても、あの子はほとんど全てのスポーツに適応しうるだろうね。……あの子、あのまま放っておくと、痛い目見るよ」
「…………。いつかの、お前みたいに?」
「あるいはいつかののりと、お前みたいにだ」
…………?
藍沢先輩とカミッロさんが、痛い目を見た……ってことだよね?
流れからして。
「出る杭は打たれる――なんて言葉もある。個性を認めましょうなんていいつつも、学校は個性を可能な限り均一にする場所だからね。今はただの人気者で済んでるけれど、それがいつかは反転しないとも限らない」
「だから性能を落とせというのも、なんかな」
「確かに難しいよね。でもあのままあの子が自分の道を突き進むなら……進んでいる間はきっと楽しいと思うよ? でも、一瞬でも立ち止まったら……。見てる限り、あの子が立ち止まる場面ってあんまりなさそうだけども」
「ああ、確かに。かーくんって立ち止まってるようで前に猛進してるって言うか……なんか、考え事をしながらダッシュしたりしてそうだよな」
この先輩たちは僕を何だと思っているのだろう……。
「まあいいや。忠告はしたよ。その上でのりとが何とかするべきだと思ったら、何とかすればいい。そのままで大丈夫そうなら大丈夫だと、静観してもいいしね。残念だけど学校が違うから、自分と彼との接点なんてそうそうないだろうから、自分はこれ以上の助言ができないよ」
「うん。感謝するよ、カミッロ」
「どういたしまして、のりと。さてと……それじゃ、自分は帰るかな」
足音は、二つ分。
それらは一緒に離れてゆく。藍沢先輩とカミッロさん……その二人とも、か。
「なんか変なこと聞いちゃったね、佳苗」
「別に陰口ってわけでもないからね……むしろ、僕へのサポート、気遣いみたいなものだから。悪い気はしないよ」
「でも正直に言えば、良い気もしないでしょ」
「それは……」
まあ。
そうだけれど。
「今を楽しむ。それが僕の主義だし、その延長でバレー部を始めたのも大正解。……出る杭は打たれる、か。カミッロさんにせよ藍沢先輩にせよ、なにか痛い目を見たことあるのかな……」
「あるからこそ、あの反応なんだろうね。……なんか。えっと……佳苗。ごめ――」
「謝る必要はないよ」
苦笑で返して、僕は一歩を踏み出す。
「バレーを始めたきっかけは、たしかに郁也くんだけれど。でも、最後に決めたのは僕自身だし、バレーボールが楽しいのも本当だよ。だから僕は楽しく、強くなっていきたい。美土代先輩とかとネットを挟んで立ち向かって、正々堂々正面から勝ちたい……それが当面の目標かな」
「……それが出来たら、きっと佳苗は一番のリベロになってるよ」
「だとしたらその時は、郁也くんも一番のセッターだね」
「そうだといいなあ……。……うん。ありがと、佳苗」
どういたしまして、と答えて、郁也くんと一緒に歩みを進める。
そう。
きっかけが何であろうとも、最終的に選んだのは僕自身だ。
だから誰かを怨むなんてことはあり得ない――それに。
もし僕が失敗を迎えても、それは僕の経験なのだから。
その経験を誰かに横取りされるのは、結構癪なものである。
経験が無ければ成長できないわけじゃないけど――経験があれば成長はまだしも、しやすいからね。
「さてと。それじゃ、今日は帰ったらメール送っておくね」
「うん。お父さんにお願いして見せてもらうね」
「わかった。じゃ、また明日」
「また明日」
洋輔が見えたところで、郁也くんはきっちり切り出した。
僕と洋輔が一緒に帰るのは分かっていたらしい。
にしても、また明日、かあ。
はあ。
「おい、佳苗。なにいきなりため息ついてんだ」
「いやさ。小学校の運動会って、翌日お休みだったじゃない。でもこの中学校、明日も学校あるんだよなあって……」
「仕方ねえだろ……もともと日程押してるんだから」
「身から出た錆かあ」
「俺たちはそれで納得できるけど、他の連中はそうでもない。そう考えると俺たち、結構立場的には危ういかもな」
ま、帰りますか。
というわけで帰宅するまでに遭遇した野良猫は三匹。
こんなものか、とか思いつつも家に帰り、鍵を開けようとしたら開いていた。
あれ?
「ただいま」
「おかえりなさい、佳苗」
ああ、そっか。
お母さん今日はお仕事はお休みとってたのか。
あれでも体育祭に来てたかな……?
「ごめんなさいね。本当は見に行くつもりだったんだけど……お母さん寝ちゃってたわ……」
「なるほど、そういうオチか。いやあ、来てないから結局お仕事行ったのかな? って思っちゃってたよ」
「あはは。……ごめんなさい」
「ううん。身体は大丈夫?」
「ええ」
ならばよかった。
来月からは大分マシになるとはいえ、今月はずーっとお仕事続いてたからなあ。
こういうイベントを口実にしてお休みを取るのも大事だろう。実際に来るかどうかは別として。
「そうだ。お母さん、後でパソコン使いたいんだけど」
「何に使うのかしら」
「郁也くんに水墨画の画像送ってもらう約束してて」
「水墨画ねえ……? 別にいいんじゃないかしら。お父さんは今日、早めに帰るらしいから、そのあとでいいならそのあとにしなさいな」
「うん」
じゃあ後回しでいいや。
さて?
「とりあえず着替えと洗濯かな……お母さん、洗濯物はもう出した?」
「……お休みの日くらい、私がやるわ。洗濯籠に入れておきなさい」
「そう? じゃあお願い」
なんだか最近は自分でやるのがデフォルトになりつつあるので、ラッキーな感じが。
自分の部屋に戻って荷物を置き、メモはちゃんと手帳に入れておいて、適当に着替えのシャツとズボン、あと下着も用意しておく。
運動した後だし。
シャワーくらい浴びてもいいだろう。
お母さんは寝てたと言ってたから、たぶんお風呂掃除はしてないだろうし、そのついでに。
で、その旨をリビングのソファで紅茶を飲んでいるお母さんに伝えると、
「かまわないわよ。最近の佳苗は、なんだか優しいわね……」
「昔は優しくなかったってこと……?」
「最近は特別ってことよ。もっと子供っぽかったのにね、あなた。なんだかいつのまにか、頼れるお兄さんになっちゃった」
「そう!?」
「あ、すごい食いつき方……まあ。精神的にはお兄さんよ」
……精神的には?
「身体的には、もうちょっと背が伸びないとダメねえ」
「お母さん」
「なにかしら」
「遺伝って知ってるよね?」
「…………」
申し訳なさそうにお母さんは視線をそらして、こほん、とわざとらしい咳払いをした。
追求しない方が家庭環境的には良さそうだ。
やれやれ。
「あ、そうそう。佳苗、来月からの家庭教師さんのお話なんだけど……」
「それはお風呂掃除して、シャワー浴びた後に聞くよ。別に無意味に追求したいわけでもないし」
「あら、そう?」
「うん。でもその話は聞きたいから、あとで教えてね」
「ええ。わかったわ」
こんなものか、と。
とりあえず会話は打ち切って、お風呂場へ。
洗面所でパンツ以外は全部脱いで、パンツ姿でお風呂掃除。
めんどくさいときは『ふぁん』で終わらせるけど、まあさすがにお母さんがいる状態でそれはものすごい怪しまれること必至なので、ごく普通にお掃除を実行。
満足するまで洗っていたら十分ほどかかってしまった。
で、パンツも濡れていたのでそのまま脱いで軽く絞り、洗濯籠の横、濡れてるもの置き場に置いておく。
……なんか誤解されそうだけど大丈夫だよね?
大丈夫大丈夫と自己暗示しながら、改めてシャワーを浴びて今日を振り返る。
あとで日記書かないと。
日記用のノートは……ていうか、適当な新品のノートを日記帳に錬金しちゃえばいいか。
髪を洗って、身体も洗って、リラックス。
湯船は今からお湯を張るので、お湯を張りながらぼーっとするのもありなんだけど、長風呂になっちゃうからなあ……。
まあいいや。賢者の石効果で身体的な負荷は実質ないとはいえ、心にゆとりをもつのは大事ということで、そのまままだ数センチさえもお湯がたまっていない湯船に入り、徐々にせりあがってくるこの感覚を楽しむ。
日記はどうやって書こうかな。ま、思うがままに書いて行けばいいんだけど。
なんで書き始めたのかとか、その辺を前置きにしておくといいかもしれない。
他人に読まれるのは嫌だけど、この部屋に勝手に入ってこれるのは両親と洋輔くらいだし、その三人に読まれる分にはまあいっか。
一応引き出しに入れるくらいのことはしておけばいいし、それこそタイトルに日記と書いておけば洋輔も遠慮はするだろう。遠慮しつつ読みそうだけど。
あとは……、あとは……、なんだっけ。なにか、やらなきゃいけないことが、あったような……。
ああ、そうだ。昌くんの弟、晶くんのポーチも作らないと。ひわ……、ひわ、なんだっけ。
ひわもぎえ?
なんかそんな感じの名前の色で。それも調べないとな。
「大丈夫」
前に進める間は。
道が見えている間は、だから、大丈夫だと。
僕は誰かにそう言い聞かせつつ、強く目を閉じた。




